芽吹きのとき
流れる日々時間の中で、ふと日が長くなっていることに気づきます。昨日まで堅く蕾を閉じて雪を被せていた、紅梅が忙しく過ぎる光のなかで知らずに芽吹きのときを迎えていました。今朝は、降り出しそうな低い雲の下、その蕾が芽吹き花が開き始めていました。私は見逃すまいと毎年その芽が芽吹き、紅色の花をつける日を見つめていました。
そんな季節の只中で、今年は特別な春を迎えます。3月の風に想いをのせて、花の蕾は春へと移るように貴女の元へと続きます。白い白い花弁に紅色に染めた頬が貴女のように鮮やかです
こんな、憂いを含む低い空の日は、もう少し私の娘でいてください…なんて言ったら舌出して笑う貴女です(笑)
溢れ出す昨日の宝箱光の粒の妖精が集まって、少しづつ今日という朝に繋がりました。
相変わらず、大きなあくびをして
相変わらず、「おかあさーん」って降りてくる
新たな世界の入り口に立っているくせに
自転車に始めて乗れた春のように。
背中より大きなランドセル
傘の黄色と、長靴の黄色だけしか見えなくて
何時までも何時までも貴女の背中を見つめてた、ごく在り来りの母親の春の朝は、今日と同じに、空が低くて、その薄曇りの空に白と赤の梅の花が綻んでいた。
同じ春を何度も見送って、今年の春は一番末のお姫様、白い花弁のようなドレスに紅色の頬を染めて、勝手にお嫁に行くそうです(笑)
瞳を閉じれば、幾つもの季節が貴女と共に流れます。
春一番はもうすぐ、旋風に花粉が乗って
涙目で誤魔化して、貴女の門出を祝います。
上手くいかないこともあるけれど、それさえ
季節が巡れば小さくて、天を仰げば美しく流れ貴女を癒します、貴女が奏でる音楽のように、貴女の好きなメロディに乗せて。
青い空は凛と澄んで見上げる貴女を立たせてくれるはず。
静かに流れる雲が花開く喜びを教えてくれます、そんな貴女の季節の中で、分かち合える幸せを見つけたことに感謝して、隣で笑ってる人になってください。
瞳を閉じれば貴女がどれほど私を強くしたでしょう。出来ることなら、貴女にとって、この母もそうでありたい。
今は、思い出さなくてもいい。
でも、覚えていてね、一緒にお風呂に入ったこと。
嫁ぐ娘へ。
今日は、らしくないの書いてみました。
咲き始めた庭の梅の花が綺麗なもので(笑)
木の花は濃きも薄きも紅梅
桜は花弁おほきに葉の色濃きが枝細きて咲きたる 藤の花はひなひ長く色濃く咲きたる
いとめでたし
枕草子 清少納言
木に咲く花は濃いのも薄いのも紅梅が一番
桜は花弁が大きくて葉の色の濃いところに細い枝に花をつけて咲いてるところがいい。
藤の花はしなやかに垂れた花房が長く濃い色に咲いているのがステキ✨️って枕草子って清少納言さんの好きを書いた本だったんねぇwww
花は梅ごのみの清少納言さんとも読めるし
春咲く花の順番で四季折々を表現したとも読めるね、日本語って素敵です。
令和7年3月1日
心幸
後書き
いつものひとつwww
大地の底深く深く根を張り凛として立て、空を見上げて青天を衝け。
井の中の蛙大海を知らず されど天の高さを知る。
根無し草の漂う浮き草腐れ外道大魔王よりは幸せかなと自負www
今日から3月早いものでもうすぐ一周しちゃうわwww
そして、義父の一周忌も来ちゃうは、ちゃっかり娘は嫁に行くはの春一番。
1年早いものでも色々ある。とりあえず、石の上にも3年だからあと2周はやると決めたのでここに記しておく。
大昔駅で配ってた同人誌みたいなメンヘラ厨ニ入った詩にも慣れたしwww 謙虚さを失わずに2周目も我が道を行く。
あの日の温もり
いつか君と行った映画がまた来る
授業を抜け出して二人で出かけた
かなしい場面では涙ぐんでた
素直な横顔が今も恋しい
雨に破れかけた街角のポスターに
過ぎ去った昔が鮮やかによみがえる
君もみるだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリー
何処かでもう一度
僕は無精髭と髪をのばして
学生集会へも時々出掛けた
就職が決まって髪を切って来た時
もう若くないさと君に言い訳したね
君も見るだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリー
何処でもう一度…
「いちご白書」をもう一度 作詞 荒井由実
「いちご白書」をもう一度は、1975年の曲であり「いちご白書」とは「国家権力に無抵抗で戦う名門校に通う若者の姿を描いた映画である」
1968年にアメリカの名門校で実際に起きた闘争を体験したジェームズ・クーネンのノンフィクション小説を映画化したものである。
舞台は、ベトナム戦争の最中のアメリカのエリート校。ここの学生のサイモンは、反戦運動や政治活動に興味のない学生であったが、近所の子供達が遊び場に使っている公園の土地が買収され軍の組織が立つ計画の裏の取引を知ることとなる。そんな中で、ある人物たちとの出会いが、彼の人生を大きく変えて行く結果となる…。その答えは視聴者が模索し考える。
「ただのゲームより、闘争こそ真実よ!」は名台詞で、その真実を見極めるのが君や僕らですつうやつです。激しい学生運動映画ではなく、とても重くて、物悲しさのある映画です。
はい、これ、どっかの新しぶってる学園ドラマの元ネタと思われます。だいたいね、もう映画もドラマもその歴史100年超えて来ますから、全て何かの模倣であります。
それが普通です。
教師がクールだの熱血だの関係ありません。だって学園ドラマの教師はクールな奴ほど熱血で、破天荒です。
非常識でなければ、時代の壁は破れないん違うんですかぁ?www なんでいきなり腐ったミカンは放り出せの常識論者になるのですかぁ?支離滅裂になってますけど分かってらっしゃる?www
そこのあなた達www
学園ドラマの教師像は「二十四の瞳」の頃からワンパターンで、ポンコツ新米でも泣き虫先生でも、破天荒な元暴走族でも、田舎のプレスリーでも、余命幾ばくも無くても、クールなエリートでも、み~んな、本当は、胸の奥で生徒たちに未来の夢や希望を乗せている、青くさい熱血教師なんですよwwwでなきゃ話になんないのwww そして、生徒たちも、不良でも地頭良くて、優等生でも素直で正義感が強いの、でなきゃドラマになんないのwww それが古今東西今昔の学園ドラマに流れている「あの日の温もり」なんです。学園ドラマなんだから、教師や生徒にサイコパスがいる殺人ミステリーとかなら話は学園ドラマの枠になんないのよwww ミステリー枠やホラー枠になる。
これ、大人の約束今も昔も。
あの日の学生時代の温もりを忘れるな、思い出せ、そして考えろというのが学園ドラマなのですwww 周回遅れのトップは若者にとっては、はじめて観るから新しく感じる。年寄はやっぱり時代は巡り巡っているのだと分かるだけ、別に頭の良し悪しでなく、観たものが多少多いだけ引き出しが多いだけなんよwww それを経験って呼ぶ。
経験は馬鹿になんないのよwww
あの日の温もり、それは経験という財産だww
世の中はいつも変わっているから
頑固ものだけがかなしい思いをする
変わらないものを何かにたとえて
その度崩れちゃそいつのせいにする…
ようするに長いものに巻かれるなって!言ってます、この青臭さが学園ドラマです。
あの日の温もり。
後書き
さぁ、週末ですが、そんなの関係のない、未だにあの日の温もりの中にいる、引きこもりは白ヤギさんから黒ヤギさんに新聞者だか新聞配達みたいな時間に問答送るのかしらねwww さみしいというか、本当に新聞配達に出掛けているのでなければ、そんな時間にスマホに向かえる案外幸者なのかしらね、そんな人達ってwww 今の日本の若者たちは生温かく恵まれているわwww それでも、今自分が若くて目にするもの全てが新しく、自分たちが時代の最先端だと思うのは若さの特権でイイね。けれど二十年もすれば時代錯誤のガラクタ呼ばわりされるのよ、Z世代もその次の世代にね、ザマァですねwww 時間ってそういうものだから。
団塊の世代の全共闘達は、そのほとんどがその後しっかり髪を短くして就職して、御上になり1980年代の日本をつくりました。なんたってエリートですもんwww エリートのやることは何時の時代も大差ありません、良くも悪くも。若さは純粋無垢だからこそ時に暴力的で無軌道に突き進みます、今のネットイナゴだって全共闘と大差ありません、全て正義感の裏側でしかありません。
そうしてバブルは崩壊しましたが、スマホはその後の生まれですが、研究開発はその前です。
私たちは時代の流れの一部であり、後の世代が与えられたものの上にふんぞり返り与えしものを見下すことは、それこそ無能の阿呆です。そもそも令和なんてまだ、生まれて、7年の小学1年生です。今、ここにあるものは、全て、平成があり昭和があり大正、明治がありそれ以前があったからこそ有るものです。歴史を見縊ってはいけません。厳しく、そして失敗も成功も、喜びも悲しみもあるからこそ未来は繋がって行くのです。
歴史からは、批判精神ではなく謙虚さを学びたいですね。
あの日の温もりから出てみて始めて、あの日の温もりの意味って分かるのかもねwww
令和7年2月28日
心幸
cute!
感嘆符ついてるから「かわいい〜っ!」って感じで良いのかしら?www
「かわいい〜っ!」って今は誰にでも使っちゃえる時代で、なんだか冴えないオジサンでも、「かわいい〜っ!」て言われちゃいますね、「私も〜ぉ!」と同じくらい軽薄で吹けば飛ぶような実の無い言葉だと個人的には思っています。良いんだか悪いんだか、下げてんだか上げてんだか、馬鹿にしてんだか、愛情示してんだか曖昧な若者言葉だと思っています。
日本語で「Cute!」「可愛い」は、本来は「かわいそうだ」「哀れだ」という言葉が起源で出来ています。「かはゆし」「かははゆし」と表現され「恥ずかしくて顔を赤くして覆い隠す」仕草などに使われた言葉で、それが「哀れで愛おしい」に転じたものです。
そう言えば「愛しい」と書いて「哀しい(かなしい)」とも読みますし、「もののあはれ」という言葉も心を動かされた時に出る溜息のような詠嘆の言葉であったようで日本語の豊かさを表す言葉であると思うと同時に、日本人は、哀しみを美しいものだと例えるところがあるのでしょうかねと思います。「もののあはれの愛おしさ」儚いものへの憐憫が「可愛い」という言葉に繋がっているように思います。このような、憂いのある言葉を母国語と語れることに誇りを感じると同時に、多様な言葉での表現力を身につけることの出来る日本人であることを大切にしたいと思いました。
叱責叱咤の言葉は受け取る方は「悪口」と言い、発する方は「正論」と思っていることが多々です。だから、「正論は吐く」と表現されます。
もし仮に「悪口」を言うなと叱責するなら、自分の胸に手をあてて、自分は「正論」と思い誰かを叱責叱咤したことは無かったか?と考えることをお勧めしますwww 自分は全く人を評価も批判も叱責も叱咤もしたことが無く、怨み言を言ったことも無いと言い切れる者だけが、人の悪口を責めなさい。
これは、子供を育てる時に由々しき問題でしたが、私は悪口は言うなとは言いませんでした。人間は、誰しも腹の立つことも、これは違うと思うこともある、熱が入れば喧嘩にもなる、寧ろ喧嘩にならん相手の方に気をつけなきゃならない、そんな奴は大抵、陰口言ってるからwww 悪口は言っても仕方ないけど陰口は言うな、けど会社に入って上司が出来たら、陰口くらいで止めておけwww ただ、大勢で一人の事を言うのは、悪口も陰口もやめておけ、自分の値打ちが下がるからと教えました。まあ、もう大人なので今は言いませんし、そんなことは自分で決めるでしょうけど、うちの子たちは悪口よりも陰口よりも大勢で一人を責めることを嫌いますね、それは良い悪を別にして。
昨日、とても不思議な言葉を話す若者をテレビで見ました。流行りのYouTuberであるようでしたが、自分の祖父くらいの、ひとつの世界を誠実に勤め上げ、功績も残された人生の大先輩を称し終始「彼」と呼んでいて、ドン引きしました。その若いYouTuberは「彼」と呼ぶことに尊敬の念を込めていたのでしょうか?そこはせめて「〇〇さん」と呼んでくださる方が、それこそ若者らしい爽やかな可愛らしさがあったように思いました。格好良く「彼」と呼ばれたのかも知れませんが、実に軽くて謙虚さの無い残念な言葉使いに、これが流行りのYouTuberかとガッカリしてしまいました。少し前も、歳上にタメ口キャラのYouTuberさんが上げられて調子乗って下げられて集中砲火の私刑で叩かれて、何処かへ行ってしまったけれど、こういう使い捨て感覚が腫れ物にでも触るように育てられた世代の創造する新しい?時代の縮図なのでしょうかねwww そりゃあ、自称 複雑な世の中の生き辛さを背負った繊細さんになる訳です。そもそも、色々あっても平気な顔して笑ってる、その笑顔の下に幾つもの涙を隠してる、そんな人が繊細なのだと思います。繊細な人は自分を自分で繊細と言うほど図々しくないわwww 勿論、それは個人にも世代にも言えることです。
「二十歳超えてんだよね、あの彼」
親の顔が見たいわ…。
思わず、テレビに向かって呟いていた婆さんでしたwww
お口直しに気分を変えて。
「花の色は うつりにけりな いたずらに
我が身世にふる ながめせしまに」
小野小町
花の色は、すっかり移り変わってしまったわ、
春の長雨が降っていて、私が虚しい気持ちであの人のことを思っているあいだに! そうしているあいだにも、私の美しい盛りが終を告げて衰えてしまったわ、、と小町さんはシトシトと降る雨に濡れ花弁を萎め俯く紅梅に我が身を重ね溜息をつくのでした。
その姿、いとあはれなり。
「she is cute !」英語ってやっぱ安ぽくて軽薄だよね、こういう時www 「I love you」も「she is cute !」も実に誰にでも言いやすい言葉である。良くも悪くも…(笑)
言葉はやはり日本語ですって、そりゃあ日本人ですもの(笑)
現代訳 心幸でした。
令和7年2月27日
後書きの物語
自作自演はいい加減お止めよ、模倣じゃなくて君のは自慰だもの、独りきりの部屋でブルーライトに写る自分と争っている。鏡に向かって「シャーシャー」鳴いてる猫なら「Cute!」って言葉がピッタリだけど。
君のは、違う。
だから一行かせいぜい三行程度が精一杯の呟きしか書けないんだろう?
君の淋しさがあの場所を支配しているよ。
一行のお返事を書くために、長文を書く、また一行を書くの一人芝居の一人舞台。
一人でやってるの分かるよ、可哀想にと思って相手したら、調子に乗ったね。じゃなきゃ、自分が誰も彼もに理解され寄り添って〜ぇと泣く子供と、文章を書く場で文章を書けないピーマンの食わず嫌い選手権大会でもやってるつもりなのかな? あの場所www
午前3時、4時の問答、よーく考えろよ、そりゃあ、どっちもどっちだろwww どっちもどっちなのではないのか?www 極端な人たちは結局同じだよなってことを、披露しているなら良く出来ている。
僕は、もう助けないよ。
同情はするが、君を理解はしない。
君が、自分で自分を助け、自分に寄り添えるこ
とを祈っている。そうすれば、誰かが寄り添ってくれるよ、誰も彼にも理解を求めるなwww
人を世を語るのはそれからだ。
お大事に
記憶
前説
本当にネットなんとやらってのは、ぼんくらピーマンの寄せ集めだよwww
なんだね、お前さん藪から棒に。藪の中から棒が出て来て藪から棒だよ「藪の中」とは違うんだよ、いくら話しの分からないお前さんでも分かんなきゃいけないよwwwと可愛いお狐様が言ったかどうかは知らないけれど、、。
「様」つけりゃあ礼を弁えているとか思ってんのかねぇ?「様」でも「君」でも「御上」でもそこに心がなきゃねぇ、態々つける敬称や丁寧な言葉を「慇懃無礼」と言いますわ。ましてや悪意を持って丁寧な言葉使いなんて下衆の極みってもんだよwww
ぼんくらはさぁ、狭い了見で自分に合わせて他人様の暮らしぶりを考える訳さ暇なもんなんだろうねぇwww そりゃあ、引きこもりの学生や社会人崩れと、セミリタイアの孫の居る世代と暇は暇でもその意味随分違う事くらい、ぼんくら頭でも想像しないと、なーんも分かりゃあしないよwww 全くどんな大層な家事育児やってやがんだろうねぇwww
てめえの、チマチマっとした推量で、騒いで祭りしてたら、どっちもどっちのブーメラン頭に刺さっちまってますぜって言われやんすよwww
てめえんちの僕ちゃんとくらべられちゃあ、世も末だって、お天道様の御親戚も泣いてなさるやも知れねぇなぁwww
って口上でごさんしたwww
最近、江戸弁がマイブームなので使ってみましたwww
只今 江戸弁勉強中www
「記憶 〜時は偉大な作家である〜」
「私たちには時間がある」
人生の絶望から自殺をはかった売れない新人女優をたまたま救った老芸人は、そう言って、彼女の濡れたツヤツヤ光る黒髪にタオルを掛けた。
自身の暮らしも楽ではないが、彼は彼女を見捨てられず、世話をやく。大切な商売道具のバイオリンを質に入れ、彼女を演劇のクラスに通わせ身なりも整えさせる。自身は売れない大道芸人かつては、大舞台のカーテンコールで中央に立ち喝采をあびる役者であった。そんな彼は今、その劇場の前でビールケースの上に立ちスタンダップコメディをして投げ銭を貰っている
そこを通る誰もが彼を忘れ去り、記憶していない。
そんな男が、駆け出しの売れない女優がパトロンに去られて、愚かにも自殺をはかろうとしたところを彼は助け、何故だか彼女に今生かされている、、、薹が立った芸人は、この娘を一端の女優にすることを夢見、劇場の前に立つのだ昨日の記憶を忘れるようにキラキラと。
やがて、彼女は彼の後押しと自身の努力によりその劇場の舞台に立つ、そして彼女は立派な女優へと花開く…。
その舞台を老芸人は見つめ静かに目を閉じる。
忘れたい記憶も、忘れたくない記憶も時という作家は、人生という素晴らしい叙事詩にする。
忘れたい記憶も忘れたくない記憶も、「人生」という名のドラマは必ず包み込んでくれる。
大事なのは生ききることだ!
「時は、偉大な作家である」
「ライムライト」リスペクトオマージュ
偉大なる映画の神様、チャールズ・チャップリンに敬意を込めて。
令和7年2月26日
心幸
後書き
本日の後書き、いやーもしかして本日のお題「記憶」じゃなくて「記録?」www こりゃあ老眼鏡必要か!?ってかwww これこそが記録つうことでwww 記憶しておこう。
てか、字が小せーんだよ!えっ、人のせいかよwww
そして、記するかどうか迷いましたが、記することにしましたことをひとつ。
もやもや病はメンタルヘルス系の心の病ではありません、脳の血管の病です。その歴史も古く1950年代頃には研究もされ文献もある病です。芸能人では歌手の徳永英明さんは、この病を公表されていらっしゃいますね。
なぜ、このもやもや病について触れたのかと言いますと、正直な気持ちで誤解されたくなかったからです。実は私の母もこの病を長く患っておりましたが、結婚し私という娘も授かっております。私も母がそいう病を持っておりましたので脳ドックは欠かせませんが今のところ問題なく過ごさせていただいており、子供も孫もおりその子たちも今のところ遺伝は認められておりません。
もやもや病という病名は、なんとなくメンタルヘルス系の精神疾患のようにも取れますが違います。脳の動脈が閉塞しそれを補う為に発生した脆弱な血管が煙のようにレントゲンなどで写るため、もやもや病と名付けられた、脳血管の病気です。
まだ私の母がこの病を患っていた頃は一般的でもなかった病名でしたので、誤解を受けそうで母の病名を言えなかったことを今恥ずかしく思い出します。母も随分心も痛めたことでしょうが、逞しく過ごしていた、記憶しか記録(アルバムなど)に残っておりませんwww あれから50年近くの月日が経ちます。医療は先人たちの経験と研究とで日進月歩でしょう。
記憶は記録され生かされ続けて行くはずです。
案ずるより産むが易しですね(笑)
だれかに気遣ってって願うのは自分勝手な独り善がりですよwww あなたに気遣って欲しいって、そんなにその人に拘るから与えられないのかもねwww 神様って案外イケズかも。気遣って貰えなくても平気な人になると気遣ってもらえるって皮肉もあるのかも知れませんねwww
さぁ冒険だ
草原のマルコ 〜母を訪ねて三千里より〜
はるか草原を一掴みの雲が
あてもなく彷徨い飛んでゆく
山もなく谷もくなにも見えないしない
けれどマルコお前は来たんだ
アンデスに続くこの道を
さぁ、出発だ
今、陽が昇る
希望の光両手に掴み
ポンチョに夜明けの風はらませて
母さんのいるあの空の下
はるかな北を目指せ
小さな胸中に刻みつけた願い
母さんの面影もえてゆく
風の詩草の海さえぎないものはない
そしてマルコお前は来たんだ
母さんをたずねてこの道を
さぁ、出発だ
今、日が昇る
行く手に浮かぶ朝焼けの道
膨らむ胸に憧れだいて
母さんに会える喜びの日を
はるかに思い描け
「フランダースの犬」1975年
「母を訪ねて三千里」1976年
1970年代の子供を育てた「世界名作劇場」確かに現代のコンプライアンスに反するのかも知れないが、現代の子供たちのために再放送して欲しいアニメだ。
「フランダース犬」「母を訪ねて三千里」に加えて「名作劇場」第3作「あらいぐまラスカル」までが3部作。私の友人は大人になって付き合った歳下の彼氏が「ラスカル」を知らないことに溝を感じて別れた経験を酒を飲みながら未だに話すwww それくらい当時の子供たち特に女子にとっては、日曜日のサザエさんの後のお約束であった。
懐かしいと思うものの共感共有は、まことに強い絆を生むということだ。私は上も下も歳の離れた人と付き合った経験がない為この経験を実感的にしたことはないが、やはり改めて考えてみると、好きや嫌いの共感よりも、懐かしいと思うものの共感は心に染み入る。懐かしい漫画アニメ、ドラマ映画、バラエティ、音楽、風景…懐かしい想いを共有出来ることは、側にいなくても共に生きたような錯覚を起こし、心の距離が近くなるのだ。
「好きこそものの上手なれ」好きに拘ることは自分を育み「好き」の共感は世界を広げるが一転「嫌い」に転じそれに拘れば傷つけ合うだけの生産性の無いものになってしまう。ましてや、「好き」から転じた「嫌い」は、拘れば拘るほど、みっともなく怨み節に変化すれば、狂気じみたストーカー気質になりがちで、「好き」や「嫌い」でしか人との世の中との繋がりが表現出来ないことは、心の未熟さを晒しているようなものだ。好きや嫌いを凌駕する懐かしいさの共有共感は、共に生きた時間への共に見た歴史への想いに繋がるのだろう。
ともあれ、「世界名作劇場」は1975年の「フランダース犬」を第一作と数えるらしく、提供は初期がカルピスで「トム・ソーヤの冒険」あたりからハウスに変わるらしいが、もう一度あの様なアニメ漫画を子供たちの為に創造するという冒険を大人たちにして欲しいものだ。
1960年代後半から1970年代は、私の子供時代であったが、ここにあげた「子ども劇場」の他にも、この時代の子供向けアニメには、大人になってふと思い出すような、そんな子供には難し過ぎるようなテーマを持ったものも少なく無かった。長い宿題を出されたような子供には重いテーマを持たようなものが多く、その時は分からないまま時は過ぎ、大人になってふと気づくその奥深いテーマ。それは、古いプーさんとその仲間たちのようなイマジナリーフレンドに再会したような心持ちになり有り難い想いになるのだ。
ここにあげておくが「ポニョは魚の子ではなく、人魚の姿をした、少年のイマジナリーフレンドだ」それを歌だけ聞いて魚の子と鵜呑みにする情緒の無さは嘆かわしいと言える、小学低学年ならいざ知らず。
それが想像の翼ってやつだwww
物語読む時に大事なやつで、これが無いと他でも「人魚なの!」「犬なの!」っていつまでも言ってる不粋になる。あの頃のアニメには、そんな上級教育ではなくwww 情操教育に秀でた子供向け番組も、また、逆なものも沢山あり、今よりずっと多様性が有り自由であった。そんな中で子供は自由に感受性を伸ばす事が出来た。
良くできる優等生ばかりではないから、大人たちは大変だっただろう。けれど大人たちは、面倒くさがらずに子供を躾けていたなと思う。嘗てこんな言葉をどこかで読んだことがある「若い頃、戦争で沢山人と人が殺し合い、目の前で友人が殺されるのを見て帰った人たちは、次の世代の子供たちに夢を持ち冒険し輝く未来を築いて欲しいという願いを込めて、子供向け番組を作っていた」そうだという。バトンは渡されていた、そんな後悔と夢と愛情とが乗せられて。
人生は冒険旅行
さぁ 冒険だ
私たち、嘗ての子供は、今子供たちに遺せる心は、有るのか? 大人サボってないか? 自分の不甲斐なさの言い訳に、自分たちが楽する為に子供を良い子ちゃんにして、冒険や失敗や負けて勝つって言葉の意味を教える事をサボっていないか?と自問する。 そんな怠惰な大人だらけじゃ子供も安全パイで生きたがり怠惰な大人になり、怠惰な子供をつくるのだろう。揃っていて与えられたものを当たり前だと嘯いて感謝も出来ない、可哀想な人をつくるのだろう。
「母を訪ねて三千里への招待状 🐵
〜ちょっと 脚色〜」
イタリアの港町ジェノバに、兄と両親と慎ましく暮らす少年マルコ。けれど一家の生活は貧しくなるばかり、兄を鉄道学校に通わせたい、未就学のマルコも学校に通わせたい、そんな思いを胸に母はジェノバの港から遠く離れたアルゼンチンに出稼ぎに行きます。
まだ、母が恋しいマルコは、寂しさに耐え母を見送ります。その日から、マルコにとって何よりも大切なものは母からの便りになりました。
マルコは教会に通って母の無事を祈り読み書きを習います。母からの手紙が読めるよう、母に手紙が出せるよう。しかし、母からの手紙は途絶え、母の行方は分からなくなってしまいます。父や兄や近所の人々は、きっと母は家族を捨てたのではないかと言いましたが、マルコは母を信じ、半ば家出同然に、母を訪ねてアルゼンチン行きの船に下働きとして乗り込みます。
さぁ、冒険だ!
アルゼンチンの母を訪ねて少年マルコは旅をする、道中人に騙されたり売り飛ばされたりボロボロになりながらも、友人や道連れの相棒にも恵まれて、母を信じる思いだけを胸に旅を続けます。
そして、ラストマルコは・・・
母を信じるマルコの湧き出る泉のような勇気と清い心が強い川の流れをつくり母のいる国へと続いて行く愛と冒険の物語です。
令和7年2月25日
心幸
後書き
心配で心配でって子を思ったふりして、自分の気持ちしかなくて、子をニートの引きこもりのどら息子にしてしまう哀しい親は子をおんぶに抱っこ、親バカはいつまでも子を高い高いしている。我が息子ちゃんお嬢ちゃんを高い高いしている。そして子は、与えられるのは当たり前とふんぞり返りながら、親に囲われながら、ままならない不甲斐なさを自信のなさを親のせいにする。そんな子が、毒親と親を呼ぶ可哀想な無限ループが出来上がる。
冒険は子の特権と分かっているなら、人差し指を自分に向けてみwww。
親がどう言おうが冒険に出ちまうのが子離れってやつで、その時はじめて親の恩を知るんだろうね、そんなことも分からん人差し指を自分に向けられない親バカが、わが子囲って引きこもりを作るのさwww 親バカは、いつまでも生きていないから、親におんぶに抱っこの子は放り出されて、また親を怨み世間を怨む。5080の出来上がりだwww
国が誤って殺し合いに拐われでもしない限り強制的志願ででもない限り、子離れの時は自然に訪れる。子は勝手に冒険に出て行く、そうでなければ駄目なのだと思います。何時までも、親に囲われているようじゃねぇwww