どこ?
前説
人に気遣いすぎて疲れちゃう、自称繊細さんは、どうしてそんなに人が気になるのか?それはやっぱり、自分が良く思われたいから、優しい気配りの出来る人だと言われたいから、あざといねぇ😂 そんな人に限って嘘やあざとさを否定する、自分の欠点を見せられているように思うのだろうか?結局、中途半端な見せかけだけの気遣いや優しくありたい優しさは、人目を気にしすぎて、壊れてしまって病んでしまうんじゃないかしら。そもそも天然で他人本位で自己犠牲精神の強い方は、それを好んでしているので、我慢や自己犠牲を苦にしませんし気にしません。自分が我慢していることや、犠牲になって、気遣いして疲れるって時点で自己中ですから😂
中途半端上等、気遣いゼロよ。好きなように思いなさいよって人の方が実は正直で真っ当な飾り気ない嘘のない人なのかもね、、そんなことを思います。
どこ?
どこ?どこ?どこから来たのか
黄金バット♪ コウモリだけが知っている♪
アハハハー♪
ご存知の「黄金バット」のテーマ曲。
1970年代に子供時代を過ごしましたから、ご多分に漏れずテレビっ子ラジオっ子成長すれば映画っ子、今みたいに娯楽もそれに触れるツールも多くなく限られていた時代。だからこそ歌謡曲もテレビタレントも映画スターもアイドルも皆で楽しめた時代であったし、老若男女がそれぞれに楽しめなければ、ヒットしなかった時代であった。それが、一家に1台のテレビが一部屋に1台になり、電話はコードレスになり携帯出来るようになり、テレビも電話も一人に一つの時代になった。そして、電話はコンピューターを搭載し、大手会社のオフィスや大学にデスクトップで堂々と鎮座していたコンピューターはノート型PCになり、それさえ携帯電話や腕時計に搭載されて、最早なんでも一人にひとつの時代になって、ものの価値も、みんなで楽しむテレビも家庭用固定電話もなくなり、ヒーローもタレントもスターもアイドルも、個人で楽しむものになって、多様化されたのだろうか?むしろ個人化が進むにつれ多様化は失われたのではないか。他人の家族の趣味趣向を考え寄り添って中間とってチャンネル決めるとか😂 電話する時間も考える必要とかなくなって、とても孤独な画一化が進んでいるように思える。だから今こそ足りない失われたものを求めて孤独で淋しい人間が「寄り添う〜とか多様性〜とか🤬←こんな顔して叫ぶのか?」それならなんとなく分かる。
1970年代テレビのチャンネル権争いは熾烈を極めた。
じーさんはNHKしか観たくなく、ばーさんは金さん、忠相、黄門様を観なければはじまらないし。親父は野球中継で、お母ちゃんは橋田壽賀子、お姉ちゃんは赤いシリーズで、ガキは漫画とドリフ。一家に1台のテレビのチャンネル権争いは毎夜庭先のコロの遠吠えをゴングに繰り広げられるのであった。かく云う我が家にも兄弟姉妹の居る家ほどの抗争はないが、父と娘の間には春から秋には血で血を洗う仁義なきテレビ抗争が勃発するのであった。時には酒の入った親父のやからが爆発、星一徹のような寺内貫太郎のような卓袱台クラッシュが起きるのである。理由は、しょうもない、「伝統の一戦」か「天才バカボン」か「ど根性ガエル」か「8時だよ全員集合」だ。この「8時だよ全員集合」は1970年代PTAの評判すこぶる悪く子供の教育に良くないとされていました。この家庭でも戦後生れは、娘ただ一人であったために劣勢を極め、プロ野球シーズンの夏場にはコロの雄叫びと共にマジバトルは、はじまり結局、娘は泣きながら卓袱台を蹴る、それを見て酔った勢いの親父の卓袱台クラッシュとビンタ炸裂! 今なら近所に通報されるような、DV親父は単に「阪神VS巨人戦」が観たいだけの野暮、見かねたばーさん、「隣の従姉妹の家で観て来な」と助け舟。結局しばしば隣の従姉妹の家へで、「全員集合」も「赤いシリーズ」も「ありがとう」も隣の家の従姉妹姉妹と観た記憶が色濃く残る。けれど小学低学年生は、「赤いシリーズ」や「ありがとう」は、よくCMの間に寝落ちして、気づくと家の布団で寝ていた。酔いが覚めて野球中継も見終わった親父が迎えに来て、親父に負ぶさって帰って布団の中だった、、懐かしいねぇ、三泊四日くらいでバスに乗って行きたいよ。
どこ?なんて言わない。最早タイムスリップなんて小説でもドラマでも映画でも出つくしているネタ、いつ自分の身に起きても「これが、かのタイムスリップなるものか!」と心得て楽しみます(笑)
どこ?でもない、一番屈託のないあの時代を歩いて深呼吸して、自分の今「どこ?」を探して来たい。「忘れものを探しに行きませんか」(笑)
あの日の自分と一回喋りたい、父さんと母さんとばーちゃんと、あの時代の従姉妹の姉ちゃんたちと喋りたい。
そんな夢を見た。
明日は彼岸の中日、春分の日、お墓参り行こう。
春彼岸 震えながらも 蕾立つ
「どこ?」 心幸
令和7年3月19日
本日の後書き
やっぱ、関西弁の一人ノリツッコミは面白い。
それは、素人でも関西人ならDNAがそうさせるのか、そこそこのセンスで笑える、、てか、そういうのが大好きなのだと今夜気づく。関西弁の破壊力大好き…それ昨日のネタやん😂
明日は、どっちだ…♪🤣
どっちでも、どこでも何処でもええやん。
寝て起きたら、そこが明日や🤣
置かれた場所で咲きましょう✨️
コミュニケーションに自信がないなら、他国語より母国語を😂 遠くに有る夢の世界を手にするために近くにいる人を大切に。当たり前のことでは?自分を嫌うのは勝手ですが、人に卑下した自分を語り慰めを請うのをやめれば見え方変わるのでは?何故許されるために謝るの?
そんなに自分が大事?愛されたいと叫んでる感じかな。お大事にね🌙
寄り添う〜 見本を見せるつもりでマウンテンとかする人って?センセー気取りで草もえる🦜🦜🦜💦
私は、あえて寄り添わない「寄り添って〜ぇ」とか、恥ずかしくないのかな?って思う人間もいる訳さ 🤣 世の中広い多様性だろ🤣
寝て起きたら明日になってますって、あなたの都合なんかに関係なく、それでも朝はやって来る。負けるな自分に。
もう日付変わってるし🤣
自意識過剰か😂 誰もお前さんの落書きなんか探さないし、お前さんの好きも嫌いも塵にも等しく世界を動かさない。だから、好きにすりゃいいのさ。
国語力のない人の特徴、単語だけを読み自分の考えで解釈し、行間を想像出来ない。例、食べるのが好き、美味しいの大好きと書いてあれば単に食欲旺盛😂 そのまましか思い浮かべることが出来ない。例えばそれは人生を差しているのかもしれないし、人の感情のことかも知れない。好き嫌いしませんかも知れないし、美味しい話し大好き!なのかもしれないという想像が出来ない。
前後の文章で、分かる空気を感じ取れない。
SNSの増加で、短文しか読まないために、小説などの長文を読み解く力がない。例、3行は呟きやコメント。文章とは、最低300字はあるもの。更に言えば、原稿用紙3枚程度が3分間スピーチだ。
おや、すいみ〜🐠
大好き
前説
根底で考えろ。
演じることも
書くことも
生きることも
すべて常識で考えるな。
倉本總 富良野塾拾遺集より
今日出会った言霊。
ここに三人の子供がいる。
一人は、捨て子。生後間もなく赤ちゃんポストに捨てられていた。
一人は、母を生後間もなく病で亡くし、父もその子が十歳の時に突然の事故で亡くした。身寄りは年老いた父方の祖母。
一人は、裕福な家庭であったが、幼い頃から父は家庭に寄りつかず、母も恋人をつくり家出一家は離散。
そんな子供が三人施設に預けられた。施設の園長が新人の職員に尋ねた、この子供たちのうち一番可哀想な子はどの子だと思う?聞かれた新人職員は、「三人共に可哀想ですが、捨て子の子でしょうか」園長は答えた「あなたは、そう思うのね、そうかも知れない。私が思うのは、何時かは許せる希望を見れるか、愛された事実を夢に見ることが出来るか、そのどちらも子供時代に失った子とどの子が可哀想かと問われれば、失った空虚を悪む子が可哀想ね、でも、もっと可哀想かも知れないのは、そんな渇望の違いを知ることもなくぬくぬくと育ちながらも親を怨んで育つ子かも知れない」園長は、そう言って新人職員の肩を叩いて笑った。
それでは 「大好き」
赤い花
白い花
あの人の髪に揺れる花
青い空
青い海
あの人の髪を揺らす風
夕暮れ
朝焼け
あの人の口づけふれる指
あの人の涙
あの人の痛み
あの人の苦しみ
世の中楽しいことが心地良く大好きに繋がるなんて薄っぺらいとユキは知っている。何故ならユキは I Have Nothing.を知っているから、だから無敵。だから、たんでも美味しく食べる、美味しいの大好き!Are you hungry. 足りないことを知っているから人は足るを知ることが出来る。空腹は一番のごちそう。
「大好き!」を抱えて生きている人は悲しみを知っている、そしてなんでもないふりして生きている。だから尊い「大好き!」を見逃さない。幾多の悲しみは精神の充実を連れてくる。
だから、ユキは、今日も笑うんです。
そして、大好きな言霊を見逃さず、生きるんです。
あなたは、文明に麻痺していませんか
あなたは、足りるに麻痺していませんか
あなたは、知識と経験どちらを大事にしますか
あなたは、想像することを忘れていませんか
あなたは、感動することを否定していませんか
結局、我が世の幸福が与えられていることを
当たり前だと思っていませんか。
大好きを得ることは案外容易ことなのかも知れません。
令和7年3月18日
心幸
雑感
今日は暇潰しにネットサーフィンしていたら、倉本總さんの文章を見つけた。やっぱりプロ作家の文章は美しく侘び寂びを心得ている。輝きが違う。そんな文章を見つけることが大好きだ。この荒涼とした砂漠のようなネットの中に光る言霊を見つけることが大好きだ。その大好きに巡り会う為になら我慢して、オッサンの読むエロ漫画の下手な荒筋も、我こそはーな極論センセー達の子供の喧嘩文章も、メンヘラ厨二病文章も、変質的な推し活ゴリ押し文章も読みます笑笑🤣
先ず、自分からだよねぇ。政治家や有名人の話じゃなく、自分が大好きを知って足るを知ることが大好きを人に与える方法の第一歩。笑顔の人の周りには幸福が集まります。
誰かに取り戻してと上から願ってあげる前に、自分から(笑)
それでも、想像するんですよ、彼の「生きたい」を刻むために。目をそらすのは自分が見たくないから、苦しく寂しくなりたくないから。
許されるために謝るな。
もう、トンチンカンなこと言ってるのは、歴史より先に日本語を学ぼう(笑)
今朝も、スクロールしたら、深夜に涎たらして打ち込みましたみたいな、エロ漫画の下手な荒筋みたいなのが土左衛門みたいにあがって来た。可哀想に女に相手にされないのか現実で、そんなことが垣間見えるように、涎たらして大魔王にでもなったつもりな漫画的な文体は、その人となりを表している(笑)その、土左衛門をスクロールする手間どうにかならないものかと考えながら、嫌なら見るなの道理を弁えている大人のつもり、最終回まで粘って蝿取り紙にへばり付く便所バエみたいな野暮はしたくないねぇ、なんの使命感なんだい笑笑、おまけにチンチクリンの寸足らずの気持ちの吐瀉物は汚いし笑笑 全くねぇ、ああはなりたくないと願うので、なんとか読みたくないものをミュートみたいに出来ないものか?どこかにそんな機能はないものか笑笑
中途半端は良きにござんすよ。人間そんなに白黒はっきりとはいかないものです。また、極論極端な思考は、破滅しかありません。潔癖で極端な人ほど犯罪に落ちやすく、サイコパスほど極端な思考をしているし、メンヘラ厨二ほど潔癖ですから、お気を付けくださいね(笑)
自分の物語に自分の言葉そりゃあ綺麗なものならねぇ🤣 そして自分の大好きにしか興味がない、そんなに自分自分の人が他人に寄り添えるの?笑笑 それの方が違和感よ笑笑 やっぱり、「寄り添う〜」の裏側には「私に寄り添って〜」って気持ちがかくれんぼしていて。本当に言いたいのはそっちよね笑笑 「誰も分かってくれない」「誰も理解できない」だから離れるじゃなくて、離れたくない寄り添ってなのよね、だから発表するのでしょ自分の物語を自分の言葉に拘って、笑笑 自分自分自分、自分ばっかりね結局🤣
叶わぬ夢
前説
そりゃあ、お前さんの夢は叶わない。
何故なら、お前さんボンクラの風来末の様子じゃないか😂 「風の行く末」どこまで追いかけても果てしがないよ、お前さんとじゃあ、お生憎様住んでる次元が違うようだ、パラレルワールドなんだよ、だから言葉が分からない、お前さんには笑笑 だから、お前さんの夢は叶わないよ笑笑 それでも、叶わぬ夢がその狭苦しい独居部屋の汚部屋の孤独を紛らすなら、叶わぬ陰謀でも呪いでも、月に向かって願かけして憂さをはらすに精を出し、暇を潰して日を送るのも生き方なのかねぇ、あたしには真似出来ない芸当だよ笑笑 何せ住んでる世界が違うから😂
物語は進んでいるのに、まだ分からない?まだ、そこーってお前さんだよ。父との蟠りの解消は、あの物語の大切な肝であった、何時までも毒親怨んでる厨二じゃないんだよ、あの弁護士は賢いから。艶やかな花魁の花道は初恋の終わりを告げていた。もしするなら今度はそれは郭の恋ではなく妾後家との道ならぬ恋になるんじゃねえの?描くかねぇ、まあ、楽しみに待つのは、もうそちらの話になるのさ、あの二人は(笑)なんでここまで解説しなきゃなんないって、あまりに未で見ていられねぇのよ、お前さん笑笑 まあ、やっとこさ艶やかの意味が本当に分かったのか分からないのか知らないが、自称分かったらしいからな、自称は勝手だが物語は進んでいるので、お忘れなきよう😂
それでは、「叶わぬ夢、郭恋詩」
郭いちの花魁が身請けされるらしい。
前の晩、花魁は7つで売られて来た日から慕いつづけた男の影を慕って、月灯りに身を潜めた。
素肌に片袖通しただけで、色とりどりに脱ぎ散らかした、床に広がる絹の潮に涙ぐみ唇噛み締めていた。手引きの女が急かすが、その白く細い指も肩も震えているのは喜びなのか?
その男に逢瀬(あう)夜は、喜びよりも苦しみめいて、月灯りに壊れそうな二人のしのび逢いを映されはしないかと気が気でない。
一夜限りに艶やかに艷やかに咲く花のように密やかに匂い立つことを願えば願うほど、焦り震える、遣る瀬無さ。
あなたを慕うなんて、無駄なことだと、例えば人に言ってはみても、本当の心に嘘はつけぬことを、あの人に見抜かれていても、あなたに向かう心を隠せない。
最後に仕上げた顔を映せば、月灯りの下に影を集めた青白き襟首に伝う血のような汗が滲んで光る。
一夜限りと言い聞かせ紅を引く、その後ろから「行くなら、命は無いと思うがよい」と、あの人の声に、月灯りは、なりを潜める。
儚き夢の蕾は咲くことを許されず息絶たれる。
あなたを愛した儚さで、ひとつ大人になりし女の叶わぬ夢は、君の影を想いて、しのび泣く。
女は行くのを留まりて、「行くなら、命を取る」と言った男の腕に瞼を伏せて、慕う人を想った。「自分の命が惜しい訳ではなく、あなたの命が惜しかったと」手引きの女に言いかけて止めた。「なにを、今更未練たらしい、月に笑っておくれでありんす」そう一筆。
月灯りの下に、慕う男の影いつまでもいつまでも、ひとつきりにて夜半の月。
二人の運命よ、儚い恋よ、叶わぬ夢よ。
郭に生きた女の詩。
「夢一夜」
作詞 南こうせつ リスペクトオマージュ
作 心幸
令和7年3月17日
今日の後書き
ミニスカートでしょ〜。
短すぎて注意される世代でしょ〜。
歳いってても50前だよねwww
なに、クソババァみたいなこと🤣🤣
達観するには十年くらい早いと思うwww
アホは、ナンボと聞いて、喜び勇んで「江戸、江戸」と揚げ足取った気取りで粋がる野暮。端から江戸も上方も近江も郭の粋と商売の粋と粋に違いのあるじゃ無しって話しでしょwww 全く不粋な奴ほど、粋がるねぇ🤣
キモキモブーメラーン🌙
下衆な素人文章に🤮 べらぼうめ真似しやがんなwww
もう少し粋を勉強おくんなまし。
素人が 素人真似て なんになる
真似んなら、も少しましに 真似てくれ🤣
中途半端な知識を中途半端じゃなく見せる方法。それは、知恵ですねぇ笑笑 国語力がなかったから想像力がなかったから、経験がなかったから、本の中の知識に頼る。何時も守られて与えられて来たから、中途半端な知識を中途半端なままにし、誰かのせいにする笑笑
みんな中途半端ですよ、完璧は危険です。
過ぎたるは及ばざるが如しです。極端な人は破滅しか向かえない。
中途半端を中途半端じゃなく見せる方法が大事、生きる力と経験と知恵が大事なんじゃない?(笑)
ハッタリは大事笑笑 嘘もつき通せば真を孕みます。これ昔々大本営がやった手です、、そこまですると極端で、やっぱり破滅しか生まないと歴史は証言しているので、そこから学びたい。
「嘘をつく必要はないけれど、全てを話す必要もない」名言中の名言(笑)
全てを解き明かした気にでもなってるつもりなら赤っ恥。晒しものにし赤羅様に赤裸々に語らなきゃ分からないことの方が、それを正論と学者気取りになる方が知恵が想像力が無く不粋ですね。コンピューターじゃあるまいし、誤打もミスも過ちもあるのよ人間は、それを誂う道具ってねぇ。
確か中島みゆきの詩にそんな詩がありましたね(笑)
違うんだよなぁ、捨てられたのと亡くしたのって…だから一緒くたにしたら駄目、本当にそう思うわ。早くに親と別れる子供は沢山いるけど、捨てられたのと亡くしたのって全然違うから。それはね、里親なんかしていたりすると実際よく分かります。そこが分かると見え方って変わると思うわ。あと、親が居るのに居ないほうが良いと思っていて、心に親が居ない子供。この三人でどの子供が一番可哀想かって言ったら、親が居るに居ない方が良いと思ってる心に親が居ない子供でしょうね(笑)そしてもっと可哀想なのは、そんなことも分からずに大人になって親になることかな(笑)それは、結構な不運で可哀想なことだと思いますね。
花の香りと共に
前説
「老兵は死なずただ消え去るのみ」という名言があるが、他の誰でもなくダグラス・マッカーサーの言葉であるが、流石お休み好きの働くことは楽園を追われた者のすることと考えているアングロ・サクソンらしい考えで、「戦争を戦い抜いた兵士たちもやがて忘れ去られて行く、彼ら老兵は老いながらも生き続けることは出来るが、彼らの成し遂げたものは忘れ去られて行く」という意味が転じて「役割を終えたものはさっさと表舞台から去るものだ、そして悠々自適のセカンドライフで楽しめ」ってアングロ・サクソンらし考えだと思う。しかし日本人は違う美意識を古来よりそのDNAに持っているのだ。
日本には、清貧の美徳とか「生涯一兵卒」と云う言葉があり、働き続けること、「生涯一〇〇」と云う生きざまに美学を置くのである。額に汗して、四季折々の自然の厳しさ優しさと向き合って来た農耕民族の血だから。
あしたのジョーはリングの上で真っ白な灰になる。チャンピオンは、つかみかけた熱い腕をふりほどいてノックアウトされにリングに上がるのである、人生は椅子取りゲームだ。
その椅子が欲しければ、譲ってもらう丁寧に後押ししてもらうことを当たり前なんて思っているから、百戦練磨の老兵が目障りなんだろ?笑笑 情けない。お笑い怪獣明石家さんまは「どっからでも、かかってこい」と言った。だから「さんちゃんはカッコイイ、さんま師匠」なのである。「その椅子が欲しけりゃ奪い取れ」なのである。それが勤勉勤労は美徳の日本人の美意識のアイデンティティだ。お前は、何人?宇宙人?笑笑 給料貰って、もの教わるのに、懇切丁寧優しくが当たり前で、自分が仕事を覚えたら、その席譲って消えろって?外道か?笑笑 〇〇ザより質悪いわ笑笑 そんな風だから、物事続かない仕事も続かない、はい、ニート引きこもりの社会のお荷物の出来上がりなんでしょって笑笑 欲しけりゃ奪い取る。奪い取られてから老兵は去るんだよ、ロッカールームのベンチで「帰れるんだ、これで」ってチャンピオンは呟いたり、舞台やリングの上で真っ白な灰になるのが、日本人の美意識ってやつなのである。だから、サッカーしか出来ない三浦知良や、お笑いしか頭にない明石家さんまはカッコイイと思っている。
時代遅れ上等、これは譲れないのである(笑)
花の香りと共に
「お寂しゅうなりますなぁ」
隣人に、妻を看取り葬式も済ませた後、ふいに声をかけられた父は、少し微笑んで会釈をした。
「一人になると日が長(なご)うなりますわ」と呟く父は、母が残した庭の花に水をやる。その向こうには、瀬戸内の穏やかな海が今日も広がっていた…。
モノクロの画面から、母が丁寧に育てた庭の花が如何に鮮やかで美しいものなのか、そしてその花の香りさえ伝わって来る様な、笠智衆の名演が、あまりにも有名な1953年小津安二郎監督作品「東京物語」東京で其々独立し暮らす子供たちを訪ねる老夫婦の物語は、何時までもあると思うな親の愛で、自分たちのことで手一杯の子供たち其々の姿を見て、これで良いのだと一抹の寂しさも抱えながら田舎に帰ろうとする両親に、戦死した次男の嫁だけが精一杯尽くす。そんな嫁に父は、「あんたはまだ若いから、死んだ息子のことは忘れて嫁に行け」と言う、嫁は「あたくし、そんな良い人間じゃ、ありません」と舅に言って、「あたくしは、狡いんです」「狡いんです」「狡いんです」と3回言う。
数年前まで、夥しい日本人が死に、夫もその一人であったはずなのに、自分は半ばそのことを忘れ去ってしまいそうになっている。そんな自分を「狡いんです、狡いんです、狡いんです」と3回も言わせる。1953年戦後8年目の日本人への小津安二郎監督の清廉として痛烈なメッセージは、この気高く凛とした佇まいの戦争未亡人役原節子の美しさも相俟って、まるで妻が姑が慈しみ育てた庭の花の香りを想わせるのである。
あのラストの場面で、父で夫で舅の笠智衆が花を見つめる姿に重なるのである。とても静かな締め括りなのに激しく胸を突かれるのは、日本映画の真骨頂とも言うべき名作中の名作であった。
明治生まれの名優笠智衆は、日本のお父さん役から日本のお祖父ちゃん役へ、そして「寅さん」では寅次郎も黙る御前様なのである。そんな名優笠智衆には「明治の男は泣かない」という哲学があったらしい。「東京物語」で妻を看取る場面でも、ただ妻の手を取り「癒える、癒える」とやり、ラストの場面でも「一人になると日が長(なご)うなりますわ」と妻の育てた花に水をやり隣人に微笑んで見せるのである。涙を使わず泣かずに泣かす名優は流石、「男は滅多なことで泣くもんじゃない」と育った明治の男であった。
最近は、やたら滅多ら泣きながら謝罪会見するれば誠意が伝わったと取られるようで、政治家までよく泣きなから謝罪会見しますが、いい大人が泣いて許しを請うくらいなら、はじめからしないを選ぶ賢さを持てって。親の金で有名大学出て、そらあ親も経歴も、そっちの方が泣きたい気分だろうに笑笑
日本人のアイデンティティ何処へやらであったりで阿呆らしいと時代遅れは思うのであります笑笑
涙は花の香りと共に、泣かずに涙を伝えた笠智衆という名優の、「その仕事は死して尚消え去ることは無いし、消し去る事も出来ないのである」
「人はいさ こころも知らず ふるさとは
花ぞむかしの 香ににほいける」
紀貫之
現代訳
「人の心はどうなるかわからないけれど、この
梅の花はむかしと変わらぬ同じ香りで
花を咲かせているものだ」
「花の香と 季節は巡り 時はすぐ」
心幸
後書き
もう少し、言葉の意味を調べてからお話なさいな(笑)「お前」は「御前」「御上」と呼ばれてるのと同じの最上級の敬称ですよ笑笑 この前ドラマでもやってたけれど日本人には、わり
と一般的な日本語の知識だけど、日本語に不慣れなのかな?お前さん🤣ならご機嫌治りなさいます?
もち上げてもらうの好きなZちゃんにはぴったりな敬称だと思うのよ(笑)てか、お前に嫌われるの上等なんです。 好かれてたまるか笑笑 キモキモブーメラーン🌙✨️🤣
てか、普通「お前」より「外道」呼ばわりに憤慨して顔赤く🤬しなさいな、「内道」を生きてる日本人なら笑笑
意味分かんないかな(笑) ぴよぴよなお前さん🦜🦜🦜
俳句、和歌、百人一首大好きだけど、そんなもの誰に習うものでもなく我流。当たり前で、文書も、もちろん我流。ただ、歴史だけは我流はよくない。そこは解釈含め我流をする為に基礎を学びたい笑笑 「温故知新」歴史は全ての表現の解釈、それを我流に噛み砕くことが出来るようになる為の基礎ですから😂
令和7年3月16日
心のざわめき
心のざわめきに遠い海。
その人は、やはり海にいた。
何時かの海で、その人は、日傘を差して、ひとり海を見ていた。
遠い人を、来ない人を待ち続けるような愁いを含む黒い瞳を長い睫毛の下に湛えた、凛とした佇まいと、白く透明な肌は、少年たちの憧れだった。
また、何時かの浜辺で、その人に出会ったとき、やはり海が見たいと言った。すぐに来る哀しい予感を悟った。愛することは海の底、とても深くて危険で、けれども美しい宇宙。
春のはじまり潮干狩り、煌めく喧騒の夏は直ぐに過ぎ去り夏の終わり。勝手に時間は無限にあると思っていた…若き日の過ち。
寄せては返す漣に、あの日の遠い海を想い心ざわめき、一人歩く「海に連れて行けなくてごめん」そう詫びながら海に君のサラサラとした白い遺骨を流す。
何度も、ここではじまり終わる。
「また、戻って来てね」と言うように波は静かに寄せては返す。遠い海は穏やかで深い深い海の遠い遠い海の哀しい歴史を語らないのか歌わないのか。
きっと、また来る、その人を見つけに。
遠い海を見つめながら、何度も繰り返す私たちの生と死を想い、心ざわめく。
目を閉じると、どこか遠い遠い記憶の片隅に海を見る。成就することのない恋がそこには、桜貝とともに忘れ去られたように波打ち際に転がっている。「人間というものは、みんな遠くに見える海のようなものをもっています」と文豪は言ったが、心ざわめくその想いと、そしてやがて来る哀しい予感を抱きしめて、人間は命の歴史を、この海に鎮めて来た。けれど、それもたまゆら人と生まれし霊は、何度も繰り返しこの潮に身を任せ彷徨い見つけまた、その契りを結んだ手を離し海に鎮める、哀しい愛しき業を背負う。
人の心の海鳴り、遠き海より哀しい予感を背負いながら、我を呼びし、逆らうことは出来ず、ただ、遠い海に凛とした、その人の姿を想い、今も心ざわめく。
「遠い海」
作者 井上靖 リスペクトオマージュ
「潮(うしお)のざわめき」
作 心幸
令和7年3月15日
本日の後書き
人に差した人差し指は自分に向ける勇気を。自己評価ほど甘いものはありません笑笑 他人様を見て「心がざわざわ」するのと、「心のざわめき」は随分違うが笑笑 心がざわざわする他人様の欠点は、自分の欠点だったりするものです。自由に語れる場所で「訳知り顔で、しゃしゃり出てくるな」は全くもって直情的ですねぇ(笑)ウケましたねぇ、なかなかの兵揃いのセンセー方の集まりで、「同類相求」とはよく言ったものですね笑笑
「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」全く笑笑
東大卒も中卒も無職ニート引きこもりでは同類、社会のお荷物でしかない。きちんと納税者になってから、知った口利くは道理というものです。
意見は納税額の高いものからは、資本主義の掟だから、掟破りは社会主義国へでも。