「え」
「え?」
近くのお花屋さんで買ったきれいなお花を渡したら、きみはきょとんとしてから慌ててぼくを見てきたの。すっごく顔色を変えて。
くしゃっ、と包んでもらったラッピングが音を立てて歪んでいった。
一歩だけぼくに近づいて。
すでにシャワーをしたのか、ふわりと清潔なにおいがする。
「びょ、病気ですか……?」
「え」
「そ、それとも、べっ、別居ですか…⁉」
「えっ、なに? どうしたの」
思わず後退るくらい怖いお顔だったの。真に迫る、って書いて迫真。
でも訳が分からないの。何でそんな、冬が溶けたせいで薄氷の上に立たなくちゃいけなくなったようなお顔をしてるのか。さっぱり分からない。
だって、だってきみにそんなお顔をしてほしかったわけじゃない。
ただちょっとだけ、びっくりさせちゃおうって、驚いて喜んでほしくて。なのにどうしてそんな、ラグナロクを見たみたいなお顔なの。
きみは狼狽、ぼくは困惑。
硬直硬直、ずっとそんな時間が進んだの。ぼくが鞄を置いただけで、上着を脱いだだけで、きみってば肩を跳ねさせて。
ほんともう、ぼくには何も分からないから、つられて泣きそうになってくる。
落ち着かせようと思って近寄っても後退ってカバディ。ルールも勝ち負けもよく分かんないから延々と試合できちゃう。
埒明かないから変な距離感で弁明。
「あっ、あのね、そのお花、きれいだったから。きみ、お花好きだし、えと……あわよくば喜んでくれるかな……って」
「え」
「そのお花、す、好きくなかった……?」
「え、あ、……その、は、花言葉は……」
「花言葉? ぼく、そのお花がなんてお名前なのか分かんないから……わ、分かんない」
だんだんぼくの顔からも血の気が引いてくのが分かる。どんなににぶちんでも、ここまで来れば。
きれいって思ってぼくがきみに渡したお花、きみにとってあんまりよくない花言葉だった。それを贈られたから、あんなに。
この五放射の青色にどんな意味があるの……。
ちゃんとお花屋さんに聞いておくべきだった。
気まずい。
とっても。
きみもぼくも黙りこくっちゃって。なんだか息をするのさえ憚れるような沈黙が続くの。空気が重い。
何か言わないと、って口を開いたら、
「あ、あの」
「あ、あのね」
被っちゃう。いま、ほんと、そういうのいらないのに。ぼくたちが息ぴったりなばかりに。
また気まずくて口が閉じちゃう。
それって、すごくループ。
「あのねっ、ごめんね、ぼく、お花に明るくないから、ぜんぜん知らなくて。店員さんに教えてもらうべきだった」
「い、いえ、わたくしも早とちりを……」
「んーん、ぼくのせい。ごめんね。ぼくとっても健康。家賃だってきみと折半してたい。ほんと、そんなつもり、ないの」
「よ、よかった……」
ようやく行き違いもなくなって、ダイニングテーブルで腰を落ち着けた。
なんだかとっても疲れた……。
向かい合ってぼくたち、ぐったり。
その日はぎこちないまま、夜を迎えて朝陽を待った。ちょっといろいろ、お互いに感情も表情もお花の処遇も整理が必要。
きみにお花のお名前だけ訊いて。
ぼく、危うく溺れて呪文かけるところだったみたい。きみの反応も頷ける。
そのお花はきれいだし、きみも嫌いじゃなかったみたいだけれど、間柄も場面も知識もよくなかった。結局、話し合ってハーブティーに。
お互いに身体に取り込んじゃえって。
調べてみたら、なんだか身体に良さそう。
花びらを摘んで乾燥させて、お湯でおいしく。花びらの色だ出て、薄く青みがかったとってもきれいな花茶。
「ん、おいしい」
「本当。……喉に良いみたいですね、内臓にも」
「ごめんね。ほんと、今度から気をつける」
「健康にも。……ふふ、お花ありがとうございます。また贈ってください」
「うん。今度、お花の本、どれがいいか教えてほしい」
この騒動はちょっと、忘れられないかも。
#勿忘草(わすれなぐさ)
白い手袋に丁寧に包まれた銀色の指輪。飾り気などなく、しかし、裏にだけ規則的な傷がつけられている一品。
「お客様、お忘れ物はこちらでお間違いないですか?」
「えぇ。これです。有難う。失くしたと思っていたのよ」
「他にお持物はありますか?」
「それを、頂けるかしら」
少し大きめなロケットペンダント。値は張るが、残るものだという。
頷いた駅員に等価を渡し、受け取る。
きゅ、と握り締めて中を開いてみれば、なるほどその通り。鮮明に残らずとも、むしろ淡く根底に広がっていてほしいものがそこにはあった。
カーン、カーン、カララ……、ちょうど次の列車がくる。ベルを鳴らしていた駅員が規定通りに声を張り上げた。
「当駅に着きます列車は□□□□行きで御座いまーす。当駅からお乗りのお客様は、一号から四号までいずれかにお乗りくださーい」
「お客様はどうしますか?」
「これに乗ろうと思うわ。いろいろ有難う」
「いえ。どうぞ、良い旅路をお祈りしています」
「そうね。有難う」
オレンジがかった薄暗さ。静寂さの中に入り込んだよう。
入ってすぐの空間に、大きな人型が。
およそ三メートルはありそうな、車掌帽をかぶったもの。鋭い眼光で見下ろして。
「やあ、今晩は。荷物検査は終わり。ここは四号車。きみが選べる座席は向こう側。こっちには必要時にご案内。詳しいことはアナウンスするから、ごゆっくりしてて」
促されるままに座席に向かう。
木製の枠組みに赤色のクッションがついた固定クロスシート。気が向いた座席に腰を落とした。
ぽつりぽつり、と埋まる座席。
皆、思い思いの服装。誰一人大きな荷物はいなかった。
すると、さきほどの車掌の声。
『ご乗車ありがとう。この一号車から四号車、涯区間は後続車、始号車に合わせて運行。必要各駅停車。降りれない駅のときはアナウンス。それ以外は車掌にはなしかけて。終点にご案内。食事は車内に用意がある。これはお気持ちだから、好きなものを食べて。ただ逆行はできないよ。それではお時間。出発進行』
ゆっくりと動き出す。
星々が僅かな光をもたらす空間。
まだまだまどろむ気配はなくて少し手持無沙汰。脳裏に浮かぶのはやはり、あの時の寂しそうに見てきた顔たち。ぽろぽろとこころが落ちるけれど、それでもいいと思える。
アナウンスの通り、車掌に要望を言えばその通りの寸分違わず、においすら同じ、そんな食事が渡された。疑いつつも口に運べば、一気に蘇る映像と懐かしさ。
愛惜の念が押し寄せて。
もう口にすることは叶わないと諦念を持っていたしこりが、すーっとなくなってゆく。あれほどまでに空腹だった体内が満たされて、満たされて、もう減ることもない。
下に栄える夜景が流れてゆくのを楽しんでいれば、ぽつりぽつりと下車を希望する人が。そのたびにゆっくりと車掌が手引きして、あたたかく下車してゆくのが見える。
時間がくれば、否、望めば。
しばらくして、またアナウンス。
『ご乗車ありがとう。思い出をご購入した人にご案内。後続車、始号車にご案内。車掌につづいて』
言われた通り三メートルはあろう車掌のうしろについて、四号車の後続に案内される。
真っ白な清潔な空間。白いクッションのロングシート。なんとも近未来的。そんな列車に、小さな子たちが何人も。
一様に白いワンピースのようなものを着て、そわそわと。膝の上には長細い四角をした、クッキーのようなものを。
「どの子かはきっとわかる。しっかり渡してあげて」
そう言った車掌から視線を外して、小さな子たちに向ける。「あ」と声を漏らしながら思い出を握りしめた人たちが、一人二人……と。
はて、本当かしらと。
「あ」と声が漏れた。
座席の角で、口を尖らせながら俯いて足を遊ばせているあの子。
きっとそう。
そっと膝をついて目線を合わせる。
不思議そうに一瞥くれたその子はまた唇を尖らせた。
「今日は。はじめまして。あなたに渡したいものがあるのだけれど、いいかしら」
「……」
恥ずかしそうにきょろきょろと。けれど、小さな掌ふたつを寄越してくれた。そこにロケットペンダントを。
短い指がかちゃり、と遊ばせて。
チェーンを首に回してあげればぴったりな長さ。本当に誂えたかのよう。この子の未来を感じていられるような、嬉しいような、悲しいような、不思議な心地。
「いってらっしゃい」
一度だけ頬を撫でて。
やはりきょとんとしたその子は、けれど、手を小さく手を振って見送ってくれた。
四号車に戻りしな、車掌を捕まえた。
「ここで、降りようと思います」
「うん、とってもいいと思う。ご案内」
出口の前。
すり、と左手の薬指を撫ぜた。
「長旅お疲れさま。まもなく終点、涯に到着。こころ忘れないように気をつけて。きみが選んだ終点、安らかを祈ってる」
「えぇ、有難う」
やさしいエスコート。
白い白い瞼の中。ゆっくりと意識が――――
#旅路の果てに
そっとドアを開ける。少しだけ。隙間から顔を出して。
くん、と鼻に届くのは体内に膜を張るようなこってりとした匂い。幼稚園の時分にくしゃりと顔を歪めたのを思い出す。
慣れればどうってことないのだけれど、入った瞬間は異世界のような気分。
無言のまま眼前の場景を見つめて。
ブルーシートの敷かれた上。丸椅子に座って、ぐちゃぐちゃのパレット。水に漬けず、カピカピ寸前の筆。衣服を覆う割烹着は、袖から裾から何から何まで絵具まみれ。カンバスとどちらが絵なのか。
肌や細くふわりとした髪も例外ではない。頬やひたいにまで。
それらを拭うことなく、楽しそうに縦横無尽。
まるで形を成さない抽象画――とも言えるかどうか。わたくしには分からない。
シートの上や壁に立てかけてある様々な絵。
赤ワイン、一輪の花、白い手袋、夜景のハイウェイ、ピンクの鯨、ケチャップ、宇宙飛行士、背脂のラーメン、ハマったあの子――――などなど。
他にも、形のない色の羅列や、どれとも形容しがたいものもある。
どれもこれも、あなたが描いたもの。
「……ふんふん……、んふ」
鼻歌交じり。躍らせる筆先から、クリームの角を立たせるような絵具の置き方。それが何度も繰り返されて。パレットに出されたすべての絵具を原色のまま、混色して、とにかくほとんどすべての色を使ってある。
それでも絵として完成されていて。
ぺちゃり、と満員のカンバスに新しい色の付いた油をつけてゆく。他の色を巻き込んで。
筆を離さないまま、あなたは動きを止めた。
「ふぇっ……」と溜めて。
埃か鼻が痒かったのか、「くしっ!」とくしゃみを。
ずりっ、筆がズレて。
「……っず、……まぁいっか。これもすてき」
また「ふんふん」と鼻歌がつづく。
声が漏れないように手の甲で口許を押さえて、思わず笑ってしまう。なんて前向きな人!
わたくしはあなたの描く感性が好き。
たのしげにしているあなたの背も。それに踊る左腕と、無意識にリズムを取る足先。
その動きで流れを変える空気。それらで成り立つ、あなたの自室というこの空間が。
描き上げた絵をわたくしに見せて、感想をせがむときがある――ほとんど。色がすてき、筆の運びが繊細大胆、この造形が好き。
いろいろと悩みながら言葉を贈る。
喜ぶあなたは、絵から受け取るものをわたくしと共感したいのではなく、絵自体に感想を持ってほしいから聞くのだと。
わたくしはいつもたくさん感じて、それをあなたに伝えたいのに、「好き」以外の言葉はどうにも不自由で。
いつか言っていたことを思い出す。
「ぼくの絵はとってもタイムリーなの。だから、きっとねぼくの横で、ぼくが描くのを見ているのがいちばん。口も滑るようになる。だって、油絵だもの」
くすくす、と。
だからゆっくりとあなたの背中を見てから、
「入ってもいいですか?」
「んふ、どーぞ! あのね、丸椅子も買ったの。段ボールじゃ座りにくかったでしょ」
たくさんあなたにわたくしの言葉が、思いが、感性が届くように、あなたが用意してくれた丸椅子に座るのです。
#あなたに届けたい
昼下がり。
少し運動がてらにでも、と近場のモールに足を運んでいた。あいにくの曇り空で足許の道路も色を濃くして。それでも、それ故か、モールはそこそこの人で賑わいを見せている。
地団駄を踏んで駄々をこねている子もいれば、上目遣いでねだる人もいて。
「人に買わせて手に入れたものほど、一瞬の高揚感と急転直下の冷め具合を見せるものはないよね」
「冷たい人ですねぇ」
「もちろんそうじゃない人もいっぱいいるけど」
寒がりなあなたは屋内だというのにマフラーに顔を埋めて、ぶるっと身体を震わせた。
その腕に提げているマイバッグがカサリと音を立てる。中身は小一時間悩んで見極めた、新作のコーヒー豆。
かくいうわたくしの腕にも、あなたを待たせて選んだ茶葉が。
「お腹すいたね」
「フードコートに行きましょうか。お店に入るのもいいですね」
「ん~……あ、あそこのお店、少し前にテレビでやってたとこ。おいしそ~って話してたよね、行ってみない?」
「いいですね、行ってみましょう」
いつものフードコートで不動の一食で満たされるのも好きだけれど、たまにはこういう冒険も不安と期待に踊らされて嫌いではない。
ガラス越しに見える店内には老若男女問わず多くの人の団欒。なるほど、皆さまあのテレビの紹介を覚えていたということでしょう。
席が埋まっていれば諦めようと話していたけれど、幸いなことに空きがあった。案内されたテーブルに向かい合って座り、メニューを。
今晩の献立も加味してメニューを厳選するあなた。さー、と目が文字を追って脳で処理して。
……なんだか、見てしまうんですよね。
「あれ、メニュー見ないの?」
「えぇ。テレビで気になったので、調べていたんです。それ、と決めていますから」
「用意周到。ん~もうちょっと待ってね」
「一等を見極めるのも楽しいですよね」
モールの中庭。
季節柄、見るものは少ないけれど、それでもベンチや芝生に座って楽しげにしている人たちの姿が見える。
もう少し季節が当たっていれば、きれいな紅葉が見れたはず。
「あ、ライブアイドルがライブしてる」
あなたの声につられてそちらを見ると、確かに小さなステージの上でふわりとした衣装をまとって、元気に歌う姿があった。
彼女たちは笑顔を振りまいて場を盛り上げ、その声が響くたびに、観客からは応援が飛び交う。
ペンライトを振っている人。
タオルを振り回す人。
統率の取れた動きをする人たち。
それぞれの楽しみ方で、応援の仕方で、同じような感情が世界観を生み出している様は心地がいい。
動き回るたびに少しだけ弾む声が、なんだかリアルで思わず聴き入ってしまう。
すると珍しいことにあなたは足を止めた。
「あのね、ちょっと見てくる。待ってて」
「えぇ。足を踏まないように踏まれないように、気をつけて下さいね」
「うん」
近くのベンチに腰を下ろして、人波に紛れてゆくあなたの背中を見送る。
すぐに帰ってくると思っていたのだけれど。
一曲、二曲、三曲……、結局あなたが戻ってきたのは三十分のライブが終わってからだった。
マフラーも上着も腰に巻いて、腕まくり。
グループ名の入った法被。
【LOVE】と書かれたタオルを首に。
推し色のペンライト。
フンス、フンス! と楽しそうなお顔で。
「あのね、ハマった!」
「おやおや、まあまあ」
あの短時間で何をどうやって収集したのか、止まらないグループの情報、全種揃ったブロマイド、親衛隊の予定。
わくわくと瞳を輝かせて一直線なあなた。
そんなお顔を見ているわたくしの顔も、あながち同じようなものなのかも知れませんね。
#I LOVE...
「ねえッ、起きて! 起きて起きて!」
「ふぁ……なんれふかぁ」
眠たくて眠たくて。
視界の十分の一だって見えやしない。
寝る前に点けていた暖房のタイマーもすっかり消えているらしく、もう、もう寒い。なのに、あなたはせっかくあたたまった布団からわたくしを引き摺り出すのですから。
それでも眠たくて。あなたが何か言っているけれど、耳にすら入ってこない。
テキパキと服を着替えさせられてゆく。
「裏起毛のズボンね、はい、履いて!」
「……んー」
「首と背中とお腹にカイロ貼っとくね。あとはい、ハクキン持って」
「ふぁ」
「寝ないで寝ないで! ヒートテック着た? セーターとベストとはい、ダウンジャケット。コートは防水しといたからこれ着て。マフラーとね、お手々出して? んふ、ほら、椿の耳当て買ったでしょ?」
裏ボアのスノーブーツ。
スマホだけ持たされて腕を引かれる。
もこもこと着膨れ抜群で鼻上までマフラーの姿。そのおかげで冷気は入ってこない。少し冷える目許に、けれどあたたかさ優って。
手を引くあなたに合わせてかろうじて足は動いている状態。
サクッ、サクッ、雪を縮める音。
ボタボタッ、どこからか雪が落ちてまた溜まってししおどしのよう。
前を歩くあなたが「わっ」「やばっ」「つめたい!」と語彙力のない語彙で騒いでいるのを、どこか遠くから聞いている心地。
六一年式の老体に最新のスタッドレスとチェーンを付けて。わたくしの膝の上にとす、とカゴが。「落とさないでね」、暗に寝るなと言われてしまった。
とても難しい要求ですねぇ。
ガタガタ、ゆらゆら。
調子のいいエンジン音とともに眠りを誘うゆりかご。ガラスを打つ雪も耳心地がいい。
「ね、あれめっちゃきれいだよ!」
「えぇ」
「やば! 大通りも除雪できてない!」
「……そうれすね、ふあぁ」
「信号機って夜に見るとなんかちょっと怖くない? 夜の緊急外来的な」
「――――――え、なんれすか?」
どんどんと重力が斜め後ろにかかってゆく。それなりの勾配を上っているよう。背もたれにいい感じに身体が収まって。
ゆっくり息を吐けばすぐにでも。
こてん、と意識なんてなくなってしまう。
揺れがなくなったことにも気づかないで。
ふとあなたの声がして落ちていた瞼がまた少しだけ開いた。
「こっち来て」
「ふぁ」
「足許凍ってるから気をつけてね」
「ふぁい」
「ここに座って? はい、コーヒー。あ、まだカイロあったかい……ね、大丈夫」
アウトドア用のローチェア。
足底からザリザリ、と氷を削るような音が。くすくすと笑うあなたが「あとでアイススケートしてもいいかもね」と冗談っぽい声。
防寒具に顔を埋めてあたたかな空気が肌に触ってゆく。
それでも、あなたが上を見るように言うから。
ぼやぼやと全体にモザイクがかかったような視界が一瞬だけ、それに焦点が合う。
「きれい」
深い深い濃紺にちりばめられた恒星の数々。
それらを邪魔する無機質は一切ない。足許から楕円形にずーっと広がる鏡。縁取る陰は不規則に、満遍なく生えて。
冷たい青色の冷気が辺りを統一している。
息をすればそこに白い靄が差す。
よくよく見れば、濃紺にはみどりがかったカーテンが透かされていた。
「きみとこれが見たかったの」
「……ふふ、きれいですものね」
「あのね、星の光はねぼくたちに見えるまで二千年もかかるんだよ。だから、いまもまだ星が生きてるのかは、この瞬間じゃわかんないの」
「とおいですね……どうやって、知りましょう」
「あのね、すっごく簡単。二千年後にね、ここに来ればいいの」
「にせんね……ふぁあ」
「――――というのを思い出したんです。いま」
「ふぅん。長い夢だったの?」
「さあ、どうでしょう」
あたたかいダイニングで、あなたと向かい合って紅茶を。ふと遠い記憶のような映像を思い出したものだから、聞かせてみればズズッと音をたてて、ティーバッグまで吸い込んでしまう。
顔を顰めながらあなたはわたくし越しに窓の外を眺めている。
チラ、と視線を寄越してくるから。
辿ってみせれば、
「ね、ほんとかどうか、確かめてみよっか」
「どうやってですか?」
「すっごく簡単。そこに行けばいいの。ちょうど頃合いでしょ」
目を細めたあなた。
カップから外れた口許を見て、――――ああ、と頷いてしまうのです。
#ミッドナイト