七雪*

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 七月の夜。錆び付いたドアノブを捻って屋上に出た。
空は星の群集に覆われ、暗い地上を淡く照らしている。しかし、その光は随分と小さいものだ。現在となっては人工灯の明々とした光には敵わない。人は星を手に入れたのだ。

 自作の望遠鏡を抱え、屋上のフェンスに向かおうとしてはたと気付く。どうやら、今日は先客が居るらしい。夏の夜に溶け込みそうなほどに黒々とした髪を風に遊ばせて、望遠鏡もなしに夜空を眺める一人の姿。その人物の背格好を認識する頃には、その人も此方に気付いたようだった。
「君も星を見に来たの?」
 先に声をかけられた。先客は中性的な見た目をしてはいるが、着ている学生服とその低めの声で、男だとわかった。
「ああ、そうさ。僕は天文部だからね。此処に僕以外の人が居るなんて、珍しいな。隣、いい?」
構わないよ、と彼は答えた。その言葉に甘えて、僕は隣に望遠鏡を設置する。望遠鏡の前にかがみ込み、接眼レンズを覗き込んでピントを合わせる。慣れたものだ。ピントの微調整をする僕の手付きを、彼は興味深そうに覗き込んでいる。
「他に部員はいないの?君一人だけみたいだけど」
そんな彼の素朴な疑問に、接眼レンズから目を外す事なく返答する。
「いないよ。今、天文部の部員は僕一人だけ。部員募集の紙も貼ってないし、廃部寸前さ」
事もなげに言ってみせた僕に、彼は一瞬目を見張り、ふうん、と生返事をしてから、再び視線を空に戻した。
「それよりさ。天文部でもないのに、君はこんな夜更けに何で此処にいるのさ。屋上の鍵は閉まってたみたいだけど」
「んー。センセイに屋上の鍵は借りてるよ。俺、昼休みはよく此処に来るから」
 レンズから目を離し、彼に問いかけると、ポケットから小さめの鍵を取り出して僕の目の前で軽く振って見せる。
 彼は此処に来た理由は言わなかった。彼の目線は相変わらず空を向いていた。しかし、それは空に浮かぶ星を眺めているというよりは、遥か彼方を見つめているように感じる。僕はレンズをいじるのをやめて、彼と同じように立ち上がって空を見た。明るい星しか見えなかった空も、目が暗闇に慣れて、先ほどまでは見えなかった砂粒のような煌めきが、一斉に目に飛び込んで来た。雲一つない快晴の夜空は、星々が形を作りプラネタリウムのように空一帯を包み込む。今日は、絶好の星見日和だ。星々の美しさに瞬きも忘れていた頃、不意に彼が言葉を発した。
「俺、こんなに星が綺麗だったなんて、知らなかった」
 口から転がり落ちる溜め息にも似たその声は、昔の自分自身を想起させた。初めて星の美しさを知ったあの日。お古の白い望遠鏡を側に、街の灯が消えるまで星空を眺めていた。
「そうだろ?」
少し気取った返事をして、僕ら二人を覆う星の群れをみる。

街はまだ、眠らない。

4/5/2023, 1:18:23 PM