夜と朝の隙間で目が覚め、隣の柔らかい白い肌を確認する。規則正しい寝息が聞こえる彼女の頬に唇を寄せれば小さく身じろぎをする。そんなことさえ愛おしくて、口の端が緩む「全部おれのせいにしてええよ」数時間前の彼女との会話を反芻しながら呟く。泣いた跡の残る目尻に指を添わせば長いまつ毛が指をくすぐる「…孝二、?」「起こしてもうた、ごめん」薄く開いた瞳はまだ焦点が定まらないようで虚ろだ「も、朝…?」「いや、もう少し寝とき?」「孝二はなんで、起きてるの」「なんでやろうなぁ」いつもの癖で笑おうとした口角はうまく上がってくれなくて、代わりに視界が歪む「泣いてるの?」「あかんな、おセンチや」今度はうまく笑えたけれど、一緒に同じくらいの涙が溢れる「やっぱり私が行けばよかった」「その話はなし。おれが悲しいんは、明日から君に会えへんこと」遠征選抜結果に彼女の名前が並んだ時から、こうすることを決めていた「私だって…」その先は言葉にならなくて、胸の中で肩を震わせる彼女の体を包み込む「絶対、帰ってきてね」「当たり前やん」不確定な未来でも、今だけは。
もしも未来をみれるなら
夏が来る少し前の、夜が明けるのが少しずつ早くなる季節が苦手だった。ずっと暗ければ、見ないふりができるのに、少しずつ明るんでいく空に急かされているような気分になる。今日も変わらず、ほんの少し開いたカーテンの隙間から白い光が漏れ始める。後悔でもない、虚しさでもない、焦っているわけでもない、ただ朝を待つだけなのに、こんなに苦しい。何度目かの寝返りを打つ、衣擦れの音がやけにうるさい。ほとんど埋まっていた顔をさらに布団の中に埋めて、光を全部遮断する「寝れないの」耳元で低い声が聞こえる。声の主に返事をすることもなく、暗闇に身を潜める「起きてんでしょ」少し不機嫌そうな声は諦めたようにその場を後にする。遠ざかる足音にホッとして、息を吐く「やっぱり起きてんじゃん」ぶわ、と広がるのは真っ白な世界と少し肌寒さを覚える外の空気「目、ギンギンじゃん」「うるさい」ようやく出た声は少し掠れている「呼べって言ってるでしょ」「雷蔵も寝てないじゃん」不貞腐れたような声は彼の顔を歪めるには十分で、捲りあげた布団にするりと入り込む彼を止める術はない「あ、ちょっと」「俺が隣にいるとよく寝れる、って言ってたの、お前じゃん」何も嘘はない、でも失言だったと今になって思う。ただ隣にいるだけなのに、侵食するように睡魔がやってくる。じわじわと色を変えていく「雷蔵」名前を呼んでも返事はない。夜勤明けの彼はすでに限界だったのか、小さな寝息が聞こえ始めた「あんたの方が寝るの早いってどういうことよ」呟きながらあくびを噛み締める、寺島印の安眠枕の効果たるや、伸ばした腕をゆっくりと彼に絡め目を閉じる「おやすみ」次起きたら、もう離したくないって伝えよう。
無色の世界
なんであんなこと、言ったんだっけ?考えても答えなんてなくて、涙も出なくてこの感情をどこにぶつければいいのかわからない「ばかだなあ」呟いたのは誰に向けた言葉か、腹が立ってるような気もして、でもこの怒りはどこに向けるべきものなのかわかっていない「何やってんの」上からかかる声にふらりと顔を向ければ、寺島が目を細めてこちらを見下ろしている。その表情は蔑むようにも、なにも考えていないようにも見える「終わった」「やっと?」「ハハ、やっと、だわ」全然笑えない「結局家族が大事、なんだってさ。そりゃそうか〜」いつも会う時は薬指の指輪を外してくれたじゃない。君しか愛してない、ってそう言ったじゃん。はやく一緒になりたいね、って「全部うそじゃん」悲しいとか悔しいとかカッコ悪いとか、全部丸めてぐしゃぐしゃになって雫になって落ちる。あんなにカラカラだった瞳から滝みたいに流れる涙は血液「ほんと、バカだよ」本当にバカにしたような声なのに、私の頭を撫でるのは優しくってあったかい手のひら「でもよく言ったね、よくできました」
桜散る
瞼の向こうが明るくなって、朝だと気づく。ゆっくりと目を開ければカーテンの隙間から覗く明るい光、隣で眠る彼女はまだ夢の中「天気、いいな」特に今日の予定はない、珍しいことといえば二人の休日が重なったことくらいか「おはよ」「…起きたのか」ゴソゴソと隣が騒がしくなる「今日どこか行く?」気づけば俺の傍らにぴたりと近づきスマホで何やら調べている。ちら、と視線を移せばタイミングよく彼女と目が合う「行きたいところあるのか」「うーん。こんなに天気いいからどこか行きたい」「けど行きたい場所はない、と」言葉を継げば正解、と笑う瞳にこちらも頬が緩む「でも春秋くんとお家でまったりもいいかなぁ」「最近忙しそうにしてたもんな」自分はどちらでも、彼女と過ごせるならと会話を続ける「んー」スマホを投げ捨て東に絡まる小さな体、甘くて優しい香りが漂う「居心地良すぎて抜け出せない〜」「俺のせいか?」気づけば東を見下ろす彼女、寝起きのふにゃふにゃの顔が愛くるしい「春秋くんが起きてくれないから」そのまま東の首に絡まる腕、二人の距離がなくなって溶けていく「起こす気ないだろ」「ん、春秋くん、大好き」もう一度カーテンの向こうの空に視線を移す。少し遅めの朝食に二人で出かける準備をしようか。
快晴
毎朝、彼を見つめるのに忙しい。憧れに近いこの感情、すらりと伸びた足に驚くほど小さい顔、朝が苦手なのか不機嫌そうにしているのにそんな表情さえなんだか整いすぎて彫刻みたい。毎朝同じバスに乗って、別々の場所で降りる「頭もいいんだもんなあ」彼が降りるバス停は進学校の生徒が降りるそこで、私はその先の普通校のバス停。今日も彼の後ろ姿を見送るつもりで、少し後ろから見つめていたはずなのに「こちらのバスは車両不具合が発生し、このバス停で運転を取り止めます」後続のバスが来るらしいが、そんなの待っていたら学校に遅れてしまう。強制的に降ろされたバス停、彼の使っているバス停なのに、恨めしい「あ、あの」クラスメイトに伝言してもらおうとスマートフォンを取り出す「あ、あのっ!」「いっ」バシン、と叩かれた背中に思わず声が漏れ、後ろを振り返れば「あ、あ、す、すみませ…」「え…」目の前には憧れの彼、もしかして彼が背中を?なぜ?そして結構痛い、なんて頭はぐるぐるしている「あ、あの、第一の人ですよねっ」「あ、は、はい!三門第一の生徒です!」「えと…あの、辻です」「は、はい?」「つ、辻新之助で、す…」急に始まる自己紹介、どうしたら良いのか分からず自分の名前も伝えてみる「と、ともだちに、なってもらえませんか」「え?!」「あ、あぁ、すみません、気持ち悪いですよね、あぁ…」あからさまに落ち込むきれいな顔、こちらまで悲しくなってしまう「あ、あの違うんです、嫌とかじゃなくて、びっくりしちゃって。お友達、なりましょう?」「ほんと、ですかっ…良かった…辻です」まだ自己紹介してくれていて、もはやかわいいなんて思ってはいけないだろうか「ずっと、声かけたくて、ちょっと好きです…」言われた私よりもずっとずっと赤くなっている彼に愛しさが込み上げる。車両不具合ありがとうございます。
言葉にできない