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4/9/2023, 5:05:59 AM


 散策の途中に見つけた廃墟。
 興味津々な君は、俺の静止に耳を貸さずに駆け出してしまった。野盗や動物が寝ていたら危険だ。ましてや廃墟ならいつ崩れてもおかしくない。急いで後を追いドアすら残っていない入り口を抜けると空間が広がっていた。朽ちてはいるが整然と並べられた木製の長椅子に中央奥には祭壇に燭台が置かれて、外観では何の建物か判断がつかなかったがここは教会だったらしい。ステンドグラスもほとんど割れ落ち、歩くたびにガラス片がガラスくずになっていく。もはや何を祭っていたのか見る影のない祭壇前で君が言う。

「すごく昔の話らしいんだけど私の先祖が式を挙げたらしくて、一度来てみたかった場所なの」
 何代かはここで式を挙げ土地の神にも感謝を捧げていたらしい。もうなにもないね、とステンドグラスを背に笑う君は何を想像しているんだろうか。過去の姿に思いを馳せているのか、未来を見ているのか。

「きっと白いウェディングドレスにステンドグラスの色が映ってとっても素敵だったと思うの。それでこの場所で指輪の交換をして…」
 一人芝居のように祭壇前で式の再現を試みている。空想上の相手にだって君を渡したくなくて割り込んだ。

「『これからも、ずっと』そばに。この指は空けておいて」

 絵本のような白馬に乗った王子様は俺の柄ではないが、真似事くらいなら。男の俺の厳つい手は指先まで手入れの行き届いた白い手を掬い上げる。顔に持っていくと甘さを孕んだ君の香りが広がっていくようで、左手の薬指に感触を確かめるようにゆっくりと唇を押し当てた。

「俺のために誓ってくれる?」

 君をさらって閉じ込めて、永遠に一緒にいることを望む…絵本では悪役と例えられるそれが一番似合っているんだ。教会で誓わせてしまう俺のタチがが悪いことは君も十分知っているだろうけど。 

4/8/2023, 9:24:15 AM


 「俺の故郷の空は灰色が多いんだ」
 雪が深く積もり流れる水さえ凍ってしまう、冬を切り取って閉じ込めた国。親しみを込めて呼ぶ彼の故郷の空は灰色らしい。

「ちゃんとした青空もあるでしょ?」
「もちろん、見たことない訳じゃない。晴れた日だって…。そんな日は弟たちと外を駆け回って遊んだな」

 雪雲が層のように厚く、灰色が濃くなったり薄づいたり天気を読んで暮らしていた。だから目は灰の空に慣れていて見るたびに家族のいる故郷を思ってしまう、と。
 ベンチに2人腰かけながら『沈む夕日』を眺めている。話題となっていた彼の言う灰色はどこにもなく、青空にピンク色の靄がかかって薄い紫色をしている。夕日を起点にして、グラデーションが始まってまるで薄いベールを被っているみたいだった。白い雲には夕日のオレンジ色が乗って色んな色が空に広がって不思議な感じ。夕日は海にゆっくりと溶けていく。あぁ、終わっちゃう。次の日も見られるけどつい物悲しくなってしまう。

「…ここじゃ数分で終わってしまうけど、俺の故郷では数日続くよ」
「こんな幻想的な景色が?一日中?」
 何でも白夜といって太陽が沈まないのだとか。初めて聞いた魔法みたいな話だ。

「灰色とこの瞬間が俺の慣れ親しんだ空なんだ。前よりずっと愛しさを覚えるのは君がいて、世界が鮮やかに見えるからかな。君はどう?」

 覗き込まれて、まだ沈まないでと願うのは夕日のせいだと言いたいから。早く沈んでと願うのも夜の暗がりに紛れてしまえば気付かれないと思うから。つくづく彼の言葉に舞い上がってしまう私は単純で、恥ずかしさを誤魔化す言い訳は今、用意した。「あなたの夕日に似た髪色が移ったの」と。

4/6/2023, 11:26:46 PM


 くすんだ灰色の雲が漂っていた。天気予報ではこれといった変化を耳にしていなくて、ポツポツ降りだした雨に俺も、街を歩く人たちも屋根の下に避難した。
 あっという間だった。これくらいなら走れば余裕だ、踏み出した1歩目で強風に服を巻き上げられ次にはどしゃ降りに。予想出来るわけないよな。

 ずぶ濡れで帰路を目指すか…。
「お困りなら一緒に帰りませんか?」
「…え?」
 聞き間違うはずがなかった。どしゃ降りのざぁざぁ水が落ちていく音は激しいのに君の声はよく聞こえた。2人入るにはピッタリの大きめの傘。傘は行きつけのお店から貸してもらったんだそうな。一見、傘のお化けに見えたのは内緒だ。

「お願いするよ」
 屋根下で途方にくれる彼らにさよならを告げ君の持つ傘に。俺が持つね、と持ち手を取り上げて十分なスペースがあるのに肩を引き寄せた。

「こんなにくっつかなくても…歩きにくいでしょう?」
「俺がこうしたいだけで歩きにくくないよ。知ってる?雨の日の傘の中って人の声が綺麗に聞こえるんだって」
 雨に反射してそう聞こえると屋根下で誰かが話していた。

「耳をすませればもっと綺麗に聞こえるかもね」
「そうなのかな?」
「試してみようか」
 道端に寄り立ち止まる。雨の勢いは少し落ち着き煩わしくはない。
「何か話してね?」「もちろん、何の話がいいかな…」君は目を閉じて耳をすませている。考える素振りをしながら、傘が大きくてよかったと。君1人を覆い隠すのは簡単で、懸命に耳をすませる無防備な唇にキスを。
「んっ…」
「…きれいな声だね」
 そういう話を聞いたためかいつもと違うように聞こえるかも。まつげがふる、と動き開いた双眸は丸い。「私じゃなくてあなたの声が聞きたいのに」と拗ねる君にもう一度同じ事を繰り返し

「俺の声はもう少し深くしないと、ね?」

『君の目を見つめると』未だに目を瞬かせていた。頬が赤くなっていく様は何時見ても飽きない。

4/5/2023, 10:53:26 PM

 
「高い場所の風は強いね。気を抜いたら落ちてしまいそうだ」

 独り言に答える声はない。君がいたらヒヤヒヤしながら俺を止めにくるけど君はもう夢の中にいる。
 業務が尽きず、気分転換で屋上へとやって来た。湿っぽい夜風を受けながら、防止策を乗り越えて角に立つ。この街は今日も賑やかだ。人の頭が米粒ほどで、それが少しずつ動いている。大通りは大渋滞していた。

 数多に輝く『星空の下』、建物の最上階から街を見下ろしているなんて正義のヒーローみたいじゃないか。どちらかといえば俺は正反対の存在だが、今は気取ってみてもいいだろう。
 この街にはかつてのヒーロー…人々から崇められた神はもう居ないんだから。

4/4/2023, 11:31:34 PM


 「何度目だと思う?」
 今回ばかりは目を瞑らなかった。腰に手を当てて、いかにも怒っていますよと態度に表す。彼はそんな私を見て一瞬だけ別の表情を出したあと柳眉を下げていく。まだ叱ってはないけど叱られた後の子犬の様な顔。
 悪いことをしたのは彼のはずなのに私が悪いみたいになる。

 私の首という首には赤い痕がいつも残っていた。首から始まり、手首に足首。痕、痕、痕…。虫刺されで誤魔化しようもない。服を着ても、カーディガンを羽織っても見えてしまう。ファンデーションも塗ったところで服に着く。もう真冬じゃないからタートルネックを着たところで場違いになる。

「『それでいい』訳があるなら聞きます」
「…可愛いから、つい」
「つい…」
 つい、調子に乗ってしまうのだとか。自分のものだと視覚的にも認識したいし痕を見て恥じらう私を見たい等々。言い訳じゃなく痕をつける理由を散々聞かされ、しまいには付けた時の反応を痕に触れながら説明してくる。そういうことを聞きたいんじゃない。

「私は、怒ってるの…!外に出られないでしょ」
 人と会う約束をしていたのだ。
「そのためだよ。君が約束してる男に見せつけるため」
「私…」
 私は人に会うと伝えていたけど男に会うなんて一言も言ってない。疚しいことをするつもりはなく、彼のことを相談するつもりで…。

「このまま俺に愛されましたって見せてくる?それとも俺が断ってこようか?」
 主導権が彼に渡ってしまった。相談相手は何事にも動じない人物だが私が無理だった。こんな姿で外に出られないし、もう諦めて手紙で相談するしかない。

「最初から外に出すつもりないんでしょ…」
「ふふっ、悪いね。すぐ戻るよ」

 出掛ける彼を見送ると私の怒りも一緒に出ていったみたい。全部手のひらの上、私が諦めることも、こうなる事も。彼にはやっぱり敵わない。


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