大切なものっていうのは、失ってから気付くらしい。
「先生、俺、元カノとまた付き合うことになった」
「え」
放課後の教室。またわざと補習を受けている変な生徒が、突然そんなことを言った。
思わず間抜けな声が出て、次いですぐに『俺の気を引くための嘘だ』と脳に流れる。だから、自然と笑っていた。
「はは、お前、エイプリルフールはとっくに過ぎたぞ」
ジッと見つめてくる生徒から目を逸らし、彼の手元の補習プリントを手に取る。ざっと見る限り、全問正解だ。
「うん、合ってる。じゃあ、補習終わり」
「ねえ、先生」
「ほら、さっさと帰らないと」
「先生」
生徒の手が、俺の左腕を引っ張った。
「確かに嘘だけど、なんで先生は嘘だって思ったの」
「は?」
「普通祝うじゃん。去年は俺と元カノのこと、心配してたじゃん」
「そ、それは……」
目が泳ぐ。
言えない。言えるわけがない。また付き合うと言われた時、ショックを受ける自分がいたことなんて。
「先生、俺のことどう思ってるの」
「……どう、って」
言葉に詰まる。吹奏楽部の練習の音が聞こえる。
俺は一度喉を鳴らすと、思い切って生徒への返答を口にした。
***は、おうじさまと しあわせにくらしましたとさ。めでたし、めでたし。
読み終わった本は閉じられ、物語はめでたしの先に行くことはない。幸せになった、おじいさんになった、泡になって消えた……物語はそれで終わり。
「し、幸せなんかじゃないじゃない……!」
でももし、その物語の世界に入れたら。終わりの先を、めでたしのその後を知ることができたのなら。
「シンデレラってハッピーエンドじゃなかった!?」
読み終わった本は開かれ、物語はめでたしの先へ。これが本当にハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか、それは物語の住人になって初めて分かる。
さあ、あなたもぜひ、物語の世界へ。
勇者が死にました。
魔王戦終盤。時が止まり、周りの仲間も敵もみんな動かなくなったそこに、青白い光。テロップのようなそれを見上げて、また失敗したと思う。
これで何度目だろう。レベルが足りずに負け、HPを回復し忘れて負け、仲間の蘇生を忘れて負け、負け、負け……その度に、はじまりからやり直す。
「今回もダメかぁ」
時が止まっている間は、何故か自分だけ動ける。それがどうやら、この世界の仕様らしい。だから、また一からやり直すために呪文を唱える。すると、魔王も仲間も敵も、みんな一気に光に包まれて消えて、自分ははじまりの村から三つ分ほど進んだ街へ戻される。
時は動き出し、全ての経験値がゼロの状態から、再び物語が始まるのだ。
また、勇者がこの街へ来るのを待たねばならないのだ。
「バッドエンドでも良いから進んでくれりゃあ良いのに」
勇者が死んだって、他の奴らが生きてたら魔王くらい倒せるだろう。どうしても「全員生きててハッピーエンド」に向かいたいこの世界と、自分は相性が悪いのである。
ずっとお側にいますよ。約束です。
もう何年も前にご主人様と交わした言葉。
私の体はもう人間のものではないけれど、その約束だけは守ろうと決めている。
「遅い。いつまで待たせるんだ」
「申し訳ございません」
プログラム通りにしか対応できないこの体は、とても不便だ。ご主人様が怒っているのが分かるのに、何もしてあげられない。謝ることしかできない。
「それと、何度も言うが祐介でいい」
「はい、かしこまりました。ご主人様」
舌打ちが聞こえる。
呼べばいいのに、とプログラムで動く体に言うけれど、聞いてくれない。祐介様。呼びたいのに、口は動かない。
「もういい」
呆れたようにそっぽを向かれ、血が通っていないはずの心臓が痛む。
「申し訳ございません」
そんな顔をさせたくて、この体になったわけじゃないのに。私は、貴方が幸せでいてくれたらそれでいいのに。どうして私の心臓は、人間の時のように動いてくれないのだろう。
同級生の羽鳥さんは、よく教室からいなくなる。
昼休みと放課後は特に。どこに行ってるかは知らない。一度追いかけようとしたものの、校舎を出たあたりでバレてしまって諦めた。それ以来、探ることはやめた。
でも、最近の羽鳥さんは様子がおかしい。
毎日教室から出て行っていたのが、週一回になった。ぼんやりと外を見ることが増えた。その仕草はなんだか、恋をしているように見える。
僕は、意を決して話しかけることにした。
「羽鳥さん、何かあった?」
頬杖をついていた羽鳥さんは、僕の方を見て、また視線を外にやった。
「何も」
ぶっきらぼうに言い放つ。拒絶の姿勢だ。
しかし、諦めるわけにはいかない。追いかけようとして諦めたあの一回を、僕は後悔したから。
「でも、最近外に行かないよね? 何か悩みとか……」
「…………太陽が」
「太陽?」
「太陽が欲しかったけど、届かなかった」
それと週一回外に行くのと、何の関係があるのだろう。
僕は質問しようとした。でも、羽鳥さんはそれ以上太陽について話さなかった。
太陽が欲しい。人が望むにはすぎた願いだけれど、何か理由があるのだろう。
「手に入るといいね」
「……そうだね」
最後に呟いて、羽鳥さんは机に伏せた。