幻覚

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『狭い部屋』

「……何だよ、これ」
それがマァ精一杯遠慮した結果口から出た言葉だった。「なンだこの部屋。イカれてんのか?」とか言わなかっただけ偉い。この間までは取り立てて特徴のない、新しい分綺麗ではあった部屋が、随分と様変わりしていた。ドアは手当り次第に色を塗ったようだし、床にはやけに鮮やかな色の塊が点在している。クッションが欲しいんですよね、と言っていたのは聞いていたが、真逆そんなショッキングピンクの物体のことだとは。
「これ、貼るだけで模様替えができるんですよ!」
恋人はいたくご機嫌で、ドアを染めた手段らしき筒を指した。
「あァ……」
恋人の機嫌が良いのでもうなんでも良いかと思って手近なクッションに腰を下ろした。元々内装にこだわりのある質でなし、それに何より此処は恋人の部屋である。恋人はいそいそと寄って来て、此方に寄り掛かるように座った。
恋人の頭をなんとなしに撫でながら室内を見渡す。しかしつくづく物の多い部屋だ。棚の上に極彩色に着色された動物の置物を複数見つけたが、あれも覚えがない。しばらく前に引っ越した時、「お部屋が広くなったんですよ!」と燥いで居たのを思い出した。自分から見れば似たり寄ったりの狭い部屋だが、恋人にとってはそうでは無いのか、浮かれた結果が今のこの有様なのだろう。
実のところ、あまり狭い所は好きではない。このくらいのベッドひとつ置けばあとは大したスペースの残らないような部屋は、そのうちに息苦しくなってくる。誰にも言った事がないどころか、気取らせてもいないが。いつもこうして、隣にある温もりで気を紛らわせていた。
だがふと、いつもよりも、幾分気が楽な事に気が付く。この視界の暴力のような部屋は確かにあの場所とは似ても似つかない。更に物を増やす気なのかカタログを捲る恋人を見下ろすと、やがて視線に気付いたのか恋人が顔を上げた。
「何です?」
俺は随分コイツに救われているようだ。首を傾げた恋人にキスを落とすと、恋人はにっこりと笑った。こんな戯れのような触れ合いでこんなにも嬉しそうな顔をされると堪らなくなる。
「どれが良いと思います?」
軽く上気した顔を伏せてカタログのページを指す、その手に自身の手を重ねる。すっぽりと包み込めてしまう。体格差を感じて欲が炙られる。
「こっち向け」
耳元で囁いてやるとぱっと赤くなった。
「何ですかぁ、急に……」
声に乗せた欲はきちんと恋人に届いたらしい。
「ハハ、オマエが悪い」
そうとも。口付けた時点ではそんなつもりは無かった。煽ったのはオマエだ。

6/5/2024, 12:25:23 AM