安心と不安。
それらはいつも鏡合わせ。
人から好かれると安心。でも、信用出来なければ不安。
人に優しくすると安心。でも、優しさが返ってこないと不安。
人から嫌われると安心。信用されるのが怖いから。
人からいじわるされると安心。自分も誰かを傷つけているかもしれないから。
私たちは、他人と関わっていられることに安心する。
でも、他人と関わろうとすると不安になる。
他人は己の心の鏡。
好かれることが苦痛なら、己が思わせぶりな態度を取っていると識れ。
悪意を持たれていると感じるなら、己も相手に悪意を向けていると識れ。
相手が自分の望むことをしてくれると安心するだろう。
けれど、不安になるのは相手が思い通りにならないからではない。自分自身の心に、疑問を持っていることを自覚出来ないからだ。
好きじゃないのに好きなふりをしていないか。
優しくすれば優しさが返ってくると思い込んでいないか。
嫌いなものを無理やり好きになろうとしていないか。
いじわるをしてしまう自分に嫌気がさしていないか。
正しくあろうとして、自分を誤魔化してはいないか。
色んな人間が色んな価値観で生きている。
そんな中、自分が少数派であれば不安だろう。協調性を強いられ、世界に自分を寄せていく時、己が失われていくのだから不安になるのは当然だ。この国は多数決の国。少数派は淘汰されていく。
けれど、いなくなりはしない。確実にここに存在している。
安心して。仲間はきっといる。
まだ見つけられていないだけ。
大勢の中から、見つけるのは困難かもしれない。辛い道のりかもしれない。絶望して諦めることもあるかもしれない。
ただ、否定され続けてきたとしても、腐ってはいけない。誰かを否定してはいけない。
他人も肯定して、自分のことも肯定する。
そうすれば、不安はきっと薄れていく。
不安は己の味方。
自分が自分を殺そうとしていることに、どうか気づいて。
1/25/2023, 2:07:41 PM