誰かしら?
前説
私はぁ、優しくありたい繊細さんでぇ、この何でも与えられることが当たり前の飽食の国で、強制的志願で殺し合いに連れて行かれる訳でもないけど、貴族階級の上級国民(大正デモクラシーかwww)の倅が海外にトンズラする中、片道燃料の戦闘機に乗せられる訳でもないけど人身御供で防波堤にならなくて良いけど、自分勝手に生きられなくって辛くって、それは全部ワタシ以外のせいで、ワタシわぁとても、孤立した可哀想な弾き飛ばされそうに繊細なワタシなんだ。いやいや、そんなけ文句言えたら充分です。繊細でもなんでもありませんからwww
寄り添う〜が好きなんだけどぉ、優しくありたいんだけどぉ、本当は寄り添ってぇ〜欲しくてぇ、優しくよいしょして欲しい〜のちゃんなのwww
普通っていったい何?十年もすれば時代遅れって笑う常識?www アップデートが必要とか馬鹿にする思い遣りに欠ける知性に欠ける態度?一年で変わるけど皆が持つからワタシも〜持ちたい使いたい流行品?
ワタシはぁ、普通であるから普通じゃない人は叩いて良いのよ、私刑で私が裁くのよって、どこが繊細さんなの?すっごく図々しいものの考え方だとは思わなくって? 優しくもなく寄り添ってもないし、とても画一的で独善的でイジメっ子体質だよねぇwww 自分の好きしか許さないとか自分が普通で普通じゃない人は異常者だから叩いて良いとか?誰かしら?大丈夫かしら?そんな考え方する人って、独裁者みたいよwww
そりゃあ、そんな人には寄り添うって言葉や優しくあれって言葉が必要で自分の頭で考えて行動しろって唱えるセンセーが必要かもね。
ネットイナゴは、そういう正義感を笠に着て多数の暴力を振るう、普通ってそんなに偉いか?正しいか?自分の考えで、ものを言えないのか?
多数になったら大声になり叩くって成熟した民主主義じゃないですよ、しっかり勉強ください。極端な主義主張は、白でも黒でも右でも左でも正しくても悪でも、そこに正義は無いことを弁えるべきです。
自分たちの正義のためなら人はどこまでも残酷になることを歴史から学び謙虚にならなければいけません。黒か白か?どちらが正義で悪ってなものでなく、そんな極論じゃないところに多様性とか優しさとか寄り添うって言葉があるのでは?そして、極論じゃないところに新しさってあるのでは?極論はダサいしそれこそ時代遅れなんじゃないかしらねぇwww
誰かしら?そんな独裁者みたいな正義感振り回してるの?
「あのコは。。〜誰かしら?〜」
人は、ある日突然大人になるわけじゃない。
子供は純粋で汚れを知らない分、残酷で時に無軌道に純粋さ故に破滅的に突き進み、容易く人を傷つける。「あのコはぁ、誰かしら!」と地続きの子供時代の、幼気な失敗もしくは傷を見つけて包帯で隠されたようなその傷を見つけて、たまたま汚れずに日の当たる場所にいただけの者が、これが普通だ常識だと叫んで石を打つ。何が多様性で何が寄り添うで何が優しくありたいなのか?www そんなのでよくその言葉を口にして、私はぁ、繊細でぇとか言えるよねwww そんなコがおりました。
他の周囲の子を次々と、「アイツは普通じゃない!私たちは普通よ!」と騒いで、死に追いやった。戦争が始まった!私が正義でワタシたちの正義を受け入れられなきゃ皆殺しにしちゃいな!新型兵器も使っちゃえ!だって私が正義でアイツラが間違ってるから!って同じ思考回路だよね。とっても古臭い思考回路だよね。
あのコは誰?、誰かしら?
本当は、狂っていてたのは、あのコだった。
「絶対正義、私が裁くのよ!」
あのコの正体はかつて、両親に見殺しにされ、橋の下に捨てられ、行く場を探して海を渡り、奴隷を売り買いし、元々そこに居た人々を殺して自分の居場所を作ったあのコだった。そして、怨みだけを膨らませて生きたコだったから疑心暗鬼は人一倍で、自分は良いけど人にされるともう自分を見失い、火がついたような病が起る。
皆を自分の世界に引き込み、居もしない敵を仕立てあげる、多数派に自分を置いて、正義を笠に着て「普通じゃない!」と自分が普通じゃないと思う人を裁き石を打ち殺す。独裁者サイコパス。
そして、ミンナのウタだと信じて、胸に手をあて歌う。
自分の正義のウタ。
可哀想な、午前3時から戸を叩くあのコは誰かしら?
令和7年3月2日
心幸
後書き
「あのね、、」って書き出しは、とてもマウントを取っている時に、マウントを取りたい時に使う言葉で、対等に語りかける言葉としては宜しくない表現であると勉強した。有り難い。
だって、「あのね、、」って子供にセンセーが言って聞かせる時に使う言葉だものね。
空耳アワーは、自分の言葉は空耳と笑い飛ばせば良いと棚に上げ、相手の言葉には過剰反応で火がついたようにイナゴは飛ぶからねぇ。勝手なもんだわwww
突っ込めば良いのに、自称繊細はこれだからな〜。自分が言えないだけのことを他人様のせいにして被害者面だけは人一倍。
いや〜まだ夜更けじゃないしねwww
夫と二人で皆さんの文章読んでます。読み上げるの私の仕事ですwww 最近の我が家のブームです。
「火中の栗を拾う」www
いや〜、勉強になります。
芽吹きのとき
流れる日々時間の中で、ふと日が長くなっていることに気づきます。昨日まで堅く蕾を閉じて雪を被せていた、紅梅が忙しく過ぎる光のなかで知らずに芽吹きのときを迎えていました。今朝は、降り出しそうな低い雲の下、その蕾が芽吹き花が開き始めていました。私は見逃すまいと毎年その芽が芽吹き、紅色の花をつける日を見つめていました。
そんな季節の只中で、今年は特別な春を迎えます。3月の風に想いをのせて、花の蕾は春へと移るように貴女の元へと続きます。白い白い花弁に紅色に染めた頬が貴女のように鮮やかです
こんな、憂いを含む低い空の日は、もう少し私の娘でいてください…なんて言ったら舌出して笑う貴女です(笑)
溢れ出す昨日の宝箱光の粒の妖精が集まって、少しづつ今日という朝に繋がりました。
相変わらず、大きなあくびをして
相変わらず、「おかあさーん」って降りてくる
新たな世界の入り口に立っているくせに
自転車に始めて乗れた春のように。
背中より大きなランドセル
傘の黄色と、長靴の黄色だけしか見えなくて
何時までも何時までも貴女の背中を見つめてた、ごく在り来りの母親の春の朝は、今日と同じに、空が低くて、その薄曇りの空に白と赤の梅の花が綻んでいた。
同じ春を何度も見送って、今年の春は一番末のお姫様、白い花弁のようなドレスに紅色の頬を染めて、勝手にお嫁に行くそうです(笑)
瞳を閉じれば、幾つもの季節が貴女と共に流れます。
春一番はもうすぐ、旋風に花粉が乗って
涙目で誤魔化して、貴女の門出を祝います。
上手くいかないこともあるけれど、それさえ
季節が巡れば小さくて、天を仰げば美しく流れ貴女を癒します、貴女が奏でる音楽のように、貴女の好きなメロディに乗せて。
青い空は凛と澄んで見上げる貴女を立たせてくれるはず。
静かに流れる雲が花開く喜びを教えてくれます、そんな貴女の季節の中で、分かち合える幸せを見つけたことに感謝して、隣で笑ってる人になってください。
瞳を閉じれば貴女がどれほど私を強くしたでしょう。出来ることなら、貴女にとって、この母もそうでありたい。
今は、思い出さなくてもいい。
でも、覚えていてね、一緒にお風呂に入ったこと。
嫁ぐ娘へ。
今日は、らしくないの書いてみました。
咲き始めた庭の梅の花が綺麗なもので(笑)
木の花は濃きも薄きも紅梅
桜は花弁おほきに葉の色濃きが枝細きて咲きたる 藤の花はひなひ長く色濃く咲きたる
いとめでたし
枕草子 清少納言
木に咲く花は濃いのも薄いのも紅梅が一番
桜は花弁が大きくて葉の色の濃いところに細い枝に花をつけて咲いてるところがいい。
藤の花はしなやかに垂れた花房が長く濃い色に咲いているのがステキ✨️って枕草子って清少納言さんの好きを書いた本だったんねぇwww
花は梅ごのみの清少納言さんとも読めるし
春咲く花の順番で四季折々を表現したとも読めるね、日本語って素敵です。
令和7年3月1日
心幸
後書き
いつものひとつwww
大地の底深く深く根を張り凛として立て、空を見上げて青天を衝け。
井の中の蛙大海を知らず されど天の高さを知る。
根無し草の漂う浮き草腐れ外道大魔王よりは幸せかなと自負www
今日から3月早いものでもうすぐ一周しちゃうわwww
そして、義父の一周忌も来ちゃうは、ちゃっかり娘は嫁に行くはの春一番。
1年早いものでも色々ある。とりあえず、石の上にも3年だからあと2周はやると決めたのでここに記しておく。
大昔駅で配ってた同人誌みたいなメンヘラ厨ニ入った詩にも慣れたしwww 謙虚さを失わずに2周目も我が道を行く。
あの日の温もり
いつか君と行った映画がまた来る
授業を抜け出して二人で出かけた
かなしい場面では涙ぐんでた
素直な横顔が今も恋しい
雨に破れかけた街角のポスターに
過ぎ去った昔が鮮やかによみがえる
君もみるだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリー
何処かでもう一度
僕は無精髭と髪をのばして
学生集会へも時々出掛けた
就職が決まって髪を切って来た時
もう若くないさと君に言い訳したね
君も見るだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリー
何処でもう一度…
「いちご白書」をもう一度 作詞 荒井由実
「いちご白書」をもう一度は、1975年の曲であり「いちご白書」とは「国家権力に無抵抗で戦う名門校に通う若者の姿を描いた映画である」
1968年にアメリカの名門校で実際に起きた闘争を体験したジェームズ・クーネンのノンフィクション小説を映画化したものである。
舞台は、ベトナム戦争の最中のアメリカのエリート校。ここの学生のサイモンは、反戦運動や政治活動に興味のない学生であったが、近所の子供達が遊び場に使っている公園の土地が買収され軍の組織が立つ計画の裏の取引を知ることとなる。そんな中で、ある人物たちとの出会いが、彼の人生を大きく変えて行く結果となる…。その答えは視聴者が模索し考える。
「ただのゲームより、闘争こそ真実よ!」は名台詞で、その真実を見極めるのが君や僕らですつうやつです。激しい学生運動映画ではなく、とても重くて、物悲しさのある映画です。
はい、これ、どっかの新しぶってる学園ドラマの元ネタと思われます。だいたいね、もう映画もドラマもその歴史100年超えて来ますから、全て何かの模倣であります。
それが普通です。
教師がクールだの熱血だの関係ありません。だって学園ドラマの教師はクールな奴ほど熱血で、破天荒です。
非常識でなければ、時代の壁は破れないん違うんですかぁ?www なんでいきなり腐ったミカンは放り出せの常識論者になるのですかぁ?支離滅裂になってますけど分かってらっしゃる?www
そこのあなた達www
学園ドラマの教師像は「二十四の瞳」の頃からワンパターンで、ポンコツ新米でも泣き虫先生でも、破天荒な元暴走族でも、田舎のプレスリーでも、余命幾ばくも無くても、クールなエリートでも、み~んな、本当は、胸の奥で生徒たちに未来の夢や希望を乗せている、青くさい熱血教師なんですよwwwでなきゃ話になんないのwww そして、生徒たちも、不良でも地頭良くて、優等生でも素直で正義感が強いの、でなきゃドラマになんないのwww それが古今東西今昔の学園ドラマに流れている「あの日の温もり」なんです。学園ドラマなんだから、教師や生徒にサイコパスがいる殺人ミステリーとかなら話は学園ドラマの枠になんないのよwww ミステリー枠やホラー枠になる。
これ、大人の約束今も昔も。
あの日の学生時代の温もりを忘れるな、思い出せ、そして考えろというのが学園ドラマなのですwww 周回遅れのトップは若者にとっては、はじめて観るから新しく感じる。年寄はやっぱり時代は巡り巡っているのだと分かるだけ、別に頭の良し悪しでなく、観たものが多少多いだけ引き出しが多いだけなんよwww それを経験って呼ぶ。
経験は馬鹿になんないのよwww
あの日の温もり、それは経験という財産だww
世の中はいつも変わっているから
頑固ものだけがかなしい思いをする
変わらないものを何かにたとえて
その度崩れちゃそいつのせいにする…
ようするに長いものに巻かれるなって!言ってます、この青臭さが学園ドラマです。
あの日の温もり。
後書き
さぁ、週末ですが、そんなの関係のない、未だにあの日の温もりの中にいる、引きこもりは白ヤギさんから黒ヤギさんに新聞者だか新聞配達みたいな時間に問答送るのかしらねwww さみしいというか、本当に新聞配達に出掛けているのでなければ、そんな時間にスマホに向かえる案外幸者なのかしらね、そんな人達ってwww 今の日本の若者たちは生温かく恵まれているわwww それでも、今自分が若くて目にするもの全てが新しく、自分たちが時代の最先端だと思うのは若さの特権でイイね。けれど二十年もすれば時代錯誤のガラクタ呼ばわりされるのよ、Z世代もその次の世代にね、ザマァですねwww 時間ってそういうものだから。
団塊の世代の全共闘達は、そのほとんどがその後しっかり髪を短くして就職して、御上になり1980年代の日本をつくりました。なんたってエリートですもんwww エリートのやることは何時の時代も大差ありません、良くも悪くも。若さは純粋無垢だからこそ時に暴力的で無軌道に突き進みます、今のネットイナゴだって全共闘と大差ありません、全て正義感の裏側でしかありません。
そうしてバブルは崩壊しましたが、スマホはその後の生まれですが、研究開発はその前です。
私たちは時代の流れの一部であり、後の世代が与えられたものの上にふんぞり返り与えしものを見下すことは、それこそ無能の阿呆です。そもそも令和なんてまだ、生まれて、7年の小学1年生です。今、ここにあるものは、全て、平成があり昭和があり大正、明治がありそれ以前があったからこそ有るものです。歴史を見縊ってはいけません。厳しく、そして失敗も成功も、喜びも悲しみもあるからこそ未来は繋がって行くのです。
歴史からは、批判精神ではなく謙虚さを学びたいですね。
あの日の温もりから出てみて始めて、あの日の温もりの意味って分かるのかもねwww
令和7年2月28日
心幸
cute!
感嘆符ついてるから「かわいい〜っ!」って感じで良いのかしら?www
「かわいい〜っ!」って今は誰にでも使っちゃえる時代で、なんだか冴えないオジサンでも、「かわいい〜っ!」て言われちゃいますね、「私も〜ぉ!」と同じくらい軽薄で吹けば飛ぶような実の無い言葉だと個人的には思っています。良いんだか悪いんだか、下げてんだか上げてんだか、馬鹿にしてんだか、愛情示してんだか曖昧な若者言葉だと思っています。
日本語で「Cute!」「可愛い」は、本来は「かわいそうだ」「哀れだ」という言葉が起源で出来ています。「かはゆし」「かははゆし」と表現され「恥ずかしくて顔を赤くして覆い隠す」仕草などに使われた言葉で、それが「哀れで愛おしい」に転じたものです。
そう言えば「愛しい」と書いて「哀しい(かなしい)」とも読みますし、「もののあはれ」という言葉も心を動かされた時に出る溜息のような詠嘆の言葉であったようで日本語の豊かさを表す言葉であると思うと同時に、日本人は、哀しみを美しいものだと例えるところがあるのでしょうかねと思います。「もののあはれの愛おしさ」儚いものへの憐憫が「可愛い」という言葉に繋がっているように思います。このような、憂いのある言葉を母国語と語れることに誇りを感じると同時に、多様な言葉での表現力を身につけることの出来る日本人であることを大切にしたいと思いました。
叱責叱咤の言葉は受け取る方は「悪口」と言い、発する方は「正論」と思っていることが多々です。だから、「正論は吐く」と表現されます。
もし仮に「悪口」を言うなと叱責するなら、自分の胸に手をあてて、自分は「正論」と思い誰かを叱責叱咤したことは無かったか?と考えることをお勧めしますwww 自分は全く人を評価も批判も叱責も叱咤もしたことが無く、怨み言を言ったことも無いと言い切れる者だけが、人の悪口を責めなさい。
これは、子供を育てる時に由々しき問題でしたが、私は悪口は言うなとは言いませんでした。人間は、誰しも腹の立つことも、これは違うと思うこともある、熱が入れば喧嘩にもなる、寧ろ喧嘩にならん相手の方に気をつけなきゃならない、そんな奴は大抵、陰口言ってるからwww 悪口は言っても仕方ないけど陰口は言うな、けど会社に入って上司が出来たら、陰口くらいで止めておけwww ただ、大勢で一人の事を言うのは、悪口も陰口もやめておけ、自分の値打ちが下がるからと教えました。まあ、もう大人なので今は言いませんし、そんなことは自分で決めるでしょうけど、うちの子たちは悪口よりも陰口よりも大勢で一人を責めることを嫌いますね、それは良い悪を別にして。
昨日、とても不思議な言葉を話す若者をテレビで見ました。流行りのYouTuberであるようでしたが、自分の祖父くらいの、ひとつの世界を誠実に勤め上げ、功績も残された人生の大先輩を称し終始「彼」と呼んでいて、ドン引きしました。その若いYouTuberは「彼」と呼ぶことに尊敬の念を込めていたのでしょうか?そこはせめて「〇〇さん」と呼んでくださる方が、それこそ若者らしい爽やかな可愛らしさがあったように思いました。格好良く「彼」と呼ばれたのかも知れませんが、実に軽くて謙虚さの無い残念な言葉使いに、これが流行りのYouTuberかとガッカリしてしまいました。少し前も、歳上にタメ口キャラのYouTuberさんが上げられて調子乗って下げられて集中砲火の私刑で叩かれて、何処かへ行ってしまったけれど、こういう使い捨て感覚が腫れ物にでも触るように育てられた世代の創造する新しい?時代の縮図なのでしょうかねwww そりゃあ、自称 複雑な世の中の生き辛さを背負った繊細さんになる訳です。そもそも、色々あっても平気な顔して笑ってる、その笑顔の下に幾つもの涙を隠してる、そんな人が繊細なのだと思います。繊細な人は自分を自分で繊細と言うほど図々しくないわwww 勿論、それは個人にも世代にも言えることです。
「二十歳超えてんだよね、あの彼」
親の顔が見たいわ…。
思わず、テレビに向かって呟いていた婆さんでしたwww
お口直しに気分を変えて。
「花の色は うつりにけりな いたずらに
我が身世にふる ながめせしまに」
小野小町
花の色は、すっかり移り変わってしまったわ、
春の長雨が降っていて、私が虚しい気持ちであの人のことを思っているあいだに! そうしているあいだにも、私の美しい盛りが終を告げて衰えてしまったわ、、と小町さんはシトシトと降る雨に濡れ花弁を萎め俯く紅梅に我が身を重ね溜息をつくのでした。
その姿、いとあはれなり。
「she is cute !」英語ってやっぱ安ぽくて軽薄だよね、こういう時www 「I love you」も「she is cute !」も実に誰にでも言いやすい言葉である。良くも悪くも…(笑)
言葉はやはり日本語ですって、そりゃあ日本人ですもの(笑)
現代訳 心幸でした。
令和7年2月27日
後書きの物語
自作自演はいい加減お止めよ、模倣じゃなくて君のは自慰だもの、独りきりの部屋でブルーライトに写る自分と争っている。鏡に向かって「シャーシャー」鳴いてる猫なら「Cute!」って言葉がピッタリだけど。
君のは、違う。
だから一行かせいぜい三行程度が精一杯の呟きしか書けないんだろう?
君の淋しさがあの場所を支配しているよ。
一行のお返事を書くために、長文を書く、また一行を書くの一人芝居の一人舞台。
一人でやってるの分かるよ、可哀想にと思って相手したら、調子に乗ったね。じゃなきゃ、自分が誰も彼もに理解され寄り添って〜ぇと泣く子供と、文章を書く場で文章を書けないピーマンの食わず嫌い選手権大会でもやってるつもりなのかな? あの場所www
午前3時、4時の問答、よーく考えろよ、そりゃあ、どっちもどっちだろwww どっちもどっちなのではないのか?www 極端な人たちは結局同じだよなってことを、披露しているなら良く出来ている。
僕は、もう助けないよ。
同情はするが、君を理解はしない。
君が、自分で自分を助け、自分に寄り添えるこ
とを祈っている。そうすれば、誰かが寄り添ってくれるよ、誰も彼にも理解を求めるなwww
人を世を語るのはそれからだ。
お大事に
記憶
前説
本当にネットなんとやらってのは、ぼんくらピーマンの寄せ集めだよwww
なんだね、お前さん藪から棒に。藪の中から棒が出て来て藪から棒だよ「藪の中」とは違うんだよ、いくら話しの分からないお前さんでも分かんなきゃいけないよwwwと可愛いお狐様が言ったかどうかは知らないけれど、、。
「様」つけりゃあ礼を弁えているとか思ってんのかねぇ?「様」でも「君」でも「御上」でもそこに心がなきゃねぇ、態々つける敬称や丁寧な言葉を「慇懃無礼」と言いますわ。ましてや悪意を持って丁寧な言葉使いなんて下衆の極みってもんだよwww
ぼんくらはさぁ、狭い了見で自分に合わせて他人様の暮らしぶりを考える訳さ暇なもんなんだろうねぇwww そりゃあ、引きこもりの学生や社会人崩れと、セミリタイアの孫の居る世代と暇は暇でもその意味随分違う事くらい、ぼんくら頭でも想像しないと、なーんも分かりゃあしないよwww 全くどんな大層な家事育児やってやがんだろうねぇwww
てめえの、チマチマっとした推量で、騒いで祭りしてたら、どっちもどっちのブーメラン頭に刺さっちまってますぜって言われやんすよwww
てめえんちの僕ちゃんとくらべられちゃあ、世も末だって、お天道様の御親戚も泣いてなさるやも知れねぇなぁwww
って口上でごさんしたwww
最近、江戸弁がマイブームなので使ってみましたwww
只今 江戸弁勉強中www
「記憶 〜時は偉大な作家である〜」
「私たちには時間がある」
人生の絶望から自殺をはかった売れない新人女優をたまたま救った老芸人は、そう言って、彼女の濡れたツヤツヤ光る黒髪にタオルを掛けた。
自身の暮らしも楽ではないが、彼は彼女を見捨てられず、世話をやく。大切な商売道具のバイオリンを質に入れ、彼女を演劇のクラスに通わせ身なりも整えさせる。自身は売れない大道芸人かつては、大舞台のカーテンコールで中央に立ち喝采をあびる役者であった。そんな彼は今、その劇場の前でビールケースの上に立ちスタンダップコメディをして投げ銭を貰っている
そこを通る誰もが彼を忘れ去り、記憶していない。
そんな男が、駆け出しの売れない女優がパトロンに去られて、愚かにも自殺をはかろうとしたところを彼は助け、何故だか彼女に今生かされている、、、薹が立った芸人は、この娘を一端の女優にすることを夢見、劇場の前に立つのだ昨日の記憶を忘れるようにキラキラと。
やがて、彼女は彼の後押しと自身の努力によりその劇場の舞台に立つ、そして彼女は立派な女優へと花開く…。
その舞台を老芸人は見つめ静かに目を閉じる。
忘れたい記憶も、忘れたくない記憶も時という作家は、人生という素晴らしい叙事詩にする。
忘れたい記憶も忘れたくない記憶も、「人生」という名のドラマは必ず包み込んでくれる。
大事なのは生ききることだ!
「時は、偉大な作家である」
「ライムライト」リスペクトオマージュ
偉大なる映画の神様、チャールズ・チャップリンに敬意を込めて。
令和7年2月26日
心幸
後書き
本日の後書き、いやーもしかして本日のお題「記憶」じゃなくて「記録?」www こりゃあ老眼鏡必要か!?ってかwww これこそが記録つうことでwww 記憶しておこう。
てか、字が小せーんだよ!えっ、人のせいかよwww
そして、記するかどうか迷いましたが、記することにしましたことをひとつ。
もやもや病はメンタルヘルス系の心の病ではありません、脳の血管の病です。その歴史も古く1950年代頃には研究もされ文献もある病です。芸能人では歌手の徳永英明さんは、この病を公表されていらっしゃいますね。
なぜ、このもやもや病について触れたのかと言いますと、正直な気持ちで誤解されたくなかったからです。実は私の母もこの病を長く患っておりましたが、結婚し私という娘も授かっております。私も母がそいう病を持っておりましたので脳ドックは欠かせませんが今のところ問題なく過ごさせていただいており、子供も孫もおりその子たちも今のところ遺伝は認められておりません。
もやもや病という病名は、なんとなくメンタルヘルス系の精神疾患のようにも取れますが違います。脳の動脈が閉塞しそれを補う為に発生した脆弱な血管が煙のようにレントゲンなどで写るため、もやもや病と名付けられた、脳血管の病気です。
まだ私の母がこの病を患っていた頃は一般的でもなかった病名でしたので、誤解を受けそうで母の病名を言えなかったことを今恥ずかしく思い出します。母も随分心も痛めたことでしょうが、逞しく過ごしていた、記憶しか記録(アルバムなど)に残っておりませんwww あれから50年近くの月日が経ちます。医療は先人たちの経験と研究とで日進月歩でしょう。
記憶は記録され生かされ続けて行くはずです。
案ずるより産むが易しですね(笑)
だれかに気遣ってって願うのは自分勝手な独り善がりですよwww あなたに気遣って欲しいって、そんなにその人に拘るから与えられないのかもねwww 神様って案外イケズかも。気遣って貰えなくても平気な人になると気遣ってもらえるって皮肉もあるのかも知れませんねwww