あにの川流れ

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 「うーん、こまった」
 「……」

 のそりと身体が倒された。となりの肩に寄りかかる。それを無視してページを送る音が聞こえる。

 しばらくふたりはその体勢のままで、何もないように時間を過ごした。ページの間に指を挟み、ローテーブルに手を伸ばそうとした。
 すると、肩にのせられている頭がずるりと腕を辿って滑り落ちてこようとする。

 「お前、邪魔ですよ。ひとりで座りなさい」
 「まったくこまってるからだめ」
 「私は困っていませんし、紅茶が飲みたいのですが」
 「うーん」

 伸ばそうとしていた腕が戻る。
 頭も戻った。

 「……何をしてるんですか、さっきから」
 「あのね、こうしてればだいたいのことはなおる。だからこうしてる」
 「意味が分かりません」
 「でも、あのね、いまはだめだ。まったく、ぜんぜん、こまったまま。まったく」

 「私のことを何だと思ってるんです、お前は」
 「え」
 「え?」

 素っ頓狂な声に思わず返した。
 旋毛が逸れてグレイの目がじっと見上げてくる。透くように遊色を放つのが常なそれは、いまに限ってどんよりとしていた。

 ぐりぐりと頭が首筋を攻撃してくる。

 「痛い痛い痛い」
 「あのね、きみを何かと思わなくちゃだめなの?」
 「は」
 「だめなの?」
 「だめなのって、じゃあ私は何なんです」

 パタンと閉じられた本は、栞があるのも忘れられていた。ローテーブルに紅茶と並ぶ。その紅茶も中身の割には湯気が薄くなっていた。
 ゆらりと頭が離れる。
 迷いもなく、用意されていたかのように強く答えてきた。

 「いるひと」
 「人って」
 「あのね、きみはここにいるね」
 「お前の認識には0か1しかないんですか」
 「あのね、それは電子。ぼくはね、なまものなんだよ」
 「ぐぅ……まだ喧嘩を売られたほうがマシです」
 「きみは1か100しかないね」
 「泣かせますよ」

 バッと隠された旋毛。

 「あのね、それはたいへん」
 「……それで、お前は何に困ってるんです」
 「きみのせいでもっとこまった。舟を編むみたいでこまった」
 「何を言われたんです」
 「それはひみつ」

 ぐい、っと枝のような腕で突っ張られた。
 それを見る目は、目の前の生物を検分するように細かく動く。

 「なら、言う通りに足せばいい」
 「足す?」
 「システムをアップグレードするみたいに、お前に書き足せばいいでしょう」
 「……」

 ぱちん、ぱちん、グレイの目が2回隠された。
 そうしてもう1度隠されて、遊色が戻ってくる。

 「べんりだ。きみはたいへんべんり。とっても重要。すぐれてりっぱ。ぼくにはきみが必要。あのね、紅茶あたためてくる?」
 「ゴマをするのは止めなさい」

 ようやく手許にきた紅茶はぬるい。ズッと舌触りの悪いそれをじっと見て、「あのね、あたためる?」と。
 まるで一辺倒だが、

 「……まあ、いまはこれで良しとしましょう」
 「あのね、なにが」
 「いいえ。芽生えは重要ですから。今日はお赤飯でも炊きましょうか」
 「あのね、ならケーキがいい」

 「赤飯のありがたみも書き足しておきなさい」
 「い、や」



#大事にしたい



9/21/2023, 7:50:14 AM