百瀬

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8/12/2024, 10:00:24 AM

「まさか本当に“天使”になるなんて、誰が思うんだよ」

その棺の蓋が固く閉ざされ、花一つ添えることも叶わず。男はただ静かに送り出すことしかできなかった。

持ち主を失った麦わら帽子は燃やされることなく、助手席に在り続ける。

8/6/2024, 9:58:40 AM

かつて人が行き交った水の都。
欠け落ちた柱は水路に突き刺さり、城は蔦に覆われている。通りすぎた戦禍すらも、過去のものになろうとしている。

「エノの傍は落ち着くんだ。苦しい気持ちも和らぐし、涼しくて心地いい」

騎士は見つめる。隣に座る魔女は、かつて仲間として戦っていた魔法使いだった。彼らは今、廃城の屋根に座っている。

「それは良かった……。その、ディートヒさんはどうしてこちらに?」
「俺のばあちゃんがここの出身でな。その、まぁ……あんまり長くないらしくて。もう一度だけ行きたいと言っていたらしい」

二人は辺りを見下ろす。建物や道路は根元から崩されており、辺りを歩くのは得策とはいえないだろう。

「さすがに箒に乗せるのは……どうしたものか」

悩む騎士の横顔、その向こう側の丘には教会が建っていた。

「ディートリヒさん、教会までなら移動できるかもしれません」
「そうか、そこがあったか。歩道も整備されているし……なんとかなりそうだ、ありがとう」

解決の糸口が見えたと同時に、澄んだ鐘の音が響き渡る。

「もうこんな時間か。どうした、エノ」
「いえ……なんでもありません。今日こんな風にお会いできたのが嬉しくて……」
「はは、まるでまた別れるみたいじゃないか。安心しろ、お前と一緒に西の森へ帰るつもりだ」

騎士は皆を逃がすために囮になり、姿を消した。生きているのが奇跡と言われ続ける中、魔法使いは奇跡を信じていた。堕落した仲間を戒め、ただ一人で依頼をこなし続けた。

「すまなかった。俺がいない間、ずっと一人で頑張ってたいたんだろう?」

魔女の頬に落ちた雫を、騎士は指でそっと拭う。

「帰ろう、エノ。お前には俺がいる」



『福音と雨音』
「鐘の音」

7/26/2024, 9:17:05 AM

「こんばんは、お嬢さん。月が綺麗な夜ですよ」

二十歳の誕生日を迎えた零時、開け放っていた窓。枠に収まるようにして、紳士は体を滑り込ませた。

「……ジャック?」

姿形など知らぬはずなのに、咄嗟に出た名前。親の目を盗んで交わしていた文通の相手。私と似た銀の髪に、透き通る青い瞳。臙脂色の外套を羽織る姿は、誰もがイメージする英国紳士そのものだ。

「えぇ。準備はよろしいですか?」

差し出された手を迷いなく取る。


『差し込む自由』
テーマ
「鳥かご」


7/4/2024, 9:48:27 AM

振り返ればアーヴィン教授がウィンクした。本当は手を握ってほしかったけれども、あいにくヴァイオリンで手が塞がっている。
舞台の中心に立つのは、アルトの魔女──教授のお母様だ。
「こうしてみると、母さんと綾音くんは親子みたいだね」
本当に?と聞く間もなく、袖は闇の中に去っていく。

この道の先に

7/3/2024, 3:04:35 AM

 快晴の空から降り注ぐ光が肌を焼き付ける。湿気を帯びた空気も相まって、体力が雫として流れ落ちる。病院と家、たまに買い物の日々。

「和泉くん?」 

 心臓が縮こまり、体に震える。前の職場の人間か、と恐る恐る振り返る。

「近衛……部長」

 日傘を差し、サングラスをしているその人は、かつてお世話になった上司だ。体はあまり強くないらしいが、仕事と気遣いのできる優しい人だった。

「覚えてくれていたんだね。あぁ、そうだ。日傘はいるかな、昨日忘れた分もあってね」

 差し出されるままに受け取るが、高価なものだとわかって今すぐに返したくなる。しかし、せっかくの好意を無下にするようで……。

「すみません、お借りします」
「良かった。暑い日が続くから、水分補給も忘れずにね」

 退職してから少し経つが、何も成長していない。そんな私を見て、部長はどう思ったのだろう。話を切り出したときも、寂しそうにはしていたが、引き止められることはなくて。

「和泉くん、また会おう。気をつけて帰るんだよ」
「はい……部長も、お気をつけて」

 借りた日傘を差し、影に守られながら家路につく。また会うといっても、連絡先も何も分からないというのに。

「……君のことをずっと待っているからね」


Title
『暑聴』

Theme
「日差し」

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