「行くかぁ、夏の忘れ物を探しに」
「……は?」
二学期の始業式から帰ってきてそうめんを食べ終えた中二の弟がそう言った時、ついに頭がイカれてしまったのかと思った。
今日から9月とはいえ、外気温は35℃を超えている。
残暑と言うには暑すぎる。というかまだ夏だろうと思わなくもない。今日が8月32日と言われても驚かないぞ私は。
それはともかく、弟はいつものカバンに財布とお茶を入れて外出の準備をしている。
私はそんな弟におそるおそる声をかけた。
「えっと……どこ行くの?」
「ん? 夏の忘れ物を探しに」
「ごめん意味がわからない。私にわかる言葉で言って」
弟は腕組みして何か考えた後、何か言葉が見つかったのか少し嬉しそうな顔をして口を開いた。
「セミとかカブトムシとかひまわりとか、夏といえば! みたいなものを探してくる」
「……探して、どうするの?」
「んー……今日から秋だよって教える?」
「なんで私に聞くのよ。というか外めちゃくちゃ暑いんだから秋って言っても信じないわよきっと」
「そうかもしれないけど、夏が忘れていったんだからちゃんと教えなきゃダメだと思うんだよね」
弟の言い分に首を傾げていると弟は「いってきまーす」と元気よく外へ出ていった。
残された私は弟の意味のわからない言葉を反芻しつつ、これが中二病か……? と頭を抱える。
「なんか想像してたのと違うんだけど……」
まあでも、痛々しいファッションとかこっ恥ずかしい言動とかじゃなくて良かった……のかな?
それはそれとしてしばらくは弟の言葉を翻訳しないといけないのかぁ……
今日は特別暑かった。そんなことを思いながらゲームをする8月31日、午後5時の私。
8月31日といえば夏休みの宿題に追われているイメージはあるが小学校時代の私はどっしりと構えていた。
宿題が全て終わっていたわけではない。むしろ全く終わってなかった。
宿題をやらずに遊び倒していたのだ。
親から叱られることも先生に怒られることも周りから嘲笑を受けることもわかっていたが、それでもやらなかった。
やる意味がわからなかった。そんなものをしなくても生きていけると本気で思っていた。
だから小学校6年間、宿題をやらずに卒業した。
たぶん2〜3年くらいは語り継がれてたであろう。ある意味伝説だ。
まあ今となってはただの負の武勇伝でしかないのだが。
もし、過去の自分に声をかけるなら宿題はちゃんとやれと言いたい。
頭が良くなるだとか将来のためだとか、そんな一般論を押し付けたりはしない。
ただ、宿題という簡単な〆切すら守れない人間だと失望され、努力をしない人だと、やりたくないことから逃げる人だと勝手に思われる……そんな人生を生きたいか? と説いたいだけだ……
僕たちは双子。だけど僕たちが生まれるずっとずっと前はひとりだった。
ひとりでいろんな所に行って、いろんな人と出会って知らないものを見聞きするのは楽しかったけど、やっぱりどこか寂しかった。
故郷はもうないし、親兄弟や幼なじみもいなくなったという事実がずっと心の中にあったんだと思う。
友達とか仲間とかにも出会えたけど、それでも寂しさは埋まらなくて、どうしようもない孤独感に苛まれていた。
だからついに寂しさに耐えきれなくなって、湖に身を投げた。
次生まれ変われるのなら、ひとりじゃなくてふたりがいい。そう願った。
それを神さまが聞き届けてくれたのかどうかわからないけど、今世では双子になった。
兄は前世のことなんか覚えてない。いつも自信満々に笑って僕のことをグイグイ引っ張っていく。
まるで全てを失う前の自分を見てるみたいでちょっと眩しくなる。
僕がそうしていると兄はいつもニカッと笑ってこう言う。
『そんなしょげた顔するな! オレとお前は文字通り一心同体だ! 生きる時も死ぬ時も同じ、どこに行くのだって同じ。
こんな双子、なかなか滅多にいないだろう?
オレたちは特別だからな!
誰に何を言われたっていいさ。ずっと二人のオレたちが羨ましいだけに決まってるからな!』
そして僕の背中をバンバン叩くのもお約束。その度に僕は痛いと言いつつも、内心はとても嬉しかった。
兄はずっといつまでも僕を受け入れて、僕の味方でいてくれる。
人とは違う僕たち。ふたりになりきれなかった僕たち。
そう、僕たちは結合双生児。
僕と兄の腰の辺りから僕の右足と兄の左足までがくっついた状態で生まれた双子。
だからこそ今世は寂しくなんか、ない。
田んぼのあぜ道、鬱蒼とした森、何かが祀られている祠。
輝く月、煌めく星、木に覆われた山、目には見えないけど暗闇の中で確かに存在している何か。
朽ちた建物、侵食する植物、かつて文明があった場所、こちらを見ている視線。
……心の中の風景はまるでアニメやゲームの一枚絵のように鮮やかだ。
ただ、そこに生き物らしい生き物はいない。
でも何かはいる。何かはわからないけど、確かにいる。
だけどおそらく怖いものではない。まっくろく◯すけみたいなものだろうから。
もしかしたら違うかもしれないけど、私はそう思ってる。
青々と風に吹かれて揺れている一面の草原。
そこで麦わら帽子を被った少女が木の枝片手にてくてくと歩いていた。
だが急にひときわ強い風に吹かれて麦わら帽子が飛んでいく。
ポカンと口を開けた少女がふと弾けたように帽子を追いかける。
だけど風に乗った帽子はぐんぐんと空高く飛び、どこかへ消えてしまった。
少女は手を伸ばし悔しそうな顔をして草原へふて寝する。
夏草の香りに包まれ、いつしか少女は眠ってしまった。
少女の見る夢はどんなものだろう。
過去の夢か、現在の夢か、未来の夢か。
私には知る由もない。ただ、少女の顔は幸せそうだ。
ここで何があったかなど何も知らない無垢な顔。
今はまだ、それでいいのだろう。