記憶
前説
本当にネットなんとやらってのは、ぼんくらピーマンの寄せ集めだよwww
なんだね、お前さん藪から棒に。藪の中から棒が出て来て藪から棒だよ「藪の中」とは違うんだよ、いくら話しの分からないお前さんでも分かんなきゃいけないよwwwと可愛いお狐様が言ったかどうかは知らないけれど、、。
「様」つけりゃあ礼を弁えているとか思ってんのかねぇ?「様」でも「君」でも「御上」でもそこに心がなきゃねぇ、態々つける敬称や丁寧な言葉を「慇懃無礼」と言いますわ。ましてや悪意を持って丁寧な言葉使いなんて下衆の極みってもんだよwww
ぼんくらはさぁ、狭い了見で自分に合わせて他人様の暮らしぶりを考える訳さ暇なもんなんだろうねぇwww そりゃあ、引きこもりの学生や社会人崩れと、セミリタイアの孫の居る世代と暇は暇でもその意味随分違う事くらい、ぼんくら頭でも想像しないと、なーんも分かりゃあしないよwww 全くどんな大層な家事育児やってやがんだろうねぇwww
てめえの、チマチマっとした推量で、騒いで祭りしてたら、どっちもどっちのブーメラン頭に刺さっちまってますぜって言われやんすよwww
てめえんちの僕ちゃんとくらべられちゃあ、世も末だって、お天道様の御親戚も泣いてなさるやも知れねぇなぁwww
って口上でごさんしたwww
最近、江戸弁がマイブームなので使ってみましたwww
只今 江戸弁勉強中www
「記憶 〜時は偉大な作家である〜」
「私たちには時間がある」
人生の絶望から自殺をはかった売れない新人女優をたまたま救った老芸人は、そう言って、彼女の濡れたツヤツヤ光る黒髪にタオルを掛けた。
自身の暮らしも楽ではないが、彼は彼女を見捨てられず、世話をやく。大切な商売道具のバイオリンを質に入れ、彼女を演劇のクラスに通わせ身なりも整えさせる。自身は売れない大道芸人かつては、大舞台のカーテンコールで中央に立ち喝采をあびる役者であった。そんな彼は今、その劇場の前でビールケースの上に立ちスタンダップコメディをして投げ銭を貰っている
そこを通る誰もが彼を忘れ去り、記憶していない。
そんな男が、駆け出しの売れない女優がパトロンに去られて、愚かにも自殺をはかろうとしたところを彼は助け、何故だか彼女に今生かされている、、、薹が立った芸人は、この娘を一端の女優にすることを夢見、劇場の前に立つのだ昨日の記憶を忘れるようにキラキラと。
やがて、彼女は彼の後押しと自身の努力によりその劇場の舞台に立つ、そして彼女は立派な女優へと花開く…。
その舞台を老芸人は見つめ静かに目を閉じる。
忘れたい記憶も、忘れたくない記憶も時という作家は、人生という素晴らしい叙事詩にする。
忘れたい記憶も忘れたくない記憶も、「人生」という名のドラマは必ず包み込んでくれる。
大事なのは生ききることだ!
「時は、偉大な作家である」
「ライムライト」リスペクトオマージュ
偉大なる映画の神様、チャールズ・チャップリンに敬意を込めて。
令和7年2月26日
心幸
後書き
本日の後書き、いやーもしかして本日のお題「記憶」じゃなくて「記録?」www こりゃあ老眼鏡必要か!?ってかwww これこそが記録つうことでwww 記憶しておこう。
てか、字が小せーんだよ!えっ、人のせいかよwww
そして、記するかどうか迷いましたが、記することにしましたことをひとつ。
もやもや病はメンタルヘルス系の心の病ではありません、脳の血管の病です。その歴史も古く1950年代頃には研究もされ文献もある病です。芸能人では歌手の徳永英明さんは、この病を公表されていらっしゃいますね。
なぜ、このもやもや病について触れたのかと言いますと、正直な気持ちで誤解されたくなかったからです。実は私の母もこの病を長く患っておりましたが、結婚し私という娘も授かっております。私も母がそいう病を持っておりましたので脳ドックは欠かせませんが今のところ問題なく過ごさせていただいており、子供も孫もおりその子たちも今のところ遺伝は認められておりません。
もやもや病という病名は、なんとなくメンタルヘルス系の精神疾患のようにも取れますが違います。脳の動脈が閉塞しそれを補う為に発生した脆弱な血管が煙のようにレントゲンなどで写るため、もやもや病と名付けられた、脳血管の病気です。
まだ私の母がこの病を患っていた頃は一般的でもなかった病名でしたので、誤解を受けそうで母の病名を言えなかったことを今恥ずかしく思い出します。母も随分心も痛めたことでしょうが、逞しく過ごしていた、記憶しか記録(アルバムなど)に残っておりませんwww あれから50年近くの月日が経ちます。医療は先人たちの経験と研究とで日進月歩でしょう。
記憶は記録され生かされ続けて行くはずです。
案ずるより産むが易しですね(笑)
だれかに気遣ってって願うのは自分勝手な独り善がりですよwww あなたに気遣って欲しいって、そんなにその人に拘るから与えられないのかもねwww 神様って案外イケズかも。気遣って貰えなくても平気な人になると気遣ってもらえるって皮肉もあるのかも知れませんねwww
さぁ冒険だ
草原のマルコ 〜母を訪ねて三千里より〜
はるか草原を一掴みの雲が
あてもなく彷徨い飛んでゆく
山もなく谷もくなにも見えないしない
けれどマルコお前は来たんだ
アンデスに続くこの道を
さぁ、出発だ
今、陽が昇る
希望の光両手に掴み
ポンチョに夜明けの風はらませて
母さんのいるあの空の下
はるかな北を目指せ
小さな胸中に刻みつけた願い
母さんの面影もえてゆく
風の詩草の海さえぎないものはない
そしてマルコお前は来たんだ
母さんをたずねてこの道を
さぁ、出発だ
今、日が昇る
行く手に浮かぶ朝焼けの道
膨らむ胸に憧れだいて
母さんに会える喜びの日を
はるかに思い描け
「フランダースの犬」1975年
「母を訪ねて三千里」1976年
1970年代の子供を育てた「世界名作劇場」確かに現代のコンプライアンスに反するのかも知れないが、現代の子供たちのために再放送して欲しいアニメだ。
「フランダース犬」「母を訪ねて三千里」に加えて「名作劇場」第3作「あらいぐまラスカル」までが3部作。私の友人は大人になって付き合った歳下の彼氏が「ラスカル」を知らないことに溝を感じて別れた経験を酒を飲みながら未だに話すwww それくらい当時の子供たち特に女子にとっては、日曜日のサザエさんの後のお約束であった。
懐かしいと思うものの共感共有は、まことに強い絆を生むということだ。私は上も下も歳の離れた人と付き合った経験がない為この経験を実感的にしたことはないが、やはり改めて考えてみると、好きや嫌いの共感よりも、懐かしいと思うものの共感は心に染み入る。懐かしい漫画アニメ、ドラマ映画、バラエティ、音楽、風景…懐かしい想いを共有出来ることは、側にいなくても共に生きたような錯覚を起こし、心の距離が近くなるのだ。
「好きこそものの上手なれ」好きに拘ることは自分を育み「好き」の共感は世界を広げるが一転「嫌い」に転じそれに拘れば傷つけ合うだけの生産性の無いものになってしまう。ましてや、「好き」から転じた「嫌い」は、拘れば拘るほど、みっともなく怨み節に変化すれば、狂気じみたストーカー気質になりがちで、「好き」や「嫌い」でしか人との世の中との繋がりが表現出来ないことは、心の未熟さを晒しているようなものだ。好きや嫌いを凌駕する懐かしいさの共有共感は、共に生きた時間への共に見た歴史への想いに繋がるのだろう。
ともあれ、「世界名作劇場」は1975年の「フランダース犬」を第一作と数えるらしく、提供は初期がカルピスで「トム・ソーヤの冒険」あたりからハウスに変わるらしいが、もう一度あの様なアニメ漫画を子供たちの為に創造するという冒険を大人たちにして欲しいものだ。
1960年代後半から1970年代は、私の子供時代であったが、ここにあげた「子ども劇場」の他にも、この時代の子供向けアニメには、大人になってふと思い出すような、そんな子供には難し過ぎるようなテーマを持ったものも少なく無かった。長い宿題を出されたような子供には重いテーマを持たようなものが多く、その時は分からないまま時は過ぎ、大人になってふと気づくその奥深いテーマ。それは、古いプーさんとその仲間たちのようなイマジナリーフレンドに再会したような心持ちになり有り難い想いになるのだ。
ここにあげておくが「ポニョは魚の子ではなく、人魚の姿をした、少年のイマジナリーフレンドだ」それを歌だけ聞いて魚の子と鵜呑みにする情緒の無さは嘆かわしいと言える、小学低学年ならいざ知らず。
それが想像の翼ってやつだwww
物語読む時に大事なやつで、これが無いと他でも「人魚なの!」「犬なの!」っていつまでも言ってる不粋になる。あの頃のアニメには、そんな上級教育ではなくwww 情操教育に秀でた子供向け番組も、また、逆なものも沢山あり、今よりずっと多様性が有り自由であった。そんな中で子供は自由に感受性を伸ばす事が出来た。
良くできる優等生ばかりではないから、大人たちは大変だっただろう。けれど大人たちは、面倒くさがらずに子供を躾けていたなと思う。嘗てこんな言葉をどこかで読んだことがある「若い頃、戦争で沢山人と人が殺し合い、目の前で友人が殺されるのを見て帰った人たちは、次の世代の子供たちに夢を持ち冒険し輝く未来を築いて欲しいという願いを込めて、子供向け番組を作っていた」そうだという。バトンは渡されていた、そんな後悔と夢と愛情とが乗せられて。
人生は冒険旅行
さぁ 冒険だ
私たち、嘗ての子供は、今子供たちに遺せる心は、有るのか? 大人サボってないか? 自分の不甲斐なさの言い訳に、自分たちが楽する為に子供を良い子ちゃんにして、冒険や失敗や負けて勝つって言葉の意味を教える事をサボっていないか?と自問する。 そんな怠惰な大人だらけじゃ子供も安全パイで生きたがり怠惰な大人になり、怠惰な子供をつくるのだろう。揃っていて与えられたものを当たり前だと嘯いて感謝も出来ない、可哀想な人をつくるのだろう。
「母を訪ねて三千里への招待状 🐵
〜ちょっと 脚色〜」
イタリアの港町ジェノバに、兄と両親と慎ましく暮らす少年マルコ。けれど一家の生活は貧しくなるばかり、兄を鉄道学校に通わせたい、未就学のマルコも学校に通わせたい、そんな思いを胸に母はジェノバの港から遠く離れたアルゼンチンに出稼ぎに行きます。
まだ、母が恋しいマルコは、寂しさに耐え母を見送ります。その日から、マルコにとって何よりも大切なものは母からの便りになりました。
マルコは教会に通って母の無事を祈り読み書きを習います。母からの手紙が読めるよう、母に手紙が出せるよう。しかし、母からの手紙は途絶え、母の行方は分からなくなってしまいます。父や兄や近所の人々は、きっと母は家族を捨てたのではないかと言いましたが、マルコは母を信じ、半ば家出同然に、母を訪ねてアルゼンチン行きの船に下働きとして乗り込みます。
さぁ、冒険だ!
アルゼンチンの母を訪ねて少年マルコは旅をする、道中人に騙されたり売り飛ばされたりボロボロになりながらも、友人や道連れの相棒にも恵まれて、母を信じる思いだけを胸に旅を続けます。
そして、ラストマルコは・・・
母を信じるマルコの湧き出る泉のような勇気と清い心が強い川の流れをつくり母のいる国へと続いて行く愛と冒険の物語です。
令和7年2月25日
心幸
後書き
心配で心配でって子を思ったふりして、自分の気持ちしかなくて、子をニートの引きこもりのどら息子にしてしまう哀しい親は子をおんぶに抱っこ、親バカはいつまでも子を高い高いしている。我が息子ちゃんお嬢ちゃんを高い高いしている。そして子は、与えられるのは当たり前とふんぞり返りながら、親に囲われながら、ままならない不甲斐なさを自信のなさを親のせいにする。そんな子が、毒親と親を呼ぶ可哀想な無限ループが出来上がる。
冒険は子の特権と分かっているなら、人差し指を自分に向けてみwww。
親がどう言おうが冒険に出ちまうのが子離れってやつで、その時はじめて親の恩を知るんだろうね、そんなことも分からん人差し指を自分に向けられない親バカが、わが子囲って引きこもりを作るのさwww 親バカは、いつまでも生きていないから、親におんぶに抱っこの子は放り出されて、また親を怨み世間を怨む。5080の出来上がりだwww
国が誤って殺し合いに拐われでもしない限り強制的志願ででもない限り、子離れの時は自然に訪れる。子は勝手に冒険に出て行く、そうでなければ駄目なのだと思います。何時までも、親に囲われているようじゃねぇwww
一輪の花
情熱の真っ赤な薔薇は花瓶に水を与えなければ枯れてしまう。
花瓶に水をあげましょう
心のずっと 奥の方
永遠なのか本当か
時の流れは続くのか
いつまでたっても変わらない
そんなもの有るだろうか
見てきたものや聞いたこと
今まで覚えた全部
デタラメだったら面白い
そんな気持ち分かるでしょ
なるべく小さな幸せと
なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう
そんな気持ち分かるでしょ
答えはきっと奥の方
心のずっと奥の方
涙はそこからやってくる
そんな気持ち分かるでしょ
情熱の真っ赤な薔薇を
胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう
心のずっと奥の方
「情熱の薔薇」 作詞 甲本ヒロト
何曲か心の歌があるけれど、自分を励ます歌があるけれど、「情熱の薔薇」はそんな一曲だ。
凹んだ時はだいたいこの曲と「リンダ・リンダ」「YAH YAH YAH」あとはアン・ルイスメドレーを熱唱すればスッキリだ!ありがとう歌謡曲、ありがとうTHE BLUE HEARTS。
そして、凹んだ時に詠う一遍の詩がある。
君は一本の葦だ
商売という汚れた土の上に立つ
一本の葦だ
自分をつくる歌や詩は私になにか新しい息吹を吹き込んでくれる。朝の光の中で花開く一輪の花のように…合掌。
国語力読解力は基本中の基本だ。国語力読解力がなければ、理系も難しい文章を読み解き応用する力がなければ、学問に成果は望めないし、何より、仕事も成果があがらないだろうし、寄り添う〜ことも優しくありたい〜ことも出来ないだろう。人の心を推し量り想像する為にも基本は大事だ。
基本がなければ自由にもなれない。基本があるから自由に型破りになれるのだ。自由とは基本が大事だ、これを「守破離」と言う。自由とは一定のルールが必要で、自由になるためには不自由に耐えなければならないということだ。基本も知らない者が自由自由と叫ぶことは悪癖ででありましょう。
昔どなたでしたかが「ネット〇〇は頭が悪い人が多い」とか書かれた記事を読んだことがありますが、なるほどと納得しています。どこでも、ことさら自分たちの正義に拘り正義感を隠れ蓑にして自分たちの考えを汚く叫び野次る人たちは、語彙力が乏しい、だから直ぐに暴力に訴える、どこかの国会も反社も区別がつかんつうwww と考えると、つくづく国語力は大切だと考えるwww
ところで、カエルの王様は、そんな噺じゃないですよwww
あれは、「出来ない約束はしなさんな」という戒めが語られたグリム童話です。
ある日、小さな国を治める国王に娘が授かった国王は、それはそれはこの娘を可愛がり慈しみ育てた。娘が年頃になると、王様は娘に悪い虫でもつかぬように、目を配らせ注意をし、大切な娘に相応しい王子を探し諸国に使者を送らせた、姫も父の言葉を良く信じ、白馬に跨る美しい王子様が自分を迎えに来ると夢見毎夜長いブロンド色の髪を侍女に梳かさせ胸を躍らせて居たのでした。
そんなある昼下がり、鞠つきをしていた姫は転がる鞠を追いかけて森に入ったのでした。森は丁度お城の裏手にあり、普段姫はあまり立ち入らぬ場所でしたが、鞠を追いかけているうち、その森の中に入り込みました。見ると鞠は森の中にある古い沼に落ち沼の真ん中あたりまで流れて行ってしまいました。「どうしましょう」姫は随分悩みました。父が他国に行ったおりに買って来てくれた、珍しい手の込んだ朱色や金色の糸で編まれた刺繍の施された鞠は、姫の大層お気に入りの鞠でしたし、ドレスもお気に入りの誂えたばかりのドレスでした。そして何より沼に手や脚を入れて汚れることが何より気持ち悪いことだと考えました。姫が考え倦ねている様子を見ていた、沼の上に広がる蓮の葉の上にいたカエルの王子様が、姫の足元に寄って来て言いました。「姫よ、悲しむことなかれ、僕はこの沼を治めるカエルの王子だ、どうして欲しいんだい」と姫に尋ねました。姫は「あの鞠が沼に落ちてしまって、お願いです取ってくださらない」と言いました。すると、カエルの王子は「分かったとってあげるよ、だけどひとつだけお願い、取ってあげるから僕と仲良しになって、僕のお嫁さんになってよ」と言いました。姫は少し考えましたが、ここは自分とカエルの王子様しかおらず、カエルの王子も所詮カエルだし、構わないわと考えて「ええ、分かったわ、お約束するから鞠を取ってくさらない」と言いました。カエルの王子は「本当に!嬉しいな」と飛び跳ね鞠を取り姫に渡しましたすると姫はカエルの王子を振りはらい、一目散に城へ帰ったのでした。
「トントントン」その夜、姫と王様が夕食を取っていると、先ほどのカエルの王子がやって来て王様に言いました。「私は、城の裏にある沼の王子、先ほど姫と婚姻の約束を交わしました」と藪から棒に王様に申し出ましたが、他ならぬ沼の王子の申し出、自然に畏敬の念を持つ王様は、姫に約束したならば約束を守らなければ災いが起きるやも知れない、カエルの王子との約束を守らなければならないと告げ、カエルの王子を姫の横に座らせ一緒に食事をとらせ、寝室も同じにしました。姫は王様の突然の変わりように落胆、けれど自分が鞠を取って欲しさに、カエルの王子が小さなカエルであると見縊って、出来もしない約束を簡単にしてしまったことを恥じていました。もう、心の中では白馬の王子様への夢物語はどうでも良くなって、今目の前にいるカエルの王子との千夜一夜物語をどう切り抜けるかで頭が一杯になっていました。姫はとりあえず謝りましたが、そんな許してもらうがための謝罪など、カエルの王子に通じるわけもありません。けれど、姫は他に成す術も知らず、今度は誠心誠意己の軽率で品位分別に欠けた軽口を、カエルの王子に涙を流して詫びました。すると、カエルの王子に、かけられた魔法がとけて、カエルの王子は姫と同じブロンドの輝く髪と澄んだ湖を思わせる深い藍色の瞳が白い肌に映える美しい王子様に変わりました。姫はあれほど夢に描いたような王子様が目の前に現れた喜びよりも、自分の軽口が許されたことに安堵し涙を流しました。二人は静かな合衾の夜を迎えました…。という戒めのお伽噺。
簡単に「ごめんなさい」って謝って、心の中で舌出して、「何度でも簡単に軽口を寄っちゃあする。守れない約束を平気でするお嬢ちゃんは、いねえがーあ!」って噺。この噺が転じて、憧れが手に入ると、コロリと趣旨変換で「ごめんなさーい」「わたしもぉー」と寝落ちした目が急に目覚めたような言動になることを最近 「蛙化現象」と呼ぶらしいです。これが本当のカエルの魔法ですねwww 良かった下衆な話じゃなく戒めの噺でwww
「持論」
この世と言う世知辛い世間の土にしっかりと、根を張り、凛として風に向かって立つ一輪の花でありたい。
Stand Alone 凛として立つ。
寄りかからず共に立ち歩く、誰のせいでもない自分の人生だから。
独り立ち自分の有るが儘に尊い生を有り難く生きるそれが、釈迦が生まれ落ちた直ぐに唱えたとされる言葉「唯我独尊」誰かにシナダレ生きる囲われでは文句も言えまい。
令和7年2月24日
心幸
今日の後書き
なに屁理屈言ってるんだろwww
「書く習慣」は「書く練習」
書く習慣が身につけば、自然と上がるさ国語力www 国語力あがんないと、私が好きなの〜ぉ、嫌いなのぉ〜、もう嫌い!有り得ない!のプンプン丸になっちゃうのwww でなきゃ絵文字いっぱいの絵日記www 文字で文章で表現する「書く習慣」をつけましょうwww
魔法
「魔女目線の人魚姫」
十五の誕生日祝いに一人深海の人魚が住む世界から水面に行く許しを得た人魚姫は、深い深い闇が暗転幕の様に、海の世界と陸の世界を遮る幕の向こうから、月の光に導かれ水面に手を伸ばし進みました。海の底より空気が濃いそこは人魚姫の胸を落ちつぶしてしまいそうでした。
人魚姫は、水面にようやく顔を出し月明かりに照らされる陸の世界を目の当たりにしました。
宇宙(そら)と海の間に幾つもの光る貝を思わせる輝くものが揺れていて、生まれて始めて聞く風の音に乗って聞こえる音楽を耳にしました。人魚姫は高鳴る胸をおさえて、大きな岩のところまで辿り着き、岩に登って、その明かりから聞こえて来る音に耳を澄ませていました。光の中に脚のある生きものが沢山見えて、その音に合わせて踊っています。人魚姫は自分もあの光の中で踊ってみたいと思いましたが、ふと自分の脚を見ると脚は無く、鱗に覆われた尾鰭がありました。人魚姫は切なくなって岩場から海に飛び込み海の底の自分の世界に戻ります。来る日も来る日も月の明かりに取り憑かれたように地上を目指す人魚姫はある夜、嵐の水面に顔を出しました、月に騙されたのでした。月が隠れた大粒の石の様な雨とゴォーゴォーと闇を裂く風の音の中に、あの何時も見る煌めく明かりが激しく揺れやがて波に飲み込まれてしまったのでした。尾鰭を持たない生きもの達が一斉に海に投げ出されるのを見た人魚姫は慌てて助けようとしますが、人魚姫一人では救い切れず、人魚姫は、どうにかこうにか一人の王子様を救うのが精一杯でした。どうにかその王子様を波打ち際に戻し、息があることを確かめると、ようやく顔を出した意地の悪い月の明かりに嵐が去ったことを知らされ海の底に帰ったのでした。
あの嵐の夜から、人魚姫は助けた王子様のことが気になって仕方がありませんでした。たったひと目嵐の夜に助けただけで運命を感じてしまった人魚姫は人間になりたいと父母に打ち明けます。父は激怒し母は泣き崩れました。人魚姫を激しく怒鳴り平手打ちしようとする父を人魚姫の姉たちが必死に止めました。人魚姫は健気にも一途で強情で父に思いをぶつけ、思い余った父は人魚姫を座敷牢に軟禁してしまいます。「頭を冷やせ!」父の背中に人魚姫の泣き叫ぶ声が響きます。父は人魚姫に背を向けたまま目を落とし苦悩する顔を覗かせましたが、その顔は人魚姫には届きません。
三日三晩泣き続けた人魚姫は、思い通りにならないことを恨み卑下し泣き続けていました。それを見ていた、母は心を痛め、深海の森に住む魔女に相談しました。魔女は、「人魚姫は十五の満月の魔法を月に掛けられてしまったのだ」と言いました。「今は、人魚姫の言う通り逃がしてやりなさい、そして人間になりたくば、この魔女のところに来るように人魚姫に伝えなさい」と母に告げました。母は深海の森の魔女を信じ言う通り、人魚姫を座敷牢から出し父の目を盗み深海の森に住む魔女のところに行けと人魚姫に告げました。
人魚姫は、棘の出た長い蔓の絡まる細い路を母に言われた通りに進み、魔女のところまでやって来ました。
「人魚姫、お前はそんなに人間になりたいか?」
「はい、もしも願いをお聞き入れ下さるならなんでも致します」
「そうか、では、お前に脚を授け人間の姿にするためには、その尾鰭を取り、深海まで戻れなくしなければならないが良いか?そして、この世界のことを口外しない為に声も無くすが良いか?」と尋ねました。今はただ人間の姿になってあの王子様と踊ることしか胸にない人魚姫は
「はい、構いません、私を人間の姿にしてください」と即答します。
魔女は、魔法をかけた人魚の鱗の欠片を人魚姫に飲ませました。
人魚姫は、波打ち際に気を失い白い羽衣を一枚掛けられただけの姿で倒れていました。やっと目覚めた時、あの日助けた王子様の乗る船に助けられて居たのでした。王子様はこの船の主の息子、船は商船幾つもの街を商売して渡る船でした。あの嵐の夜海に投げ出された王子を助けたのが人魚姫でしたがそれは誰も知り得ません、王子様当人さえも、人魚姫は助けられ名を王子様に尋ねられますが声を脚のかわりに魔女に差し出したので話せません、悲しくなりましたが、自分には王子様と同じ脚があることに気づき嬉しさに飛び跳ねます。何故だか、人魚姫に見覚えがある気がしてならない王子様は人魚姫に「シーノ」と名付け丁寧に接するように召使いに命じます。
王子様との運命的な出会いと再会人魚姫シーノは、月を見上げ秋でもないのに天馬ペガサスが
夜空から自分と王子様を迎えに駆けてきて、王子様は、その天馬ペガサスに飛ぶ様に跨り乗ると人魚姫に手を差し出すという夢に浸っていました。けれど、歩き慣れていない脚は立っているだけでも辛く、踊ると悲鳴をあげるくらいに痛く、赤く腫れ上がり血が滲みます。人魚姫は声にならない声をあげ泣きました、海を見つめて、叱責する父の姿と泣き崩れた母の姿と心配する姉妹の顔とが思い出され海を見つめてただ泣きました、この脚では歩くことさえ難しく、この体では海の底へ戻ることも叶わない、もう死んでしまいたいと泣きました。
その時、海の底から姉妹が顔を出し、魔女の言葉を伝えます。「お前の覚悟はそんなものか?ならばお前を元の姿に戻してやろう、この剣で王子の心臓をひと突きにし心臓を取り出して海に身投げしたお前の口に入れ替えれば、お前にもう一度、命を与え人魚の体に戻す魔法をかけられる、もう一度魔法の力が必要か?もうしてみよ!」魔女の言葉に天を見上げた人魚姫に魔女は続けます「お前は、十五の満月の魔法にかかかり、幻想に迷って多くの信頼を傷つけ捨てた、一度は許してやる、十五の満月の魔法だからだ。お前は自ら選んだ路を十五の満月の魔法せいでしたとするか?その自ら選んだ路を誰のせいにもせずに受け入れて進むか?説明はしたはずだ、脚のかわりに声は無くなる、その姿では深海には戻れない、どうするか自分で決めよ」
魔女の言葉に人魚姫は揺れる水面を見つめ考えます。姉たちが、魔女から渡された剣を持ち上げ人魚姫に手渡そうとします。人魚姫の脳裏に厳しくも何時も愛情深く見守っていてくれた父母の顔が浮かびます。
人魚姫は、夜空に涙を預けました。そして、きっぱりと言いました。「父様、母様、お姉様たち、私は自分で選んだ路に泣きません、必ず生き抜いて見せます」と。そう言って魔女の魔法に頼らず魔女が魔法でくれた人生を受け入れて背負うことを誓いました。
姉たちは、心配そうに顔を見合わせ深海へ帰って行きました。
それから、人魚姫は血が脚から潮の様に吹き上げる程の痛みと苦しみに耐え、王子様と共に歩き共に踊る様になりました。
言葉は伝えたい想いは今宵の今宵までの人知れず長いドレスのしたで流した血と共にありましたが音にはならず。人魚姫はあの十五の夜に見た煌めく貝の様な光と音楽の中で王子様に抱かれて踊っていました。
魔女が、人魚姫の涙を天にあげ星に変えると流れ星が流れました。
人魚の涙は血の色、鮮血が引き裂かれた様な雫
王子様が、その流れ星に願いをかけていました。
「彼女の声を聞かせてください」
流れ星は、静かに「イエス」と彼女に魔法をかけて消えました。
アンデルセン「人魚姫」リスペクトオマージュ
令和7年2月23日 心幸
後書き
得意なことだけで生きていては成長はないですねwww 「そもそもそこに季語ないですね」成長の魔法の呪文www
霜柱 足跡ふたつ サクサクと
守ってやるって独り善がりが一番みっともなかったねwww 謙虚になろう。
君と見た虹
それは、春休み前の半ドンの土曜日。絶賛反抗期中の厨ニ病は、かっぱえびせんを噛りながらぼんやりラジオを聞いていた。
はい、FM00をお聴きの皆さま、週末の午後に皆さまにお届けする、こちらの番組。今日のゲストは人生幸朗さんです。おなじみ人生幸朗は語り始めた。すると隣の爺さんも窓の外の縁側に座り黙って人生幸朗の話を聞いていた。
最近の若い奴は、言葉を大事にしない、全くもってケシカラン。言葉には意味があり歴史がある、その基本を知らずに崩して使うとは言語道断だ!とご存知人生幸朗の独壇場が始まった。
「上級国民」とは、大正デモクラシーの頃に憲法学者が使った言葉で、新しぶっているがキチンと元ネタのある新しくない言葉である。
最早、「役不足」「力不足」の誤用のように後から使われている言葉の意味の方が一般的な言葉があるが、成り立ちを知る必要はある。
「唯我独尊」という言葉があるが、これを自分勝手に自分が優れていると思いあがる時に使うことが一般的になったのは、暴走族の旗が原因だ。「唯我独尊」にマイナイメージの語意をことさらに言うのは子供である。何故なら暴走族の旗でしかこの言葉を見たことがないと言わずとして知れるからだ。「唯我独尊」は釈迦の言葉であり、「我、唯 独り 尊し」と申された言葉である。「自分だけが優れている」なんて言葉ではなく、「この宇宙に、私という存在は、唯、独りであり、そのまま有りの儘、存在していることが尊い」という意味である。ちょっとは、勉強してから言葉を使ってくれ。ましてや知ったかぶり他人様に向かって使うなら! 「宗教」と言えば壺売りの新興宗教しか思いつかん奴も、葬式にも出たこともなく、家族親戚の臨終にも立ち合ったこともないのだろう。そんな奴は一人前の大人とは言えん!こんなもんばかり製造しくさって!責任者出て来ーい!
「ㇷ゚、ププッwww」と厨ニは寝ぼけ眼が覚めたように目を開いて起き上がり、ラジオをニヤケ顔で聞いていた。ふと縁側の爺さんを見ると
腕組みをして、頷きながら人生幸朗を聞いている、「ええーっ!笑うとこちゃうん?」は厨ニの心の叫びで、ますます顔はニヤける。
小春日和の低く長い日差しに猫と共にのびながら、ラジオから届く人生幸朗の話を聞く爺さんの顔を眺めていた。気づけば、やめられないとまらない〜♪の、かっぱえびせんの袋は空になっていた。
忘れてしまう様な、あまりにも何気ない一瞬は、結構歳をとってから思い出す。人生幸朗を目を閉じて腕組みをし頷きながら聞く爺さんの姿を繁々と見つめた日を昨日のことの様に最近思い出しながら、今日の若者を見る。厨ニはあの時の、あの爺さんの歳くらいになっていて笑うが、あのラジオから聞こえた、人生幸朗を黙って頷きながら聞いていた爺さんの姿の意味を今、噛み締める。あのラジオ聞いていて無駄では無かったと思うからだ。
爺さんと厨ニがその時見た景色に虹は掛からなかった。そこでは違うが、厨ニが爺さんの歳になる頃には、その隔たりに虹が掛かる。
子供は決して万能の聖人君子ではない。そう思っている大人は、嫌われる役目が出来ない無責任な怠惰な大人だと人生幸朗なら言うに違いないwww しっかりしろ大人、子供に無責任にいい顔するな!
子供は、寧ろ何色にも染まる「無垢な無」の存在であるだから幼気で尊いが、反面何色にでも染まるのだから、間違いもする。間違うことが出来、間違いながら大人になる、なれる自由だ。間違ったら何度でもそれは違うと嫌われようが好かれようが気にせず教えてくれる大人がいるから、いたから子供は大人になれた。だから、躾は必要なのである。
誰も叱ってやる大人が居なかった、チヤホヤされて大人になった子供大人が、問題起こすんじゃねえのか? それ芸能界見てたら分かるよなぁ。しっかりと子供を叱れる大人になれ、それが愛だろ! 責任者出て来ーい!
厨ニがあの頷く爺さんのように、人生幸朗に頷く時、爺さんと厨ニは同じ虹を見る。
その時、爺さんの体は厨ニの側にはない。しかし、爺さんの心は残る、あの日の穏やかな午後の小春日のように、お天道様の匂いと光と遠くに続く空の橋に掛かる虹のように。
君と見た虹と、ラジオから聞こえる人生幸朗www
君も歳をとれば分かるよ。
令和7年2月22日😻
心幸
今日の後書き
計算も言葉も知識がないと使いこなせないwww 応用力は基本が大事。
貴方と同じ景色は見たくないwww
慇懃無礼と文脈で分かる者に用はない。
自分は人気者だと自称する者にも用はない。
「みんなで…」とかいう偽善的で画一的の極みのような言葉にも用はない。
Stand Alone 凛として立つこと。
それが、有るが儘の私の心であります。
あの頃の厨ニは歳を取り、爺さんと同じ虹を見ることが出来るようになったことを嬉しく思っている。同じ虹を見ることが嬉しく思えるか思えないか、これは理窟ではなく直感であるから仕方がないwww