拝啓
桜の蕾も綻び、春の爽やかな風が感じられる季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。
ふと、貴女の懐かしい夢を見て、こうして筆を執った次第でございますが、手紙という形に落とし込むには些か言葉が足りそうにありません。あれから、四年の月日が経ちました。私も成人を迎え、ついに過去と向き合う時がやって来たのだと思います。あの日の事を思い、悔やむ事もありました。己の無力さに嘆く事もありました。もっと自分が大人であれば、貴女を救う事が出来たのではないかと。昔の私は、大人になれば貴女のようになれるのだと疑わずにいました。しかし、貴女と同じ年齢になっても、到底貴女にはかないませんでした。貴女は貴女で、私は私にしかなれないのだと、今となって、漸く気付くことが出来たのです。
私はもう、貴女の声を明瞭に覚えてはいません。ですが、貴女のくれた言葉は、血となり肉となり、私の中に息づいています。過去を悔やむ事は、これで最後にします。たらればの話より、貴女に守られた私のこれからを目にして歩んで行こうと、たった今決めました。どうか、道の続く最期まで、見守っていてくださいね。
この手紙が貴女に届きますように。 敬具
また会える日を楽しみに
貴女の妹より
敬愛する姉へ
「おい、佐々木。お前の番だぜ。早く取れよ」
「あ、ウン。じゃあ、私はこれ!」
ぐぬっ、と情けない声を山中が発する。他の事に気を取られて、自分の手番が回ってきたことに気が付かなかった。
危ない、危ない。気を取り直して、山中から引いたカードを確認する。ハートの4。自分の手札を確認して、にやりと笑う。
「ふふん、リードよ!」
手札の中にあったダイヤの4と、引いたハートの4を捨てる。
「もう後二枚かよ……」
「まだ勝負はついてないぜ、山中。次で逆転出来れば、勝ち筋はある」
落胆する山中に、冷静に状況を見て淡々と話す彼……藤崎君が励ましの言葉をかける。
「そうはいってもよぉ、藤崎。ここからどうやって巻き返せばいいんだよ。つか、お前もあと二枚じゃねーか!」
激昂する山中の様子が何だか面白くて、つい堪えきれずに笑ってしまった。私につられたのだろうか、藤崎君も笑い出し、昼放課の教室の一角は賑やかな笑い声で包まれた。当の笑われた本人は、自分が笑われたことが不服らしく、なんだよぅ、と不貞腐れて机に突っ伏していた。その様が何だか、また笑いを誘った。
「はい、藤崎君。一枚取って」
「フム……。じゃあ、左のカードを頂くぜ」
彼がカードを引く。その間際、私は彼の目を見つめた。
吊り上がった形の良い目の周りを縁取る睫毛は、思わず嫉妬してしまう程に長く、整った顔立ちは何処か人形染みて見えた。その雰囲気と違わずすらりと伸びた指は、しかし男のものだとわかって、成長期特有のちぐはぐな色香に思わず頬が赤くなる。
「お、ついてるぜ。ダイヤとスペードの9。一足先に上がらせてもらうぜ」
ペアとなった二枚のカードを彼は机の中心に捨てる。
彼の残りの手札は一枚。上がりだ。山中に手番が回ってきたが、彼はまだ不貞腐れているのか、机から顔を少しだけ上げてじとりと私たち二人を睨め付けた。
「悪かったよ、山中。そんなに怒るなよ。ほら、お前の手番だぜ。引け」
ずい、と目の前に押し付けられた藤崎君の手札から、山中は最後の一枚を引いた。揃ったペアを捨て、残った二枚のカードを念入りに混ぜる。手札を持って、必死に神頼みをする山中に、少しばかり哀愁の念を覚えたが、気にせずに一枚カードを選びとって、自らの手札に加える。
ちらりと藤崎君を見やると、彼は僅かに口角を上げて
いいのが引けたか?と、私に向かって小さく笑いかけた。
その表情に思わず胸が熱くなり、私は直ぐに視線を手札に戻してしまった。彼の表情を、もっと見たい、と思った。私の知らない表情を見せて欲しい。私が彼に寄せる感情には、とっくに名前がついているというのに。でも、この想いを彼に伝えることは、未だ出来ないままでいた。私は俯いて、今しがた引いたカードと手札を見比べる。形の異なる、けれども同じ数値を持つ二つのカードを見て、思わず瞳が揺らいでしまう。揃ったカードを捨てる時みたいに、簡単に貴方に想いを告げる事が出来たらいいのに。視線を手元から上げて、手札に揃ったハートのエースと、スペードのエースを、目の前のカードの山に投げ入れた。このカードたちのように、私も彼と"揃う"ことができる日は、はたして来るのだろうか。
いつか、この想いを伝える日が来るまで、貴方と私を繋ぐ友情という糸に、どうか縋らせて。
「君の瞳には何が見える?」
後ろから聞こえた彼の声は、微風によって耳に届いた。
こちらを臨む彼の表情は、いつにも増して凪いでいた。
街にはそろそろ着くというのに、今になって何を聞こうというのだろうか。意図の見えない質問に、疑問を抱いた。
「空と、砂漠と街です」
日は既に傾き始め、砂漠の天蓋には少ないながらも、煌めく星々が瞬いている。故郷の地を離れ、もう三日も経つ。
目的の街は、もう目前に迫っているというのに。私は足を止め、振り返って彼の方を見つめた。
「そんなに恐い顔をしなくてもいいじゃないか。ただの気分転換だよ」
彼の悪びれない様子に、思わずため息が出る。
こんな調子では、日が完全に沈む前に街に着くことは叶わないかもしれない。再び前を向いて歩み出す。街が少し遠ざかったような気がして、気分が沈んだ。
「何故、そんな事を訊いたのですか?」
「ん、興味あるかい?」
質問を質問で返した彼は、荷物を砂の上に投げ出して
道の傍に腰を下ろした。左手で隣に座るようにジェスチャーをする彼に渋々従い、私も彼の隣に腰を下ろす。
「空を見てごらん」
彼の言葉通りに、空を見上げる。日は西に落ちかけ、夜の群集が覆い隠しつつある空は、黒の絵の具を水に溶かした時とよく似ていた。絵の具の黒のように、やがて白藍の空を黒く染めるのだろう。砂金の如く明滅する星は、黒の群集に乗り、丸く湾曲した天蓋に灯をともした。幻想的だ、と一言で表すのは簡単だろう。しかし、この光景の全てをその言葉に収めてしまうのは、酷く惜しいと感じた。
「ほら、あそこには星の導き手がいるだろう。あの星を中心にして、他の星は動いているんだ。それと同時に、僕らを導く星でもある。僕らは道に迷ったら、間違いなくあの星を探すよ」
彼の指差した処には、北極星がある。その名の通り北に位置する星で、僅かしか動かない星として知られている。
「では、あの星は何を見ているのでしょうね」
ふっと私の口から漏れた言葉に、彼は小さく微笑んで言葉を紡いだ。
「もしかしたら、僕らかも知れないね。あの星はずっと動かずに地上を見ているんだ。必ずしも同じものを見ているとは限らない。あの星に瞳があるならば、きっと地上の隅々まで観察するのに忙しいだろうさ」
そう言って彼はまた笑った。しかしその瞳は北極星を、というよりは、空をも越えた広い世界を目にしているかのように思えた。星々の瞳は、彼の瞳のように澄み切っているのだろうか。
「こうやって空を見るとね、自分の存在がちっぽけなものに思えてくるんだ。初めて街を出て、ひらけた場所で満天の星を目にした時は目を疑ったよ。空はこんなに広いのかってね。僕らが普段目にしているものが、全て真実とは限らないんだ。ちょっと視点を変えるだけで、世界は大きく形を変えるよ。君にも覚えがあるだろう」
「そう、ですね。故郷を出て、初めて見た外の世界に驚きました。故郷から出た事の無かった私にとって、故郷の外は未知の世界でしたから。そして、貴方と出逢い、私の世界はさらに広がった」
「うん。何事もやってみないことにはわからないさ。その経験が、君を強くしてくれる。街に着いたら、もうこんな話は出来ないだろう?だから、最後に話しておきたかったんだ」
寂寥の念が静かに心に宿った。別れは、もうすぐそこだ。そんな簡単なことすら、私は忘れていた。それ程までに、彼と過ごした限りなく短い時間は、確かに幸福で心地の良いものだったのだ。
「君は、心の在処を知っているかい?」
「いえ、……」
彼の問いに、私は答えられずにいた。心とは、精神に宿るものであると考えていた。しかし、在処と訊かれると、どうもピンと来ない。押し黙った私を見て、彼はゆっくりと口を開いた。
「心はね、人間の最も奥深く……核に寄り添った処に在ると思うんだ」
彼の答えは、妙に腑に落ちた。
「表面をただ見るだけでは、物事の本質まで見極める事は難しいだろう。だからこそ、心の目で見るんだ。目に映るものだけが全てなのだと思い込まないで、自分の心に寄り添ってみるんだ。きっと、新しい道が見つかるはずさ」
そう言い切るが早いか、気付けば彼は立ち上がっていた。彼の横顔は月の光に照らされ、どこか寂しそうにも、満足そうにも見えた。彼は、夜空をじっと眺めていた。私も、彼と同じように空を見る。日はとっくに沈み、黒く染まった空の上で、月と星だけが輝いていた。この空を、この光景を、しっかりと心の目に刻んでおこう。目を閉じた時、脳裏にこの想い出がはっきりと思い浮かぶように。
しばらく、そうしていただろうか。彼は、私に向かって手を差し出した。その手を強く握って、私も立ち上がる。
星々の照らす道を二人で往く。この先、どんな事が待ち受けているのかなんて、今の私には見当もつかない。けれども、私は進むのだ。進んだその先に、必ず道があることを
私は確かに知っているのだから。
まるで海を閉じ込めたみたいだ。
身を焦がす陽の光に、宝石のようながらくたを翳した。
珊瑚礁の森に、オキアミの群れ。
陽射しを遮るほどに大きなシャチ。
海の底に沈んだ都は、どんな世界を見ているのだろう。
僕らの知っている海の天上よりもきっと大らかで、
ずっと冷たい世界の底で永い時を過ごしている。
小さな海は、掌の中で小さな熱を得た。
海は、僕らの知らない目を持っている。
盲目の魚は、優しい陽の光を知っているんだ。
朝が
朝が来たよ、とおくから。
真っ白な舞台のうえで、黄色のさかなはみどりに変わる
青いみ は れ ゆ
なも ゆ に れ て
白いちょうちょは
帽子のてっぺんがおきにいり。
花よりじょうぶな
火 三 シュガーなんて、
は つ おしゃれに言っても
こ 葉
っ が 家族のメモには
た い 砂糖と書くの
色 い
味が良いけれど わ
レモンも林檎もおなじよ同じ。鍋のなかではみなおなじ。
嫌いのうらには
立て札があるの
なんでものおもてには
全てあなたをうつすかがみ。
コーヒーはまだ飲めないけれど
にがいものはきらいじゃないわ