「3年間、私の隣りにいてくれたら付き合ってあげてもいいよ」
私はあなたにそう言った。あなたはもう忘れてるかもしれない。けれど、私があなたに宣言してから2年がたった。
今もあなたは私の隣りにいてくれている。気まぐれで、誰にでも愛想を振りまく私をあなたはいまだに好いていてくれている。
私はあなたに「好き」と言ったことはない。むしろ、他の人への恋慕をあなたにわざと語ったりする。あなたが私を嫌うように。
いつか消える愛などいらないから、初めから愛さないでほしい。
あなたに言う。
「あなたは私の気持ちを理解できたことがある?」
あなたは少し考えて答えた。
「ないかも」
私は笑って「私もあなたを理解できたことないよ」と返した。
理解し合えない二人が愛を紡げるはずがない。だから、あなたから離れてほしい。あなたの中から、早く私が消えることを願ってる。
それなのに、また今日もあなたからメッセージが届く。
既読をつけてからわざと時間をおいて返信する。
あなたは私のことを知らない。
私もあなたのことを知らない。
それなのに、この細い繋がりは途絶えずに続いている。あなたの「好き」が本当なのか不安になっている私がいる。あなたからのメッセージを待っている私がいる。
あと一年。私が約束した日まで残り365日。
その日まで、あなたはまだ私の隣にいるのだろうか。
外へ出た。外は思ってたよりも明るく、空一面に宝石を散りばめたみたいに星が光ってた。
足元からカシャカシャと愛犬の爪が地面を引っ掻く音がついてくる。普段リードを繋げばどこへもなく引っ張るのにリードがない方が大人しい。まさしく相棒のように足元にぴったりついてきてこちらを見上げている。
めったに車の通らない田舎の車道を堂々と歩く。
私は悩んでいた。皆と同じようにできないこと、普通ができないこと。足りない頭に知識を詰め込んでも、まだ「普通」には程遠いのを感じて不安でたまらなかった。
世の中には私の知らないもので溢れていて、私一人が何もわからずに孤立している。誰に聞いても教えてくれる人はいなかった。きっと、皆は生まれつき知っているのだ。私だけが知らされずに生まれてきてしまったのだ。
そんなことを考えてはいつも憂鬱になる。
はあ、これではわざわざ外に出てきた意味がない。
私は一旦、足を止め空を見上げた。白い息が大人が吸うタバコみたいに私の口から吐き出されていく。
透明な抜けるように透き通った空だ。手を伸ばしてみる。星に手は届かない。星たちが私を嗤っているような気がした。
手をおろし、再び歩き始める。
時折、足元を見る。とても祖先が野山を駆け回り獰猛に肉を探していたとは思えない、無邪気で優しい目がきょろきょろと楽しそうにあたりを見回していた。
最初に言ったように、リードをつければ散歩だとはしゃぐのに対して、リードをつけずに外に出せばはぐれないようにか。はたまた私に怒られるとわかっているのか、こうして私の足元をテケテケと歩いている。
時折、何かを見つけては離れたりするが私が足を止めたり軽く手を叩いたりすれば名前を呼ばずとも「なんですかい?」というような表情をして戻ってくるのである。こういった些か召使いみたいな動きは私にはとてもかわいらしく映る。
誰とも会うこともなく、かつ家族にすらも知られない夜の散歩は少し自由になれた気がした。
夜の散歩も案外良いものだな。そんなことを思いながら愛犬の方を確認する。先っぽだけ垂れた耳をヒタとたて、後ろの方を見て立ち止まっていた。その方向を見てみると、街灯に照らされて白猫が悠々と道を横切っているところだった。
私は軽く足を鳴らし、愛犬の注意をこちらに向けた。愛犬が私の不機嫌を悟ったのを見て、私は前を向き直って歩き出す。少し間をおいてから仕方なさそうに私の方へと向かってくる足音が聞こえた。
一言も話さない、足音だけの会話。私はこの時間をゆっくりと楽しみながら一歩一歩言葉を選ぶように、愛犬に寄り添わせた。
寂しい夜も君と一緒なら乗り越えられた。
(もういない愛犬へ、当時に書いた日記より)
子供の頃、高いところから落ちる夢を頻繁に見ていた。
場所は様々で学校の屋上だったり、家の屋根だったり、はたまた全く知らない建物だったりとその時々で違う場所に立っていた。
そして、自分の意志も虚しくまるでこれから散歩するみたいに簡単に足を踏み出すのだ。
落ちて、落ちて、そして、、、
ドンッ
と地に落ちたところで目が覚める。いつもその繰り返し。
不思議なのは、ドンッという音がはっきりと聞こえるところだ。夢ではなくまるで現実で落ちたみたいに鈍くて重いものが落ちる音が聞こえていた。
当時の私は幽霊か何かが私を持ち上げて、落として遊んでいるのではないかと疑ったほどだ。
親や隣で寝ていた兄弟に聞いても「何も聞こえなかった」と言われる。
夢と現実の区別がつかなくなることはしばしばあるが、その夢ではいつも地面に体がつく直前で目が覚める。そして、その後にドンッと音が聞こえて体に衝撃が走るのだ。
落ちた衝撃の正体は未だにわからない。それすらも夢だったのかもしれないと思ってしまう。
高所恐怖症の私はとにかくその夢が嫌いだった。
嫌で嫌でたまらないのに、見る夢は選べない。その上、私は見た夢を必ずと言っていいほど記憶している。
一説によると落下する夢は体が成長する際に見る、とも言われているらしい。
また、夢占いでは場所やシチュエーションにもよるが私の場合は「プレッシャー」を抱えている、らしい。
大人になってから落ちる夢は見ていない。子供の頃によく見ていた「何か」に追われるような夢も見ていない。
最近は、体の一部が醜くなるとか、歯がボロボロ崩れるとか日常の中で自分の体が変化する夢を見る。
落ちる夢は高所恐怖症なので嫌いだが、基本的に夢を見るのは好きだ。なぜか理由はわからないが夢の中というのは安心する。ずっと夢の中にいられたらいいのになと昔からずっと思っている。
昨日のお題は「1年前」で、今日は「未来」か、、。
また本の話になってしまうが、中国のSF小説をまとめたアンソロジーを読んだことがある。その小説では多くが「未来はすでに決められている」という深層心理のもと書かれていた。中国ではそういう思考が一般的なのだろうかと不思議に思った。
未来がすでに決められているとしたら、私はなんの努力もしなくても良いということになる。何もせずに何もなせずに死んでゆく。それが私の未来として決められていたことになる。
努力しても、その結果はすでに決められていたということになる。
なんだか、横暴な理論に思えてきたな。結局、結果論じゃないか。
けれど、未来は変えられる。未来は自分次第だなんて無責任に言われるのも嫌いだ。
人間以外の動物には未来や過去という概念は持たないと言われている。クマは冬眠前に食料をたくさん食べておくし、リスは冬になる前に食糧を隠しておく、これらは未来のためにやっていることではないのだろうか?
多くの学者は本能でしかないという。ならば、人間の行動も本能でしかないのではなかろうか。
昔に手話ができるサルがいた。そのサルは「死ぬことについて」聞かれると「苦痛のない穴にさようなら」と答えたという。そのサルは死の概念も理解していた。自分が死ぬ可能性についても、「年をとって、病気で」と回答している。
これは話せないから人間と比べて思考が劣っているということにはならない証明の一つだと思う。
未来は何もわからない。映画「猿の惑星」みたいに別の種族に支配されるのかもしれないし、火星へ移住しているかもしれない。
まあ、すぐすぐの話じゃないが、。
直近で言うならば、事故で死ぬかもしないし突発性の病気で何かしらの障害を抱えるかもしれない。
私は未来に関して、「シュレディンガーの猫」だと思っている。生きているか死んでいるか、箱を開けてみるまで分からない。それが、未来というものだと思っている。
それ以外の過程なんて些細なものだ。それこそ、選ばれなければ人生が大きく変わるなんてことは無い。地道な努力でせいぜい平凡に生きて死ぬだけだ。それが大多数だ。
未来は生きているか死んでいるかの2択でしかなく、その他の過程に至る選択肢だけが私達に委ねられている。
どう生きようが、最期はみんな同じだ。好きに生きるといいと思う。
1年前ぐらいに「アディ・ラルーの誰も知らない物語」という本を読んだ。
主人公のアディは小さな村の古いしきたりだとか女らしさを求める村の人々に嫌気が差していた。子供らしい反抗的な態度だけれど、活発な明るい少女だ。
アディは成長し、村の多くの女性と同じように結婚しなければいけない年になった。結婚式当日、アディはとうとう村を逃げ出し暗い森の中で悪魔に祈ってしまう。
「ルールやしがらみにとらわれない自由」を。
悪魔はその願いを叶えてくれた。アデイは自由を手に入れたのだ。永遠の自由を。
そう、アディは不老不死になった。それも、「誰の記憶にも残らない」というおまけ付きで。
アディはその後、永遠の命とともに長い長い旅をする。苦しみ悲しみ時には願いを叶えた悪魔を呪ったりしながら、、アディは強く生きていく。
誰の記憶にも残らないアディだが、2巻で転機が訪れる。なんと、アディと同じように悪魔に願いを叶えてもらった青年と出会うのだ。青年はアディとは逆で出会うすべての人に好意を向けてもらえる代わりに1年しか生きられないという契約をしていた。
私は青年の話を読みながら酷く心が痛んだ。
私も悪魔に願いを叶えてもらえるならきっと青年と同じ願いをすると思ったからだ。たとえ寿命が1年になるとしても。
皆はアディと青年どちらに共感するだろうか?もしくは違う願いを持っているのか、そもそも願わないという選択肢もある。
私は青年に共感した。多くの人に好かれたい。出会うすべての人に愛されたい。これは私の心を充分に満たしてくれる。家族からは信頼され、友人からは親友として認識され初対面の人から笑顔で話しかけてもらえる。それは私にとって理想の人生だ。
死ぬ間際には、きっと1年前の契約のことを思い出すだろう。
私は、私だったら1年前に契約したことを後悔するだろうか?
腐っても相手は悪魔だ。良い思いはしないのかもしれない。けれど、私は悪魔にすがってしまうだろう。
永遠の自由と愛に溢れた短い人生。あなたはどちらの方が良いと思う?