たった一つの希望。
そんなものは幻想だ。
誰もが助けを待っている。
助けて欲しいと願った時、そこに英雄が現れたのなら、それはどんなに幸福であろう。
けれど、そんな人間は一人として現れなかった。
だから地獄の底にいる。
だからたった一つのチャンスを逃すまいと躍起になる。
その希望が絶たれた瞬間を、人は絶望と名付けるのだろう。
ならば希望など最初からない方がいい。
希望など感じなければ、絶望を味わわずに済む。
ただ、それはなんて苦しいことだろう。
希望無くして、人は立っては居られない。
だから希望は、己の中にたった一つ、常にある。
己が死なない限り、永劫消えることは無い。
その希望は、絶望には変わらない。
勇気に変えて使うものなのだ。
欲望に振り回されている。
自分の身を守らなきゃ。どうしてこんなに辛い思いをしなくちゃいけないの。
憎いあいつを殺さなきゃ。私を救おうとしてくれる人達に危害が及ぶ前に。
傷ついた心が癒えるよりも前に、憎いアイツが今ものうのうと生きてまた誰かを傷つけているかもしれない事実に、腸が煮えくり返る。
だけど私は、きっとなにもできやしない。
恐怖で体が逃げようとする。戦うよりも逃げろと、警報を鳴らしているのだ。
それを抑えつけて立ち向かおうにも、体は硬直する。誰のことも信用出来ない。この世は敵だらけなのに、なぜ逃げない?誰かの為?違う、復讐のため。私が傷ついたのは、こうやって逃げないせい。
逃げるな、戦えと、
私に呪いをかけるのは。
誰の、欲望?
太陽のような人。
彼らはその輝きで誰かの目や肌を焼いていることに気づかない。明るく照らされることだけが救いではない。また太陽は己の身すらも焼き尽くしている。
時には木陰で一人、休むことも必要だ。
逃げているわけでも、目を背けている訳でもない。あの光に耐えうる心を得るために、ただじっと己の影と対話する。
何故こんなにも光が痛く苦しいのか。
眩しくて目も開けられないのか。
己に光の元を歩く資格がないというのか。
そんなことを考えていれば、どんどんと光は遠ざかっていくのだろうか。
いいえ。
私たちの冷えきった心に、太陽は熱すぎるだけのこと。
心が温まれば、また光の元を歩けるだろう。
凍りついた心は中々溶けないだろうけれど、それは鎧。
心を守るための鎧。
無理に溶かしてはならないもの。
いつか、氷は溶ける。
どんなに不安でも、木陰から出たくなくても。
そして、遠ざかってしまったと思った太陽は、いつも、いつでも、そこにある。
旅路の果てに、たどり着いた場所には何も無い。
旅なんて本当は出たくなかった。
けれど現実が辛くて、逃げ出したかった。
逃げるために我慢した。努力した。
その先に今よりましな未来があると信じた。
たくさんの人と出会い、喧嘩して、時には別れた。分かり合うために自分を殺してみたりもしたが、心が壊れると体も壊れるので止めた。
けれど壊れた心はなかなか治らない。自分のことが分からなくなって、目的地が分からなくなって、生きている意味に悩んで足が動かなくなった。ただ、こんなのは初めてじゃない。だから耐えた。耐えてみせた。もっと辛いことを知っていた。
失敗を知り、経験を積むことで、最後には失敗のない人生が待っているなんて。そんなことを本気で信じていた。人生をゼロにもどして、やり直せるなんて。
なのに、未だに私は失敗し続けている。
思うように体は動かない。好きなことは楽しめない。人への興味もすっかりない。
ただ、思い知っただけ。
なにもない。全ての人間と分かり合えるわけじゃない。私の理想は、理想でしかない。それに、私が望むのはそんな生易しい世界じゃない。
それが、長い旅で得たもの。
楽しかった記憶より、辛かった記憶ばかりを思い出す。また同じ過ちを繰り返さないように。苦しまないように、傷つかないように。
また引きこもりたくなる私を、けれど旅で得た仲間が引っ張り出してくれる。
もう頑張りたくないのに、頑張らせようとしてくる。
止めたい。苦しい。終わらせて。
取り繕うのはもう辞めた。
とっくに限界は超えている。諦めたい。
けれど、心は何故か死んでいない。
なぜ私は頑張るのだろう。
人の優しさに、涙が出る。
ありのままの自分を受け入れたから、人の優しさが染みてしまう。嬉しいけれど、それがこんなに苦しいのなら、心なんて壊れたままでよかった。仲間なんて作らなければよかった。
当然嫌う人もいる。けれど、そんな人は私も大抵苦手。だから私を傷つける人だけが去っていく。
居心地が良くなってしまう。
だから私にはやるべき事があるなんて思っていた。
大切な人を幸せにしなければいけないなんて、傲慢で大それたことを思っていた。
けれど、そんなものはない。色んな人に会って、色んな人の考えに触れて、生きている意味なんてないことを知った。
だから私は、好きなことをして生きていく。
旅なんかもうしない。
旅がしたかったんじゃない。
帰る家が欲しかった。
理想の家じゃなくて絶望して、逃げ出したかっただけだ。
だって逃げるしかなかった。向き合うことは、崖のように高い壁だったから。これ以上頑張りたくなかったから。
けれど結局、私は向き合う所まで帰ってきた。
旅で得た知識で、高い壁は頑張れば登れるくらいにはなっている。けど、頑張ろうと言う気持ちはあまり残ってはいない。
だから、その壁に背を預ける。登らない。頑張らない。
壁そのうち壁の方が低くなって、少しだけ期待するけれど。でも、もう階段も登る気力も戻ってこないだろう。
だから、この壁の内側。ここが私の帰る場所。
暖かくて優しい場所じゃない。それが現実。
もう、それでいいや。
優しさとは、自己満足である。
優しさとは見返りを求めないもの、というのは間違いで、そもそも見返りなどないもの。自己満足のためにしたことなのだから、本来お礼などいらない。
それでもお礼をするのなら、それも自己満足である。
自分がされたら嬉しいから、人に優しくして、
自分がされたら嬉しいから、してもらったことにお礼を言うのか。
なら、人に優しくして貰えない人は、人に優しくなんてできないし、お礼も言って貰えない人は、お礼を言うことは出来なくなる。
優しさとは、もっとシンプルだ。
自分がしたいからする。
それがたとえ誰かの迷惑になったとしても、自分の体が自然と動くなら、それが正義だ。
そして、その優しさや正義が、相手の心に触れたとき。相手は優しさを感じる。
優しさは受け取る者にしか分からない。
人に優しくするというのは、本来不可能なことなのだ。