「お前は何事も長く続きませんね」
「はやく終わっちゃうのがいけないの」
そうふてぶてしく言って、その生物はページをめくった。クッションを顎に敷いて床に寝そべり、ぺらりぺらりと薄い紙。何を印刷しているのかと思えば、文字ばかりのそれ。
私には理解できない文字列を、ひどく楽しそうに追っている。
少ない残りページ。
どうせこれもすぐに飽きてシュレッダー行きなのだろう。
クロロフィル、アントシアニン、カロテノイド、呪文をぶつぶつ唱えながら足をパタパタと遊ばせて揺らしている。
いきなり、あのね、と前置きをして。
「秋の恋」
「は、いきなりなんです」
「秋にする恋はね、長続きするんだよ」
「ジンクスですか」
「知らない」
「知らないって」
お前が言い出したことだというのに。
指でめくるページも確か、秋についてだった。正しくは紅葉について、だろうけれど。
「あのね、秋は変わりやすいのにみじかい」
「そうですか?」
「みどりからきいろ、あか。でもすぐに散る。さむいさむいって。だから長続きする」
「……紅葉の話をしてます?」
「あのね、恋のつづきだよ。ばかだね、脈絡はだいじ」
「馬鹿って」
なぜそこで一度罵る。
脈絡などお前にいちばん縁遠い言葉だ。
「あのね、でも、気づいた」
「はいはい、何をですか」
「ぼく、きみとは長く続いてる」
「ブッ――――ッ‼」
含んでいた紅茶がテーブルを濡らした。きたない、とその生物は顔を顰めて見せるが、誰のせいでこうなったのか。
台ふきんで濡れたところを拭いてゆく。
床に何も敷いていなくてよかった。
しれっとソファの上に避難したそれは、手許の紙の束を表紙に戻す。
「あのね、きみとはね、長く続いてるの」
「当たり前でしょう‼」
「ふぅん、じゃあ恋じゃないね。恋はね、変わるんだよ。ずっと変わらないのはね愛っていうの」
「……この話は終わりにしなさい」
「うん、わかった」
それよりね。
キッチンに立ったとき、その生物はくるりとこちらを見た。ソファの背もたれから顔が覗く。
「きのう、きみ、松茸買ってた。きょうは秋刀魚。あのね、さっき銀杏は買った。もうすぐ届く」
「目敏すぎませんか。今日の食事とも言ってませんよ」
「ちがうの?」
「……違わないですけど」
「たのしみ」
「ぼくね、秋に恋してるのは長続きしてる」
「お前はイベントが好きなだけでしょう」
「でも、好きが続いてる。あのね、どの季節から好きになったのかな」
「そこは秋じゃないんですか」
「知らない」
知らないって…、お前が言ったことだというのに。
#秋恋
「うーん、こまった」
「……」
のそりと身体が倒された。となりの肩に寄りかかる。それを無視してページを送る音が聞こえる。
しばらくふたりはその体勢のままで、何もないように時間を過ごした。ページの間に指を挟み、ローテーブルに手を伸ばそうとした。
すると、肩にのせられている頭がずるりと腕を辿って滑り落ちてこようとする。
「お前、邪魔ですよ。ひとりで座りなさい」
「まったくこまってるからだめ」
「私は困っていませんし、紅茶が飲みたいのですが」
「うーん」
伸ばそうとしていた腕が戻る。
頭も戻った。
「……何をしてるんですか、さっきから」
「あのね、こうしてればだいたいのことはなおる。だからこうしてる」
「意味が分かりません」
「でも、あのね、いまはだめだ。まったく、ぜんぜん、こまったまま。まったく」
「私のことを何だと思ってるんです、お前は」
「え」
「え?」
素っ頓狂な声に思わず返した。
旋毛が逸れてグレイの目がじっと見上げてくる。透くように遊色を放つのが常なそれは、いまに限ってどんよりとしていた。
ぐりぐりと頭が首筋を攻撃してくる。
「痛い痛い痛い」
「あのね、きみを何かと思わなくちゃだめなの?」
「は」
「だめなの?」
「だめなのって、じゃあ私は何なんです」
パタンと閉じられた本は、栞があるのも忘れられていた。ローテーブルに紅茶と並ぶ。その紅茶も中身の割には湯気が薄くなっていた。
ゆらりと頭が離れる。
迷いもなく、用意されていたかのように強く答えてきた。
「いるひと」
「人って」
「あのね、きみはここにいるね」
「お前の認識には0か1しかないんですか」
「あのね、それは電子。ぼくはね、なまものなんだよ」
「ぐぅ……まだ喧嘩を売られたほうがマシです」
「きみは1か100しかないね」
「泣かせますよ」
バッと隠された旋毛。
「あのね、それはたいへん」
「……それで、お前は何に困ってるんです」
「きみのせいでもっとこまった。舟を編むみたいでこまった」
「何を言われたんです」
「それはひみつ」
ぐい、っと枝のような腕で突っ張られた。
それを見る目は、目の前の生物を検分するように細かく動く。
「なら、言う通りに足せばいい」
「足す?」
「システムをアップグレードするみたいに、お前に書き足せばいいでしょう」
「……」
ぱちん、ぱちん、グレイの目が2回隠された。
そうしてもう1度隠されて、遊色が戻ってくる。
「べんりだ。きみはたいへんべんり。とっても重要。すぐれてりっぱ。ぼくにはきみが必要。あのね、紅茶あたためてくる?」
「ゴマをするのは止めなさい」
ようやく手許にきた紅茶はぬるい。ズッと舌触りの悪いそれをじっと見て、「あのね、あたためる?」と。
まるで一辺倒だが、
「……まあ、いまはこれで良しとしましょう」
「あのね、なにが」
「いいえ。芽生えは重要ですから。今日はお赤飯でも炊きましょうか」
「あのね、ならケーキがいい」
「赤飯のありがたみも書き足しておきなさい」
「い、や」
#大事にしたい
「――――……ん」
自然と開いた瞼。
まだ微睡みのなかにいる頭とだらだらと気だるげな身体に、シーツの上でゴロゴロ駄々をこねた。何の違和感もなく手が枕元のスマホを取った。
パッと光を放つそれに目を細めてディスプレイに表示された数字を見る。
「うぁ…寝すぎた……」
そろそろ深夜12時を回る頃。すっかりと寝坊して1回目の食事は逃してしまう。食べようと思って冷蔵庫に入れていた鶏肉のパプリカ煮込み。まあ、いまから食べればいいか。
そうぐうたらな思考。
ふととなりを見るときみがいない。
あれ、まだ眠くないのかな?
とりあえず部屋着を着替えてリビングに顔を出す。煌々とついた室内灯。まさか、まさか、まだ起きてるの? そう思い見渡す。
「あ」
ソファの背もたれに傾けたきみの後頭部。
前に回れば目を閉じて寝こけているみたい。部屋着もパジャマに着替えて、もうベッドに入るだけの姿で。
珍しい。
いつも夜更かしもほどほどにしてるのに。
ふとサイドテーブルが目に入った。
きみのお気に入りのカップにこげ茶とはちょっと違う色。いつもは紅茶派なのに。
……もしかして、ぼくが起きてくるのを待っててくれたのかな。
うわぁ、ぼくってばひどいやつ!
せっせときみの毛布を持ってきて、冷蔵庫のごはんはレンジてチン。きみのとなりに陣取る。
眉間に薄く寄ったシワを指先でぐいぐいと伸ばしてやった。あんまりひどいと痕になるって聞いたことがある。
ソファの前にはおっきなガラス窓。ベランダもないそこからは、きれいにお外が見える。きみがどうしてもって言って、こういうところを探し回ったのはまあまあいい思い出。
高台を選んだからここから見える景色は抜群。
もう少し早く起きていれば、きみといっしょに薄い夜が紫に染まってゆくのが見れたのに。
そっけない味がする。
ガラスの向こうに広がる街並みはすっかり光を宿している。だけれど車も人も通らないすっからからんの道。大きな明かりはあるけれど小さな明かりはとっくに消えている。
まるで無重力の世界みたい。
きみがいる世界はぜんぶがぜんぶ自然に明るくて華やかなのにね。
って言うと、きみはいつも「あなたの世界は誰もが見れるものじゃない、特別なものですよ」って言うの。そんな大層なものじゃないのにね。
ぜんぶ地に足が着かないみたいにぷかぷかして、ゆるやかに死んで生き返るのを待つみたいな。
まあ、ぼくは好きだけれど。
この部屋はコロニーみたい。
室内灯をオレンジにして、きみに寄りかかる。なんだか優越感に浸るの。
ぼく、今日は寝坊したからね、きみと地球にいられる時間はいつもより長いはず。
「たのしみだなぁ」
#夜景
6時課だというのにきみは食堂にいなかった。同じ場所で就業をしていたひとに訊けば、場所を教えてくれた。
石の階段を降りて整地された農園。
その花壇できみの後ろ姿を見つける。
花壇にはまだ花はなくて、やわらかい土が盛られているだけ。煉瓦で囲った外側に、肥料の袋が並べられて、どの区画に撒くのかが記されていた。
「何してるの?」
「わッ、びっくりしました…背後から音もなく」
「んふ、ちょっとね」
振り向いたきみの手には植物図鑑。セピア色のページに彩色した花々の図説がびっしりと載っている。
ぼくはあまりお花に興味がないけれど、きみは真面目に目を通していた。
「調べもの? そろそろお昼にしようよ」
「いえ、調べものというほどでは。すこし、気になったんです」
「お花が?」
「農園の花は薬草として育てられていますから、花が咲いたりしたらすぐに摘み取ってしまうんです。だからあまり花の形とか色をじっくり見れなくて」
「ふぅん」
まだ何も植えられていない花壇。ここで育てられるものはすべて薬の材料になるから、ここには残らない。
最近は風邪が流行しているし、近隣諸国との情勢もまあまあひどい。
兵士は戦場に送られて、もちろん怪我をする。野戦病院でも教会でも薬はいつも枯渇状態。
原料である薬草の栽培は急がれ、調合を急かされていて大変だと聞いたことがあるくらい。
この農園も例外ではない。
きみは目的のお花の絵を見つけると、ぼくにも見せてきた。
「きれいな赤色ですね。深紅とも表現するんですって。すてきな響きです」
「そうだね。いい色」
「この花を香油にして卵白と使うんですよ」
「傷に効くの?」
「ええ」
「へぇ、こんなにきれいなお花が」
この花壇一面に咲いたら、きっと荘厳だしきれいな光景になるんだろう。
きみはそれを見て楽しんでみたいんだね。
ふと勅令を思い出す。
「あのね、きっともうすぐだよ」
「もうすぐ、ですか?」
「そうしたらお花を飾ったりゆっくり眺められると思うの。んふ、楽しみだね」
「え、えぇ、そうなればうれしいですね」
何のことだか分からないってお顔のきみ。でもすぐにそうなった花壇を思い浮かべて、色とりどりになるのだと指差してゆく。
香りが風に乗ってゆるやかにきみのこころを癒すだろうし、きみはそれを周りに教えて回るんだろうなぁ。
でもぼくはそれよりも、いま、きみと昼食を楽しみたい。
「ね、そろそろ行こ。お昼も使徒職でしょ? 休まないと心配」
「そうですね、お腹も空きました」
「今日は玉ねぎのタルトって言ってた。ぼく、すっごく楽しみ」
「一皿目のスープも楽しみです」
「えーだってあれ、野菜いっぱい入ってる」
「玉ねぎも野菜じゃないですか」
「甘くなるからいいの!」
農園に香るにおいはまだ土だけしかなくて、やっぱりそれはさみしいことなんだと、きみを見て思うの。
#花畑
「待ちなさい!」
「い、や」
「あッ、こら!」
ウィーン…、目の前でエレベーターのドアが閉まった。箱の中にその生物だけを閉じ込めて、エレベーターはさっさと昇ってゆく。
内心舌打ちをした。
二機しかないエレベーター。あれが乗っていない方は上階を下っている。エントランスに着いて私が乗ってからあれを追ったとしても、あれはすでに家の中だ。
まさか、あれの細腕に押し退けられるなんて。
機嫌が悪いのは態度に表れていた。現場に居合わせていたわけでも、今日一日の様子をすべて知っているわけでもない私に、その理由は分からない。
だが、あまりいい気はしなかった。
身体を動かしていないと焦りで押し潰されてしまう。それくらいにはこころが安寧を失っている。
愚断だとは分かっていたが、階段を使った。
……本当に、本当に、愚断だった。
玄関に着いたときは皮膚が湿っていたし、首筋は濡れて痒い。ここ最近、あまり走る機会のなかった身体はギシリと関節に熱が溜まって。
脱ぎ捨てられた靴は隅と隅に打ち捨てられていた。なぜそうなる。
かかとを揃えてやる。
廊下のはずれから雨のような音がしていた。
「…お前、何をしているんです」
「……おふろに、はいってる。あのねそれだけ」
「うそおっしゃい。着衣のままシャワーにも当たらないのに」
「あのね、うるさいだけならどっかいって」
バスルームの真ん中でうずくまるこれ。服はすっかりお湯を吸っていた。膝にひたいをつけて。
片手で持っているシャワーのノズルは天井を向いている。勢いのまま天井を濡らして、楕円形の水滴に集まりぼたぼたと降ってゆく。
雨にしては太っている水滴。
それを静かに被るその生物はくるりと私を見上げてきた。
いつものスマイルはない。
「ばかだね。エレベーターのほうがはやいに決まってる。後悔した?」
「いまのお前に言う必要はありません」
「……ばかだね。あのね、透けてるんだよ」
「馬鹿なのはお前のほうです」
「ばかなうえに口まである。あのね、きて。こないとだめ。いますぐ。となり。きて」
水はけのいい床だから、水溜まりはすぐに排水溝に吸われて消えてゆく。バスルームのドアを閉めたから部屋の熱気とともに湿気がぐんと上がった。
湿度でこの生物の輪郭がぼけている。
その身体はどこもかしこも薄っぺらいし、濡れているから余計にだ。
となりで同じように膝を曲げる。
持って。とシャワーを押しつけられて雨製造機にされた。大粒の水滴が当たる感触は割と重たい。台風の刺すような鋭さはなく、けれど普段の雨にしては随分質量がある。
降ってくる間にお湯は冷めて。
なんだかこの生物の体温のようだ。
人工的な空を定期的に掃除していてよかったと心底思う。
「あのね、水が目に入った。いたい」
「やめて浴室から出ればいいんです」
「…あのね、めずらしくいいこと言うね。でも、もうちょっとなんだよ」
くしくしと目をこする。力を入れて皮膚を引っ掻くから、そこに傷がついてゆく。
辞めさせようとも思ったが、いまだけは好きにさせることにした。
#空が泣く