七雪*

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 「君の瞳には何が見える?」
 後ろから聞こえた彼の声は、微風によって耳に届いた。
こちらを臨む彼の表情は、いつにも増して凪いでいた。
街にはそろそろ着くというのに、今になって何を聞こうというのだろうか。意図の見えない質問に、疑問を抱いた。
「空と、砂漠と街です」
 日は既に傾き始め、砂漠の天蓋には少ないながらも、煌めく星々が瞬いている。故郷の地を離れ、もう三日も経つ。
目的の街は、もう目前に迫っているというのに。私は足を止め、振り返って彼の方を見つめた。
「そんなに恐い顔をしなくてもいいじゃないか。ただの気分転換だよ」
 彼の悪びれない様子に、思わずため息が出る。
こんな調子では、日が完全に沈む前に街に着くことは叶わないかもしれない。再び前を向いて歩み出す。街が少し遠ざかったような気がして、気分が沈んだ。
「何故、そんな事を訊いたのですか?」
「ん、興味あるかい?」
 質問を質問で返した彼は、荷物を砂の上に投げ出して
道の傍に腰を下ろした。左手で隣に座るようにジェスチャーをする彼に渋々従い、私も彼の隣に腰を下ろす。
「空を見てごらん」
 彼の言葉通りに、空を見上げる。日は西に落ちかけ、夜の群集が覆い隠しつつある空は、黒の絵の具を水に溶かした時とよく似ていた。絵の具の黒のように、やがて白藍の空を黒く染めるのだろう。砂金の如く明滅する星は、黒の群集に乗り、丸く湾曲した天蓋に灯をともした。幻想的だ、と一言で表すのは簡単だろう。しかし、この光景の全てをその言葉に収めてしまうのは、酷く惜しいと感じた。
「ほら、あそこには星の導き手がいるだろう。あの星を中心にして、他の星は動いているんだ。それと同時に、僕らを導く星でもある。僕らは道に迷ったら、間違いなくあの星を探すよ」
 彼の指差した処には、北極星がある。その名の通り北に位置する星で、僅かしか動かない星として知られている。
「では、あの星は何を見ているのでしょうね」
 ふっと私の口から漏れた言葉に、彼は小さく微笑んで言葉を紡いだ。
「もしかしたら、僕らかも知れないね。あの星はずっと動かずに地上を見ているんだ。必ずしも同じものを見ているとは限らない。あの星に瞳があるならば、きっと地上の隅々まで観察するのに忙しいだろうさ」
 そう言って彼はまた笑った。しかしその瞳は北極星を、というよりは、空をも越えた広い世界を目にしているかのように思えた。星々の瞳は、彼の瞳のように澄み切っているのだろうか。
「こうやって空を見るとね、自分の存在がちっぽけなものに思えてくるんだ。初めて街を出て、ひらけた場所で満天の星を目にした時は目を疑ったよ。空はこんなに広いのかってね。僕らが普段目にしているものが、全て真実とは限らないんだ。ちょっと視点を変えるだけで、世界は大きく形を変えるよ。君にも覚えがあるだろう」
「そう、ですね。故郷を出て、初めて見た外の世界に驚きました。故郷から出た事の無かった私にとって、故郷の外は未知の世界でしたから。そして、貴方と出逢い、私の世界はさらに広がった」
「うん。何事もやってみないことにはわからないさ。その経験が、君を強くしてくれる。街に着いたら、もうこんな話は出来ないだろう?だから、最後に話しておきたかったんだ」
 寂寥の念が静かに心に宿った。別れは、もうすぐそこだ。そんな簡単なことすら、私は忘れていた。それ程までに、彼と過ごした限りなく短い時間は、確かに幸福で心地の良いものだったのだ。
「君は、心の在処を知っているかい?」
「いえ、……」
 彼の問いに、私は答えられずにいた。心とは、精神に宿るものであると考えていた。しかし、在処と訊かれると、どうもピンと来ない。押し黙った私を見て、彼はゆっくりと口を開いた。
「心はね、人間の最も奥深く……核に寄り添った処に在ると思うんだ」
 彼の答えは、妙に腑に落ちた。
「表面をただ見るだけでは、物事の本質まで見極める事は難しいだろう。だからこそ、心の目で見るんだ。目に映るものだけが全てなのだと思い込まないで、自分の心に寄り添ってみるんだ。きっと、新しい道が見つかるはずさ」
 そう言い切るが早いか、気付けば彼は立ち上がっていた。彼の横顔は月の光に照らされ、どこか寂しそうにも、満足そうにも見えた。彼は、夜空をじっと眺めていた。私も、彼と同じように空を見る。日はとっくに沈み、黒く染まった空の上で、月と星だけが輝いていた。この空を、この光景を、しっかりと心の目に刻んでおこう。目を閉じた時、脳裏にこの想い出がはっきりと思い浮かぶように。
 しばらく、そうしていただろうか。彼は、私に向かって手を差し出した。その手を強く握って、私も立ち上がる。
 星々の照らす道を二人で往く。この先、どんな事が待ち受けているのかなんて、今の私には見当もつかない。けれども、私は進むのだ。進んだその先に、必ず道があることを
私は確かに知っているのだから。

3/28/2023, 3:17:03 PM