マグカップは英語圏ではマグ、で通じる。
うん、そうだ。マグショットのマグ……つまり顔だな。
ところで、そのマグはいつ買ったんだ?
……ほう、貰った、と。君の好む柄ではなさそうだが。ふむ、捨てるにも気が引ける、と。
それも一理ある。さてどうしたものか。
ひとまずは私が預かっておこう。気分転換に、新しいのを買いに行ってもいい。
『Boundary/Territory』
お題
マグカップ
こちらアーク、定期航行中です。
旧ギリシャ共和国上空、標高一五四〇メートル地点。天候は晴天。南西方向に積乱雲を確認しました。
観測装置は正常に作動しています。
「誰かいらっしゃいますか」
地下から命からがら逃げ出した。窓の外では雨が降っている。しかし、そんな中で聞こえてきた信号を、誰が無視できる?
「私はここに」
震える手で打ち込んでみれば、規則的な電子音が聞こえてきた。
『最後の希望』
お題
雨音に包まれて
いい香りの入浴剤のおかげもあって、ふわふわとした気分でいられる。
「おいで、乾かしてあげるから」
彼の長い指が触れて、髪を梳く。自分でも驚く程に指通りが良くなってる。
「いい香りだと思わないか。君によく似合ってる」
深く穏やかな声。耳にかかる息遣いすらも、心地良くて溶けてしまう。
後ろから伸びてくる手。
指には沢山の指輪が着いている。
「最後に人と話したのはいつ?」
その問いに答えることは出来なかった。ただただ、チェーンの擦れる音だけが響く。
彼らは冷たく、硬い。青ざめる唇が言葉を紡ぐことは無いのだから。
「今日は何をした?なんでもいい。話してくれ」
『その黒の主はだあれ?』
お題「さらさら」
『八足は七七の諸国巡り』
教本の文字は滑り
先生の言葉も曖昧だった
駄目な人間なのは自分がよくわかってる
瞼が上手くあげられない言い訳を探していた
夢を見た
動けなくなったあの子は
若い頃のように尻尾を振り
足取りは軽く
澄んだ目をしていた
ほんの一瞬
口を引き結んだ
立ち止まって
見慣れた足元と歩きだして行った
また会いに来てね。
しなやかな黒艶の毛は赤茶けて、四足には白い靴下を履いていた。
硬くも柔らかい毛だった。
それも、夜が明けたら、骨だけを残して灰になる。
犬は言葉を話せないから、その毛を撫でて感じていた。
それももう、出来ないというのか。
燃やしたくはない。あの子が本当にいなくなるから。
それでも、この暑さでは彼の体は早く腐り落ちてしまうだろう。それは私も、彼も望まないことだ。だから、覚悟を決めなければならない。悲しいことだけど、残しておくにはリスクが大き過ぎる。
抜け毛の始末は大変だったし、萎えることもあった。でもいざそれが無くなると思うと、悲しく思う。
幸せだった?
子犬のときから一緒だったら、私がもっと成長してから君を迎え入れたら
わからない。
でも少なくとも、君は心の支えになってくれた。ボロボロになったとき、そばにいてくれたね。
何か返してあげられただろうか。
病院にも、最期にも立ち会えなかった後悔は一生残り続けるし、私の心はこれから何度でも折れて壊れてしまうだろう。
固く乾いた肉球を拭いてクリームを塗りこんだ
肉球を覆うほどの毛を不器用ながらも整えた
決して触らせてはくれなかった歯を磨いた
外す機会を失った首輪を抜き取った
未だに流れ続ける血、その口元を拭っては敷物を変えている
決して出来た飼い主じゃなかった
もう生き物を飼うことはできないけれど
いつかまた会いに来てね
ずっと昔、押し入れの向こうから覗いていたように
きっと今は亡き祖父と楽しく散歩をしているのかもしれない
辛くなる度にもう二度と会えない、死んでしまったという事実をつきつけられ
そちら側に行ってしまおうかと
それでも生きて前に進まねばいけない
遺される悲しみは知っているし、やるべきこともやりたいこともまだあるから
明日は雨
どうか君が感じていた痛みや苦しみをすべて流してくれますように
またね、ハル
お題
そっと包み込んで
執着との境界線は何処にあるのだろうか。
ずっと考えていた。物語を描く昼時、眠る前の深夜。
誕生日も命日も何もない日も。答えはまだ出ない。
「大丈夫、彼はいつも君の傍にいる」
目線の先には、真っ白で皺のない制服。胸は生前より多くの勲章が飾られている。ならば、前を向いて歩くほかないのだ。
『錨を揚げよ』
お題「手放す勇気」