シロツメクサの冠は、私の顔より円形に近い。
冠の窓の先で白いワンピースが蝶々のように舞った。
オレンジ色の向日葵と、黄昏色の麦わら帽子。
冠が映すともだちの色は、いつもより鮮やかだ。
振り向いた友達の顔は、逆光で見えない。
熟す前のサネカズラの実のように
白いワンピースは夕焼けに染まる。
さよならの色が、青じゃなくて良かった。
モンシロチョウが夕陽に向かって飛んでいく姿を
ともだちと二人で見送った。
明日はきっと晴れるから、向日葵も強く咲いていける。
ふたりで作ったシロツメクサの冠を、沈む陽にかざした。
目の前を、一羽の白鷺が飛び去った。
広げた真っ白な翼が陽の光を一時的に遮断し、地上に黒い影を落とす。耳からイヤホンを外し、飛び去った鷺の軌跡を追う頃には、鷺は川の中に潜む獲物を器用に足で捕まえたところだった。
その雄々しい姿を視界に捉えようと、川を取り囲む柵へと足を踏み進める。鷺の狩りをする姿を写真に収めようと、いそいそと手元のスマホの操作を始めた時。ふと、足元に伸びる一つの人影に気が付いた。スマホを弄る手を止めて、影の元を目で辿ると、川の上流に黄昏れる友人の姿を見つけた。
無機質な文字盤の短針は南東を指し、空は陽の色に染まりつつある。下校時刻はとっくに過ぎている筈だ。周りを見渡しても、彼女の連れの姿は見えない。それが何となく引っかかって、スマホをポケットに仕舞い込んでから彼女の元へと近づいた。
「久し振り。こんなところでどうしたの」
声が耳に届いたのか、彼女はゆるりとこちらを見た。
「岩里くん?久し振りね」
彼女とこうして会話するのは、実に二週間振りと言う所だろうか。しばらく話す機会がなかったからか、少しぎこちない会話になってしまう。否、ぎこちなさの原因はそれだけでは無いのだろう。久しく目にした彼女の顔には陰りが見えた。
「何だか、元気ないね」
「……あら、わかっちゃう?」
くす、と小さく笑う彼女の目元には、うっすらと隈が浮かんでいた。
「なんてことは無いのよ。ただ、ちょっと悩み過ぎただけ」
穏やかな川の流れを、彼女は静かに見つめながら言葉を紡ぐ。
「悩んでも答えが見つからない時は、よく此処に来るの。川の流れを見ていると、心が落ち着くから」
「そうだったんだね。……」
言葉は、続かなかった。彼女と自分の間にできた空白は、時間にしてみれば、ほんの僅かな間だったに違いない。けれども自分にとってこの一瞬は、まるで永遠の一部をを切り取ったかの様に錯覚させた。彼女の髪が、風に揺れた時。彼女の瞳から目を離すことが出来なかった。同年代よりは少しばかり色白に映る横顔を、自分は確かに意識した。彼女の友人という、当たり前の様な自分の立ち位置が、少しもどかしく感じる。彼女の視線が自分に向かい、色素の薄い、琥珀色の瞳がはっきりと自分の姿を映したのを見た。
「でも、今日、貴方に会えて良かった」
桜色に色づいた頬を上げて、彼女は朗らかに笑う。
夕陽の色を灯した瞳は、鼈甲飴のように絢爛としていた。
今だけは、自惚れさせて欲しい。彼女の瞳に、真の意味で自分が映る日がやって来ないのだとしても。
きっと、逢魔時が僕を惑わせたのだ。だから、少しばかり魔が差したとしても、どうか大目にみてはくれないか。そんな言い訳に似た言葉が矢継ぎ早に思い浮かぶ。
夕陽が地上を煌々と照らす。その下で、二人の視線は確かに重なり、互いに笑みを交わし合った。
永遠とも取れる短い間。彼女の瞳の中に映る彼の姿に、新たな色が差すのが見えた。
七月の夜。錆び付いたドアノブを捻って屋上に出た。
空は星の群集に覆われ、暗い地上を淡く照らしている。しかし、その光は随分と小さいものだ。現在となっては人工灯の明々とした光には敵わない。人は星を手に入れたのだ。
自作の望遠鏡を抱え、屋上のフェンスに向かおうとしてはたと気付く。どうやら、今日は先客が居るらしい。夏の夜に溶け込みそうなほどに黒々とした髪を風に遊ばせて、望遠鏡もなしに夜空を眺める一人の姿。その人物の背格好を認識する頃には、その人も此方に気付いたようだった。
「君も星を見に来たの?」
先に声をかけられた。先客は中性的な見た目をしてはいるが、着ている学生服とその低めの声で、男だとわかった。
「ああ、そうさ。僕は天文部だからね。此処に僕以外の人が居るなんて、珍しいな。隣、いい?」
構わないよ、と彼は答えた。その言葉に甘えて、僕は隣に望遠鏡を設置する。望遠鏡の前にかがみ込み、接眼レンズを覗き込んでピントを合わせる。慣れたものだ。ピントの微調整をする僕の手付きを、彼は興味深そうに覗き込んでいる。
「他に部員はいないの?君一人だけみたいだけど」
そんな彼の素朴な疑問に、接眼レンズから目を外す事なく返答する。
「いないよ。今、天文部の部員は僕一人だけ。部員募集の紙も貼ってないし、廃部寸前さ」
事もなげに言ってみせた僕に、彼は一瞬目を見張り、ふうん、と生返事をしてから、再び視線を空に戻した。
「それよりさ。天文部でもないのに、君はこんな夜更けに何で此処にいるのさ。屋上の鍵は閉まってたみたいだけど」
「んー。センセイに屋上の鍵は借りてるよ。俺、昼休みはよく此処に来るから」
レンズから目を離し、彼に問いかけると、ポケットから小さめの鍵を取り出して僕の目の前で軽く振って見せる。
彼は此処に来た理由は言わなかった。彼の目線は相変わらず空を向いていた。しかし、それは空に浮かぶ星を眺めているというよりは、遥か彼方を見つめているように感じる。僕はレンズをいじるのをやめて、彼と同じように立ち上がって空を見た。明るい星しか見えなかった空も、目が暗闇に慣れて、先ほどまでは見えなかった砂粒のような煌めきが、一斉に目に飛び込んで来た。雲一つない快晴の夜空は、星々が形を作りプラネタリウムのように空一帯を包み込む。今日は、絶好の星見日和だ。星々の美しさに瞬きも忘れていた頃、不意に彼が言葉を発した。
「俺、こんなに星が綺麗だったなんて、知らなかった」
口から転がり落ちる溜め息にも似たその声は、昔の自分自身を想起させた。初めて星の美しさを知ったあの日。お古の白い望遠鏡を側に、街の灯が消えるまで星空を眺めていた。
「そうだろ?」
少し気取った返事をして、僕ら二人を覆う星の群れをみる。
街はまだ、眠らない。
道は一つしかないのだろうか。
暗く、拓けた土地に幾人もの足跡で踏み固められた一本の道が在る。その先には蛍のように淡く、しかし確かな灯が幾つも集まり道を照らしているのだ。ああ、きっとあそこには幸せがあるのだ。常人にとっての幸せの形が。
しかし、私の中に一片の陰りが差した。今まで、目を逸らし続けてきた事実が、姿をもって私の前に現れたのだ。かつて、先の見えない暗闇の中、一人の先導者が道を切り拓いた。私は、その道を辿っているだけに過ぎない。私のやってきた事は、ただの真似事だ。私は後ろを振り返る。同じだ。何も変わってなどいない。良く言えば安定した、正直に言えば個性の無い普遍的な道がそこは在った。多くの足跡で埋もれた道。私はこの道を何の疑いも持たずに、只、一心に歩んできた。
私は、他の道を見ようとはしなかったのだ。
幼い頃、私が真っ白な世界に描いた、虹を切り取ったかのような色の着いた道は何処へ行ったのだろうか。私の頬を、冷たい風がするりと撫でていった。風は、私の追い風とはなってはくれなかった。途端、視界の端に見慣れぬ蝶々が過ぎった。その姿を目で追うと、蝶は道を逸れた暗闇の中を臆する事なく進んで行く。
私の足は、蝶を追って駆け出した。そこに、恐怖はなかった。昔、二つ隣に住む友人と、こうして蝶を追いかけたことを思い出す。彼は今どうしているだろうか。私の脳裏には、あの夏の記憶が色鮮やかに甦った。しかし、その情景とは裏腹に、私の耳には静かな波の音が木霊した。
ふと、人の気配を感じて、背後を振り返る。見慣れた顔が、道の真ん中に立っていた。彼は、此方に気付くと、和かに笑って私に手を振った。がんばれよ、と懐かしい声が風に乗って私に届く。無性に泣きたい気持ちになって、喉が締め付けられた様な錯覚に捕らわれた。溢れそうになる涙を抑えようと、一つ瞬きをすると、彼はもうそこに居なかった。もう、私の後ろに、私を引き留めるものは、いない。私はもう一度、前を向いた。立ち止まりそうになった足をがむしゃらに動かして、蝶の消えた道を走り続けた。背後はもう、振り返らなかった。
水の弾ける音がして、暖かい陽の光が、私に手を差し出すのが見えた。
自分の存在証明は容易い問題だろうか。
我思う、故に我ありとは有名な哲学者の言葉である。
自分の思考は確かに存在している。つまり、それに伴い自らの存在も立証されるという論であると一般的には捉えられている。
加えて、有名な哲学の一つに、世界五分前仮説という物がある。全ての存在、ついては記憶までもがたった五分前に創られたと唱える説である。この説はあくまで別の論の説明を補足する為に引き合いに出された考えではあるが、自らの存在について再考するには充分な議題であると言えるだろう。現在、私という存在は確かに存在しているとしても、過去の私は必ずしも存在したと言えるのだろうか?過去の存在を証明するものは過去に創造されたとされる建築物や形跡、自らの記憶と他の生命体——ここでは人間とする——との共通意識に限られる。私達人間にはある程度の学習能力が備わっている。私達の祖先が長い年月をかけて培ってきた文化と叡智を享受して、私達は生存している。種の繁栄は、過去無くしては成り得ないのだ。しかし、世界がたったの五分前に構築された物だとしたならば?私達に過去など存在しない。私達は脳に刷り込まれた記憶を頼りに、過去という存在を盲目的に信じているだけだ。過去が存在しなかったという事は、それ即ち、過去の私は『存在しなかった』という事になる。現在と過去を直接繋ぐものは、所詮、不明瞭で形を持たない記憶しか無いのだ。我思う、故に我あり。私の思考は、一体何処から生じたのだろうか。二律背反の問いの中で私達は存在している。
追記するとしたならば、私の存在は私一人の認識で成り立っている物では無いという事だ。人は長きに渡り集団での生活を行ってきた。現代でも、私達は人と人とのネットワークを介して生存しているのが常であろう。互いの繋がり、互いの認識を得る事で、記憶の中に人は存在している。よりわかりやすく例えるならば、死者の存在だ。死者の存在は、生者の記憶と、生前に遺した痕跡によって成り立っている。しかし死者の存在証明に、より重きを置くべきは生者に残った記憶の方だ。死者に関する記憶が存在しなければ、生前に遺した痕跡も、死を示す墓石すら、只のガラクタに過ぎない。墓石に至っては、何の意味も持たない石の塊に成り果てるのだ。
以上を持って、自らの存在証明を行うには、自らの思考と他者との繋がりが必須となるだろう。如何に考えようとも、結局答えは出ない、というものが私の現在の見解ではあるが、何事も考え様だ。ただ一つ、私からここまで読んでくれた貴方に伝える事があるとするならば、思考を止めるな、ということだけだ。