たった一つだけ願いを叶えていい。
そんなことを急に言われた。
高校の仲が良いわけでもないクラスメイト。無口なやつで、入学当初から誰かと喋ってるとこを見たことなかった。
成績もそこそこで中の中って言い方は変だけど、平凡だった。
でも、たった一つ、変なところがあった。
シャーペン、教科書、消しゴム。
必ず何か文房具なり何なりを忘れてくる。
弁当すらないこともある。
しかもそれを誰にも言いやしない。
教科書を忘れたって、さも当然かのように読み上げろと言われたところを暗唱して、ノートを取る。
ペンがなくても、握り拳を作って、書くみたいに動作する。
アイツには何が見えてるのか、ちゃんちゃらわからない。馬鹿な連中が揶揄いで物を盗んだり、弁当取ったりしてたけど、表情一つ変えやしなかった。
いつしか不気味だ不気味だと噂になって、本当に誰一人声もかけなくなった。
俺はアイツに声をかけるようになった。
純粋に興味があったからだ。シャーペン貸したり、からかいを止めたりしてやった。
でもアイツは感謝の言葉ひとつ言わず、ニタニタ笑うだけだ。
ある日、アイツに突然呼び出された。
驚いた。正直、遊びに誘ったり、提案をしてくるような奴じゃないと思ってた。
恐る恐る屋上に行くと、アイツはこう言った。”僕は神様なんだ。君は僕に親切してくれた愛深い人間。たった一つ、願いを叶えてあげる”
あまりに唐突だったもんだから、思考が止まった。で、人間ってほらマジでよくわからないこと言われると脊髄反射で答えちゃうだろ。で、それで出した答えが。
“消えてくれ”って言っちゃったのさ。
いや、だって、そんな気味の悪い神様嫌だろ。ニタニタ笑ってさ、人を試すようにしたつもりなのか知らないけど、無意味にもの忘れてさ。
普通に迷惑だし、怖いだろ。
アイツはわかったって言った後、本当にその日から来なくなったんだよ。
そしたら、起きた時にびっくりしたの。
何も見えないの。マジで何も見えないの。
ほら、昔の偉い哲学者が言ってた名言あるじゃん、我思うゆえに我ありって。
そんな感じ。我以外どっか行っちゃったみたいだけどね
『たった一つ』
好きじゃないのに
私はいま学校に行っている
好きじゃないのに
私はいま仕事をしている
人生を生きるためには、
何かしていかないといけない。
そこに好き嫌いの有無は関係ない
生き物だから
食べなきゃいけない
寝なきゃいけない
好きじゃないけど、やらなきゃいけない
なら、我慢した分、ちょっと素敵なことをしましょう
空を見る、ゲームをする
本を読む、友達と話す
なんでもいい
そればかりでもダメだけど、それがあると何だか楽しく過ごせる気がします
私はだから、あまり上手くもないギターを今日も飽きずに弾いているのです
《冬晴れ》
一月はじめの年初め、五日も過ぎて、
静かだった街も少しずつ活気が出てきた。
昼下がりに店も大賑わい。
サラリーマンやOLのすがたも目についてきて、季節はすっかり様変わり。
今日は冬晴れ、暖かい空気が流れている。
街路樹は、小さな蕾を作りだし、温和な気候を目印に、一斉に春を告げる準備をしている。
そんな街を見て、私は一人、夢想する。
「今年はどんな年になるかな」
そうして、自分が今更、年を越したことを実感したのかと、何だかおかしな心持ちになった。思えば、いつもそうだ。
時計が変わるだけじゃ、何だか味気がない。
周りが動いて、はじめて時は動き出すものだ。
《幸せとは》
「幸せって何だと思う?」
「こうしていることかなー」
正月休み、二人で炬燵に入りながら、
ダラダラと手を伸ばし、籠に入った蜜柑を食べる。
「いや、そういうんじゃなくて」
「じゃあ、どういうのだ。定義的なやつか?そもそも何でそんな質問をするんだ」
「いやほら、最近よく聞くじゃない。
自分のやりたいことがわからないみたいな話
私の同級生にもそういう子がいて、質問されたのよ」
「ふーん」
彼は上体を起こし、テレビをつけた。
俳優のドキュメンタリー番組がやっている。幼い頃に子役として出演し、苦労の末に海外の大学に出て……など、調べたら出てくるであろうことをドラマチックに描いている。
「見落としてしまうものかな」
「見落とす?」
「例えば、料理が好きで料理人になった人がいたとしよう。調理の過程が楽しくて、その子は必死に頑張って、料理人になった。
だけど、効率化を求めるうちにその過程が楽しいものじゃなくなっていく…。
そうして、何故、料理人になりたかったのか忘れてしまう。
その上、今はSNS全盛期、
同世代、もしくは下の世代の誰かが自分が大したものを作れなかった頃に、もっと美味しいものを作ってる。そんなのを簡単に見れてしまう。」
「人間は相対的に価値を判断しがちだから、
いつしか自分の幸せを見落としてしまうのさ。」
何となく、気まずい沈黙が訪れる。
彼は再び体を倒して、ごろごろとした。
「人なんて、それぞれなんだけどね」
「全くだ」
テレビを消し、もう一度寝転ぶ。
今度は会話もない。
ただ、暖かく、寝転んでいるだけ。
でも、何となく幸せだなと思った。
冬も近い、十二月の中頃、
今年は、暖冬で地方もなかなか雪が降らず、過ごしやすい気候が続いている。
長野、浅間山の低地帯も同様である。
今朝は雨が降ったため、突き上げる山脈に霧の海ができていた。木々には朝露が滴り、冬とは思えぬほどの暖かさである。
その山の中、ある木々の集団があった。
まっすぐに伸びた枝の端々に、齧られ、皮を垂れる実が一つ、二つ、三つと並んでいる。
不意にぽとりと木の実が落ちると、下にあった落ち葉の山が小さな渦を作って散りぢりになった。かつての小山は崩れ去って、一匹のヤマネが残った。
薄灰色の毛、背中に筆で塗られたような一本の直線が頭から尾にかけて続いている。
彼は背中を曲げ、尾で顔を覆って眠っていた。
時が経ち、葉の隙間から陽光が差し込んでくる頃に彼は起き上がった。
しばらくは呆然とし、動きは緩慢であったが、果実に気づくと憚ることなく齧りついた。そうして彼は体の熱を取り戻すと、は背後の木へ飛びついて、森の中へ姿を消した。
粉雪の降る。一月の暮れ、
雪が辺りを覆いはじめ、木々は装いを失って、代わりに白く染まっていた。
その森を一匹、走るヤマネの姿があった。
彼は枝から枝を飛び移り、何度もあたりを見渡し、食糧を求めていた。
しかし、既に冬は深まり、葉も実もどこにも見当たらないのである。
仮に何層にも積もった雪道を、当てもなく掘ろうとも、既に痩せていた彼には些か厳しいことであった。
とうとう彼は動きを止め、枝の頂点に座ると、ただ呆然と空を眺めた。
そこに太陽はなく、鬱蒼とした雲ばかり、
無情な雪が彼の顔に注がれるのだった。
彼は木を降り、生きるために駆け出した。
一心不乱、何度も雪を穿ち、食べ物を探した。それはまさしく、灯火が消える間際の蝋燭の如く、命の懸命たるあがきであった。
いつしか雪は吹雪となった。
彼は辛うじて見つけた
ドングリを口に目一杯頬張ったまま、木に張りついていた。
ますます強くなる暴風は、彼を無情にも吹き上げた。寸前、彼は祈りを込めるように、体を折れそうなほどに丸まった。
轟々とした雪や枝すら吹き上げる竜巻の中へと彼の体は消えていった。
朝が来た。吹雪は止み、陽が空に浮かんでいる。影がしばらくそれを見つめていたが、
木から落ちた雪の音に驚き、すっかり樹洞に隠れてしまった。
陽の当たる雪原は、淡く反射して輝いていた。
『雪を待つ』