ほろ

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3/5/2024, 3:21:28 PM

ぼくはシオタ。まっしろでシオみたいだから、シオタ。
ご主人様は、ちょっと腰が曲がったササキのおじいちゃん。

ササキのおじいちゃんは、いつも同じ時間にさんぽに連れていってくれる。おひさまが赤くなり始める時間に、家から出てきてぼくをさんぽに誘ってくる。
時間が同じなら、さんぽコースも同じ。家から左に出て、川沿いを歩いて、橋と反対方向に行って、チワワのハルちゃんがいる家を右に行って、ぐるっと一回り。
たまには別の道を行こうよ、って首に繋がれたヒモを引っ張るけど、ササキのおじいちゃんはそんなの知らんぷりする。

ササキのおじいちゃんの考えは分からないけど、別に同じ道じゃなくたっていいのになーって思う。
「シオタ」
それでも、同じ道だと分かっていても、ぼくはササキのおじいちゃんに誘われたらついていく。ぼくを連れ出してくれるのはササキのおじいちゃんしかいないし、ササキのおじいちゃんのさんぽ相手もぼくしかいないから。

だから、長生きしてね、おじいちゃん。ぼくは、おじいちゃんとふたりで歩くさんぽコースが好きなんだ。

3/4/2024, 1:44:05 PM

「あ」
思わず声を出した後、相手は自分のことを知らないのだと思い至る。
「……なんですか?」
カールした毛先が揺れる。落ち着いた髪色の他校生。俺は彼女を知っている。うちの女生徒で彼女の写真を持っている子がいたからだ。
「あー……もしかして、恋人にプレゼント?」
彼女が見ていたのは、マニキュアとリップグロス。
"恋人"という単語に、彼女は肩を揺らした。
「……プレゼントですけど、恋人にではないです」
「ああ、そうなの」
「そういうあなたは、恋人にプレゼントですか?」
まだ付き合ってないんだ、と微笑ましく思っていると、思わぬ質問が飛んできた。俺の手元、キーホルダーを見て彼女は首を傾げている。
「俺も、恋人じゃないけどプレゼント予定」
「そうですか。喜んでくれると良いですね」
「ん、君もね」
じゃあ、と彼女は選んだマニキュアとリップグロスを手に、レジへと走っていった。
「初々しいねー」
うちの女生徒が彼女の選んだものをつける姿を想像し、負けるな、と言いたくなる。
もしかしたら周りから非難されるかもしれないけれど、あれくらいの歳の子は自分の好きに素直な方がいい。俺の場合は、ちょっと青春から離れすぎてしまっているけど。

「いい加減あいつに向き合わなきゃいけないよなぁ」

先生、と寄ってくるあいつに、俺なりの返事をしなければ。

3/3/2024, 11:49:53 AM

「今日、ひなまつりだって」
「あ、だからやたら桃の花を見るんですね」
バイト先の先輩に言われ、そういえば、と店の中を思い浮かべる。菱餅やちらし寿司もあったな、と今更今日が3月3日だと認識する。
「もう関係ない歳だから、忘れてました」
子どもの頃は、よく家族がお雛様を飾ったりケーキを買ってきたりして盛り上がっていたけれど、いつからか自然と祝わなくなっていた。まあ、あれって女児対象らしいし、と自分の中で納得させる。
しかし、先輩はそうではないらしい。
「えー、もったいない! 女の子が祝われる日なんだから盛大にパーティーしなきゃ!」
「はい?」
「ひなまつり! あ、バイト終わったらひなまつりデートしよ!」
「いーですけど……なんかこのやりとり、前もしませんでした?」
えー? ととぼける先輩の、赤いグロスが艶めかしい。
今日はピンクじゃないんだな、と思う。気分屋の先輩らしいといえば、らしいけど。
ふ、と先輩の手元を見れば、気合いの入ったデコデコネイル。あれ、と首を傾げる。やっぱりこの流れ、前もやった気がするな?
「先輩」
「なにー?」
「もしかして、イベントをデートって言って誘う口実にしてます?」
「ふぇっ!?」
間抜けな声が聞こえたので顔を上げると、先輩の顔がグロスと同じくらい真っ赤になっていた。

3/2/2024, 1:58:24 PM

2034年、2月15日。
私はビルの間を駆けていた。ビル風が正面から吹き付けてくる。肩越しに後ろを見れば、黒装束の人間が私の後を追ってきている。思わず、手に持っていた手紙を握りしめた。

数年前、タイムマシーンの一号機が開発された。しかし、それと同時に開発に関わった者が失踪する事件が相次いだ。反タイムマシーン派の人間による、開発者達への粛清だ。
それに気付いた開発側の人間は、私も含めて過去に行くことにした。過去に戻り、過去の自分に注意喚起をする。反タイムマシーン派の人間への対抗手段を生み出すために。

「あと、ちょっと、なのにっ」
タイムマシーンが保管されているビルまでは、ほんの数メートル。そこに辿りつけば、あとはエレベーターで一気に保管庫へ降りるだけ。だけど、後ろの足音も迫ってきている。
急がないと。
「よしっ」
ビルに辿りつき、エレベーターのボタンを連打する。たまたまこの階に止まっていたのか、扉はすぐに開いた。乗り込んで、閉めるボタンを押す。
「早く早く早くっ……!」
扉が閉まりきる数センチ。追ってきていた黒装束と目が合った。伸ばされていた手が、扉に触れる直前で見えなくなる。エレベーターは下降を始めた。
「よかっ、た、の……かな?」
安心してその場に座り込む。
数分後、エレベーターが止まり扉が開いた。私はすぐに降りてタイムマシーンへ走る。
あとはこれに乗れば、無事に……!

「ざんねんでした」

目の前が歪む。上手く足に力が入らない。視線を下にやれば、胸にポッカリ穴が開いていた。
「ど、して……」
どうして、反タイムマシーン派の人間がここに?
いや、今はそれよりも、最後の力でできることを。せめて、手紙だけでも、タイムマシーンに乗せて……
「おねが、い…………これだけ、でも、とどいて」
床に倒れる。赤が広がる。私を追ってきていた人間の舌打ちが、最後に聞こえた。

3/1/2024, 1:36:39 PM

こちら、かの有名な哲学者の欲であります。
ええ、そうです。探求欲。哲学者のものですからね、間違いありませんよ。
え? 食欲もほしい? そうですなぁ……こちらなんてどうでしょう? グルメ王のものです。取り込んだだけですぐに空腹になるに違いありません。

はい? ああ、そうですね。おひとりで何個も欲を購入される方はお客様が初めてです。大体の方は、自分に足りない欲をお分かりですから、一つだけ買っていかれるんですけどね。
まあ、悪いことではありませんよ。お客様は自分を無欲だとおっしゃいますが、私にはそうは見えませんから。

はぁ、睡眠欲と金銭欲、性欲も欲しいのですか。あいにく睡眠欲は取り扱いがございませんで。他の二つは在庫がございますが、いかがですか?

はい、ありがとうございます。では、探求欲と食欲、金銭欲と性欲をお買い上げですね。となると、金額こちらになりますが…………はい、カード払いですね。こちらにお願い致します。
レシートでございます。ありがとうございました。

…………無欲かぁ。あんなに欲を欲しがるなんて、自分が強欲だと気付いていないんだろうな。本当に無欲な人間なんて居やしないのに、面白いお客様だ。

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