「カーテン」
純白のシルクの滑り台に、赤ん坊が落ちてゆく。
柔らかなシルクの手触りを確かめながら、ふんわりとしたカーテン生地に、包み込まれるかのように赤ん坊は滑り台を下っていく。
行き先は下界だ。
僕は赤ん坊が1人、また1人と旅立つのを見届けると、シルクを整える。放っておくと波打つ広大な布地。整えるのに、結構筋肉を使う。しかし、命を次へと送り届ける重大な任務なのでやりがいがある。
次の赤ん坊が今か今かと期待に満ちた眼差しで、滑り台の列に並んでいる。
「もうすこし待ってね。さぁ、できたよ!いってらっしゃい。」
僕は次の無垢な瞳をした赤ん坊を手招きした。
赤ん坊はシルクの滑り台に勢いよくのった、と同時に僕の足を掴んだ。
「え」
僕は体勢を崩しながら、赤ん坊と一緒にシルクの滑り台に包まれる。
シルク生地は僕と赤ん坊を下へ下へと運んでいく。
「き、緊急事態発生。係員滑り台に落ちました。」
無線で他の係員にそれだけ伝える。
「何をやってるの!今月3回目よ?次落ちたらただじゃすまないよ。」
同僚の呆れ果てた物言いに僕は身震いをした。
「すみません。なんか、赤ちゃんが僕の足を掴んで離さなくて。このままだと最後まで落ちちゃいそうです。どうしましょう。」
「あーもう…いっそ事君も下界楽しんできたら?」
「ええぇ?そんな、見捨てないでくださいよ。」
無線はそこで切れた。
僕は愕然とした。
なんとか赤ん坊の小さな手をズボンの裾から離したいのだが、思いの外強い力でびくともしない。
どうしょう。そんなに僕の事が気に入ったのかな
。なんてね。咄嗟に赤ん坊に僕は言葉を投げかけた。
「お兄さん、君の事忘れないから。いつか君に会いにいくから。だから離して。」
赤ん坊は僕を見て、微笑んだ。
そして確かに頷いた。
パッと手がズボンから離れた。
赤ん坊はそのまま下界へと落ちていった。
僕は間一髪のところで、落ちずに済んだ。
同僚に散々冷やかされながら、その日は仕事を終えた。
「いいの?そんな約束して。人間は案外覚えてるわよ。」
「えぇっ、そうなんですか?困ったなぁ……。」
僕はイチジク果汁入り聖水を飲み干した。
「有給使って、そのうち会いにいきなさい。一目見るだけでもいい。それが筋ってもんでしょ。」
「はい…」
僕は同僚の言葉に首を縦に振った。
あれから下界でどれだけ時間が経ったか僕にはわからなかったが、有給を使って僕は下界に遊びにきた。
人間たちに紛れて、僕も歩く。しかし誰も白いスーツを着る僕には目もくれない。当たり前だ、人間じゃないからな。
なのに、だ。
「あっお兄ちゃん!!!」
後ろから小さな女の子に声をかけられた。
女の子は人間で言えば5歳ぐらいだろうか。
その女の子は僕を見つけるや否や、ズボンの袖をギュッと掴んだ。
こ、この身に覚えのある圧力は。
「君はあの時の…赤ん坊か?」
「また会えて嬉しい!」
女の子は嬉しそうに答えた。
人生のカーテンは幕を開けたばかりだ。
「青く深く」
私の生まれたアンドロメダ銀河は赤い銀河と言われている。何故ならば、血濡れた歴史の繰り返しだからだ。初めて、故郷の銀河を離れ、天の川銀河を訪れた時、文明自体は稚拙だが、原始的な魅力の詰まったとある惑星に強く惹かれた。その惑星にすぐにでも降り立ちたい衝動に駆られたが、そこは自然保護区で、外部の宇宙人は上空から見守る事しか天の川銀河の宇宙法規上許されていなかった。
私は観光用の宇宙船に乗り込み、窓際で頬杖をついた。
「青い星は数多くあれど、こんなに深みのある水の星は初めてだわ。なんて、美しいんだろう…。」
私は持ち寄った記憶装置で、水の星の観察スケッチを手早く描き記した。
「美しいよね、でもこの星は死にかけてる。」
顔を上げると、背の高い男がいた。同じ観光客だろうか。
「え…」
私はその発言に驚愕した。
「君、もしかして外部銀河の人?その赤い髪は天の川じゃ珍しい。」
「ええ、アンドロメダから来たわ。」
「…あぁ、それは難儀な…」
男は深く頭を下げると手を合わせた。
「死にかけているとはどういう事なの?」
男は私の隣の席に座った。
「言葉の通りだよ。この星は…死にかけてる。寿命の話じゃない。心が死にかけてるんだ。僕にはわかる。」
「何故わかるの?」
私は疑問に思い聞き返した。
「当事者だから。」
「?」
「僕はこの星で生まれ育った、若い頃に天の川銀河の奴らに保護されたんだ。」
「貴方はチキュウジンなの?」
「…昔はね。」
男は眉を下げて、皮肉混じりに微笑んだ。
「君は惑星の心はどこにあると思う?」
「…私の故郷では、惑星達は皆悲鳴をあげたわ。心なんて考えた事なかった。物理的な殺戮と爆発。戦乱は常に小さな星を丸ごと消し去る。彼ら惑星の痛みを感じる暇もないくらい私の故郷は余裕がなかった。」
私は俯いた。手が少し震えた。今もなお脳裏に焼き付いて離れないのだ。あの業火に燃える、故郷の星が。
「…それは辛いね。…僕はね、地球の心は水に宿ると考える。その水は沢山の音や記憶を吸って常に地脈を流れる。」
「貴方は、あの美しい水の星の根幹がもう死にかけていると言いたいの?」
男は返事をする代わりに頷いた。
「当事者だからね…わかるんだ。僕らは星に対して償いきれない痛みを生み出し続けている。」
男は上を向き、きつく目を閉じた。
まるで祈りを捧げているかのようだ。
なんだ、どこも同じなのか。
どこも身勝手な生命が、大きな宿主を食い散らかしているのか。
私は男と別れ、観光船を後にした。
記憶装置には沢山の美しい水の星のスケッチが溜まっていた。
私はそれらを眺めながら、心の整理をつけた。
赤い銀河、アンドロメダ。もう嫌気がさす故郷の星々。それでも、私は目を背けちゃいけないんだ。だって私も当事者なんだから。
水の星、私の心を一時潤してくれた美しい星。
どうか、貴方の心が癒えますように。
そう、願いながら私は元来た道を歩み始めた。
「夏の気配」
虫達の話し合いが盛んになり始めたこの頃、日中と夜の温度差は激しさをますばかり。
庭の夏野菜達が勢いよく日光を奪い合う昼間と違って、夜は虫達以外は草花は眠っているのだろう。
涼やかな夜風に髪が遊ばれる。
私はスーパーから帰宅したばかりだ。「ただいま、スイカバーの素買ってきた」
庭で水やりをする弟が不満を露わにした。「スイカじゃないのかよ!姉ちゃん、スイカ買ってくるって言ったのに!」
「だって、去年より高かったんだもの。小玉スイカも高級品になってしまったの。かくなる上は、この夏はスイカバー作ってしのぐわよ。」
「嫌だーー!!俺、スイカがいい!!」
弟の絶叫をしりめに私は玄関のドアを開く。
開いて入る前に、一度振り返って弟に囁いた。
「花火も買ってきたよ。後でやろう」
「えぇ?!それを早く言えよ!姉ちゃんの馬鹿!」
弟は先ほどまでとはうってかわって、機嫌良く、ホースで水を撒き始めた。鼻歌でも歌いそうなホース捌きだ。
私は単純な弟に思わず笑みをこぼした。
夕飯後、私と弟は、ドラマをトドのように横たわって見ていた母さんを無理やり起こして外に出た。
「母さん、あのドラマの続きが見たいんだけど…」
母さんはしぶしぶ花火を取り出してチャッカマンで蝋燭に火をつけた。
「録画もしてるんでしょ。つべこべ言わない」
私は蝋燭に花火の先をつけながら、母に答える。
「花火!花火!俺、でっかいのがいい!」
弟は袋からいきなり一番でかい手持ち花火を取り出して嬉しそうに花火に火をつけた。
「…あんたって昔から好きなものは一番先よね」
「当たり前じゃん!後にとっておいて何かいい事あんの?」
「母さん眠い…」
欠伸をする母さんを挟んで私と弟は言い合いをした。
夜に咲く色とりどりのの光の華。光の粒が落ちて流れ流動するその様が私は好きだ。
思わず時間を忘れて、ただ燃えては消える炎の花びらを眺めていられる。
沢山あった花火はあっという間に残り一種類となった。
「「しめは線香花火でしょ」」
私と弟の声が重なる。
「あんた達本当に仲良いわね」
母さんが目をこすりながら優しく笑った。
明日は何をしようか。素敵な夏になると良いな。そうだ、スイカバー作ろう。冷蔵庫整理しなきゃ。
私は毎年夏の始まりに願掛けをする。
今年は線香花火に願いを託した。
ゆっくりと形を変えて散り菊となる光の粒を
虫達は噂話をしながら見ている事だろう。
私と弟は、夜風に身を委ね、さざめき合う彼らの美しい声に耳を傾けた。
お爺ちゃんの遺品から出てきたとある懐中時計は楕円形でまるで秒針が溶けたような形をしていた。
生前その時計を使ったところを見たことがなかった。
書斎の机の引き出しの奥から出てきたこの懐中時計。祖父のコレクションの一つに相応しく重厚な装飾が施されている。
僕はその懐中時計をじっと見つめた。カチカチと動くその時計は、よくよく見ると反時計回りに針を刻んでいた。まるで、過去へと常に遡るかのように。
「壊れてるのかな?」単純にそう思った。
僕はその時計をそっとズボンのポケットにしまおうとした。そのうち、修理に出してみようと思ったのだ。
奇天烈な見た目の時計は思いの外僕の心を捕らえて離さなかった。
しかし、あやまって床に時計を落としてしまった。
慌てて拾い上げると、その時計は先ほどとは明らかに違う猛スピードで秒針が進んでいく。
ぐるぐる、ぐるぐる。その驚くべき速さに目を回しそうだった。
それと同時に不思議な事が起こった。
周りの景色が時計に合わせてぐるぐると目まぐるしく変わっていった。
祖父の書斎が子供部屋になり、畑になり、また家が立ち、荒野になり…やがて、のどかな山々と野原になった。僕は唖然としながら立ち尽くした。
野原の向こうに狼煙がのぼっている。
突然背後から声をかけられた。
「なんだ、達也じゃないか。」
その聞き慣れた声に驚いて、僕はすぐさま振り返る。
「え、えっ?おっおじいちゃん??幽霊?」
「何を馬鹿なことを言っとるんじゃ。わしは生きとる」おじいちゃんは僕の腕に触った。
おじいちゃんの手はしわしわだったけれど、確かに温かった。
「え、じゃあ本物?ねぇここどこ?」
「今はいつ頃かのう…、わしの見解が正しければ、白亜紀あたりじゃ。」
「はぁっ…??」
「恐竜がうようよいるぞ。はは、毎日生存戦略を迫られる。わしもまだまだいけるな。」
「ちょっと何言ってるかわからないよ。」
僕は頭を抱えた。
「百聞は一見にしかず。とにかく、この辺りを見てまわるといい。世界が、変わるぞ。」
「………っ。」
僕はおじいちゃんに促されて、顔を上げた。
まず、感じたのは空気が澄んでいて美味しい、その事実に驚いた事だ。見たことのない植物達。
そして次に、上空を翼竜が舞っているのを視界にとらえた時、僕は覚悟した。
「…恐竜って食えるの?」
「ははっその粋じゃ、達也。さすがわしの孫。」
僕はおじいちゃんに背を叩かれながら、歩み始めた。
不思議な懐中時計は辺りをくまなく見回したが、どこにも見当たらなかった。
「まだ見ぬ世界へ!」
漆黒の鳥の群れが空一面を覆った。
何百羽もの黒い鳥が夕闇の空に被さる。
僕は窓ガラス越しにその光景を見ていた。
ぞくりと背筋が凍る。思わず呟いた。
「不吉…」
「おっしゃる通りです」
背後から突然低い声がかえってきた。
「ひっ、だっ誰?」
僕は驚いて、部屋の方へと振り返る。
そこには背の高い痩せ細った骸骨がいた。
骸骨は黒い布をすっぽりと頭から被っているが、布の隙間から白い手足の骨がでている。
「驚かせてすみません。私は通りすがりの死神です。」
「…っ」
僕は息を呑んだ。
骸骨はマントの下から、火の灯った蝋燭を取り出した。銀色の燭台が夕日に怪しく光る。
「ここにありますのは命の灯。この蝋燭が尽きる頃が貴方の寿命でございます」
火は勢いよく燃えていた。後数十分もしないうちに蝋燭の炎は消えるだろう。
僕は骸骨に向かって微笑した。
「僕、運がいいね。正直怖かった。僕にはお迎えに来てくれる人なんていないと思っていたから」
「そんなことはありませんよ。それに、ご家族はたいそう悲しがると思います」
「そうかな…もう随分と僕は孤独だよ。誰も僕に話しかけてくれないんだ。家族で外出なんて、最後にしたのはいつだろう」
僕は窓に目をやり遠くを見つめた。
「愛情を疑っているんですか?」
「そうとしか考えられないんだよ。」
僕は骸骨に向かって首を横に振った。
骸骨はしばらく思案してから、ゆったりとした口調で提案した。
「どうです。最後に家族に言いたいことを言ってはどうですか?」
「え?」
「きっと、届きますよ。はっきりと言わなければわからないこともあるのです。これが最後なのですから。」
僕は骸骨の提案に少し考え込んだ。
「…わかった。やってみる。」
僕は力いっぱい大きく息を吸い込んだ。
「僕を見てよ!!!!!」
その声は悲鳴に近かった。
「…なんだが、スッキリした。ありがとう死神さん。」
「それはよかった。そろそろ時間ですが、よろしいですか?」
「…うん、僕は満足したよ。これで心置きなく、お別れできる…」
僕は涙交じりに微笑んだ。
蝋燭の炎がふっと消えた。
「カイ!どうしたんだ、悲鳴をあげて…カイ?」
お父さんとお母さんと祐介がドタバタと二階から降りてきた。そっと冷たくなった、黒いフサフサの毛並みにそっと触れる。その手は冷たかった。
涙で家族の頬は濡れた。
「カイ……ごめんな……ずっと辛かったんだな…ごめんな…」
カイの冷たくなった手を家族は必死にさすった。
その様子を死神は空から静観していた。
死神のマントが風に遊ばれる、そのマントの中に黒い鳥たちは吸い込まれていった。
いつのまにか空は暗い群青色をしていた。
「願わくば、彼が美しい骨に還りますように。」
骸骨はマントを翻して、夜に溶けた。
「最後の声」