「ひっぐえっぐ」
山の中、一人泣いていた。
空に届くほどの杉木に見下ろされ、
足は赤く腫れていた。
森に響くのは木々を揺らす風の音か、鳥の声くらい、慣れ親しんだものは何処にもない。
遂には涙も枯れて、木陰に身体を休め、下を向いて考えた。
このまま誰も来ないんじゃないか、熊に食べられてしまうんじゃないか
思わず声が漏れた。
「かあちゃん…」
ぱりぱりぱり
音がした。
顔をあげた先には
黄色に一本線を引いたような眼、
毛むくじゃらで土だらけの体の猫が、
睨みつけていた。
「何だよ…」
「あっちいけよ」
小石を拾い上げ、ひょいと投げた。
石は猫の横を通り抜けて、転がって、
驚いたように猫は走っていった。
顔を膝に埋める。
ぱりぱり
あいつだ。見上げると、
今度は見せつけるようにトカゲを咥え、
立っていた。トカゲはじたばたと
待つであろう未来から、逃れようと抵抗していた。
「お前の自慢は俺にはわからないよ」
「ほっといてくれ」
猫はふんと鼻を鳴らして、トカゲの身体に牙をかけた。その身体はだらりと垂れて、動かなくなった。
猫はポトリとそれを落とした。
思わず、目をそらす。
「いらねぇよ」
猫はすぐに平らげた。
「おれはそうなんだ、一人で山行って、大丈夫だって、でも迷って、ここにきたんだ」
猫は興味なさげに、舌を伸ばし、
体を舐めている。
「おまえ、道知らないか」
猫はその辺にいた蝶を掴み、またむしゃむしゃとしている。
「おまえも独りぼっちなのか」
猫はその辺の草を噛みちぎっては捨てている。
ここまで無視されると、流石に腹が立ってくる。それに猫の癖に鳴きもしない。
ちょっと考え、近くの草を手に掴み、猫じゃらしみたいに振ってみる。
猫が振り向いた。
きた!抜き足差し足、慎重に近づいて
ばちん…!
枝毛のような虫が潰され、動きを止めた。
猫は満足そうに頬張った。
こいつ、俺をいないものみたいにあつかって、なんなんだ。
それからムキになって色々した。
触れようとして、するりと避けられ、
丸みのある石を投げてみたり、
昆虫を餌に誘ってみたり、
その度、その度、猫は別のことをした。
でも、そこから離れようとしなかった。
流石に疲れ、気を引くのを諦めた頃には、空はオレンジに染まって、ひぐらしが鳴いていた。
そして、すっかり忘れていた自分の境遇を思い出し、またなんだか心細くなった。
木に寄りかかると、
猫は勝ち誇ったように目の前に立ち、手を舐めた。
「おまえには負けたよ」
「ひとりでも、何でもできるんだなおまえは、本当にすごいよ」
猫は何か気づいたのか、
じっとこっちを見つめてくる。
その瞳は大きく、本当はなにをみてるのかもわからない。
けれど、何だか寂しそうな感じがした。
突然、猫が駆け出し、森に消えていった。
落ち葉の音におーいと聞こえた。
抑えてたものがあふれ、必死に返事した。
走って、母へ抱きついて、
情けなくおいおい泣いた。
こつんと頭を叩かれ、ぎゅっと抱きしめられながら戻るとき、
どこからかにゃあと聞こえた気がした。
【ふたりぼっち】
私は彼のことを見つめてました。
口下手で吊り目、喋り方はもごもごしてて
いつもヘラヘラ笑ってる。
「気持ち悪いな」
そんな私も人のこと言えません
吐く言葉は嘘だらけ
先生…歌手…虫博士…
夢物語、ハリボテの熱意で取り組んでは空回り、何もかも上手く行った未来を夢想します
何かを暴き、賞賛を受け、
流暢な英語を話す私
例え話と、面白いエピソードを絡めて授業をする私
大勢の観衆の前に、ギターを弾きながら熱唱する私
きもちわるい
叱責される研究者、スマホを見る生徒たち、苦笑いのプロデューサー
夢が醒めたらこんなもの
思考を停め、私はまた夢を書くのです。
『夢が醒める前に』
夕立が空を覆って、街を眺めている。
大慌てで軒下に向かう人、余裕綽々に傘を掲げ歩く人、気にも留めず進む人。
夕立はそこに珍しいものを見つけた。
柵に囲まれた開けたコンクリートの上、
一人でたたずむ少年がいた。
彼の服はずぶ濡れで、その身体は震えていた
「こんな日に、なぜあんなところにいるのだろう」
その場所にこんなに長くいる人を、夕立は見たことがなかった。
少年はしきりに街を見つめては、首を振る。
顎に手を当てて考え込んだかと思うと、
次に頭を抱えて柵にぶつける。
「そうかわかったぞ、
あいつは死のうとしているんだ。
俺がいる季節は皆元気で、なかなか見れるもんじゃない、しばらく眺めてみよう」
足を挫く、爪を噛む、髪を掻きむしる。
頭を抱える。
いつしか夕立は、そんな彼の行動が雨に反応する人々のそれよりも、ずっとおもしろく見えるようになっていた。
そして、ついにその時は来た。
少年はボロボロの靴を脱ぎ、すっかり紫の唇に、大きく息を吸い込んだ。
柵を越えて、下を見つめ、飛んだ。
瞬間、少年を風が攫った。
緩やかな軌道を描き、ゆっくり街へと下ろされる。
少年は眼をぱちくりさせて、キョロキョロと見渡した。
「こんな面白いやつ、死んでちゃもったいない」
夕立はすっかり消え失せて、
空は赤音色の夕陽を灯した。
『たった一つの希望』
ここは暖かく、輝いている。
慎重に足をかけ、実った果実を手に取り齧る。
甘くて優しい味がする。何度食べても飽きないものだ。
突然、何かが足を引っかけた。脚がもつれ、倒れる様に落下する。
幸い、柔らかい草木がクッションになり、怪我も痛みもなかったが、果実は潰れてしまった。
犯人を探そうと眼を凝らすと、見下すような瞳があった。怒った猫の威嚇みたいにシャアシャアと声を鳴らした後、
影は姿を現した。
蛇だ。
「人が食べてる時に酷いじゃないか、何様のつもりだ」
「お前こそ、勝手に庭に入った挙句、
毎日毎日そればかり食べて、少しは謙遜の心を持てないのか!」
蛇は大きなとぐろを巻いて言った。
「何だってんだい、そう言ったって、ここには腐るほど果実があるじゃないか、
お前は蟻にも敬意を示すのか?
数え切れない、一つ一つに感謝して生きるのか?」
「そうじゃない!蟻自体は、我々が生きるために必要か?
必要なものにはどんなに数あれど、敬意を示すべきだ!」
議論は陽が出て落ちるまで続いたが、結論はでなかった。疲れ切った両者は、木陰に座り込み、話し合った。
「そもそも、なんでここにはお前しかいないのさ」
蛇は応えた。
「神様が見捨てたからだ、いや、もう神様はいないからかもしれない。
ただ、お前はここにいるべきでないということだけはわかる」
思案し、考えがまとまったので答えた。
「神様はいないんじゃなくて、楽園がいっぱいあるんだよ、ここもきっとその一つ。
お前は多分、葛藤か何かなんだ。」
話してるうちに蛇は消えていた。
それと一緒に輝きも温度も消えていた。
目から溢れそうなものを抑えながら、
そっと瞳を開いた。
【現実逃避】
帰り道、鬱蒼とした林ばかりの獣道じみた場所。ここを通る度、私は子供の頃を思い出す。
ワクワクと山道を探検し、法律の事など知らず、勝手に作った秘密基地。
私に優しさを教えてくれた母、口うるさい父の姿。
懐かしい想い出は、どうも色褪せて見える。
「今日は、随分と風が強いな」
森全体を揺らすほどの突風に、はためく服。
土くれがぼとぼと落ち、小さな音楽を奏でる。汗水と血が乾き、涼しさを伝える。
ふと、立ち止まり空を見上げた。
快晴、雲一つない夏空だ。
私の心もそうだと思った。
荒れていても、何処までも晴れやか。
重いが、来た道よりも軽やかな足取りで、私はいつもの帰路へとついた。
------------------------------
ー二週間前から行方不明になっていた。〇〇市に住む女児、ーさんが遺体で発見されました。警察は現在も捜査を続けておりー
テレビを前に泣き腫らす女を前に、
空はとても晴れやかだった。
【物憂げな空】