【善悪】
『お疲れ様でーすっ!』
殺風景な部屋の中に弾んだ声が響き渡る。
パソコンに向かっていた1人の若い男性は顔を上げ、ビニール袋を下げてこちらへと歩いてくるもう1人の男を見やる。
『おう。差し入れか。ありがとな。』
『いえ。先輩も少し休憩しましょう。』
真っ白なデスクの上に黒のパソコン、ホワイトボード、白い蛍光灯、白い色の部屋。
白黒で統一されたシンプルな此処は、東京都千代田区にある都道府県警の連続殺人事件捜査本部だ。
連日の聞き込みと地道な調査により疲れ果てた捜査員達は仮眠室にて仮眠をとっている。
彼らは交代した捜査員の中の1人だ。
『んぁーっ、、きちぃなー。』
2人はサンドイッチを頬張りながら小休憩を挟む。
『ふー、、此処の防犯カメラにも映ってないっすねー。』
食べながらチラリと見るのはダンボールに入った大量の防犯カメラの記録CD。
『あとこれだけあるー、、』
絶望に似た声を漏らしながらも自分に喝を入れるようにして立ち上がり、大きく伸びをする。
もう1人も隣へ座り、仲良く2人で防犯カメラの確認に戻った。
『やっぱり何処にもいなかったですねー。黒スウェットの男。』
彼らが血眼になりながら探しているのは、今回の八王子連続殺人事件の容疑者候補、波沼だ。
というのも、彼が何故容疑者に上がったかと言えば、彼が必ず事件の日に現場に映っているからだ。
それだけで彼は疑われている。
警察は無能だと思っただろうか。
いいやそれは違う。
それしか手掛かりがないのだ。
それほどに狡猾で、陰湿な事件。
殺されているのは大企業の重役ばかり。
警察は怨恨の可能性も見ているらしい。
え?俺は誰かって?
たった今、先輩にサンドイッチを差し入れた沼野だ。
初めて先輩と会った時は、冴えない人だったから大丈夫かななんて心配していた。
実際ミスも多いし、よく上の人から怒られている。
でも、彼の観察眼はずば抜けていると思う。
この前だって、聞き込みをした時に話した人が犯人だと1発で見抜いていた。
だから俺は気をつけなければならない。
今回だけは、失敗したらボスから殺される。
"俺が殺人事件の犯人だと、知られてはならない。"
殺した理由はボスの指示だ。
どんな人でも殺す。
俺は子供の頃から育てられたプロの殺し屋。
つい2、3年前、この連続殺人の計画が始まった。
まずは6ヶ月間、警察学校で警察官になるために訓練を積み重ねた。
そこから出世を重ねて捜査一課へ配属された。
先輩とペアになったのはつい3ヶ月前。
俺のキャラは気さくで明るく、苦労を苦労と思わないポジティブな人間。
次に殺すのは10日後。
それまで証拠も何も出さずに逃げ切ってやろう。
ところでみんな、この世に善と悪が存在するのは知ってるか?
俺はよく思う。
善と悪は人によって変わるのだと。
例えば、親切心で浜辺のゴミ拾いをした。
だが、実はそのゴミはゴミではなく、何かに使う大切な物だった。
前者の方は善行だろう。
ゴミ拾いを進んでする。なんて心の優しい清らかな人間なのだろう。
後者は悪行だ。
ゴミと判断し、使う予定だった恐らく持ち主にとって大事な物を捨てた。
俺の場合は、殺すことで喜ぶ人がいるから善行だ。
先輩達正義のヒーローから見れば、それはたちまち悪行へと変わる。
人を殺すことは一般的には良くないとされている。
だが、俺にとってはそれが"善"なのだ。
みんなには"悪"にもとれるその行動は、人次第で"善"へと変わる。
何が言いたいかって?
俺は善行をやっている極めて善良な人間なんだってことさ。
今回も上手くやるよ。
俺が思う善行を。
【神様へ】
『あそこの教会のシスターさん、信仰心が厚いのよ。』
近所のパン屋さんの口癖はいつも教会に住んでいるシスターの話題だった。
この国は神を第一とし、人々は神の下に皆平等であり、神から生まれた使徒なのだと説いた。
数々の色とりどりの家が並ぶ中、唯一共通していたのは十字架を壁に貼り付けること。
彼らは幼少時代より神を崇め称え、神こそ至高とした。
そんな国にある最大の教会。
マリア様の優美な像と、艶やかなステンドグラスが輝く神聖な場で、神の前に跪き祈りを捧げる1人の娘。
『シルウァ。今日も熱いお祈りだね。どうか彼女が救われますように。』
祈りが終わり、ロザリオを握ったまま目を開けた彼女に、黒服を着た神父が激励の言葉を捧げる。
『ありがとうございます。神父様。神様が皆を天国へ誘いてくれることを望んでおります。』
ブロンドのちゅるちゅるとした髪、宝石よりも輝かしいサファイアの瞳。
彼女はシルウァ。この教会きっての信仰心が厚い信者である。
『もうすぐ、、ですね。』
彼女は美しい金のまつ毛を伏せる。
それは何かを恐れているような、悲しんでいるような顔だった。
神父も居た堪れなくなったのか、彼女の肩に腕を回し、ここにいるというように支える。
『神が定められたものなんだ。』
『だからと言ってこんな、、』
シスターは遂に泣き出してしまった。
この国には、神の預言を聞くものが存在する。
選ばれ者としてその者も神同然のように扱われる。
その者が遂先週ほど、この国は隣国から攻め入られて戦争になるだろうと預言を出した。
そしてそれに勇敢に立ち向かうようにもと。
今まで何気ない日常を送っていた人々は混乱し、どうしていいかわからず涙した。
『神父様。私はその日まで此処で祈ります。皆が救われるように。』
『ああ、、貴方も救われますように。』
2人はお互いに十字架を切った。
ーーー
ドオォォン
ドオォォン
爆撃音と悲鳴が交差する深夜。
地響きが鳴り教会が軋みを上げる中、月夜に照らされた金髪が輝く。
『皆様が救われますように。』
彼女は誰もいなくなった教会で尚も祈り続けていた。
バタン!
『いたぞ!』
低く鋭い声に刺された彼女だが、祈るのをやめない。
隣国の兵士は武装したまま内部に入って行き、次々に破壊した。
『おい。』
兵士が隣にいた兵士に話しかけ、祈り続ける女の元へ視線を向ける。
『おい女。祈りをやめろ。』
銃口を向け、冷酷な目で彼女を見つめる。
『いえ。私は此処にいる皆様の救いをお祈りしています。祈りはやめません。』
凛とした声で言い放った女はまた祈りに向かった。
パァン!
背を向けた女を躊躇もなく撃った兵士。
確かな憎悪と、軽蔑の念を込めていた。
『そんなもの祈っても何もならない。』
ドガアアアアアン
彼はそう言いながらマリア像を破壊した。
『ぁ、、、あ、、』
女は息ができないのか、水に打ち上げられた魚のようにはくはくとしながら壊れ落ちていくマリア像を見つめた。
『か、、みさま、、へ、、届きますように、、』
彼女の瞳は輝きを失い、やがて深海を写した。
だが、彼女は手に持ったロザリオを離さなかった。
これは、戦争により壊滅した国の、狂信的なシスターの話。
【君の目を見つめると】
『李梨花〜?早く入りなさ〜い』
玄関先で佇む幼女。
ドアの前にしゃがみ、綺麗にラッピングされたピンクの袋を両手に抱える。
『李梨花?って、、何それ。』
彼女の母親は彼女が抱えている物を見つめギョッとした顔をする。
『わかんない。ここにあった。』
『あらそう。早く入りなさい。』
母親は彼女の小さな手を引き、家の中へ入った。
ーー
袋の中身は可愛いクマのぬいぐるみだった。
『わぁ〜!かわいい!』
李梨花はクマのぬいぐるみをギュッと抱きしめ、綻んだ顔をする。
『お母さん!わたしいっしょうたいせつにする!』
『ああそう。よかったわね。』
あまり子供に関心がないのか、母親はご飯を作りながら女の子の方を見ずに答える。
女の子は自室に赴き、ベッドの上にクマのぬいぐるみを置いた。
ーーーーーーーーーー
『李梨花ー。明日入学式でしょ。早く寝なさい。』
お母さんは今日も少し口うるさい。
『はーい。』
明日から高校生。
希望していた学校にも入学できたし、新しく使うリュックや腕時計も買った。
楽しい友達できるかな。
なんて期待を寄せながらスマホを触る。
ベッドの端にはいつの日かプレゼントでもらったクマのぬいぐるみが。
どんな時も一緒にいたし、毎日抱きしめて眠っている。
『お母さん、前まであんまり私に関心なかったのにね。クマ郎。』
ぬいぐるみを抱きしめながら話しかける。
クマ郎は私が泣いている時もどんな時も寄り添って共に過ごしてくれたいわば私の一部だ。
でももう黒く薄汚れちゃった。
洗濯しないとな。
ジッとクマ郎を見つめる。
クマ郎の目、、何だかガラスっぽい。
『君の目、、何か変、、』
右目がおかしい。
更に注意しながら見ると、瞳孔の部分が動いた。
『これ、、、カメラ?』
ジイィッと更に見つめる。
誰かが見てる?
そういえば、この人形は玄関前に置いてあった記憶がある。
誰かがこの部屋を見ていた、、
私の姿を、成長をずっとずっと、、
そう考えると恐ろしくなり、クマ郎を窓の外へ投げた。
クマ郎の目を見つめると、カメラが埋め込まれてたなんて。
今まで気づかなかった。
体が震えて息が荒くなる。
目なんか見なきゃよかった。
【それでいい】
『おはよー。』
『おはよう。昨日のドラマ見たー?』
教室はとても騒がしい。
メガネの奥から見えるたくさんのクラスメイト。
欠伸をしている人、机に突っ伏して寝ている人。
多種多様な人たちがこの小さなクラスにぎゅうぎゅう詰め。
『そういえばさー、昨日センコーに授業遅れただけで怒られちゃって!マジありえなくない?』
『それな?出席してるんだから別によくね?』
彼彼女達は自分の意見こそ正しいと思い込み、別の意見を言う者を排除する。
此処はそんな場所。
嗚呼息苦しい。
上手く笑えない。呼吸ができない。
『クスクス、、マジ声ウケる〜。』
『聞こえるってば。プッ』
3年生最後のクラス。最後の1年間。
あるのは暗黙の了解と、絶対的な独裁。
自分の意見はみんなの意見。
みんなをよくわかっているのは自分だ。
自分が中心だ。
そんな考えの奴らばかりで全く吐き気がする。
お前は私の彼氏がなんかか?
アイツらは自分の尺度でしか物事を測れないんだ。
嗚呼可哀想。
少しだけ違った雰囲気を持つクラスメイトを認めることもできない。
みんな同じで何が面白いの?
わからない。
『ねぇ美香〜悠河の机触っちゃったどーしよ〜。』
何でそんなにふざけるの。
触ったから何?何か悪いの?その人が何かした?
わからない。
『そんなに言うことなくないかな、、害さないんだしさー。』
『そう思う?でもアイツ3Kだよ?臭い、汚い、キモい。』
嗚呼やっぱりこうなる。
彼は何も悪いことをしてない。
ただ少し、声が高いだけ。笑い方が独特なだけ。
『そう、、?かな、』
どんどんどんどんクラスに呑まれていく。
貴方達は彼のことを知らない。
本当は優しいところも、面白いところも、何もかも知らない。
なのに何でそんなことが言えるの?
"いじめなし クラスの平和 異常なし"
誰かが書いたいじめ撲滅標語が目に入った。
可愛らしい字。あの子が書いたんだな。
『でさー、その時悠河が後ろ通ってさ、、マジで臭かったわけ!みんなアイサイトで避けなきゃだよ?』
所詮、嘘なんだ。
全てにおいて偽善でできたこの世界は、息がしづらかった。
でも私は助けない。
どうせ無駄だとわかってる。
反感を買うのはこの人が悪いから。
そう言い聞かせ、私は今日も心の中で。
それでいい。それでいいと魔法の様に。
だって私も偽善者だから。
【幸せに】
生まれた時から、私の運命は決まっていた。
何をするにも側使いが付き添って、危ない事は何でも禁止。
狩猟、散歩、乗馬、料理、男性との会話、etc
何でもかんでも禁止禁止ばっっかり。
だから飛び出した。
黒いローブを被って、相棒の蛇に囮になってもらって。
城から飛び出した。
初めて出歩く城下町はとても輝いて見えた。
煌めいていて、熱気が溢れていて。
いつも見る湿ったい陰気な城とは違って、町の人達の今日を生きる様が太陽のようだった。
目を輝かせながら見ていると、不意に誰かにぶつかってしまった。
『も、申し訳ございません。』
ぶつかったのは私と同じくらいの青年。
爽やかに笑い、彼は私に手を差し伸べた。
『僕もごめんね。怪我はない?』
いつの日かの子守唄を歌ってくれた乳母のような心地よい声。天使の囁き。
彼は優しく聡明で少し茶目っけがあって可愛かった。
相棒で5歳の頃から一緒にいるというフクロウちゃんともすぐに打ち解けて、しばらくは城のことや家柄格差を忘れていた。
『そういえば、君かなり高いものを身につけているね。何処かの貴族か何かなの?』
彼からの質問を受けた時、今まで忘れていたいろんな事を思い出した。
"王女らしく振る舞いなさい。"
"王女は大声で笑いません。"
"王女はそんなことしません。"
"それがこの国の幸せなのです。"
母親からかけられた暗示ともとれる言葉の数々に吐き気がして、同時に何事にも囚われずに生きている彼を羨ましく、妬ましいとも思った。
『ええ。この国の第一王女よ。城にいたら母がうるさいから抜け出して来たの。』
彼は驚く様子もなく、かといって態度が変わるわけでもなかった。
それが妙に心地よくて、ずっと此処にいたいと思った。
『そろそろ帰るわ。お母様が猛獣になっちゃうから。』
彼と2人で笑い合い、城の前まで送ってもらった。
『また、会えるといいね。』
彼は夕日によく映える笑顔で見送った。
ーーーー
『コイツです!この者が王女様を誑かし誘拐しまし
た。』
ジャラジャラと重い鎖を鳴らしながらボロボロになって歩く彼を見たのは、それから2日後の昼頃だった。
私は駆け寄ろうと手を伸ばしたけれど、届かなかった。
母からは酷い叱責と哀れな顔を向けられた。
『可哀想に、、私の可愛い娘はあんな輩に誑かされて、、』
違う。
『王女様は清らかなお方だから、騙されたとお気づきになられていないのです。』
違う。
『何とお可哀想。』
違う!!
違う。何もかもが間違い。
なのに、、どうして誰も信じてくれないの?
『これより!王女様誘拐の首謀者を打首の刑に処す!』
ワアアアアア!!
湧き上がる熱気が、頭にガンガンと響いた。
苦しい。どうして、彼は違う。
私の言い分は聞き入れず、彼の首に剣がかけられる。
『ミューナ!!』
私の名前が呼ばれた。
反射で顔を上げると、優しく微笑んだ彼と目が合った。
『幸せに。』
ザンッッ
彼の首はコロコロと転がって、汚い地面に頬ずりをした。
『ぅっ、ぁ、、ああああああああああああ!!!!!』
幸せに。シアワセニ。
彼は最期まで私に優しく、私を責めなかった。
それが逆に苦しかった。
責めてくれたら、後腐れないのに。
そんな事を考えている私に腹が立って、私を抱きしめる母の手も悪魔としか思えなかった。
この国は、、、悪魔でできている。
みんなが私達を祝福する。
決められた男性。優しくて聡明な方。
彼とは違う。
太陽のような笑みは見られない。
『よかった。一時はどうなると思ったけど、お前がシアワセニなってくれてよかった。』
『ええ。そうね。お母様。私、シアワセよ。』
彼の最期の言葉に囚われて、今日も私は幸せ。