「視線の先には」
あいつの視線の先にはいつも同じ男が居る。ソイツのことが好きなんだと、聞くまでもなく分かった。
『終わりにしよう』
「終わりにしよう」
急にそう告げられて、愕然として彼の顔を見る。視線は合わない。何が悪かった?必死で思考を巡らせる。嫌だ、終わりになんてしたくない。彼はもう俺に愛想が尽きただろうか。それともまだ、縋れば望みはあるのだろうか。みっともないだとか、そんなことを考えている余裕は無かった。
「っ、なんでだよ、なあ。こっち見ろよ」
彼の腕を掴む。
「誰にも言えない秘密」
『隠していることを言わないと出られない部屋』
見上げた先に掲げられていた文言を絶望的な気分で見つめた。彼に隠していることなんてひとつしかない。言える筈もないと、彼だけでなく誰にも言ったことが無い。彼は首を捻って此方を見た。「なんかあるか?」と聞かれてなんと答えたら良いのか分からなくなる。だが、先程まで二人で散々四方の壁に攻撃したが部屋はびくともしなかった。死ぬまで二人此処に閉じ込められているわけには行かない。いい加減に腹を括らなくてはならなかった。此処で彼を自分の巻き添えにしてしまうくらいなら、隠し事を吐いてしまった方が良い。彼には不快な思いをさせてしまうが、なるべく早く、忘れてくれると良い。大きくひとつ深呼吸をする。彼が気遣わし気に眉を寄せる。
「おい、クレア、大丈夫か?」
そんな風に俺を心配しないでくれ。罪悪感で死にそうになる。仕事ならどんな事でも言えるのに、これを口に出すのはひどく恐ろしく思えた。
「お前が好きだよ、ジャブラ」
到底彼の顔なぞ見られなかった。カチリと音がして壁の一部がゆっくりと小さく開いた。そこが扉だったらしい。俺の方が近かったのは幸いだった。剃で扉に体当たりする勢いで部屋を出る。出た先は見慣れた職場で、これ幸いと自室へ走った。しばらく顔を合わせられない。彼だって俺の顔なぞ見たくもないだろう。
扉が開くや否や部屋を飛び出して行った背中を呆然と見送る。扉が開いたと云う事は本当の事だったのだろう。否、この謎の部屋の力など無くとも、あんな顔をされれば疑う余地も無かった。不意を打たれて反応が遅れたが、告白にはきちんと返答を返さなくてはならない。いつまでもこのわけの分からない部屋に居る意味も無いので外れかけた扉を潜る。出た先は見慣れた職場だった。あの様子では行き先は彼の部屋だろうか。人の多いところには居なさそうだ。部屋の扉を叩くと返事があった。
「俺だ。開けてくれよ」
「……何の用だ」
「何って、まだ返事してねぇだろ」
ややあって扉が開く。
「お前のそういう真摯なところを好ましいと思っているよ。……廊下でする話じゃあないな」
そう言って部屋に迎え入れられる。此処に来るまでの間に考えていた。彼をそういう目で見た事は無い。だが、想像してみても嫌悪感は湧かなかった。彼が自分のどういうところを好いているのかも聞けた。クレアはさっきからずっと処刑を待っているような顔をしている。
「言うつもりは無かったんだ。あんな部屋さえなければ……。お前だって、不快だったろうに」
「なんでだよ」
「男だぞ、俺は」
「あ〜、なるほど」
確かにこれまで告白した相手は皆女性だった。そこに深い意味も無かったものだが、彼にとってはそうでは無かったのだろう。
「別に男だからダメだとかはねェよ」
クレアの顔が僅かに明るくなる。
「じゃあ、俺にも希望があるってことか?」
俄然声のトーンが上がるのに、彼の本気を感じて照れ臭くなる。
「試しで良い、付き合ってくれないか」
逃がさないと言うように腕を掴まれる。
「お、おう」
気圧されてしまって、そう頷くしかなかった。
『狭い部屋』
「……何だよ、これ」
それがマァ精一杯遠慮した結果口から出た言葉だった。「なンだこの部屋。イカれてんのか?」とか言わなかっただけ偉い。この間までは取り立てて特徴のない、新しい分綺麗ではあった部屋が、随分と様変わりしていた。ドアは手当り次第に色を塗ったようだし、床にはやけに鮮やかな色の塊が点在している。クッションが欲しいんですよね、と言っていたのは聞いていたが、真逆そんなショッキングピンクの物体のことだとは。
「これ、貼るだけで模様替えができるんですよ!」
恋人はいたくご機嫌で、ドアを染めた手段らしき筒を指した。
「あァ……」
恋人の機嫌が良いのでもうなんでも良いかと思って手近なクッションに腰を下ろした。元々内装にこだわりのある質でなし、それに何より此処は恋人の部屋である。恋人はいそいそと寄って来て、此方に寄り掛かるように座った。
恋人の頭をなんとなしに撫でながら室内を見渡す。しかしつくづく物の多い部屋だ。棚の上に極彩色に着色された動物の置物を複数見つけたが、あれも覚えがない。しばらく前に引っ越した時、「お部屋が広くなったんですよ!」と燥いで居たのを思い出した。自分から見れば似たり寄ったりの狭い部屋だが、恋人にとってはそうでは無いのか、浮かれた結果が今のこの有様なのだろう。
実のところ、あまり狭い所は好きではない。このくらいのベッドひとつ置けばあとは大したスペースの残らないような部屋は、そのうちに息苦しくなってくる。誰にも言った事がないどころか、気取らせてもいないが。いつもこうして、隣にある温もりで気を紛らわせていた。
だがふと、いつもよりも、幾分気が楽な事に気が付く。この視界の暴力のような部屋は確かにあの場所とは似ても似つかない。更に物を増やす気なのかカタログを捲る恋人を見下ろすと、やがて視線に気付いたのか恋人が顔を上げた。
「何です?」
俺は随分コイツに救われているようだ。首を傾げた恋人にキスを落とすと、恋人はにっこりと笑った。こんな戯れのような触れ合いでこんなにも嬉しそうな顔をされると堪らなくなる。
「どれが良いと思います?」
軽く上気した顔を伏せてカタログのページを指す、その手に自身の手を重ねる。すっぽりと包み込めてしまう。体格差を感じて欲が炙られる。
「こっち向け」
耳元で囁いてやるとぱっと赤くなった。
「何ですかぁ、急に……」
声に乗せた欲はきちんと恋人に届いたらしい。
「ハハ、オマエが悪い」
そうとも。口付けた時点ではそんなつもりは無かった。煽ったのはオマエだ。
「失恋」
「チャパパ〜!またジャブラがフラれたぞ〜!」
「うるせえ!『また』って言うな!てか言いふらすな!」
飛び回るフクロウとそれを追い回すジャブラをぼんやりと眺める。これで一体何度目だろうか。その行動力は少し改めた方が良いと思うが、彼の素晴らしいところはその時告白した女達の事をその時は本気で好いているというところだ。真摯な男だ。その真摯さが俺に向けられる事は無いのだが。俺ならばお前を袖にしないのに、と思ってみたところで何の意味もなかった。