蜩ひかり

Open App
7/22/2025, 8:59:10 AM

 空を真剣に眺めたことなどあまりなかったから、夕方に流れ星が落ちるのはめずらしいことだなんて初めて知った。ましてや、その星を追いかけさせられることになるなんて思わなかった。
 今日も数学の時間に寝落ちしていたから、実はまだ私は居眠りから起きていなくて、ずっと悪い夢でも見ているのではないかとすこしだけ疑っている。この夢が覚めたら、また覚える気にもならない記号が黒板に羅列されている光景を思い浮かべる。あかりちゃんには申し訳ないけれど、私の目に映る数式は星空と似ている。あの星を望遠鏡で見てみたら、その正体は数字かもしれないと思っている。
 きっと黒板のなかには宇宙が広がっているのだ。だから、永遠にわからなくても仕方ないような気がした。

「早く早く! いつ消えちゃうかわからないんだから」

 あかりちゃんは彼女の代わりに自転車を漕いでいる私の腕まで引っぱって、消えない流れ星をきらきらとした瞳で見つめていた。
 私はというと、ぜんぜん興味がなかった。下り坂とはいえ、ふたりぶんの重さがのしかかった自転車を漕ぐのに疲れていた。あれは私が見つけた流れ星ではないし、消えないなんて変だと思う。
 でも、もしあれがどこかに墜落したら、さすがに大変なことになってしまうかもしれない。あかりちゃんとはたぶん対極的に、私はそこそこ現実的なことだけ考えていた。望遠鏡や顕微鏡を通さなくてもわかる、本当にちっぽけな目の前のことだけを。

「たとえばさ」

 あかりちゃんは両手を合わせて目を瞑りながら、なにかを真剣に探しているようだったので、風鳴りに負けないように大きな声で話した。
「もしあの流れ星が願いごとをしていいよって言ってきたらさ、あかりちゃんはなにしたい?」
「え? えーっと……そういうのは考えてなかった!」
 そう言って、しばらく瞑っていた瞳を開ける。何それ、と私は笑った。
 あかりちゃんは星を見るのが好きらしいから、あの流れ星が星空をすべってだんだん地球に近づいてきていても、最後の最後まで無邪気にはしゃぐだけかもしれないと思った。

「ねえ、見て。あそこで光ってるいちばん明るい星、とってもきれいなの。でも、あんなところに星ってあったかなぁ」

 あかりちゃんはぱっと自転車から降りて道路に立つと、その方向を指さした。私もつられて同じほうへ首を傾けるけれど、もうどれが光っているのかよくわからなかった。
「流れ星はもういいの?」
「あ……忘れてた!」
 あかりちゃんは不思議そうにしていたけど、すぐにまた見つけてあげるからね、と笑っていた。あんな得体のしれない流れ星がまた頭上に現れても私は困るだけだけれど、数学の授業だけ都合よく破壊してくれないかな、と考えた。
「そうだ、それ願っとこ」
「え、何? 何お願いしてるの? 教えてよ!」
 あかりちゃんは慌てている。もう消えてしまった流れ星にそんな力があるとは思わないけれど、もし叶えてくれるなら私にこれ以上の望みはない。
 知らないほうが楽しいじゃん、と言ったら、あかりちゃんは勝手に納得してくれた。彼女はちょっと変わっているけれど、たぶん本当にいい子なんだろう。
「ほら、もう帰るよ」
 そろそろ日が暮れてしまう。急いでペダルを漕ぎ出したら、あかりちゃんが唐突に大声をあげたのでびっくりした。どうか何事も起きていませんように、と願いを込め、ゆっくりブレーキをかけて振り返る。

「見て。学校に流れ星が刺さってる……」
「嘘でしょ?」
 あれは私のせいなんだろうか。
 空を見上げると、きらりと光った流れ星がちょうど消えていくところだった。

(星を追いかけて)

4/27/2025, 7:29:33 AM

 東の空に呆れるほど綺麗な虹が浮かんでいたから、きみが心で泣いているしるしだと思った。
 橋を渡ってもきみがそこにいないことは知っているから、わたしはきみのいちばんすきな色だけを踏まずに、この馬鹿みたいな道を勝手に通ります。

 遅すぎた太陽が雲の隙間からこちらを覗き見ている。なんでもない泥濘に沈んで動かない偽物のほうが透きとおっているのは、待ち合わせの時間に来たことが一度もないからだ。
 月でも星でもなんでもいいから、いつでもきみに寄り添ってくれるひかりが、ちゃんとどこかに灯っていたらいいな。

 今日のきみは顔をあげて太陽を見られただろうか。
 せっかく来たのにあいつはすぐに隠れてしまった。
 夕方の風はすこし肌寒くて、涙のつぶに濡れた緑からさみしい雨上がりのにおいがした。

(どんなに離れていても)

4/23/2025, 9:55:00 AM

「恋愛って何をどうやったらハッピーエンドになるのか分からない」
「はあ」

 為末未散はまるで高校生らしからぬ虚ろな目でかなり拗らせたことを言いながら、校舎裏の花壇へ勝手に何かの種を植えつけていた。いや、そこは園芸部が管理しているものじゃなかっただろうか。
 何を植えたのか知らないが、恋愛フラグが立ったら最後、バッドエンドにしかならない女と言われている為末が植えたものだ。恐らくろくなものが生えてこないだろうと僕は直感した。いや、そんなものは風晴学園の男子なら、僕じゃなくても直感するだろう。

「ちなみに為末、マンドラゴラとマンイーターどっちが好み?」
「どうしてその二択しかないのよ」
 これだから小田くんは、とでも言いたげな呆れ気味のトーンだったが、気に入られてしまったら困るのだ。こんな対応以外何をしろっていうんだろうか。
 花壇のそばにしゃがみこんだ為末は、盛り上がった土を園芸用のスコップでぽんぽんと慣らしながら、じっとりと僕を見上げた。
「見なさい、ここに愛を埋めたわ」
「誰のだよ。どこで買ってきたんだ」
「知らない。ただ、愛を育んだらハッピーエンドが見られるかと思って」
 語感に頼っている。
 愛を埋葬している時点でもうアウトなんじゃないかと僕は思ったけれど、ここで掘り返すという選択肢を選んだら、余計とんでもない事が起こってしまいそうな気がする。
 僕は黙って経過を観察することにした。

 巨大なマンイーターが校舎を破壊するのはいつになるだろう。そういう災害に対しては、どういう備えをしておけばいいんだろうか。
 僕は時折そんなことを考えながら校舎裏の花壇を眺めていたけれど、意外にもちゃんと生えてきた。愛が。
 愛の芽はわかりやすくピンク色のハートの形をした可愛らしいもので、園芸部員たちにも可愛がられていた。
 為末は美術部の活動の傍ら(ちなみに彼女の描く絵は何かしら呪われているという噂で有名だ)、毎日愛に水をやりに来ていたが、それは汚れた絵筆をバケツで洗う作業となにも変わりないように映った。
 園芸部でない彼女は加減など知らないらしく、地面がびちゃびちゃになるまで水を注いだ。
 何色もの絵の具が混ざって、何色でもなくなった大量の感情を注がれている。
 愛とはそういうものなのかもしれない、と思った。
 それでも愛はすくすくと育っていった。
 彼女の心の内などまるで知らないように。

「愛、育ちすぎたわね。ここからどうすれば幸せに着地できるのかしら」
「もう引き返せない所に来てるだろこれは」
 そして今や校舎の3階にめり込むほどの大きさに育った、巨大な風船のような愛を見上げながら、僕は途方に暮れている。
 為末もどう始末をつけようか迷っているようだったが、彼女はうっすらと笑いながらシャーペンを取り出した。
「まあいい。大きすぎる愛は破裂すると多大な代償を支払うことになる、きっとそういう話だったのよ」
「別にそれでもいいけど、僕を巻き込むのはやめてくれないか?」
「小田くんは平気よ。私貴方の事はちっとも好きじゃないから」
 そうして為末は愛にシャーペンを突き刺した。
 愛の爆風が校舎に吹き荒れて、至る所でカップルがいちゃつき始める。為末は幸せになれなかったものの、思ったよりハッピーエンドだったな。雑だけど。
 筆洗いの水より凪いだ心で、僕はそう思った。

(big love!)

4/19/2025, 8:00:30 AM

 僕の日常には何事もない。
 小学生の頃からもう人生には何事もないのが一番だと気づいてしまって、将来の夢に公務員と書いていた僕は、夢にまで見た適当な大人としての生活を手に入れた。
 夢は思ったより叶うし、叶ったほうがよい。
 ただし内容によるし、その後の人生の満足感を保証するものではない。

 もっとちゃんと夢を見ておくべきだったんだろうか。
 夢らしい夢を抱くには何が必要だったんだろうか。
 毎日朝早くに起き、同じ時間の電車に乗って、引っ越し屋に運ばれる荷物あるいは洗濯機にぶち込まれたYシャツでももう少し快適な生活をしているんじゃないかと思うほどの人口密度の中でただただじっとしている。
 やっと吐き出されても一息つく時間すらない。生活苦はない。ただ、楽しみもない。なんの物語も始まりそうにない。改札を出たらそこにはディストピア化した東京が広がっていたりしないし……の前に、通勤定期がなかった。
 どこかで落としたらしい。最悪だ。

「君、定期券を落とさなかった?」

 助かった。誰かが拾ってくれていたらしい。振り返るとそこには、アニメでも見たことがないようなパステルカラーのセーラー服を着た少女。彼女の周りだけを初夏のからりとした空気が取り巻いていて、通勤中の人通りが流れる小川のようにさえ見えた。改札口の向こうに風が吹き抜けていく。
 彼女のさしだした定期券に書かれていたのは、職場の最寄り駅ではなく、聞いたことのない駅名で。

「ここで終わり」
 え?
 セーラー服の少女が残念そうに言う。
「だって君の日常には何事もないみたいだし、私も今日は時間がないんだよね」
 そうなの?
 いや、こんなに何かが始まりそうだったのに?

 ……夢は見たほうがいい。
 そして、書き出しには気をつけるべきだ。
 僕が学びを活かす機会はあるんだろうか……。

(物語の始まり)

3/31/2025, 6:10:16 AM

 お元気ですか。明日は冬が降ってきて、咲きかけの春を散らしていくようです。
 貴方が其処に立っているだけで、春が貴方を避けて通るみたいだ。散ってしまった花弁で埋まった道を振り返りもせず、貴方は空を背に咲き誇った花だけを見上げて、綺麗だねって健気に笑うんだろう。その大樹のいのちを育んだ雨がすべて貴方の涙だったとしても。

 春はなぜ逃げるのですか。風はなぜ助けるのですか。純粋なものと真正面から向きあうことはそんなにも辛いことですか。春、卑怯者、あなたは昔から柔和な顔をした獣のままだ。運んでくるより連れ去っていくもののほうが多い、すり減った誰かの隙間はいつも満開の桜で切り貼りされていて、わたしたちはいつでも其処に本当は何があったのか見失ってしまうけれど。

 貴方が咲かせた花を見るのはいつになるだろう。
 貴方の涙が咲かせる桜は青いかもしれないから、いつかその花をこの目で見る日まで、わたしは風のなかにいる。
 春風が出ていけと煩い。聞こえない。聞こえない。わたしの扉を勝手に叩くな。

(春風とともに)

Next