──いつまでも待っています。
「おねえさん、だれをまってるの?」
「大切な人を」
「たいせつなひと?」
「大好きな人です」
「さむくないの?」
「ええ、少し寒いですね」
「なかにはいらないの?」
「あの人がいないので」
「さみしいの?」
「とても」
「いつくるの?」
「わかりません」
「なのにまってるの?」
「約束したんですよ」
「どんなやくそく?」
「それは秘密です」
「ふうん」
「あなたも誰かを待っていらっしゃるんですね」
「そう。ともだち」
「どのくらいここに居るんですか?」
「ゆきがふるまで」
「雪が降ったら会えるんですね」
「たぶん、そう」
「楽しみですねぇ」
「あいつ、おそい」
「待ちくたびれちゃいました?」
「ううん。やくそく、だから」
「おなじですね」
「うん、おなじ」
「雪、早く降るといいですね」
「……うん。おねえさんも、はやくあえるといいね」
「ふふ、ありがとうございます」
(雪を待つ)
──光る地面の上を飛ぶ。
魔力を持たない者は魔法を使えない。箒で天を舞うこともできない。
だから、空を飛びながら地上を見るのはひどく新鮮な気分だ。
「寒くないですか?」
「大丈夫だ」
深い藍の夜空に、彼女のミルクティーのような髪色はよく映える。自分よりずっと細い肩に捕まりながら、北風にかき消されないように声を張って返事をした。
目を下に向ければ、無数の光が見える。やはり、首都は夜でも明るい。夜のない都市とはよく言ったものだ。ずっと見ていると目が眩む。
「いつもこれほど明るいのか?」
「はい? すみません、風が」
「いつも、こんなに、多くの光が灯っているのか」
空を飛ぶのは楽しいけれど、互いの声が届きにくいのが欠点だろうか。
「いいえ、感謝祭が近いから、多くの家がランタンを飾っているんです」
「ああ……もうそんな時期か」
そう聞いてから改めて地上を見下ろすと、眩しいだけだった灯りが違うように見える。これら全てに人々の願いが込もっていると思うと、なんだか。
「美しいな……」
「ええ、とても」
目を大きく開いて、瞬きもせずに願いの象徴を瞳に焼き付ける。空気で乾くのも気にならない。涙が浮かんできてさすがに閉じると、瞼の裏にくっきりと光が浮かんだ。
「もう少し飛びますか?」
「頼む」
思わず声が弾んでしまう。
冬の空に、鈴を転がすような笑い声が響いた。
ああ。本当に、美しい景色だ。
(イルミネーション)
──もう十分なのに。
まだ私に愛を注ごうとなさるんですね、あなたは。
私に返せるものなんてほとんどないのに、等価交換にはならないのに。
この世界の常識をご存知でしょう?
与えられた分は返さねばならないのです。
もうやめてください。
そんなにうつくしい愛をいただいてしまっては、私が世間から後ろ指を指されてしまいます。
あのひとはあんなに貰ってるのに返していないと。
あなたにはもっと他に相応しい方がいるでしょう?
私のことなど忘れて、早く新しい愛を見つけてくださいませ。あなたの記憶の隅を陣取ることすら烏滸がましい。早く記憶から消してくださいませ。
それが。それだけが。
私が唯一差し出せる、愛とやらなのですから。
(愛を注いで)
#90 心と心
――それはそれは美しい。
「『心と心が触れあうときの音は、どんな言葉でも言い表すことができない。軽やかな鈴の音のようであり、小鳥のさえずりのようであり、はたまた自分の声のようでもある。君は聞いたことがあるかい。それはそれは美しい、不思議な音色なのだよ』」
手元に本が無くてもすらすらと言えてしまう文章をそらんじてみせる。知り合って一年ほどが経った友人は、大きな瞳を一度だけ瞬かせた。
「詩、ですか?」
「いいえ、小説の一節よ」
「エッセイを読んでいる印象が強かったです」
「何でも読むわよ、暇つぶしになればね」
「最近、何か面白い本はありましたか」
「L・ガートの『明るい日暮れ』は楽しかったわ」
「どんなお話なんですか?」
「陽が沈まない国で暮らす作者のエッセイよ。……あなた、いつも質問ばかりするのね」
りんどう色の瞳が揺れる。答えを見失った幼子のように視線が宙をさまよって、床に着地した。
元貴族というだけあって、彼女の仕草や話し方には品がある。それだけに、何度も重ねられる質問が少し奇妙だった。
「……すみません」
「別に怒ってるわけじゃないわよ。何か理由があるの?」
「……学園では、質問をすると評価が上がったので」
きつく組まれた手が、良い思い出ではないことを物語っている。学園……貴族の子供が通う学び舎の通称だ。そこでの話を詳しく聞いたことは無いけれど、いつだったか、優秀な姉と比べられ続けたと零していた。
「駄目ですね、一年も経つのに」
「一年しか、よ」
「それでも。まだ私はあの家の価値観に囚われたままです」
――こんなにしあわせなのに。
そう言って諦めたような笑みを浮かべるから、酷く腹が立つ。成人して家を出てもなお苦しむほどの傷を、彼女の周囲の人間は十八年間与え続けたのだ。
「もっと幸せになりなさいな」
「これ以上ですか?」
「そうよ」
「それは、なんだか少しこわいです。失った時に、一人で生きていけなくなりそうで」
「あら、あいつが信じられない?」
誰よりも彼女の幸せを願う、古い友人を思う。世界を変えようと走り回る男が心を砕く、数少ない存在が彼女だ。
「いいえ、自分が」
「ならわたしがあなたを信じてあげるわ」
「……どうして、そんなに」
「人の幸せそうな姿を見るのが趣味なのよ」
手を繋いで微笑み合う姿も、ふとした瞬間に左の薬指の指輪を優しく撫でる姿も、見ているだけで心が緩んで安心する。こんな世の中にも幸せは存在するのだと知って。
「ご自分のしあわせは?」
「もう貰ったわ」
「……?」
「ずうっと昔に、一生分ね」
「でも、私」
「なあに?」
柔らかな紫の瞳が強い意志を宿して光る。……ああ、これがあいつの言っていた「強い瞳」ね。
「あなたがしあわせな姿も見たいです」
「……あの子と同じこと言うのねえ」
見た目も性格もまるで違うのに。
「なら、あなた達が幸せになる姿をたくさん見せてちょうだい?」
「私たちが、ですか」
「そう。幸せな人たちを見ると幸せになるから」
「わかりました。幸せになります」
「よろしくね」
顔を見合わせて微笑み合う。
――心臓のあたりから、鈴のような小鳥の声のような自分の声のような、不思議な音がした。
──今日くらいは。
このひとは、隠し事をすることが得意なのだとつくづく感じる。
料理の味付けで塩と砂糖を間違えても平然と食べてしまうし、どれだけ疲れていても欠伸のひとつさえ零しはしない。
つまり、自分の限界を越えるところまで我慢して我慢して、それが決壊する時に一気にいろいろなものに飲み込まれてしまう、とも言える。
***
「お疲れになる前に早く休んでください、と何度も言ったでしょう?」
「……いっていない」
昨日から高熱を出して寝込んでいる相手は、拗ねたように言って目を逸らす。
「いいえ、言いました」
「……」
毛布を目元まで引き上げて隠れようとしているのが、なんだか子供みたいだ。氷水で濡らしたタオルを絞って、ぬるくなったものと交換する。
「体が限界だったんですよ。この機会にゆっくり休んでください」
「休んでいる、ひまなど」
「本調子でなければ動くことなんてできませんよ」
再びの無言。
体調を崩して、心も少し弱ってしまっているんだろうか。普段ならすぐに返ってくるはずの反論もない。
「ちゃんとお布団に入っていてくださいね。また様子を見に来ますから」
「……いやだ」
「早く治って欲しいんです」
毛布から覗く金色の瞳が、発熱のせいで頼りなさげにゆらゆら揺れている。
「……そばに、いてくれ……」
熱い指先がセーターの袖を掴んだ。もう瞼が閉じてしまいそうだ。
「子守唄でも歌いましょうか?」
「きみのうたは、へんなかんじがするから、いい」
「失礼な方ですね」
「となりにいてくれれば、いい」
返事をする代わりに、袖に添えられた手をゆるく握る。かろうじて開いていた瞼が完全に落ちる。
「……おやすみなさい」
今日くらいは、ゆっくり休んでくださいね。
(何でもないフリ)