翌日着ていく服が視界に入る度、綿ごみが付いてないか確認してしまう。決めているはずのコーディネートを鏡の前に持って他の服と見比べて、これでいいかなと唸ってしまう。
「街で浮かないかな」
彼に連れられて街へデートに行く、予定。明日が待ちきれないと言うのに自分で決めた服に自信を持てない。オフ仕様の彼の横に居ても見劣りしないように、流行りが分からないから目立つ色は避けるように。そうした結果、あまりぱっとしない服のチョイスになってしまった。
朝イチで迎えに来てくれる彼におしゃれな私を見せてあげたい。これはただのエゴだけど。
街行く人からお似合いねって言われてみたくて。
朝は晴れやかだった君の顔が雲っていた。
「ただいま」と帰って来てから隣に座って一言も話さない。
聞かない優しさもある。言いにくいことをわざわざ尋ねる必要もない。思い出したくない記憶を呼び起こすこともない。
「飲み物取ってくるから気が済むまで居るといいよ」
疲れたり落ち込んでいる時は君が甘い物を必要としていることが多い。むすりとしたままの君の頭を軽く撫で、元気にさせる手伝いになればとミルクティーでも淹れて、パンケーキを焼こうと思い立ち席を離れた。
キッチンで用意を始めても君の気配は消えずにもっと近くなる。
「言いたくないことは言わなくて構わないから、どうして欲しいかは言って欲しいな」
「……」
返答はなく背中が温かい。君の腕が腰に巻き付いて何があったかは分からないがかなり重傷みたいだ。
「あはは…。困ったな。俺はどこにも行かないよ」
細腕に愛おしく触れると離さないとばかりに君は力を込めた。君が離れないことに困っているんじゃない。そんな顔をさせる問題を取り除けないことがもどかしいだけなんだ。
「紅茶のミルクは多め?それとも少ない方がいい?」
「…ミルクは多めがいいな」
「了解。ホイップクリームも乗せようか」
「うん…。ねぇ、パンケーキ焼くの?」
卵、小麦粉、ベーキングパウダーに牛乳とお菓子に必要な材料が並べられてフライ返しにフライパンとくれば答えは決まっている。
「分厚いパンケーキにチャレンジしようと思うんだ。食べたくなかった?」
「違うの。…気を遣わせちゃってごめんね」
「俺が君にしたいことをしてるだけだよ。パンケーキの付け合わせは君に選んで欲しいな」
パンケーキにもホイップクリームを付けて君が選んだバニラアイスをのせる。チョコソースで仕上げを施してネコの顔なんて描いてみた。
いつもの君が戻ってきますように。
我ながら上手に描けたと思うけど君にはどう見えるかな。
一緒に住んで居ないのだからそれぞれ自分たちの生活リズムがあり生活スタイルを持っている。
人を好きなった。
それまでどこで何をして過ごしているんだろうなど考えたことのない私はそのリズムが気になってしょうがない。洗い物をしながら彼はまだ仕事かなとか、今日はもうご飯食べているのかもとか。彼の日常を空想している。
その空想に私を入れることはしない。だって彼の生活なのだから。ただ、彼が私の居ないところでどう生活をしているのかが気になるだけ。頭の片隅は彼のことばかりで埋め尽くされた。
コツ、コツ。柔らかな部分に当たって私のなかに溜まっていく小さな刺。自分ではどうすることも出来ない焦りと寂しさが募る。
けど。
彼に会うと溜まりに溜まった刺たちも溶けてしまう。
「私って単純かも」
「俺に会えなくて寂しかったの?」
「…うん」
素直に答えると彼は目を丸くする。青いビー玉がころりと落ちそうで、ぽかんとした顔は可愛いものだった。
「どうしよ、君が素直な時って少ないから貴重だな…」
「そうなの?」
「そうだよ。よかった、俺も君に会えない時は同じ気持ち」
刺がすっかりなくなって今度はふわふわの羽毛に包まれている気持ち。あったかいなぁ、なんて夢心地で彼の抱擁を受け入れていた。
街はイルミネーションできらびやかに飾り付けられている。キラキラと輝いて宝石箱の中に迷い込んだようで、昼間より明るく映るのは私の気分も関係しているのかもしれない。
ケーキの箱を抱え、すれ違う家族連れやカップルをにこやかに見送る。私は1人で歩いているけど街行く人の幸せそうな顔を見ていると私にも移って心地のよい幸せな気分になった。広場に設置された大きなクリスマスツリーは遠目からでも立派なものだったが近くで見るとまた迫力が違う。天使にリース、ヤドリギが吊るされて天辺のお星様がギリギリ見えるか見えないか、首が痛くなった。
彼の仕事は口では言えないものもあるけど家族を大切に想っている。弟の夢を壊さぬように一生懸命に夢を守っていた。
「ふふん」
いい子のもとにはサンタさんがやって来るものだ。私が彼のサンタになって時間が少しあるなら一緒にケーキを食べて「メリークリスマス」ととびきりの笑顔でプレゼントを渡して、お取り込み中ならばちゃちゃっとケーキとプレゼントを渡して宿に帰れるように荷物は最小限にまとめてある。
あまり会えない彼を訪ねてしまおうという私からのサプライズ。イブの夜に一目会いたい私のわがままでもあった。
彼の職場に近づくほど靴音が軽やかになっていく。小さな子どもが口ずさむクリスマスソングが私の心を盛り上げてくれる。
彼に、会えるかな。あの青い綺麗な瞳を見開いて驚いてくれるだろうか。
一目会えればそれでいい。それが私へのクリスマスプレゼントになるから。
冬に備えて春物、夏物を仕舞い込んだのに夏に似た陽気が俺たちに襲いかかる。七分袖を肘まで上げた君はカレンダーを横にしたり自ら傾いたり、残り少ないはずのページを捲っては首を捻っていた。
「もう11月だよね?」
「暦上はね。季節はまだ冬になりたくないらしい」
「あんなに酷暑だったのにまた夏はやだなぁ…。何もかもぬるい~」
換気で窓を開けた君はそのままベランダへ。
「あ、お天気雨…!」
呼ばれてベランダに出れば生暖かい風が頬を撫でた。これからまた夏に戻ってしまってもおかしくはなさそうで、鼻先に当たった雨も冷たくはなく温度があるように思えた。例えるなら柔らかい雨だ。
「狐の嫁入りかな?それなら寒いより暖かい方がいいよね」
「お祝いに虹が出るかもしれないね」
「見てみたいかも」
叩きつけるような雨音はなく跳ねた雨粒は軽やかな音を奏でた。「可愛い演奏だね」と口にして耳を澄ます君の想像力の逞しさにいつも笑みが溢れてしまう。不満を言いつつ面白いことへ頭を切り替える君といて飽きることはないなと常々思い、空を見上げた。
1ヶ所だけやけに明るい。本当に祝い事がありそうな、そんな予感を残していた。