幻覚

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2/14/2024, 3:15:52 PM

『バレンタイン』

予想通り大量のチョコレートを手にした恋人と玄関前で行きあって、お互いに笑みが零れる。

「こんなに沢山貰ってしまって、君に拗ねられたらどうしようかと思ったが。杞憂だったようだな」
「どういう心配だ」

そう笑い合って共に玄関をくぐる。部屋着に着替えてテーブルの上に贈り物を広げた。贈り主はきちんとリストにして後程返礼をしなければならない。向かい側で同じように贈り物を広げている恋人の手元に、異質な物を見つけて手が止まった。それは明らかに手作りの物で、しかもひとつやふたつではない。こちらの視線に気付いた恋人が手元に視線を落とし、ああ、と得心のいった顔をした。

「部下達からだ。このところ熱心にキッチンに詰めていたからな」

そう言えば彼の部下達は若い女性が多かったな、と思い出す。どうせ本命への序でだろう、と言われても、女性らしい可愛らしく装飾された包みは随分と魅力的に見えた。

「さっさと切り上げなくては日付が変わってしまうぞ」

そう急かされて作業を再開した。そうだ、何も事前に話をしてあったわけでなし、最初から無かった物と思えば良い。

リストアップの終わった贈り物を片付けて、2人ソファに並んで腰掛ける。恋人はいつものようにワインとグラスを用意していて、それを見て無かった事にした筈の物が頭を過ぎった。

「ジェレミア」

改まって名を呼ばれるとそわりとする。恋人に向き直ると、彼の手の中には綺麗に包装された箱が収まっていた。先程まで散々見たようなそれが、こちらに向かって差し出されている。

「これは……」
「今日はそういう日なのだろう?卿は甘味は苦手ではなかったと思ったが」

勢い良く立ち上がったせいでスプリングが恋人を揺らした。

「少し待っていてくれ!」

部屋に取って返して無かった事にした筈の物を取り出す。ばたばたと引き返すと恋人が驚いたような顔をして居て、次いで笑った。

「私は逃げないから落ち着け」
「私からも君に買ってあるんだ、ルキアーノ」

そうして交換して、彼がワインを開けた。

「チョコレートに合うものを選んである」

美味いワインとチョコレートを恋人と共に楽しむ夜は至福の一時だった。世の中でバレンタインと言う催しがこうも広まっていることも頷ける。

2/12/2024, 9:31:42 AM

「この場所で」

この場所でもう一度、と、随分甘ったるい約束をしたものだった。

2/7/2024, 11:48:56 PM

「どこにも書けないこと」

どこにも書けないこと。例えば、もう誰も呼ばない己の昔の名前であるとか。

別に思い入れもないものだった。誰が付けたのかも分からない、意味などないのかもしれない、単に個体を識別するための番号と大差ないそれかもしれない。最後に呼ばれた記憶は酷く忌々しいもので。嘲笑と共に吐かれたそれが脳裏で谺している。気を紛らわせる一服が欲しくて、しかしどうにも身体に力が入らずに起き上がれなかった。荒い呼吸を落ち着けようとしている俺の腕に、すり、と何かが擦り寄ってきた。一瞬ぎくりと身体に力が入って、すぐに抜けた。まだ思考が現実に戻りきれていなかったらしい。制御を取り戻した身体をごろりと横に向け、傍らの温もりを抱き寄せる。恋人は小さく「んん、」と声を漏らしたが、そのまますやすやと眠っている。警戒心が無さすぎるだろう。自分の腕の中で安心しきったように眠る姿が喜ばしいような、目を開けて此方を見てほしいような。がぶり、と首筋に歯を立てる。痕が残るくらいまで力を入れて、漸く恋人は目を開けた。
「どうしたんですか……」
眠気でふにゃふにゃした声に笑みが零れる。

1/26/2024, 2:57:19 PM

『ミッドナイト』

夜行性の恋人は夜が更けてくると機嫌が良くなる。対して私はと言えばもう眠気を覚えている頃合どころかもう布団に入っていてもおかしくない。それでも何となく眠る気になれずに、こうして恋人の隣でソファに沈み込んでいた。傍らの恋人はワイングラスを揺らしているが、自分の呼気に含まれるアルコール臭にすらげんなりしている有様ではそれに付き合う気にはなれなかった。

自分の傍らでソファに沈み込んでいる恋人を見る。随分と眠たげにしているが、まだベッドに行くつもりは無いらしい。普段は実に健康的な生活の男だが、このところ度々会食が入っていたのが随分堪えているらしい。お疲れの恋人を癒してやるのはやぶさかではないのでこうして隣でワインを飲んでいるが、正直なところそろそろ眠気が来ていた。飲み干したグラスを置き、その手で恋人の顎を捕らえる。見返してきた目にあまりにも力が無くて笑ってしまう。軽く口付けてやるとじわじわとその目が見開かれ、次いで困ったように揺れた。「今はあまり付き合えないぞ」などと宣うので苦笑してしまう。

「余程眠いと見えるな。或いは卿の思う私はそんなにも鬼畜なのか?」

担がれて運ばれたくなければベッドへ行け、と促すと渋々動き始めた。横になった途端に眠りに落ちそうな男に再びキスを落とす。恋人はこちらに手を伸ばそうとする様子を見せたが、途中で力尽きてしまった。

1/8/2024, 9:54:43 AM

「雪」

「道理で冷えるわけだな」
カーテンを開けて外を覗けば、街並みが白銀に輝いている。
「ほう、雪か」
肩に腕の重みがかかって、すぐ耳元で恋人の声がした。先程まで寒さで不機嫌だったくせに、妙に機嫌の良さそうな声である。
「雪が好きなのか?」
寒いのは嫌いなくせに。体温が低いからか気温が低いのが堪えるようで僅かに機嫌が悪くなる。だが言外に匂わせたそれは伝わらなかったようだ。
「雪は良い。白に鮮血が映えて、美しいからな」
上機嫌に続けられた言葉に納得する。ぶれない男だ。
「庭に冬薔薇でも植えるか」
ふと思いついて口に出せば背後の男が上機嫌に笑った。

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