蜩ひかり

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 空を真剣に眺めたことなどあまりなかったから、夕方に流れ星が落ちるのはめずらしいことだなんて初めて知った。ましてや、その星を追いかけさせられることになるなんて思わなかった。
 今日も数学の時間に寝落ちしていたから、実はまだ私は居眠りから起きていなくて、ずっと悪い夢でも見ているのではないかとすこしだけ疑っている。この夢が覚めたら、また覚える気にもならない記号が黒板に羅列されている光景を思い浮かべる。あかりちゃんには申し訳ないけれど、私の目に映る数式は星空と似ている。あの星を望遠鏡で見てみたら、その正体は数字かもしれないと思っている。
 きっと黒板のなかには宇宙が広がっているのだ。だから、永遠にわからなくても仕方ないような気がした。

「早く早く! いつ消えちゃうかわからないんだから」

 あかりちゃんは彼女の代わりに自転車を漕いでいる私の腕まで引っぱって、消えない流れ星をきらきらとした瞳で見つめていた。
 私はというと、ぜんぜん興味がなかった。下り坂とはいえ、ふたりぶんの重さがのしかかった自転車を漕ぐのに疲れていた。あれは私が見つけた流れ星ではないし、消えないなんて変だと思う。
 でも、もしあれがどこかに墜落したら、さすがに大変なことになってしまうかもしれない。あかりちゃんとはたぶん対極的に、私はそこそこ現実的なことだけ考えていた。望遠鏡や顕微鏡を通さなくてもわかる、本当にちっぽけな目の前のことだけを。

「たとえばさ」

 あかりちゃんは両手を合わせて目を瞑りながら、なにかを真剣に探しているようだったので、風鳴りに負けないように大きな声で話した。
「もしあの流れ星が願いごとをしていいよって言ってきたらさ、あかりちゃんはなにしたい?」
「え? えーっと……そういうのは考えてなかった!」
 そう言って、しばらく瞑っていた瞳を開ける。何それ、と私は笑った。
 あかりちゃんは星を見るのが好きらしいから、あの流れ星が星空をすべってだんだん地球に近づいてきていても、最後の最後まで無邪気にはしゃぐだけかもしれないと思った。

「ねえ、見て。あそこで光ってるいちばん明るい星、とってもきれいなの。でも、あんなところに星ってあったかなぁ」

 あかりちゃんはぱっと自転車から降りて道路に立つと、その方向を指さした。私もつられて同じほうへ首を傾けるけれど、もうどれが光っているのかよくわからなかった。
「流れ星はもういいの?」
「あ……忘れてた!」
 あかりちゃんは不思議そうにしていたけど、すぐにまた見つけてあげるからね、と笑っていた。あんな得体のしれない流れ星がまた頭上に現れても私は困るだけだけれど、数学の授業だけ都合よく破壊してくれないかな、と考えた。
「そうだ、それ願っとこ」
「え、何? 何お願いしてるの? 教えてよ!」
 あかりちゃんは慌てている。もう消えてしまった流れ星にそんな力があるとは思わないけれど、もし叶えてくれるなら私にこれ以上の望みはない。
 知らないほうが楽しいじゃん、と言ったら、あかりちゃんは勝手に納得してくれた。彼女はちょっと変わっているけれど、たぶん本当にいい子なんだろう。
「ほら、もう帰るよ」
 そろそろ日が暮れてしまう。急いでペダルを漕ぎ出したら、あかりちゃんが唐突に大声をあげたのでびっくりした。どうか何事も起きていませんように、と願いを込め、ゆっくりブレーキをかけて振り返る。

「見て。学校に流れ星が刺さってる……」
「嘘でしょ?」
 あれは私のせいなんだろうか。
 空を見上げると、きらりと光った流れ星がちょうど消えていくところだった。

(星を追いかけて)

7/22/2025, 8:59:10 AM