安心と不安。
それらはいつも鏡合わせ。
人から好かれると安心。でも、信用出来なければ不安。
人に優しくすると安心。でも、優しさが返ってこないと不安。
人から嫌われると安心。信用されるのが怖いから。
人からいじわるされると安心。自分も誰かを傷つけているかもしれないから。
私たちは、他人と関わっていられることに安心する。
でも、他人と関わろうとすると不安になる。
他人は己の心の鏡。
好かれることが苦痛なら、己が思わせぶりな態度を取っていると識れ。
悪意を持たれていると感じるなら、己も相手に悪意を向けていると識れ。
相手が自分の望むことをしてくれると安心するだろう。
けれど、不安になるのは相手が思い通りにならないからではない。自分自身の心に、疑問を持っていることを自覚出来ないからだ。
好きじゃないのに好きなふりをしていないか。
優しくすれば優しさが返ってくると思い込んでいないか。
嫌いなものを無理やり好きになろうとしていないか。
いじわるをしてしまう自分に嫌気がさしていないか。
正しくあろうとして、自分を誤魔化してはいないか。
色んな人間が色んな価値観で生きている。
そんな中、自分が少数派であれば不安だろう。協調性を強いられ、世界に自分を寄せていく時、己が失われていくのだから不安になるのは当然だ。この国は多数決の国。少数派は淘汰されていく。
けれど、いなくなりはしない。確実にここに存在している。
安心して。仲間はきっといる。
まだ見つけられていないだけ。
大勢の中から、見つけるのは困難かもしれない。辛い道のりかもしれない。絶望して諦めることもあるかもしれない。
ただ、否定され続けてきたとしても、腐ってはいけない。誰かを否定してはいけない。
他人も肯定して、自分のことも肯定する。
そうすれば、不安はきっと薄れていく。
不安は己の味方。
自分が自分を殺そうとしていることに、どうか気づいて。
逆光。
レンズ越しのシルエット。
太陽の光からこちらを庇うように佇む被写体は、真っ黒に塗りつぶされる。まるで、太陽の炎で焼けすぎて丸焦げになってしまったかのよう。それでも形を保っている姿が、心に空いた穴を燻らせる。
光でありたかった。
正しく、優しく、前の存在でいたかった。
けれど眩しすぎる光は、逆に嫌煙されるものであることを誰も理解しない。太陽は直視してはいけない。目を焼かれ、視力を奪われてしまうから。
光を求め過ぎれば、盲目になる。
正しさや優しさを主張し過ぎれば、それは悪へとかわらないだろうか。悪を排除するということは、悪に優しくない。
そもそも、悪は何故生まれるのだろうか。
それは、影が生まれる理由と似ている。
こんな夢を見た。
私は車を運転していているのだけれど、ブレーキが壊れて、踏んでも踏んでも止まらない夢。
朝起きて、夢で良かったと安心しながらも、疲労で体はだるく、それでも今から仕事に行かなくては行けない。
億劫で仕方がなかった。夢くらい幸せな景色を見せてくれればいいのに。
夢は毎日見るわけではないし、他にも遅刻する夢だとか、昔の友人が出てくる夢を見たりする。
ただ、私は車のブレーキが壊れた夢を、たまに見たり、思い出したりした。
なんだか無性に気になって夢についてインターネットで調べてみると、夢は己の真相心理を表していることがあると書かれていた。
さらに、車は己のエネルギーを表し、ブレーキが壊れた夢は慢心、さらに止まらないのであればコントロール不能という意味になるという。
もっと見ていくと、坂道を登る夢、という項目が目に付いた。私はその夢もよく見る。坂どころが崖のような絶壁を、背中の浮遊感に怯えながら登るのだ。
私は急な坂道は嫌いだし、ジェットコースターのような乗り物も苦手である。その夢は本当に苦痛以外のなにものでもなかった。
夢占いによると、坂道は試練らしい。
登り方や、どのような状況かでも意味は変わってくるようだけれど、私は自分の今まで生きてきた道のりを振り返って、確かに、試練の連続だったと妙に納得した。
夢は、私自身が、私も気づいていない、あるいは見て見ぬふりをしていることを自覚させてくれるものなのかもしれない。
誰にも認められなくて、苦しくて辛かったことが、自分自身に認められたような気がした。
そして、自分の心に随分と負荷をかけていたことを知った。
休まなければ、休んだ方がいい。そう思いながらもどこかでもっと頑張らなければと思っていた。自分には努力が足りないのだと。どうやって自分にブレーキをかければいいのか分からなかったのだ。
けれど、夢が教えてくれた。
私の心のブレーキは、おそらく壊れているのだと。
車のブレーキが壊れたなら、どうするか考えてみた。きっと修理にだすだろう。
既に病院に通っている私は、先生に頑張り屋さんだと言ってもらえたけれど、納得できてはいなかった。
そう、私は頑張りたくて頑張っていたわけじゃない。心のブレーキが壊れていたから、自分がどこまで頑張れば良いのか分からなかった。ブレーキが壊れたまま、スピードを出しすぎて、運良く事故はしなかったようだけれど、エンジン切れを起こして、動けなくなってしまったのではないだろうか。
だから、夢を侮ってはならない。
夢は自分も知らない本当の心の声が、唯一意識に訴えかけることのできるものかもしれないのだから。
タイムマシーンがあったとして、過去に行きたいだろうか。それとも未来に行きたいだろうか。
どちらにせよ、その願望の根本は現在からの逃避だ。
過去に逃げれば正しい選択が出来ただろうか。
未来に逃げれば輝く未来が待っているのだろうか。
答えはきっと、否だ。
私たちは何かを選択する時、何かを捨てている。過去を変えれば捨てた何かは戻ってくるかもしれないけれど、それによって得ていたはずのものを失う。
私たちの未来は、今の積み重ねで決まる。逃げた先にある見知らぬ幸せは、果たして望んだものだろうか。己の幸せを隅から隅まで思い描けるなら、タイムマシーンなど必要ないはずだ。
私たちは今を生きている。
過去があっての今で、今を積み重ねて未来が決まる。
その中で、取りこぼしたものがある。後悔がある。それは小さいものだろうか、大きいものだろうか。
小さいものなら、きっとなにか小さなものを得ている。
大きいものなら、きっとなにか大きなもの得ている。
得たものが何か見えないなら、1度落ち着いて、心を鎮めて、それを探すのが良いだろう。きっとある。思ったより素敵なものでなくても、なにものにも変え難い大切なもの。
タイムマシーンに頼らなくても、私たちは過去を遡り、未来に繋げていけるのだ。
特別な夜。
なんの悩みも、なんの憂いもない、そんな夜。
なんだかなんでも出来そうな気がして、わくわくして、目が冴えて、少しだけ夜更かし。明日はお休み。
でも、それはほんの一時の安らぎ。
何をしよう、と考えては、空虚が浮かんでは消えていく。読書、音楽鑑賞、貯まったアニメやドラマ。いつの間にこんなに興味がなくなってしまったのだろう。
絵を描くのが好きだった。ゲームをするのも好きだった。
なんでも出来る夜なのに、なにもできない。したいと思えない。
どうして、さっきまで希望に満ち溢れていたのに。
明日、天気が良ければ買い物や日帰りの旅行だって行けるのに。
未来になんの疑いもなかった頃の自分が、やけに輝いて見えた。
空を見上げれば、満点の星空。
きっと明日は晴れるだろう。
月が眩しすぎて、過去の思い出の光さえも薄れて消える。
これ以上惨めにならないように、窓を締め、遮光カーテンを閉める。
閉じこもったのでは無い。薄らとまだ希望を失ってない、この心を守るために、一人の世界を作ったのだ。
特別な夜。
辛いと訴えかける自分の心を、ようやく見つけた。