純粋な風はありえない。
風はいつも、何かを一緒に運んでくる。
目に見えるもの、小さくて細かいもの、目には見えないけれど感じれるもの。
言葉や思いなんてものも、運び出してくれるかもしれない。
風が吹く度に、この世のあらゆるものは循環をはじめ、留まっていたものはぞくぞくと動き出す。
そう思うと、風はだいぶと迷惑なヤツだ。
この世には、他のものと交じりたくない。ひとりでいたいものだっているはずだ。
わざわざ表に駆り出して、見たこともない場所へ運び込まれて、何かも分からないものとごちゃまぜにされるなんて、とんでもないこと。
そうやって、周りを巻き込まないと気が済まないのだろうか。
風の音は、大きい小さい関わらず、微かに「泣き声」のように思う。
風が泣いてるのは、誰かと交ざりたい寂しさ、なのか。
どうしたって、ひとりで吹くことが出来ない、不幸のせいなのか。
だから、風はよく、雨を纏う。
「泣いてる」風には相応しい。
そしてその「泣き声」が止むのは、何も変化しない、誰にも混ざらない、純粋な孤独。
無風の時だけなのだ。
さて、問題。
“ある少年がいた。彼は戦争により、両親を早くに亡くしてしまった。
幼い日々を、孤独に生きてきた少年は願った。
『世界から争いがなくなりますように』
成長した彼は科学者の道を進み、世界を平和にするために尽力した。
その結果、世界は「平和」になった。
彼は、何をしたのだろう?”
ある人は、彼を説明するのにこう言った。
“彼は、科学の力でもって、世界にはびこるあらゆる争いを無くそうとした。
そのためには、あらゆる力を超えたものが必要だ。どんな争いをも終止させることのできる、強大な力が。
彼は、「核兵器」を生み出した。
世界は「平和」になった。”
またある人は、彼を説明するのにこう言った。
“彼は、有名な科学者となり、様々な成果を上げた。
それらは人々の生活を豊かにした。
苦労も、悩みも、煩わしさも、科学が解決してくれた。
便利な生活は、人々から、争う理由を消し去った。
彼は、「豊かさ」を生み出した。
世界は「平和」になった。”
また別の人は、こう説明した。
“彼は、小さいころの記憶を忘れることが出来なかった。
家族を失った悲しみから、救われることがなかった。
だからこそ、人一倍、平和を願う気持ちが強かった。
日々、祈り続け。日々、訴え続け。日々、願い続けた。
誰よりも、平和が叶うことを望んだ。
そんな彼を見た人々は、心を動かされ、平和の歩みは、彼を中心に広がっていった。
彼は、「希望」を生み出した。
世界は「平和」になった。”
物事の善し悪しを決めるのは、いつだって他者だ。
物事の真実を知る当事者は、善も悪も決定することは出来ない。
それを、この問いは教えてくれる。
ちなみに、彼自身はみずからをこう説明した
“わたしは、争いのなかに生きていた。
両親をうばわれ、孤独な幼少期を過ごし、不穏な毎日だった。
けれど、それは「仕方のないこと」だ。
その時代が、そうだからだ。
争いの時代に生きているならば、争いのために生きることが、最適だ。
だから、わたしは科学者を選んだ。
そうすれば、争いに貢献できるから。
いち早く、「平和」を求めるならば、争いが終わればいい。
自ら争いに踏み入って行くことこそ、最適だ。
争いの兵器を生み出し、早くこの世界に「平和」を。
優れた兵器はその使用者を助けた。
戦地で功績は称えられ、重宝された。
それも、各地で。
優れた兵器の産出国として、国は豊かになった。もう国内で争う必要もなくなった。
そうなっても、常にわたしは胸に抱いていた。
早くこの世界が、「平和」になるように、と。
……これでよかったのだろうか”
彼の、善悪を決めるのは、本人ではなく、やはり他者なのだ。
空を見上げた。
深い黒に染まった空。
満点の輝きが、広がっていた。
白い砂が光っているように、散りばめられていた。
その中に、ひときわ目立った光があった。
大きな、大きな、流れ星だった。
青白い尾を引いて、目も眩らむような存在感で。
見れば見るほど、惹き付けられた。
誰かから聞いたことがある。
「流れ星には、願い事を唱えてみな。きっと叶うはずだよ」
そうだ、願い事だ。
流れ星には、願い事だ。
どんどん輝きを増していく流れ星。
はやく願いを唱えてと、急かすように。
もう私には、その星しか見えない。
両手を胸の前に結んで、ゆっくり目を閉じた。
祈るように、唱えた。
「流れ星さん、どうか……」
耳元で、大きな音がする。
ぐんぐん、大きくなっていく。
だんだん、熱くなっている?
やっぱり。
だから、早く言わないと。
「……ここに、落ちてこないで」
便利なものなど、ありはしない。
すべて、そう勘違いさせられているだけだ。
街へ行けば、欲しいものは全て手に入る。
他の奴らはそういうが、オレは違う。
街は、苦難の連続だ。
今日のオレは、食糧を目当てに街へ繰り出した。
特に臆病な性格なもんで、住処を出るのも一苦労だ。
まず、明るい。
暗く光を閉ざした、個室のような、洞穴のような。
そんな部屋が俺にはお似合いだ。
というより、
日の光が嫌いなんだ。
世間では、何処でもかしこでも、晴れの日には部屋を飛び出し、レジャーやスポットへ繰り出さずには居られない連中がいる。
太陽の下に出ずにはいられないのだ。
そういうのを、陽キャっていうらしい。
が、
植物人間って、オレは呼んでる。
次にオレを襲ったのは、気温だ。
暑い。
いや、世間では20度前後の気温など、普通なのだろうが、オレは違う。
冷房の効く、涼やかで、落ち着いた、平穏な部屋が快適だ。
そこらに滴る汗をふりまく、小太りな奴らを見てみろ。誰が外に出たがるか。
そうはいっても食糧だ。
食わずにはやって行けない。
重い足と腰を起こして、自分を鼓舞し続ける。
……やっと着いた。
長旅だった。なん時間かかったろう。
途中、目にも止まらぬ早さでオレを轢き殺そうとする鉄の塊。
クラクションを鳴らしてさえくれなかった。
あいつの顔を拝めなかったのは、惜しい。
次見かけたら、タダじゃおかない。
さて、どうするか。
もう目的地には着いた。
だが、その街は、固く、オレへの門扉を閉ざしたままだった。
飛び跳ねても、手を振っても、オレを中には入れさせまいとしている。
……くそ、ここまでか。
やはり、便利なものなんて、世の中には無い。
苦労に見合った、見返りなんてないんだ。
あぁ、腹が減って、もう。ダメだ。
「おかぁさん、これ何?」
「え?あらやだ、アリさんじゃない。持ってこないでよ、やだ~」
「えー、落ちてたんだよぉ」
「置いておきなさい、もう」
―――ピロピロピロリン
「いらっしゃいませー」
……なにが、コンビニエンスだ……
「世間話でもしましょう。趣味は?」
「……えっと、そうですね。読書、でしょうか」
「読書ですか、好きな作家などいらっしゃる?」
「作家、よりは作品で選んでる感じですね。『高瀬舟』は好きですが、鴎外はそれくらいで……」
「そうですか、わたしも鴎外は学生時に読みましたね。『半日』が印象的でしたけれど」
「自分なんかより、先生の方がお詳しいですよ、きっと。……すみません、コーヒーをもう一杯いいですか?」
「構いませんよ。少々お待ちを」
チクタクチクタク…
壁掛け時計は、昼の3時を指している。
「お待たせ。砂糖はなしでしたっけ?」
「あ、はい……。甘ったるいものは苦手なので」
「なるほど。さて、もう少しお話しましょう。ご家族の話なんて、どうです?」
「……家族、ですか」
「子供のときの話でもいいですよ?なにか聞かせてください」
「そうですね。家族、といってまず浮かぶのは、やはり妻と娘ですね。
小さい時の父母も家族といえるんでしょうが、やっぱり、自分でつくりあげた感があって、そっちの方が思い入れますね」
「御結婚なさってたんですね、あ、いやそういう意味でなく。娘さんはおいくつ?」
「5歳になります。8月15日生まれです」
「まだ小さいんですね。奥様はどんな方で?」
「妻は、大学時代に出会いました。きっかけは病院で」
「病院?」
「あぁ……、実は僕、持病の関係で、病院通いが長いんですよ。地元の総合病院ですけれど」
「……そうでしたか。ということは、奥様は看護師か何か?」
「そう、ですね。正確には、薬剤師みたいな仕事だったかな。病院で何回もあって、それで交際が発展して、という感じです」
「ふむふむ、なるほど。先程、持病があると仰っていたけれど、どんな症状なんです?」
「えっと、発作みたいなものですね」
「発作……もう少し詳しく」
「突然、自分ではどうしようもないくらいの行動……。震えとか、暴れたりとか。特に人と話している時にはよく起きていました。それで、よくトラブルになってしまったことも」
「それは、なかなかに苦労なされたんですな。結婚してからもその発作は続いてたんですか?」
「えぇ、まぁ、妻が薬を調達してくれていたので、前よりはマシなんですけれど。
けれど何より、妻の優しさに救われてたのが、僕の、いや僕たちの家族が幸せになれた理由だと思いますよ」
「?というと?」
「結婚前の話なんですけれど、妻はよく言ってくれました。
『あなたは、病気で苦しんでいる。だから、まずはそれを取り除いて行きましょう。苦労や苦痛はあると思うけれど、私たちが一緒に受け入れてあげる』って。
その言葉に救われたんです、僕は。そんな優しいこと、言ってくれる人はいなかった。発作のせいでトラブルになってしまう僕を、乱暴者と除け者にするだけの皆とは違った。妻は、ほんとうに優しい人だだった」
「……なるほど。奥様には感謝なされている?」
「もちろんですよ、だから、今日帰ったら、この話をしてあげるつもりですよ。“今日は病院の先生と、君の話をしたよ。大好きな君がどんなに優しい人だったか”って」
「……わかりました。お話ししてくれてありがとう。奥の部屋で待っていてください」
「わかりました。先生もありがとうございます」
―――ガチャ
「―――あぁ、石谷検事ですか?鑑定医の川島です。今、彼の精神鑑定が終わりましたよ。
……えぇ、かなり心神喪失に近いと思います。
彼は、自分の行動が発作となって、制御不能になると自覚している。それを相手が受け入れたことを、愛情と歪曲したようだ。
彼はきっと、自分が妻と娘を殺したと思っていない。優しく受け入れてくれた、と思っているだろう」