子供の頃の私は、魔法はいつか使えるものだと信じていた。
だから魔法が使えるようにいっぱい練習した。
しかし現実にはマナエネルギーもマジックパワーもないから魔法は使えないことを少しずつ悟っていった。
それでも魔法は憧れだったけど。
だけど、もし子供の頃の私が現代にやって来たら魔法はやっぱり存在するんだと目を輝かせたことだろう。
だってこうして光る板をなぞるだけで文字が打てて、その文字が日本中、世界中に公開されるのだ。
しかもわからないことを検索したらある程度の情報も出て、ゲームだってできる。
それに時刻を知ることや、電卓機能に歩数計、動画に音楽だって聴くこともできる。
なんでもできる光る板なんて、本当に魔法みたいじゃないか。
あの日のことを覚えているだろうか。
僕の家で一緒にゲームをしてたらゲリラ雷雨が降ってきて、慌ててセーブして電源を消したよね。
君は雷が苦手で雷鳴が轟く度に小さな悲鳴をあげて震えていたね。
僕はそんな君を抱き寄せて、落ち着けるように君の手を握っていたんだ。
しばらくして雨も雷もやんで、ふと窓の外を見たらとても大きくてはっきりした虹があった。
君と見た虹はあれが初めてだったけど、今でも目に焼き付いて昨日のことのように思い出せるよ。
……また、見られたらいいな。
今度は二人じゃなくて、三人でさ。
「ねえねえ、夜に凪いだ湖の上を走れたらまるで夜空を駆けてるみたいでロマンチックじゃない?」
部室で本を読んでいると超唐突に先輩からそんなことを言われ私は目をパチクリさせる。
先輩はちょっと天然でマイペースで結構突拍子もないことを言いがちだ。だけどまさか本を読んでいる時に声をかけてくるとは思わなかった。
とりあえず読んでたところを指で挟んで先輩の方を向く。
「はあ……いきなりなんですか?」
「さっき歩いてる時に思いついたの! 夜空を駆けるなんてどうやってもできないから、それならできるんじゃないかって!」
「……湖の上をどうやって走るんですか。凍らせるんですか。それとも忍者みたく水蜘蛛を使うんですか。
あれ走れないですけど」
「うーん……現実的に無理かぁ。じゃあ夜の水たまりでいいや。
……いや、夜のウユニ塩湖っていう手も……」
ぶつぶつ言い始めた先輩を尻目に私は読書を再開する。
変人に片足突っ込んでる先輩だけど、私はこの人のことなんだかんだで好きだし尊敬してるのよね。
だって、二人しかいない文芸部をどうにかして存続させた人だもの。
この想いは誰にも知られちゃいけないの。
この想いは墓場まで持って行かなくちゃいけないの。
私の大好きな人が血の繋がったあの人だってことは。
同じ家で暮らしてていつも遊んでくれる。好きになるのに時間はかからなかった。
許されないことはわかってる。充分過ぎるほどにわかってる。
だからこのひそかな想いは誰にも告げてはいけない。
成就させてはいけない。
だから私が願うのはただ一つ。
あの人が私以外の人と幸せになりますように。
とっておきのロイヤルミルクティー、そして自分のご褒美用のクッキーを名前も知らない女の子に差し出す。
女の子、といっても高校生くらいの子だ。目力の強い凛とした雰囲気の子。
どうしてこうなってるのか。そんなの私が一番知りたい。
女の子は恐縮しながら一礼してズズズと飲み干した。
いい飲みっぷりだなあと思いつつ紅茶ってそう飲むものだっけと考えてしまうのは私のこれまでの価値観からだろうか。
「……で、あなたは誰なのさ。あの手紙に書いてあったのが真実だとして……本当に私の娘なの?」
そう訊くと女の子は少しだけ目を伏せて静かに語った。
「……疑う理由もよくわかります。だって私はまだこの世に存在していない人ですから。
お母さん直筆のあの手紙だけが私を私だと証明してくれる唯一の物。
……信じられなくて当然ですよね。
でも本当なんです! 私がここに来ることでお母さんは助かるって……」
そう言う彼女の目にはうっすら涙が浮かんでいた。
未来の私はこの子を悲しませるようなことになってるのだろうか。何かの病気とか?
……私、いたって健康体なんだけどなあと心の中で呟きつつ私は女の子の目を見据える。
「わかった。言いたいことも聞きたいことも山ほどあるけど……とりあえずはよろしくね」
「あ、ありがとうございます!」
私に頭を下げて女の子は安心したように笑う。
……未来の娘と共同生活がこれから始まるのか。
まあこれはこれでおもしろそうだと思ってしまうのは持ち前の好奇心からだろうか。
あの手紙には未来のことを知ってはダメとか書いてあったけど、娘のことを知ってはダメとは書いてなかった。
これから少しずつ知っていこう。私のことも含めてね。