朝が来た。と思った。
寝転んだまま右手を伸ばし、カーテンを開く。不思議なことにあるのは街灯の光ばかり、ビルを覆う窓は灰色で、随分遅い時間に思えた。すっとため息を吐いて、再び床に着くが、拍動が誰かに叩かれてるようで、少しも収まる様子はなかった。
仕方ないと、いつもの習慣をしようと立ち上がる。コーヒーを挽き、ドリップの間に飯でも作ろうと、冷蔵庫を開ける。
私は目線を落とさないようにして、卵とベーコンを取り出した。
ベーコンが塊のままだったので、包丁で切ろうとしたとき、あることに気づいた。普段使っている包丁がないのだ。
切れ味も良く、肉を切るのに最適な大きな包丁。どこに無くしたのか。
シンクにも、棚を探しても入っていない。
一体どうしてしまったのか。
へばりつくような汗が流れ、悪寒が走る。
頭に浮かぶ忌まわしいものがゆっくりと溶けて、その感触を想起させた。
私は風呂場に向かった。刃こぼれした包丁に黒いものがべっとりついている。
それから、私の眠れない夜がはじまった。
『眠れないほどに』
ーいつからだろう。
空の光に当てられて、肌から玉のように汗がこぼれ落ちる。ドロケイ、アイツはいつも遅かった。俺から必死逃げようとして、結局フラフラフラして捕まる。
「お前体力ないなぁー」
「ははは、そうかも」
息を切らしながら、はにかむアイツ、
「そんなんじゃ、いつまで経っても俺に追いつけないな」
あの頃は、楽しかった。
一緒に研究者になるとか言って、大人ぶってわからない政治の話。図鑑の中の虫を見せて、こんな種だって語り合った。
高校三年、最後の春、今日は運命の日。
俺はダメだった。LINEがきた。心底恨めしくなった。当たり前だ。
アイツは進学校、俺は普通。
目標を決めて、反省して、サボらず努力して、毎日毎日繰り返す。至極当然のことだけど、すごく難しいこと。
わかってる。でも悔しかった。
月日が流れ、酒が飲めるようになった頃。
俺は夢を諦めた。
『距離』
※投稿予定のものが消えました。ついでにやる気も消えました。なので短いです。
皆さんはちゃんと保存しましょう。
ーテレテテテテ、テレテテテ
無意識に手を伸ばし、音の方向を向くこともなく、スマホの画面を適当に押す。
喧しい音は一旦は収まるが、再びやかましくなった。もう一度止めようと試みたが、
もう学校行く時間よーと、母の声が聞こえたので、仕方なく、居心地の良いものを手放した。
「寒い」
寒気に堪えつつ、制服に着替える。
ふと、目に入るゴミ箱には、くしゃくしゃになった十二月という紙があった。
なんだか眼元にじりじりという感覚がやってきたので、洗面所で必死になって顔を洗った。頬から落ちる水滴が、目元の腫れを洗いながし、少しマシな顔になった。
ついでに床にそのままにしておいたルージュをとって、元の場所に戻した。
いつも忙しいのに今日は朝ご飯を作ってくれたみたいだ。母は、いつものスーツに着替え、そろそろ出かけるというところだった。
「おはよう、昨日よりは落ち着いた?」
「また何かあれば、お母さんに言ってちょうだい。私はあなたの味方だから」
「うん大丈夫、ありがとう」
母は靴を履いたところで、思い出したかのように振り返り、一言付け加えた。
「次はきっと良い出会いがあると思うわ」
幼稚園児にでもかけるような優しい声、
ほんの少しだけ、胸にあった重いものがとれたような気がした。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
机の上の目玉焼きとご飯を黙々と食べ、
昨日こっぴどく振られたことを思い出す。
私というものがありながら、別の女を作った男。
本当に、ありえないくらい好きだったけど、今思えば、何が良かったのかわからない。
強引なところ?優しいところ?スポーツ抜群なところ?全部そう見えているだけで、
よくよく考えれば、他の人と大差ない。
優しさなんて、うわべだけで、いつも私は彼に従っていたような気がする。
まだもやっとする。
再びアラームが鳴り響く。
もう学校に行かないと。
「いってきます」
誰もいないけれど、まるで強がるみたいに声を張って、私は走った。
吹く風はとても冷たくて、だけど陽射しはさしていた。
『冬のはじまり』
落ちた。落ちた。
必死だった。がむしゃらにやった。
好きなもの全部、預けた。
人生の100分の1、捧げたつもりだった。
ダメだった。何度見返しても変わらない。
終わりだよ。
飽きた。部屋にいるのに飽きた。
夕陽が浮かんでいる。まだ眠い。
疲れた。何もしてない。
お金が欲しい。無尽蔵の無駄を捧げて、
僕は見つけた。
最期に空が見れてよかった。
跳んだ。0.4秒。大差ない。
押した。1.0秒。支障あり。
飛んだ。2.0秒。動かない。
人員不足。短期ですぐに終わります。
水仙の絨毯が敷かれた原っぱに、どこまでも続く、深い深い穴がある。
花畑の中心を引き裂くように、垂直へ伸びていて、動物たちが落ちることもしばしばある。まさしく、草原のクレバスなのだ。
このクレバスは、秋と冬の移り変わりの時期にのみ、その大口をあけている。
雪が降る頃には、すっかり消え失せる。
最初からそうであったかのように、ただの花畑に戻るのである。
何故、穴はそこにあるのか。
誰が、何のために、どうして、そこに穴を作るのか。
ある人は言った。
穴は冥府への道であると
風がまだ穏やかに吹く、冬の移り変わり。
穴の近く。一人の少女がいた。
一つ一つの水仙を楽しげに摘み、
花冠を作っている。
変わらず穴は、何一つ見えない暗闇である。
獣の息遣い、叫び声。水の音、車輪の回るような音。暗闇にあるのは、それだけである。
暗闇に浮かぶ二つの双眸。瞼に水が溜まっていて、少女を見つめている。
健康的に焼けた肌、純粋無垢な少女の姿。
その笑顔は太陽のようで、彼にとってはひどく眩しい。
羨ましく思うのだ。ここには輝くものなどない。悲しみ苦しみばかりがある。
希望が欲しい。あの太陽の如くの少女なら、あるいは…。思わず手が伸びていた。
しかし、その手は届かない。
幼子の手を引く母の手で、世界は再び闇へと還る。
『冬になったら』