「好きだよ」「うん知ってる」目の前の男は普段と変わらない顔で頷く。最初はギョッとした顔や、少し照れるような顔をしていたはずなのに、いつの間にか目の前の男の心を動かすこともできなくなってしまった。「感情消えた?」「いや、嬉しいよ」貼り付けた笑顔で笑う、そんな顔だって好きなんだから重症だ。「その顔も好き」「うん」「今日はなんかちょっと冷たいね?」鬱陶しがられているのは百も承知で、それでも今日はいつもよりツンが強い気がする。「俺も悪いと思ってるんだけど」研磨は少しだけ俯いて、ポツリとつぶやく。もう好き好き言うな、迷惑、とか言われるのか、いつもと違う雰囲気に少しだけ構える。「どうしたいわけ?」「……え?」「俺をどうしたいわけ」明らかに嫌悪を帯びた声に、思わず固まってしまう。迷惑と言われるよりもずっと重い、これが最後なんだと頭が言っている。「え、えーっと、ごめん。私、自分のことばっかりで研磨のこと考えてなかったよね」早口で捲し立てながら、なぜか涙がでてくる。泣きたいのはこれまで我慢してきた研磨なのに。「もう、言うのやめるから!嫌な思いさせてごめんね」「ちょ、ちょっと!待ってよ」言いっぱなしで逃げようとした腕を掴まれる。もう涙でぐしょぐしょだし、見られたくない、振り返ることもできずにいれば今度は研磨が謝りはじめる。「あのさ、言うだけ言って満足なの?……付き合いたいとか、ないわけ」付き合いたい?誰が?何を?「俺と付き合いたいとか思わないわけって聞いてんの……」「は?」思わず振り返り顔を上げると、そこにはびっくりするくらい顔を赤くした研磨がいて「あーもう……なんで俺がこんなこと」「研磨、私と付き合ってくれるの?でも、私のこと好きじゃないのに?」「いつそんなこと言った?」「…言われたことない。でも好き、って言われたこともない」「聞かれたことない」屁理屈だらけの応酬にバカバカしくなってきた。「研磨、私のこと好きなの?」「は?好きじゃなかったら毎日毎日君の愛の告白聞いてないでしょ」告白し続けるのが今日で最後だってのは間違ってなくて、明日からは恋人としてあなたの隣に居られるってことだね。
愛を叫ぶ
夏の匂い、とか春の足音、とかそんなのわかるほど繊細な人間じゃない。この耳は1番大きい音だけを都合よく拾う。「おら、何してんだてめー!」「ぎゃ、最悪、諏訪さんに見つかった!」ひょい、とガードレールを超えて走りながらマップを確認する。高台から降りるしか選択肢がなく、少しひらけた道路に足を踏み入れた瞬間「ぉ、わっ、と!」左奥からの殺意は に反射で避けたものだからバランスを崩す。「追い込め!」誰かの声に振り返った視線をもう一本の射線が通る。思わずのけ反る体はどこに重心を傾ければ保てるのかわからないほど、グラグラと揺れる。「集中攻撃きんしー!」四方八方からの攻撃全てに大きな声で応戦すれば、また1本の射線が入る。「荒船、容赦しなさいよ!」「訓練の意味がねーだろ!」言うが早いか屋根から飛び降りる影は左に弧月を抱えている。「スナイパーのくせに。正々堂々戦いなさいよ」「うるせーな、使えるもん使って何がわりーんだ」ジリ、と相対した2本の弧月、目の前の荒船だけじゃなく、どこから狙っているスナイパー、最初に追ってきた諏訪、ここの騒ぎを聞きつけて集まる他の戦闘員、全てに注意を払う。『ナマエ先輩、2時の方向』頭に響く声が届く前に体を反応させる。倒れ込む体の向こうに太刀筋が見え、荒船に直撃する。「ちっ、辻かよ」負け惜しみのような声とほぼ同時に背中を抱き止めてくれる腕、少し向こうに諏訪の悔しそうな顔が見える。「辻ちゃん、助かった〜」「先輩、声デカすぎ。あれじゃ見つけてって言ってるようなもんです」呆れる声は相変わらず控えめで、そんな彼がアタッカーなんてポジションにいることも面白くて。「辻ちゃんにも聞こえるようにね」内部通話で話せばいいだけなんだけど、切り替えてる間に声が出てしまう性分なのだからしょうがない。辻を横目で見れば俯き加減の顔が少し赤い。「辻ちゃん、どした。具合悪い?」「……俺は、先輩の声ならどこにいたって聞こえてます……から」「?!……ちょ、なに告白してんの」訓練中に、とこぼせば「訓練終わったら、ちゃんと言います、から」「えっ、あ、ハイ」今度はこちらが赤くなる番「訓練中にいちゃついてんじゃねーぞ」追いついてきた諏訪が心底嫌な顔でそんなこと言うところまで。
耳を澄ますと
布団の中で丸くなったところで何も変わらない。鈍い痛みが波のようにジクジクと襲う「大丈夫か?」「だいじょぶに見えんの?」心配してくれている東峰に苛ついて可愛くない言い方になる「…ごめん、ちょっと嫌な言い方した」「俺は気にしてないから大丈夫、しんどいよな」ベッドサイドに腰掛けて、小さくなった背中を大きな掌が撫でる「まだ湯たんぽあったかいか?」「ん、ありがとう」お腹に抱えた湯たんぽと東峰の声が、じんわりとトゲトゲの心を溶かしていく「今日、デートいけなくてごめんね」「それはもう言うなって。次があるだろ」「いつになるかわかんない」「それは…そうだけど」春高を控えた彼のスケジュールはもちろん部活一色で、それを応援しているはずなのに、また可愛くない私が顔を出す「今日、最低なことばっかり言ってる。すごいやだ、自己嫌悪、もう喋りたくない」「おいおい、ネガティブになりすぎ」「旭に言われたくない」「それは…そう」苦笑いの東峰のシャツを引っ張る「どうした?」「もうちょっと近く、きて」「…お、おう」「なに?照れてる?」「お前な、わかってやってるだろ」ふふ、と笑う向こうには真っ赤な東峰がいて、かっこわる、なんて言いながら顔を覆っている「一緒にお昼寝しようよ」「敵わないよ…」呟いた彼は体を傾け隣に横になる。その懐に収まれば、東峰の匂いでいっぱいになる「旭、だいすき」「俺も」「好きって言って」「え?!…勘弁してくれよ」言葉の代わりに背中に回る腕の力だけで十分だね。
今日の心模様
ねえ、コーチ。何度も口にしたそのセリフ、いつも胸の奥がきゅーっとするの、ねえ知ってる?「ビブス、あるか?」「ここに持ってきてます」「サンキュ」その声、その顔、全部が私を夢中にさせるの「コーチ、今度の練習試合なんですけど」「あぁ、悪いな、助かる」もちろんバレー部のみんなのため、だけどこうしてコーチに近づきたい、なんて邪な考えはダメですか「お前また来てんのか、マネージャーは休めっつったろ」「暇なんですもん!いいじゃないですかぁ」「彼氏もいねーのか」「いませんよーだ」クラスの男子がなんだか子どもに見えちゃうのは、コーチのせいだよ。でもあなたが、くしゃくしゃの顔で笑うときって、誰よりもかわいくってかっこよくって、最強なんだから「ねえ、コーチ」好きだよ、なんて言わないから、何も気づかないふりをして、隣にいさせてくれませんか。
たとえ間違いだったとしても
鼻腔をくすぐる匂いにうっすらと目を開ける。いつの間にか朝になっていて、自分が寝ているところが柔らかなベッドの上だと思い出す。映る天井は懐かしい我が家、ゆっくりと体を起こし匂いのするキッチンへ向かう「起きた?おはよ、ちょうどホットケーキ焼いてたけど食べる?」「ああ、よく寝た、おはよう」すでに起きていた彼女の姿に帰ってきたのだと実感する。その足で洗面所に向かい、顔を洗う、鏡に映る自分の姿はいつもと変わらない。昨日まで傷だらけで戦い、生死と隣り合わせにいたはずなのに、後ろを気にせず顔を洗う余裕のある生活に戻ってきた「何度経験しても慣れないな」冷たい水が頭を覚醒させる。リビングに戻ればすでに皿に盛られたホットケーキ、グラスを持った彼女もゆっくりと席につき「食べよ」穏やかに笑う「いただきます」ひとくち、口に運べば広がる甘さが幸せを体現する「ん、おいしい」「ああ…」食事に執着はない、出されたものを食べるし、こだわりもない。それでもこうして楽しむことは遠征中はできない。何度行っても変わらない、常に緊張が纏わりつき、心が休まることなどない「蒼也、今回も、無事に帰ってきてくれてありがとう」これも何度目かの彼女のセリフ、毎度のことなのにこうして言葉にしてくれることが嬉しい「今回は少し長かったから、ちょっと不安になっちゃった」「俺も、早く会いたかった」正面に座る彼女の頬に指を沿わせればくすぐったそうに笑う。触れられる距離にいる愛おしい存在「幸せだな」「どうしたの?珍しいこというのね」「後悔したくないんだ」当たり前の日常を、それだけを祈る日々
何もいらない