数十年ぶりに、地元に帰ってきた。
私が出ていった時は田んぼだらけの田舎だったのに、今ではすっかり商業施設や娯楽施設が建ち並ぶ『そこそこ便利なまち』になっている。
「都会ぶっちゃって、まあ」
知っている店も、人も、家も、もうほとんど見当たらない。あるのは馴染みのない店や、人や、家である。
「ん?」
あと十分で実家だという頃、右手に駄菓子屋が見えた。外にアイス用のクーラーボックスとガチャガチャが二つ。中学を卒業する時まで通っていた昔ながらの店だ。
「なつかしー」
車を停めて、中に入る。売っている商品は、どれも五百円以下のお財布に優しい価格設定。五円チョコとラムネを手に取り、レジの男性に渡す。駄菓子屋のばあちゃんの孫かなぁ、と思いながら精算し、車の中で五円チョコを口にした。
「あっっま」
全国の砂糖を集めたかのような甘さ。こんなに甘かったっけ? 自販機……コーヒーは……
「あ」
無意識にコーヒーを探す自分に気付き、思わず笑った。
自分は町ほど変わっていないと思っていたけれど、そんなことはなかったらしい。所詮、変わらないものなどないのだ。
「おや、おやおやおや? これはこれは、我が部の幽霊部員くんではないか」
「……メガネの化学オタクじゃねーか。何してんだよ、こんなとこで」
「そりゃあキミ、見てわかるだろう?」
ケーキ屋のレジにいた同級生は、わざわざ近くに出てくるとくるりと一回転してみせた。赤いスカートがふわり。被った帽子がちょっとだけズレる。
「期間限定でケーキ屋のバイトだよ」
「クリスマスにご苦労なこって」
「そういうキミは、ケーキを買いに?」
「見りゃ分かるだろ」
A4の紙を見せると、ああ、と呟いて俺の手から紙を奪い取った。
ふむ、キミのケーキはこれか。勝手に納得した割に、ケーキを持ってくる気配がない。
「キミ、これはホールケーキだが?」
「知ってる。俺が頼んだからな」
「何故? キミのクリスマスの過ごし方にケチをつける訳では無いが、よもや家族のおつかいか? いや、それならキミがわざわざ頼む必要はないな。では、恋人でも?」
「いねーよ、うるせえな」
そうか。そう一言残し、奴はようやく予約したケーキを持ってきた。
「ちなみに、私の腹は今、ちょうどホールケーキの半分が入るくらいには空いているのだが」
「そう言うと思ったから、ホールケーキ頼んだんだよ」
「では、あと五分待っててくれ」
にぃ、と笑う奴に、俺は溜息で返事をする。
お前がクリスマスに独りだと思って誘ってやってんのに、その笑みはなんなんだ、まったく。やっぱ気を遣うんじゃなかった。
バイト先の先輩が、休憩室のテーブルに凭れながらぽつり。
「クリスマスイブのイブって何?」
私は先輩の方を見て、その目がこちらではなく自身のネイルに向いているのを確認すると、スマホに視線を戻した。
「えー知らないです。なんか前の日みたいな意味じゃないんですか?」
「そーなの? スマホある?」
「今調べてまーす」
検索窓に単語を入力して、結果が出るのを待つ。数秒もしないうちに、画面いっぱいに結果が並んだ。一番上の結果を見て、へえ、と声に出す。
「どうだった?」
「なんか、夜とかって意味らしいですよ」
「じゃあ、クリスマスの夜ってこと? 前の日って意味じゃないんだ。へー」
それじゃあ、今日でもいーんだ。先輩の嬉しそうな声がする。
「ね、バイト終わったらデートしよ」
「え、デートって」
「遊ぶの。せっかくのクリスマスイブだし? バイトお疲れ様ってことで。ね?」
振り返ると、すぐ目の前に先輩が立っていた。ピンクのグロスが光っている。
思わず視線を逸らす。その先には先輩のネイル。めちゃくちゃ気合い入ってる。休憩終わったらまた働くのに。
しょうがないなぁ。
「今日だけですよ」
「そう言っていつも付き合ってくれるとこ、かわいーよね」
「はいはい、ありがとーございます」
あなたが欲しいのは、右の箱ですか? 左の箱ですか?
なんだかどこかで聞いたことのある文句を言いながら、妻が両手に乗っている小箱を差し出してきた。
「ちなみに、どっちが正解とかあるの?」
「さあ、どうでしょう」
妻は微笑んで言う。あくまでも選ばせるつもりらしい。
金でも銀でもなく、いつも使っている鉄の……って答えるのが物語の主人公だけれど、妻の周りには"いつも使っているもの"が見当たらない。
あなたが欲しいのは。
妻の言葉を心の中で繰り返し、「じゃあ」と妻の頬を両手で挟んだ。
「君が欲しい」
「ふふ、そう言ってくれると思った」
妻は満足そうに笑って、二つの小箱を僕に握らせる。
「誕生日プレゼントよ」
小箱を開く。右の方には青のネクタイピン、左の方にはストラップ。
「おそろい」
ちり、とスマホに付けたストラップを僕に見せて、無邪気に笑う妻。僕が本当に欲しかったのは、妻のこういう笑顔だったのかもしれない、なんて。
「えーと、なんだっけ。みかん?」
「違います!」
「じゃあ、ぽんかん」
「じゃないです」
じゃあ、と先輩が続けようとしたので、「もういいです!」と私は遮った。
この先輩、初めて会った時から私の名前をわざと間違える。何故か柑橘系に詳しくて、私の方が逆に色んな柑橘系の名前を教えられているという、不思議な関係が2年と少し続いている。
「もう少し覚えやすけりゃなあ」
「わざとでしょう、先輩。でも、今日は違いますからね!」
私は、黄色の小さいボトルに入った液を1回、手首に吹きかけた。ふわり、ゆずの香りがする。
「なんの匂い?」
「ふふん、柚子ですよ。私と同じ名前。もう覚えにくいなんて言わせませんからね!」
得意げにふんぞり返る。
すると、先輩は私の手首を掴んで引き寄せた。すん、と先輩の鼻が鳴る。
「ゆず。覚えた。ゆずね」
あんなに呼んでほしかったはずなのに、「ゆず」と繰り返して笑う先輩を突き飛ばしたくなった。