令和7年4月12日
お題 「風景」
「まだ見ぬ、波濤」 作 碧海 曽良
1989年8月13日
天候は曇りだった。
少し蒸し暑い。
3月に帰り、GWにも帰り、お盆にも帰って来た。事態は色々変わり、GWには転職を祖母と母に告げ、祖母にはキック叱られ「3年は帰るな!」と言われて、それでも母から届く毎月の荷物には「ばあちゃんが心配しとるから」とか「ばあちゃんが…」こう言ったとか必ず記されていた。当のばあちゃんからは便りは無く電話しても、その電話にさえ出ない人だった。
明治生まれで一度は島から出て神戸の純喫茶で女給さんなんてのをしていたが、たまたま同郷の祖父と知り合い、当時には珍しい恋愛結婚をして神戸で新婚生活をおくり、五人の子供を授かったが長男は夭折。次男と下に三人の女の子を生した、その末娘が之子の母親之亜である(ノア)なんてハイカラな名前はもちろんノアの方舟からで、その頃神戸でテイラーをしていた祖父の仕事柄、教会に行くことも多く末娘にそんな名前を父である之子の祖父がつけて、その一字をもらい、祖父が一番下の孫娘に命名、之子の母之亜が37才の年の暮に産んだのが之子と書いて(ゆきこ)珍しく島に雪の降った日の夕刻に産声をあげたことから「ゆきこ」と名付けられた。そのゴッドファーザーは戦争末期故郷に妻と娘たちを連れ帰り児童養護施設を開いた。戦死した之子の伯父にあたる次男と夭折した長男の菩提を弔い、末娘の高齢出産を見届け、その子に名前をつけてから二人の息子の待つ冥土へと旅立った。それから、之子の祖母は、結婚12年目にして子供が授かった妻と一人娘を遺して義父である之子の祖父を追うように海で死んだ。児童養護施設で一時預かっていた戦争孤児だった之子の父亡き後、夫が遺した児童養護施設を切り盛りしながら、之子たち親子の世話も纏めてした。気丈夫な人で人前で涙は決して見せない人で、息子たちの死も夫の死も、そしてこの時はまだ知らぬ娘たちの死も涙ひとつ溢さず堪忍袋の緖をキュッと固く締めて堪える人であった。あの、戦争を越えた人達は計り知れなく強く、そして逞しくずるい。情が薄いわけでは決してないし、ドライなんて安ぽい語彙力の対極みたいな言葉で表現出来る様なものではなく寧ろ情が深いからこそ、強かであるのだ、これを強情と云うのであろう。
後年まで之子のDNAに刻み込まれる想いは、この祖母に由来する。
之子は、小さいが背筋のシャンとした死ぬ間際までシャンとした祖母を敬愛していた。がしかし、若い頃は少々鬱陶しく感じた時期も正直あった。幼い頃は躾にも厳しく特に食事の仕方には、箸の上げ下ろしは勿論、箸使いから食べ残すな!残すならはじめから箸をつけるな!女の子なのだから綺麗に食べろと、それは煩かった。おかげでこの祖母が育てた女は、血の繋がった身内だけでも之子母娘合わせて7人居るのだが、皆食べ物の好き嫌いなく綺麗に食べる。特にその中で最年少であった之子は故郷を出てから何度となく魚の食べ方だけはよく褒められた。良くも悪くも明治気質の「がいなばあちゃん」であった、之子の祖母名を、鶫 小梅さん。「そんな可愛らしい小鳥さんみたいなもんじゃないわな、どっちかというと猛禽類だわ」と小言を言いながらかどうか、之子は、そそくさと荷物を部屋に入れ、ばあーちゃんに呼び止められぬうち、家を出た。
おこまが運転する白のフェアレディZが海岸線を走って来るのが見えた。之子は急いで自宅を出ようとした、店を開ける前の母が来て「あんた、帰ったら声くらいかけんか!なにをコソコソしとる」「ああ、もう、おこまらが迎えに来るから、いぬわ!」「こんばんは、帰るん?」「多分、遅なるわ、晩ごはんいらんし」そう言い終えて、家を飛び出た。
之子の家は大通りには面しておらず、おこまが帰省する時にだけ使用する愛車白のフェアレディZは、辻向かいの大通りまで出なければ家の前までは入ることが出来なかった。
之子は、慌てて家を出た。
既に、三人が陣取った車は、之子を待っていた。助手席に、おたか、桐子と之子は後部座席だ。
夏の乾いたアスファルトに低めの爆音ひとつ、そういえば、車体もちょっと低目だ。
気づいた之子が「おこま車イジった?」
「そう、なんやって、こんなん生徒に見つかったら」と、おたかが言うと「まあ、まあ そう言わんと、四人揃うなんて久しぶりやん」とおこまが声をあげた。四人揃うのは本当に久しぶりで、まだそれぞれが呑気な学生時代に遡ってしまうのではないだろうか。
海岸線を走るZは注目を集めた。海岸には都会から来たと、ひと目で分かるサーファーが、このころから増え始めていた。何故地元の若者でないと分かるかといえば、地元の人間は若者であっても、この頃までは、お盆に海水浴する者はいいからだ。
都会から来た、陸サーファーたちを尻目に、おこまは車をわざと目立つように走らせ楽しんでいた。
8月の風が、彼女たちを抱きしめて、ステレオタイプの毎日が地平線の彼方に消えて行くようであった。
平成元年 22才の夏休み
「景色」
あなたとわたしの見る景色は違うから
ねえ、気がついて欲しいのよ早く。
そして、諦めて欲しい。
退屈なイルミネーションも都会のノイズも、わたしには癒してあげられないから、他をあたって。
残念だけどね、わたしあなたの景色全然興味ないんだ。
わたしのイマジネーションのコンパスは自由に砂の嵐の中を駆け回り遥かなオアシスに辿り着くから。
だから、追いかけてもそれは異次元のパラレルワールドだから、あなたとわたしの景色は重ならないと気づいて。
写真はセピア色に変わる時が来て、今の青さを懐かしく想い出したら、その時は少し同じ景色が見えるかも知れない。
いい、覚えておいてね、今、という同じ時間同じものを見ても私たちが見ている景色って同じじゃないから。良かっわ、あなたと同じ景色が見えなくて。
あなたにだけは、じゃあねと、手を振るわ。
きっと、精々した景色が見えると思うから。
後書き
はい、また現実と作り話ごっちゃにしてるう、砂漠の馬鹿さん、「まだ見ぬ、波濤」は、碧海 曽良の引き出しの中にある、いろんな物語を混ぜて作った作り話だからね、納得してねぇ😁
世間狭いと自分の実体験視点だけでしかないように思いがちかもですが、人間60年近くやってると、いろんな人を見、人の物語も聞きます。ネタだけは、まだまだ沢山あるのです🌾
ネタだけはね〜ぇ。
令和7年4月11日
お題 「君と僕」
「まだ見ぬ、波濤」 作 碧海 曽良
冷たい水面に 素足をひたして
見上げるスカイスクレイパー
好きな服着てるだけ 悪いことしてないよ
金のハンドルで 街を飛びまわれ
楽しむことにくぎづけ
ブラウン管(テレビねぇw)じゃわからない
景色が見たい
針がおりる瞬間の 胸の鼓動焼き付けろ
それは素敵なコレクション もっともっと並べたい
ダイアモンドだね いくつもの場面
うまく言えないけど 宝物だよ
あの時感じた 予感は本物
嗚呼 今 私を動かしている そんな気持ち
いくつか出会って 順序も覚えたけれど
はじめて電話する時には いつも震える
プレゼントの山 埋もれもがいても
まだ 死ぬわけにいかない
欲張りなのは 生まれつき
パーティーは これから
耳で溶けて流れ込む 媚薬たちを閉じ込めろ
コインなんかじゃ売れない 愛をくれてもあげない
ベルトをしめてプロペラまわし
大地を蹴って とびあがるぞ
なんにも知らない 子供に戻って
やり直したい夜も たまにあるけど
あの時感じた 気持は本物
今 私を動かしてる そんな気持ち
1989年の4月にリリースされた、プリンセス・プリンセスの「ダイアモンド」は之子のテーマ曲みたいに、いつも替え歌鼻歌を口ずさんでいた。例えば松田聖子の「制服」と「蒼いフォトグラフ」が10代のテーマ曲なら20代はじめは「ダイアモンド」と「世界で一番暑い夏」だ。それこそ中学時代に憧れた「22才の別れ」はバブル世代には古かった。実際22才になった之子は彼女の気持を解るような解らないような解りたくないようなそんな気持ちであった。
そんな之子は今、おこまと共に大阪行きの新幹線の中にいる。何故なら突然先輩の申し出でこの新米社員がお盆真っ只中の13.14.15.16の4連休という、バブル期のデパートでは考えられない夏休みをゲットしたのだ。その先輩は個人売り上げが非常に厳しい状況にあり、集客が見込めるお盆休み、ほぼほぼ夏のバーゲンは終わり初秋ものの立ち上げの時期ではあるが、世の中の夏休みが終わるまで自分の夏休みを見送ると戦闘態勢に出た、そのお鉢が之子に回って来たのである。もちろん、その期間の個人売り上げは無いから、休みの順序取り方もこのころはデパートカーストの順序と掟があり、掟破りには個人売り上げという掟に従う型が必至であった。営業スマイルのひとつも出来ぬ者や、使い分けも出来ぬような者は、パワハラでも虐めでもなく、休み返上となる、まさしく「24時間働けますか」数字実力本位のシビアな現実であった。
8月12日午後9時 おりしも土曜日🌟
シンデレラエキスプレスで賑わう西の玄関口、品川駅でシュウマイ弁当を買い新幹線に乗り込んだ。まだ、明石海峡大橋が工事着工されたばかりの1989年大阪で1泊して、あくる朝南港からフェリーで帰る。
海内洋も同窓会に出席するために、このコースを使うのだろうか?之子の胸は盆時期の離岸流のように騒いだ。
つづく
⚠️クイズやってる訳やないよ〜🌾 之子の故郷を当ててもプレゼントの山は有りませんので、ご苦労さん。これは、昭和の終わり頃の田舎から都会に出た女の子の架空の物語です🌟 あの頃都会は遠かった。「望郷」という故郷の個性を性格形成に色濃く残す、最後の世代の物語です。今、現実に思いつくそこに行っても彼女たちは架空の妖精なので居ません笑笑 残念。砂漠の馬鹿はここまで言わなきゃ解らない(;´д`)トホホ…
「君と僕」
僕は君が嫌いだよ。
今、この世で一番嫌いと言ってもいい。
人を憎むと穴二つだと教えられて来たし、人を許せない心が一番哀れだとも教えられて来た。けれど、今、ここではっきりさせておく
「僕は、この世で一番君が嫌いで」
「僕は、君を許さない」
何故なら、その方が僕の心に正直で嘘がなく真っ直ぐで正論で正しく自分の心に寄り添ったことだからだ。
僕は日常生活において、「人を恨んで生きる奴は損をする」と教えられて、子供たちにもそう教えて来たので、ここで、祖父祖母ご先祖様父母子供たちに謝らなければならない。「許されるために簡単に口先だけで謝るな」とも教えられて教えて生きて来たので、心底よくよく考えてのことだ。
「僕は、君がこの世で一番嫌いだ」そして
「君を、決して許さない」
誰だか解るかい?
そう君だよ、君だセンセーwww
実際、僕にこの世で一番嫌われても、決して許されなくても、どうということはない。
しかし、これから先に、君が泣いたり具合が悪くて沈み込んだり弱音を吐いたりしている時はこの世の何処か片隅に「ザマァ」と思っている人間が一人は、確実に居るということを、ここに記しておく。
君へのデス・ノート
たまには、こういうのも書いてみたwww
後書き
去年はな〜。
今頃🌸のことをよく書いた、そしたら君は花は🌸ばかりじゃないとかなんとか逆張りしてたんだよ知ってるよ僕は🌾
今年は花は桜かい🌸🌾🦜🌙
他人様にはよく逆張りとかいう言葉を何かにつけて使いたがる君だけど、君は自分のことは全然見えていないみたいだね。何時も他責思考で、他罰的で自分を肯定できないとか言いながら、誰かに肯定してもらうまで解って!って🤬←こんな顔してへばりつく🌾🦜🌙人に向けた人差し指は自分に向けろ🌾🦜🌙
たかだか、こんな顔も知らない名前も名乗り合わないような場所で他人様を自分の正義感とかいう暴力でのネット私刑の暇つぶし他罰的で他責思考な吊し上げて裁く砂漠の馬鹿🌾🦜🌙
そんなところも大嫌いさwww
あなたの視線?誰でも自分の視線でしかものは見れません。どれほど自分は主観にとらわれないと思ってみても、AIでもない人間は所詮自分の視線でしかものを言えません誰でも。それが人間の味です。あなたの視線でと上から言ってるあなたの視線でどうぞ🌾 自分を多数において「私もぉ」と多数派の人のかげで声大きな声で、少数派を裁いて裁いて悦に入る暇つぶししていないで、「私は、」とStand aloneで意見が言えると違う視線が得れますよ🌾🦜🌙
令和7年4月10日
「夢へ!」
7色に輝く瞳をもった黒猫の彼女白猫リリーは白くたおやかな毛並みと碧い海のような瞳が特徴的であった。このリリーは神出鬼没で鬼や神のように現れたり消えたりし、自由自在で掴みどころがなかった。そんな雌猫の尻を追いかけ回す野暮な集団をリリーは鼻にもかけない、花でも蒔かれモテナイ猿は赤い🤬←で追いかけ回すが、夢は掴めない。何故なら猿は猿だから群れて寄っても、毛並みたおやかな白猫リリーに触れることは出来ない。猫を真似てみても所詮は猿真似で猿は猫にはなれない
猿は猿として猿山でボスに仕えて生きるが良い。猫は猫 𓃠 猿は猿だ🐒 ついでに雀は雀だ🦜 猫には猫の生き方がある、いくらその白く輝く百合の花のような白猫リリーを掴まえようとも無駄。お前らには掴めない✨️解らない✨️ 解ったようなふりをしても解りっこない、白猫リリーにも赤い🤬←🐒の気持は解らない解りたくもない。解らないものは解らないで良いのだよ、何をムキになって追いかけ回す、どれだけ追いかけ回してもお前らには無理だよwww 可哀想に自分の病みに気が付かないで自分を棚にあげ人を裁く、それでは己の病みを晒すだけだ。大事にするんだ「自分の分」をwww 好きだろ?そういう言葉www しっかり「自分の分」を弁え護りたまえ、それがお前様たちの長い見果てぬ夢「夢へ!」の第一歩だから。
お大事に。
「自分の分」を弁えもせず、神様にお願いしても約束しても、追いかけ回しても、夢は叶えられません。これは、京都の「鈴虫寺」で聞いた、お坊様お話です。
「まだ見ぬ、波濤」 作 碧海 曽良
1989年8月
消費税は、この年の4月1日4月バカに3%で導入された。
之子はようやくスクランブル交差点を行きたい方向に人の波に押されずに渡り切ることが出来るようになっていた。新宿駅で迷子になったり渋谷駅構内から出れなくなることもなくなった。そんな之子ではあるが、外海課長が見込んだ通り売上だけは良かった。同期入社で研修から仲の良かった関東出身の二人よりも売上成績は良く全体成績でもトップクラスであった。昔から、なぜだか「招き猫」と渾名される之子には商売の神様がついているようだ。完全アウェイのこの土地で、それでも店頭に立って物怖じせず販売が出来たのは、この謎の自信だった。
「私には商売の神様がついている」
昔から誰も客が入っていない店に之子が入ると何故だか後から客が2、3組入って店が賑わう。これは、若い時から何度も店の店主から言われていて、「招き猫さんやなー」と言われることがよくあった。大人になってからもそれは変わらず、どれほど気負っていても緊張していてもビクついていても、飄々として見えてしまうらしい。
之子は、店に立つと何かが降りてくる気がしていた。それを之子は「商売の神様」と呼んで、まるで子供がイマジナリーフレンドにでも話しかけるように、「商売の神様、今日も降りてきてや!」と朝から肩先に話しかけてから店頭に立つ妙ちくりんな儀式を毎日するのであった。
それほど、之子は店頭に立つのが好きであった。好きこそものの上手なれ、毎日が文化祭の様なデパートでの販売職が之子は心底好きであった。
その当時之子は、関東出身組はじめ同僚たちのように、夜遊びに出たりしなかった。とても慎ましく暮らしていた。仕事が終われば即帰宅、自炊、朝早くからお弁当をつくりお弁当持参で出勤。だいたい社販で買ってもそう安くない自社ブランドの洋服を買うために働いているような之子には、そんな余裕はなかったというのが正解でトレンディドラマは夢の国のそれこそドラマだからの有り得ない世界で、普通にドラマと現実は違うからこそ良いのだと社会人にもなれば学ぶのである。極稀に誘われて木暮さんと藤木くんと高円寺辺りの居酒屋に行くくらいだ。その頃流行りのマハラジャもキング&クイーンも東京に来てからは行ったことがなかった。どこか肩パッドくらい肩怒らせて、「私は仕事よ!」オーラ演出で関西ローカルの心細さを紛らせている姿は、猪突猛進、直角にしか進めない、おたけや、高校入試になって全く縁もゆかりも無い土地で一から人間関係再構築、それは夢というのか不安というのか?と云った風情だったのだろう海内洋の孤独な心を、この時之子は推し量ったのであった。
8月お盆前、帰宅すると二件の留守番電話が録音されていた。ひとつは母「お盆は帰えらんのか?」もうひとつは、東京に来てから一度電話で話したきりの駒子であった。
之子は、おこまに折り返した。
「久しぶり〜ぃ、元気やった?」
「仕事慣れた?」
どちらも、同じことを切り出して見事にハモった。
「まあまあかなぁ」までハモった。
おこまが「夏休みとか取れるん?デパート」と聞いて来た。
「夏休みは夏には取れんかなぁ、新米社員やし」
「なにーぃ、桐子が仕切る同窓会出やんつもりかぁ?」
「出たいけどさぁ」
「ビッグニュースがあるのに」
「なにーぃ?」
「海内来るらしいよ、桐子が之子に言っとけって」
「そ、そうなんや、そんでも、今からは無理やわ」
「そうなん、海内の住所知ってる?」
「え?そんなん知らんけど」実は知っていた。桐子が教えてくれていた。けれど、手紙を出すのも気が引けて、ましてや電話をかけたり訪ねたりするなんて考えることも出来ずに、メモはアドレス帳に挟んだきりだ。もう、このまま眠らせてしまおうかと思っていた、そんな時おこまからの電話で之子の心はざわついた。
同窓会まであと2週間。
つづく
後書き
ねぇ、どうしてそんなに偉い人みたいに人を査定したいの?人の相談のってるつもりか?癒してるつもりか?寄り添う〜見本?寄り添うんなら薄汚い下心ちゃんと隠しなさいな、透けて見えてますよ、私は良い人ですってあざとい下心www 一旦上に上げた自分下ろしたら〜センセー。聞いて欲しいの褒めて欲しいの忘れないで覚えていて欲しいの、解って欲しいの解らないで欲しいの…お願いばっかやね、しかしwww
嗚呼、違ったわ、やっぱり。やっぱり無理だわ所詮SNS民だものwww ここに来る時は全ての期待を捨てて来よう🌾🌾🦜🌙 そうすれば、砂漠のバカも夜中の薔薇に見えるかもしれない🌹
薔薇には薔薇の霞草には霞草の美しさがあり、寒椿には寒椿の菫には菫の藤には藤の紫陽花には紫陽花の向日葵には向日葵の美しさがある、それと順序とは別の話。日本語解りますか!?www
センセーと呼ばれるほどの馬鹿でなし
令和7年4月9日
お題 「元気かな」
「まだ見ぬ、波濤」 作 碧海 曽良
1989年6月
まだ、梅雨は始まっていなかった。6月の日差しに咲き始めた紫陽花が暑そうにしている。之子は会社の保養所がある奥多摩市の温泉にいた。新入社員研修がこれから一カ月行われる四月に新卒入社した者の研修が終わり、6月の一カ月は中途採用者の研修、中途採用者は今年度の前期ボーナス支給後の7月からの正式採用となる。だいたい、新卒入社の者が最初のボーナスを貰い続かない者は退社する。その補充に6月研修の中途採用者が充てられる。パワハラもカスハラも何の決め事も無かった時代であったが、社員の福利厚生は終身雇用前提の時代は至れり尽くせりであり、会社は家、上司は親戚の親父様、同期は兄弟姉妹であった。
之子は、祖母との約束を破り2年で前職を退社し、なごり雪の除去を目的に東京に乗り込んだ。勿論、祖母、母は猛反対だ、暫く帰省は出来ないかも知れない。桐子が幹事をする平成初の同窓会には出席したいのだが、仕事も7月から腰を据えてかからなければならないし、「今年は、帰れないかも知れないなぁ」と、夕刻になり、梅雨のはしりのような湿った空気と俄に掻き曇った空を眺めて呟いていた。紫陽花が生き生きと空に向かって両手を広げているようにシャンと葉を広げ首を立てていた。雨を待ち雨を喜ぶ命もある。之子の脳裏に水を張った田園を渡る風が吹いた。やはり、之子はこの時はまだ、帰省する帰ることばかりを考えている、田舎娘であった。
研修は、はじめ1週間は会社の保養所がある温泉つきの宿で社員同士の親睦を兼ねて、緩いペースで進められ、その後2週間は本社勤務各部署を周り、最後の1週間は店頭にて販売研修。そして配属が決まる。
之子は研修で仲間も出来た。
横浜横須賀生まれで実家は、この頃流行り出した百円均一ショップを何店舗か経営する父を持つお嬢様の木暮美智子さん、凄く之子から見ると垢抜けている、東京を絵に描いたような…いや、彼女は神奈川県民で前職も神奈川県であるのだが、何故か之子にはTHE東京な美智子さんなのであった。そして、もう一人仲良くなったのは、之子が生まれてはじめて見る生粋の関東ボーイ。藤木くんも神奈川出身、藤木くんとの出会いは、ひとつの衝撃であった。関東の男の子と話したことが無い訳ではなかったのだが、之子には柔らかすぎる藤木くんの言動で彼を随分長い間、オネエいや、もっと深刻なやつなのか?と思っていたからだ。1989年ようやくニューハーフという言葉がテレビで使われはじめて一般人も口にする様になった頃である。
こうして、研修は恙無く、最終段階の売り場研修になった。DCブランド全盛期は、とりあえず洋服は高くあることが不可欠、百貨店ブランド全盛期の時代、ハウスマヌカンという職業にウインドを飾るだけの人ディスプレイアーチストと、とりあえずカタカナ職業がもてはやされた時代だ。
之子も、そんな若者の一人であった。
新入社員研修最終プログラム、売り場研修は
この三人は同じであった。
渋谷のスクランブル交差点沿いに建つ、若者の聖地みたいな百貨店が、鶫 之子の新しい居場所であったが、まだ、スクランブル交差点を真っ直ぐ行きたい方向に進めない之子は、渋谷駅構内から出れなくなったりして何度も遅刻を繰り返し東京の洗礼に打たれるのである。
鶫 之子22歳の夏は、こうしてはじまった。
つづく
「元気かな」
有り難う、それが元気じゃなかったのよ(笑)
久々に風邪をひき、熱が出て寝込んでたわ2日くらい、やっと回復。
寒暖差の激しいおり、皆さまもお気をつけください。
元気かな 思い託すは 花言葉
碧海 曽良
後書き
いや、端折りすぎだってwww 何年分かの青春の日々を大切な大切な恋をたった400字にも満たない文字に置くなんて可哀想だわ〜。勿体ないわ〜。本当に、パクるならも少し上手く花咲かせって思うわ〜(笑)🌾🌾🦜🌙 春を桜まで気づけないなんてボケてるよwww 小さな春は初春って言って立春「2月」は春ですよ〜。ぷぷっ。
日本人なら気づくと思いたい。
未だに国家公務員役人崇拝というのがあるのか?と思った、なんとも古臭い言葉だ。
役人たるものたとえ心中に、気位、プライド、見下しあったとてそれを顔や🤬←言動立ち振る舞いに決して出してはならないのが、血税で雇われている人の知性であると思いたい。もちろん血税で養われている家族とて同じだ。しからば、崇拝者は、国家公務員への憧れか?生活困窮者、生活保護申請者、社会的弱者などは公務員様々にしなければ生き辛くなる一方であるのであろうから。故に公務員は知らずと人を見下す資質を身につけるというブーメランかwww。100歩譲って世間を欺く心中の吐露に仮面をつけて、国家公務員役人崇拝をやりたいのか?はたまた生活困窮者のどちらかか、何かしらの団体ということになるのであろう。どちらにしろ、過ぎたるは及ばざるが如し歪みが透けて見える。
話を聞いてあげる…メンタリストセラピストセンセー様?これまた上からで🌾🌾ボーボー草燃える笑笑 自分の道は自分で踏みしめるしかないのであるよ、泣くのが嫌なら歩くしかない。他人様のこと解ったような面で「そーだね、そーだね」なんて言って、言ってる方が気持ちよくなっても、その人に寄り添うにはならない。「そーだね、そーだね」言ってる方が気持ちよくなってるだけだったりするからねwww
令和7年4月8日
遠い約束
心の何処か片隅に
君への詩を綴っておくよ
遠く微笑みが愛に
変わるその日まで
サ・ヨ・ナ・ラさGood-bye my sistar
さり気なく言うよ
巡り合いを約束に
いつかはきっとHello my sistar
都会に疲れた時には
戻っておいで…
問題です、昭和58年のカリッと青春スターが歌うヒット曲♪ この曲名と歌手を答えよ。
これが解る人は花言葉に寄せる人への人の想いに気づける…というか結構人生経験積んでいるはずなお年頃なれば、花を贈る時には必要なことくらいは心得ているはず。
ドライフラワーは花の死体であるからして玄関先には飾らない方が良いですよ🌾🦜🌙 花のミイラはお見舞いには適さないし鉢植えもお見舞いには適さない。まあ、所詮、するめはイカのミイラ干し柿は渋柿のミイラドラマイフルーツはフルーツのミイラですけど、屁理屈なんて言い出したらキリがありません。花言葉は、お前さんの好き嫌いの主観的自意識過剰の論理ではなく、古来の言い伝えと神話からつくられた贈り贈られる人への秘めたメッセージです。世の東西を問わず、古より人は花を秘めた想いを込めて愛で贈り贈られて来たということです。だから、相手を思いやる心があれば花言葉くらい調べて贈るのでしょう。昔は贈る日さえ吉凶を言ったもので、日にさえ意味があるように、得意な人もいるかもやな🌙の満ち欠け、星の動き、潮の満ち引きにさえ意味がありました。自然の驚異、命への畏敬の念、贈り贈られる人と人の想いが花だけにではなくあらゆるものにありました。考えましょうwww
知らないから胡散臭く思うだけでしょ、それならそれで宜しいではないのでしょうか、知らぬが仏って言葉もあります🌾🦜🌙 すずめしゃんは子雀しゃんだから稲穂の米食って大人になりましょうwww
結局好きなように取れば良いのでは?ご自分の方こそ、ご自分の言い分を押し付けてらっしゃいますよねwww 花言葉なんて胡散臭いドライフラワー花のミイラは美しい、月灯りにドライフラワーは晒すと魔女になれそうですね🌾🦜🌕️
人に差した人差し指自分に向けろ🌾🦜🌙 十五夜お月さん見上げて踊る狸相手はこの辺りでwww
子供は未熟で手つかずだから純真無垢で美しい、それは平和ボケの最たるものです。戦乱下の国の子供たちを見なさい、盗み騙し人をも殺し少女は身を売ります少年は自らさらに弱い子を殺し強い子が生き残り弱い子の内臓を売ります。これ、世界が百人の村だったらって昔流行った絵本を読んだ時子どもたちと考えました、懐かしい。子どもたちが素晴らしいのではなく大人たちが素晴らしいから素晴らしい子が育つのでしょう、子は大人を写す鏡です。子が素晴らしいではなく、そんな子を育てることが出来る大人になってください。
大人のための童話
「遠い約束とノウサギ」 作 碧海 曽良
(短文)
遠い約束。七色に変わる瞳を持った猫は700万回生れかわり、7色の虹の袂から人間に会いに行きます。毎回毛皮を変えているので人間は気づきません。賢ぶってる偉いセンセーな人間はアホだからではなく目に見えないものを感じる心を多くの人間が退化させたからでした。何故退化させたかといえば、目に見えないものを感じ取る感受性は、あまりに厄介だからでした。もっと簡単に生きれる方法はないかと考えた人間は、感じる感受性を捨て目に見えるものを便利に使うことに精を出しました。賢い人間は真面目ですから、あっという間に世の中は便利になり、もので溢れ豊かになったように一見見えましたが、厄介な感受性を失くした為に解らなくなったことも多くありました。けれどそんな賢いセンセー方は過去や歴史に学ぶことは、格好悪くて出来ませんでした。だって今の在り方を反省し使い古した道具やガラクタに学ぶなんてね、新品好き新しもの好きには出来っこありません。7色に変わる目と7尾の尻尾を神様から貰った700万回生れかわった猫はいい加減呆れて、今度はノウサギにでも生まれかわろうかと考えていました。そうして、人間が捨てて行く見失って行く野に咲く花を食いつくし、ものの順序も違えて、再び人間が思い出せないようにしてやろうと考えました。そうして今、ノウサギに生まれ変わった700万回生まれかわった猫は、幸せのクローバー☘️がつける花シロツメ草を食いつす世界制覇の野望を胸にノウサギとして生き野を走り何匹もの自分の仔を産むのでした。
シロツメクサの花言葉は「約束」と「私を想って」そしてこのふたつの想いがつのり転じて「復讐」という想いも込められた花言葉を持つのがシロツメクサ🌾です。逆張りなんてチンケな薄ペラい流行り言葉ではなく、人の心というものは、常に表もあれば裏もあるということを表現しています。それは人生も同じ、たまたま平和な時代の平和な国に生まれただけで何を踏ん反り返って裁くのか?自問する感受性を持ってください、「人に指した人差し指自分に向けて、ファーストクラスのチケットを与えてくれた、その国のその親にでも感謝する感受性を持て」700万回生まれ変わった猫は、伸びをしてシロツメクサを食み現世ウサギのくせに「ニャー」と鳴きましたとさ((≡゚♀゚≡)) おわり。
因みに、クローバー☘️の花言葉は
一葉が はじまり
二葉が 出逢い
三つ葉が 愛と希望と信頼
四つ葉が 幸運と幸福と信仰
そして「私のものになって」
それが転じて「復讐」となります。
何事も過ぎたるは及ばざるが如し、完璧は崩壊と終演への序曲、100点満点の自分も他人も世の中もそれこそ独裁者のサイコパスが描く地獄の黙示録です。
ちょっと寄り道
と、言うことで本日「まだ見ぬ、波濤」は諸事情によりお休みです。また、明日にでも付け足すやも知れません。読んでいてくださる方々まことに相すみません。
充電OK、今夜は書きます✒️… では、また今夜。
碧海 曽良