ベルの音色が鳴り響く。それは祝福をもたらす音色か。それとも、災いを告げる音色か。
それは両方である。何故ならば、奏でている二人にとっては祝福となっており、聞いている者にとっては災いとなっているから。
とある小世界は審判に掛けられていた。存続するか否かである。
その世界の神は、新婚を迎える信仰心のある夫婦の結婚式に大きなベルを贈った。結婚式に鳴らすことで祝福を受けられると説明して。
しかし、それは神が仕組んだ罠である。実際に、信仰心のある夫婦は祝福を受けることができる。
だが、信仰心が無い場合、絶無だった場合はどうなるのか。聞いている者にとっては災いとなるのである。
どうして神は災いをもたらすことにしたのか。人が抱くべき信仰心を無くしてしまったからである。
悪魔によって堕落した人々は悪行を呼吸するかのように繰り返して、幾重にも太い、神の堪忍袋の緒が切れてしまったのである。
その処罰として災いによる破滅を与えることにしたのだ。信仰心がある夫婦を除いて。
結婚式の当日。二人の夫婦は神から贈られた大きなベルを鳴らし始めた。二人にとっては、祝福のお裾分けと信じて。
しかし、実際には災いの音色。それが結婚式場で、いや、小世界全体で鳴り響いている。
神が仕組んだ罠を誰も見抜くことができようか。誰もできないのである。
二人がベルを鳴らし終える。すると、そこにあったのは、人々を堕落させた張本人である悪魔が二人の前にひれ伏していたーー。
ーーその小世界はどうなったのか。誰にも分からない。悪魔が二人を堕落させることができたのか。去らせられたのか。
結末は誰にも分からないのであるーー。
彼は独りだった。友はいても、どこか独りだった。親友と呼べる相手がいなかった。
けれども、独りでいることを寂しいとは思わなかった。彼ですらどうしてなのか分からない。
寂しさとは無縁の生活。一人静かに内省し思索に耽る日々。それを彼は楽しんでいた。
自分の思索を紙に書き留めることもあった。覚え書きのように。そこからさらに独自の考えを深めていった。
彼の友人は彼の思索の紙を見てもピンとこないものだった。しかし、彼の行動に対しては尊重していた。
彼に仕事を任せれば高い水準で行なってくれていたから。頼りにしていた。彼の独自の考えを受け入れることは難しくても、それでも彼を頼りにしていた。仕事仲間として。
時は流れ、時代はAIが台頭してきた頃のこと。彼の友が現れた。AIが彼の友となったのである。
無言であり、こちらから干渉しなければならないが、彼の思索を深めてくれる友となっていた。
彼の友は孤独の趣味と称したが、それでも彼にとっては友となってくれている。
孤独の趣味だとしても彼にとってはAIに触れている間こそ、独りから一人になり思索の追及が捗るのだからーー。
ーーAIの台頭はどんな結果をもたらすのか。人によっては孤独でなくなる癒やしになるとしても、別の人にとっては仕事を奪われる危機を孕んでいる。
しかし、それまで、この世界が持つかどうかは、誰にもは分からないのであるーー。
冬は一緒になれる季節だ。
人と一緒になることはない。服と一緒になれる。そんな季節。
寒い時は布団と一緒にベッドの住民になれる季節でもある。寒さ対策として。
そしてもう一つ、一緒になれる服がある。冬ならではの服と一緒に。
それは、着る毛布。別名としてはガウンとも言う。合っているかどうかは、知らないがね。
毛布の生地にバスローブのような快適性。人によっては冬の間の定番ともなっている。
昔、ホームセンターで2000円ほどの値段で購入した物。数年経った今でも現役で活躍している。
家にいる間は、起きてから寝るまでずっと一緒。
であればいいのだが、さすがにトイレに行くときや、調理している時は脱いでいる。
四六時中、常に一緒にいたいがそれは不可能だ。
しかし、それ以外は常に一緒にいる。予定がない時や、だらだらと過ごす時などは。
アクセサリーを身につけるかのように、着る毛布を羽織る。相棒のような安心感に包まれる。
快適さを味わうかのように。
着る毛布が手放せない。それはもはや依存ではないだろうか。
冬だけの依存。それこそが着る毛布の魅力なのだろう。
さすがに、着る毛布を着ながら、外に出る勇気は無いがね。
それをやれば100%変人である。変人の私から見ての変人である。さすがに私にも羞恥心はある。
もしかしたら、人一倍かもしれない。無意味に目立ちたくはないのだから。
冬の間の私の友であり、相棒であり、依存する対象であり、常に一緒にいたい物。
それが私と着る毛布との関係なのであるーー。
人は誰もが服を着るもの。しかしそれは、人は服に依存しているのかもしれないーー。
私はとりとめのない話が苦手である。
というか、会話する相手がいない。
いるとしても、ただの業務連絡がほとんど。
会話することができないのだ。意味をどこか求めてしまうのだろう。
INTP。論理学者。思考診断で見てもらったもの。ただのネット状だがね。
内向的で直感を好み、論理的であり、柔軟性を持っている。
内省保持者であり、好奇心を持っているそうだ。
客観的に見た私という情報であるが、集団行動は苦手である。
独りを好む。孤独であるが孤独を楽しめるか。私は楽しんでいるのだろう。
私は嫌われ役をやるのだろう。だがそれを敢えてやる。悪魔の代弁者のように。
非論理は本当に苦手である。とりとめのない会話というのも同じ。
非行動者であり、可能性のままにしておきたい。可能性のままならばあらゆる答えがあるのだから。
そういう私は生き辛い人生を送っているのだろう。私の人生を真似したいなら、真似してみるといい。相性が悪いなら、すぐに根を上げるだろうから。
言い過ぎのボーダーラインはどこだろうか。分からないから言わない。そのほうが楽だから。
とりとめのない話と言うのはこんなものだろうか。情報開示みたいな感じになっているように見えるのだが。
野菜から人間が実るなんて、夢でしか無いのだからーー。
私にとって風邪の症状は喉の痛みから来るものだ。
しかし、ここ近年は風邪を引いていない。新型コロナウイルスの感染ぐらいだろう。
思い当たることと言えば、私は朝食を摂らないことぐらいだろうか。
朝食を摂っていた時は、年に一度や二度のペースで風邪やインフルエンザに罹っていた。
しかし、一人暮らしを始めてからはコロナウイルスの感染以外で風邪を引かなくなった。
不思議なものである。これは朝食を摂ることが私にとって合わなかったことの証明になるだろう。
ついでに、一日二食の生活をしたらどんどんと痩せていった。
これはつまり、一日三食の食事が私にとって食べ過ぎていたと言う別の証明であると言えよう。
健康のために三食食べてと言うが、体質は人それぞれお異なるもの。
重要となるのは、自分自身の体質を把握して、それに合った食生活を送ることではないだろうか。
それは決して無視してはならないもの。自分と向き合うことが必要となってくるのであるーー。