――1000年先も私が残れば嬉しいわ
13世紀の西欧、夢見がちな彼女のためにその半生を賭けた画家がいた。
しかし半生といっても十年。
流行病で逝去した彼女は、享年25歳でその天才的とも呼べる画家の生涯を閉ざした。
展覧会で展示解説をされるような作品は良いものと相場が決まっている。そう言って私の連れは、学芸員を軸とした人混みに同化している。
絵画自体は何の変哲もない肖像画だ。齢15から描き始めたにしては些か写実的に“出来すぎている”が『天才』とその範囲で収まるものだろう。それに作者の日記が現存していることが、この絵画の文化的価値を上げているらしい。
この作品にこれ以上の説明が残されていないのか、学芸員は別の絵画へと進み始める。伴って人混みも横にズレていった。
「凄いわね……私はカメラでいいけど」
隣の連れが呟く。
現代っ子め。苦労したのに。
【1000年先も】2024/02/03
眠れないからと、敬愛する同じ軽音部の先輩がよく電話をかけてくるようになった。
夜型人間社不まっしぐらの私が「学校に行かなくても先輩と話せるなんて」なんて思っていたのとは裏腹に、事態は髄分と深刻だったらしい。
その事に気付いたのは私ではなかった。
「お前最近練習してる?」
ボーカルの男が言う。一瞬空気が凍った。このバンドの中で一番技があったのは間違いなく彼女で、今まで彼女の演奏が批判されたことなんて一度たりともなかったのだ。
それを最後に先輩は軽音部に来なくなった。ボーカルがなじられることはなかった。総意を彼が代弁したに過ぎない。程なくして私もサブギターの座を降りた。
――先輩が学校を辞めたと聞いたのはその一ヶ月後だった。
意味がわからなくて、説明してほしくて、ろくにアポも取らずに先輩の家に押しかけて、迷惑な馬鹿野郎だった。
インターホンを鳴らすと、案外すぐに扉は開いた。
お母さんでも出てくるかと思ったが、扉の向こうにいたのは先輩。
少し窶れただろうか。長く伸ばした髪が変に揺れている。
何か話さなきゃ、と義務感で口を開きかけたとき、先輩がぎこちなく口角をあげた。
「はじめまして」
ただの挨拶だった。
しかし私の呼吸は一気に詰まった。心臓が動いているか怪しかった。
彼女が間違いに気付いて私の名前を縋るように呼ぶまで、私はカラカラに乾いた砂漠の喉で笛を吹いていた。
『若年性アルツハイマー』
その病のせいで、人とコミュニケーションを取って生活できる状態にない。ギターは気力がなくなってやめてしまった。私が憧れたギターの天才は、もうこの病に殺されていると知った。
それでも私はその憧憬に縋ることしか出来なかった。
通い詰めた。何度もなんども。
最近は毎日のように私の名前を記憶から失う。
でも、今日は庭の話をしてくれた。ずっと前に埋めた勿忘草のこぼれ種が今も庭にたくさん生えていて、たとえ忘れてしまっても庭を見れば好きな花だと思う。好きだと思ったから調べて名前を知る。好きな花の名前を。
忘れないことが愛ならば、彼女は私のことを愛してなどいないだろう。
それならば、私はあのこぼれ種のように何度だって彼女の前に現れて、その愛を乞おう。
彼女が私を忘れて、また私と始めての恋をする。
忘れないでなんて言えない。だから会うたびに私について考えてほしい。私があなたにとっての何者なのか、あなたの庭に咲く勿忘草と同じように何度でも。
いつか私が、あなたにとっての勿忘草のように見れば好きだと分かるものになれれば、
それは何よりも愛だから。
【勿忘草(わすれなぐさ)】2024/02/02
勿忘草 私を忘れないで/誠の愛/汝、私について考えよ
※戦時的表現がアリ〼
おとなの戦争は難しくてよくわからない。だが、子供の戦争の火種は間違いなくぶらんこだ。
B29の煙が空に真一文字を引いている。
その空の下にぶらんこがあった。
少年はぶらんこを巡って殴り合いをした。
勝ったのは彼らで一番喧嘩の強い太っちょ、セキトリ、権力者。ガキ大将的存在であった彼はその下っ端と一緒にぶらんこに乗った。
ぶらんこは空襲で燃えた。
学芸会で劇をやった。日本兵が、アメリカ兵を打ち倒し、世界から国民を守る――。
そんな学校にもぶらんこがあった。
劇に触発された女生徒が、ルールを作った。彼女を守る、彼女にやさしいルールをみんなに提示した。彼女はひとりでブランコに乗った。
占領後、そのブランコにはアメリカ兵が乗った。
焼け野原の中にぶらんこがあった。
誰もぶらんこに乗れない。乗らない。
子供らしさの象徴であったぶらんこは、焼かれることもなく佇んでいる。
戦時に、子供は居ない。
少国民である彼らは戦争のもとに散った。
【ブランコ】2024/02/01
この少女には生まれてからこの方一度も捨てたことのない使命があった。
それは『箱』である。
鍵付きの一辺六平方センチほどの白い箱は、彼女が物心ついたときには持っていた物だ。
そして彼女にはこの箱ともう一つのものが天啓のように与えられていた。
手紙だ。
孤児であった少女の名前と、出生日。そしてどこかの住所。
施設の職員が、少女の家族がいることを期待してそこを訪ねた。しかし期待は大いに裏切られ、そこはとある日本の港町、その踏切。
しかし、路傍には枯れた献花のカモフラージュと共にラミネートされた封筒があった。
「国立国会図書館290」
それが少女の使命の始まりだった。
国立国会図書館の請求記号ラベル290番、一つではなかったその本のある一冊にまた紙が挟まっていた。
イギリスのロンドンから、太平洋の真ん中、名前のついてない島から閉鎖された炭鉱――。
辿り着けば紙は必ず見つかって、次の目的地も自ずと決まる。
放浪の旅は15年続き、成人を迎えて数カ月後、少女は日本の寂れた公園、その鉄柵が口を開ける獣道を歩いていた。
「某県の秘密基地」そう書かれた封筒は去年中国の農村で見つけたものだった。
そこで見つけたのだ。
それは簡単な花の装飾が施された、シンプルな鍵だった。
幾度となく偽物の鍵を掴まされたが、少女はそれに直感的に感じるものがあった。
これが少女の果てだと誰かが教えてくれているような不思議な感覚があったのだ。
チャック付きのプラスチック袋に入ったそれを開けて、鍵穴に差し込む。
ハマった。
その時少女を襲ったのは感動なんていうものではなかった。
手が震え、喉から引きつった声が出る。
少女は確実にこの状況に
――絶望していた。
旅路の果てに待っていたのは、究極の自由だった。
どこに行ってもいい。何をしてもいい。
5歳の頃から何もかもに指を差され、示されて15年生きてきた大きな少女にとっては、耐えきれない自由の空白がそこには広がっていた。
彼女は鍵を開けることはなかった。
そして、その後自由を享受することも――なかった。
【旅路の果てに】2024/01/31
あやつ何撮ってんの、えーこれはエモいわ、写真家じゃん――。
女子高生の写真フォルダは、かわいいスイーツと友達の写真。
お気に入りのプリクラ、たまにペット。そんなものだと思っていた。
写真部の定期発表、その写真の張替えをしていた。
『とまれの酸化』で標識の錆。今月は『不幸中の幸い』でシリアルミルク。それを話題にしているのが彼女の友人達、きらびやかなJK群。友達の作品だから、それだけの理由でここに立ち止まってみている。
「あ、ここが隠れミッキーってことじゃね!?」
「えマジじゃん! カワイー」
「……」
自分と違う人間を、ほんとうに受け入れるには時間がかかると思う。けっこう。
今が一番楽しい時なのにそんなこともったいないから、彼女達は改めて全部分かろうなんて思わない。
間違ってないと思う。青春ってそんな長くないし。
夕焼けが沈みかける空の地平線と、うろこ雲の隙間がすごく良く見えて、橋の上で立ち止まる。
俺だって俗に言う一軍の彼女のことは住む世界が違うと随分と避けていた。
でもこの景色は、この景色だけは、彼女に見てほしかった。
エモい、綺麗、やばい。単一な言葉じゃ嫌だった。彼女の綺麗な言葉で名付けてほしかった。
カメラを向けて、しっかり収める。
送信ボタンを押して逃げるようにアプリを閉じた。
【あなたに届けたい】2024/01/30
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