『星が溢れる』
「先輩、戻りましょうよ〜」
街外れにある、とある廃ビルの一室にて。
私は剥き出しになったコンクリに集音器を当て、となりの部屋に聴き耳を立てていた。
「おっ、次は麻薬の元締めについて話すらしい。これは、どんどんシマが上がるぞ」
「やっぱり危険ですよ。早く誰かに連絡するべきでは」
そういいながら、私の背広を力なく引っ張るのは、
私の部下もとい後輩。
今年で3年目になるらしい。
だんだんと、背広を引く力が強くなるので、
仕方なく集音器から耳を外し、私は後ろへと振り返った。
「お前は、このままでいいのかよ」
「何がです?」
後輩は、さも不思議そうに首をかしげていた。
その表情のなんたる呑気なことか。
こいつ、自分の置かれてる状況をまるで理解していないようだ。
「いいか?この薄いコンクリートの壁の向こうには、世間にも公表されない、凶悪なホシが溢れているんだ。それをお前、指を咥えてみてろって言いたいのか」
「いや、だから他の人に連絡して、応援を呼びましょうよ」
「それだと、俺の手柄にならないだろうが!!」
その声は、築数十年と思われるこの廃ビル内に響き渡った。
すると、となりから何名かがこの部屋に駆けつけて、
私たちはどこかへ連れ去られてしまう。
現在。
ここがどこなのかは分からない。
ただ一つ、確かなことがあり、
それは、見上げた夜空には、星が溢れる。
じきに私たちも、あの中の一つになるのだろう。
『もっと知りたい』
あの人はああだとか。
この人はこうだとか。
人は、人のことを気にしてばかり。
「自分のことは、まるでわかってない癖にね」
「ああ、全くその通りだと思う」
お互いに頷くと、二人はゆっくりとブランデーの続きを啜った。
誰もがもっと、自分自身に目を向けるべきだと思う。
例えば、一度書いた文を読み直すとか。
自分を通して、他人を見るのではなく、
他人を通した自分を理解する必要がある。
相手に指摘やダメ出しばかりする奴は、
それがまるで分かっていない。
あろうことか、そういう奴に限って、
取り巻きに持て囃され、自分が上手くやれていると勘違いしているから、本当にタチが悪い。
「まさに、”井の中の蛙、大海を知らず”といったところだろう」
「ええ、その通りね」
片方がくすくすと笑い、ブランデーを吹きこぼす。
そうすると、店で呑んでいた他の客たちも大声で笑いだした。
「これは、誰が悪いとかそういう話じゃない」
「そうね」
「誰にだって努力はある、経験もある。
それを省みず、腐したり、軽蔑するような行為は、たとえその相手が誰であろうと」
「その振る舞いは、あまりにも嘆かわしいものだと、私は思いますよ」
『平穏な日常』
「あんた、だれ?」
フード付きのスウェットと、さらさらとした長髪。
赤縁のメガネの向こうから、鋭い眼差しがこちらを見つめていた。
「いや、ここオレの家だけど」
会社から帰宅すると、
1Kアパートの自室に、見知らぬ女性が転がり込んでいた。
季節は3月の中頃で、日中もまだ肌寒い。
いつも日没に帰宅する私にとって、紺のトレンチコートは、帰ってからもすぐには手放せない。
だというのに、今日は玄関入ってすぐ、
私の全身は今すぐコートを脱げと、汗が吹き出しはじめていた。
「おいこれ、何度に設定されてんだ」
半開きになった扉から、
真夏の室外機のような熱気が突き抜けていた。
あの向こうで、悲鳴をあげているエアコンのことを考えると、心と来月の電気代がいたむ。
早くあいつを止めてやらなければ。
訳もわからぬまま、靴を脱ぎ捨て、自室へと向かう。
しかしそこに、女性が立ち塞がる。
「不用心だから、鍵は閉めていたはずだけど、どうやって扉を開けたのかしら」
「それはこっちの台詞だよ」
彼女を払いのけ、今度こそ部屋へと向う。
中はサウナ室だった。
エアコンを止めるため、木製テーブルへと視線を向けるものの、
「うわ、何だよこれ」
普段から、リモコンしか置いてない筈のテーブルの上には、
ビニール袋と、バーガーやら牛丼やらの容器が散乱。
どうやらこの女、勝手に人の家に上がり込んだうえ、
デリバリーまでしたらしい。
「ほんと、不用心よね。パスワードはもう少し複雑にするべきだわ」
そういって、女性はベッドの上に転がったタブレットを指差した。
「まさか…」
慌ててスマホを開く。
クレジットの使用履歴を確認すると、正午と夕方に覚えのない金額があった。
合計、6千円。
1週間のランチ代が消えてしまっている。
まじで何なんだよ、この女は。
「ねえ、あれ見てよ」
絶望する私のことなどいざ知らず、女性は再びタブレットを指差す。
そこには、何かのドラマか映画の映像が流れていた。
どうせあれも、私のサブスクに決まってる。
「わたし、恋愛映画が好きで、よく観るんだよね。それも純愛じゃなく、どろどろしたやつ」
「だから、どうしたんだよ」
投げやりに尋ねると、ふっと不適な笑みが帰ってきた。
「ああいうのって、みてると安心するの。自分よりまだ、不幸な人が居るんだって。私の方が、平穏な日常を送れてんだって、…そう思うの」
だから、どうしたんだよ。
そもそも、どうやって入ったんだよ。
『この場所で』
猫が目の前を横切った。
リズミカルに鈴の音を鳴らし、右から左へ。
優雅に過ぎ去っていった。
一見、私の事など気づいていないような素振りだが、
その実ちゃっかり、尻尾を振って誘惑しているのは明白だろう。
当然、頭では理解している。
しかしながら、体は正直というもので、私はまんまと彼女の後を追いかけることとなった。
「ミャーン」
「……‼︎」
何たる甘い鳴き声か。
危うく失神するところだった。
しかし幸いにも、
今日の私は、幸運の女神に祝福されている。
なんと、右ポッケに入れていたナイフが、偶然太ももに突き刺さり、かろうじて気絶を免れることが出来た。
私は右脚を引きずりながら、子猫ちゃんを追いかけていく。
「ミャー」
「……⁉︎」
危ないところだった。
また私は気を失うところだった。
よろめいたとき、体を電柱にぶつけてしまった。
しかしながら、幸いにも内ポケットしまっていた粉末の殺虫剤は破れずに済み、舌を噛むだけで済んだ。
そうして私は、彼女を追いかけるため、路地裏の深いところまで進んで行った。
「ミャオ」
相変わらず子猫ちゃんは甘ったるい声を上げていた。
そして、電柱の前に片足を上げ始める。
「……な゛んだと⁉︎」
まさか子猫ちゃんは、この場所でするつもりなのか。
こんな薄暗いーーー路地裏の隅っこなんかで。
次の瞬間、私は貧血のあまり、地面に倒れ込んでいた。
『君に会いたくて』
「君に会いたくて、地球を一周してきたんだ」
それは一聴するとロマンチックにも聞こえるが、本当に会いたい人ならば、わざわざ地球を一周してくる必要なんてない。
むしろそれは会いたくない人にする行為だ。
などと考えながら、この両手にいっぱいの花束を持った男に、私は少しばかり軽蔑の眼差しを送る。
男の格好はあまりにもみすぼらしく、それこそ会いたい人にするべき格好ではなかったからだ。
手入れされず無造作に伸びた髭に、不潔な長髪。
黒のTシャツ?は泥まみれにボロボロで、同じく黒のズボンなんか両膝のうえで破れて短パンになってしまっている。
靴もひどい。かろうじて革靴だが、どれだけ使い潰したのか汚れと傷で傷みきっている。
よく見ると、男の格好はタキシードの一張羅だった。
その瞬間、私の脳裏にとんでもない考えが過ぎる。
もしかしてこの男、本当に地球を一周してきたのか?
それを裏付けるように彼の胸ポッケからは海藻がはみ出す。
まさか船も使わず、ここまで泳いで渡ってきたというのか。
「ああ、これかい?」
私の視線に気づいたのか、男は恥ずかしそうに胸ポッケから海藻を取り出した。
「泳いでる途中、キミに似合うと思って取っておいたんだ」
そう言って男は花束を私に預けた。
そして海藻を広げて輪を作ると、まるで花冠のように私の頭に被せてくれたのだ。