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1/31/2025, 11:01:34 AM

旅の途中

俺たちの旅

夢の坂道は木の葉色の石畳
眩く白い長い壁
足跡も影も残さないで
たどりつけない山の中へ
続いているものなのです

夢の夕陽はコバルト色の空と海
交わってただ遠い果て
輝いたという記憶だけで
ほんの小さな一番星に
追われて消えるものなのです

背中の夢に浮かぶ小舟に
あなたが今でも手をふるようだ
背中の夢に浮かぶ小舟に
あなたが今でも手をふるようだ

夢の語らいは小麦色した帰り道
畑の中の戻り道
ウォーターメロンの花の中に
数えきれない長い年月
うたたねをするものなのです

背中の夢に浮かぶ小舟に
あなたが今でも手をふるようだ…

「俺たちの旅」    作詞 小椋佳

この詞には、春夏秋冬が詩われていることが分かると思うが、俺たちの旅は旅の途中でまだ終わらず季節は秋から冬そして春から夏へと繰り返し巡って行く背中に夢を背負った俺たちを乗せた小舟にあなたが今でも手を振っているようだ。俺たちは、まだ旅の途中と詩っている。

好きな詞は数々あれど、よく自分の気持ちに置き換えて替え歌を作って歌うのが趣味だけど、ワンフレーズも、ひと言も替えずに自分の気持ちにピッタリだと思ったのは、深夜のラジオから流るこの曲を聞いた、1970年代の終わりの頃だろうか。多分、谷村新司さんの「セイヤング」かなと思うが、「天才・秀才・バカ」が異常に好きだった。勿論、三段受けなのでオチは最後のバカになっちゃうから面白。つう、救いのある昭和の優しく温かいノリの深夜放送だった。そこで聞いたこの曲は、10代終わりの思春期にド・ストライクで刺さったのだった。

小舟で何時までも手を振っているのは紛れもなく私にとっては父と母だった。親を亡くしたというのと失くした不遇の関係というのは真逆だ、よく覚えておけ!(笑)ばあちゃんは、よくそう言って泣き虫だった私に発破をかけた。これでも泣き虫だった、か弱き(か弱いのか?w)な思春期。

何にしろ思春期には、とにかく刺さって小遣いはたいてレコードを買った。小遣いはたかなきゃいけなかったねぇ~。シングル1枚 ¥700 LPで ¥2800 だったかな?買って来て歌詞カード広げて作詞 小椋佳凄いなぁと思った。当時、阿久悠と小椋佳と伊勢正三は神だった。フォークソングマイブームの時代とRadio。思春期に大人に変わる道を探すのは少年も少女も変わらなかった。

旅は、はじまったばかりだった。
デッカ夢を背中に背負って小舟を漕ぎ出す。何時までも心配そうに、あなたが今でも手をふる姿が目に浮かぶようだ…。今、聴くとね最後のこのワンフレーズが何時までも心に木霊するように残る。あれから随分と漕ぎ、時には漕ぐのを止めてしまいそうになりながら、ほんの小さな一番星に追われて、また朝日を迎え漕ぐ…それでもまだ旅の途中だから。

この詞、本当に素敵です。


令和7年1月31日        心幸

1月終わるねぇ〜。
色々あっても早い1月の締め。

締めのひと言はやっぱこのひと言だ、私の作品www 凄いねぇ(笑)頑張って。フィクションでも上手く描かないと不思議な世界になっちゃいますよwww シュールです子供の喧嘩で隣の家まで飛ぶ喧嘩漫画の世界www リアリティなくって好きだった(笑)

無口なのが良いのなら喋りなさんな、雉も鳴かずば撃たれまい、手堅い生き方かも知れません。
               


        



1/30/2025, 11:39:45 AM

まだ知らない君

どうして どうして僕たちは
出逢ってしまったのだろう
あんなに燥いでたのに

最後の冬に見た夕日は
陰をこしらえて罪を隠して
何処かへ消えてった

引き返してみるわ ひとつ前のカーブまで
いつか見た海に降りた
あの場面にあなたがいたようで

どうして どうしてできるだけ
見つめていなかったのだろ
瞬きひとつしないでいたかった

人は忘れられぬ景色を
幾度か彷徨ううち
後悔しなくなれるの

夕映え諦めて
走り去る時刻には
その、後半はゆっくりと…


懐かしい匂いがした 菫の花時計

TVやマスコミはいったい誰のもの?
とりあえずつけてます?
芸能界や芸能人に何を求めるの?
一般人と同じモラル?
有識者的知識?(有識者は一般常識あるかしら?あるかしらw)
上級国民的鼻持ちならぬブランド意識?
エリート意識?(そんなものに一般常識あるかしら?あるかしらw)

私なら、芸能界には夢を芸能人には華を求めます。別に政治家のような清廉さ求めていません、政治家にさえ清廉さよりも強かさを求めて止みません。清廉さを求める人はうちの父ちゃんにくらいですwww それでも清廉さは求めても聖人君子は求めません。

夢があるのはいいのだけど
掴むと それさえ無くして
ナンパ(難破)する

ら・ら・ら〜 今日も明日もあなたに会えない

年月(とき)が経つのはナゼこんなに早いのだろ

人の裏ばかり見て 人の裏の裏は
ただの表だったりして

ら・ら・ら〜 誰のせいでもないあなたの人生を生きてね

「リフレインが叫んでる」 松任谷由実
「ら・ら・ら」       大黒摩季
 替え歌


人生は表ばっかりじゃなく裏も大事。日向ばかりでなく、日陰を歩くのも大事。UVカットは大事www 舗装されたレールの上ばかりではなく曲がりくねった凸凹道の吹き溜まりも大事多様性だよとか言いながら、何が多様性だよな近頃だよなぁ。。命の電話だなんだと言った口で、私はか弱き弱者で繊細で優しくありたいんです。いやいやそうとうな玉でしょwwwと、いけません寄り添う社会ですと言った口で一方には叩く時は息の根止めるまで吊るし上げの残酷物語で大草原。

芸能界も芸能人もそれをつくる人間も見る人間も変わったよなと思う今日この頃…まだ知らない君、芸能界って芸能人ってそんな綺麗な表社会でしたっけね? じゃないから得も言われぬ高揚や色気や面白さがある世界じゃなかったでしょうかねぇ。

キモ、お前なんかに出逢えなくて正解。勿論、
来世も再来世も当たり前に。お生憎様、お前と君はチゲーんだよwww なーんてね。あまりにもキモすぎてつい。誰にも認められないからつい自称実力派エリートになっちゃうの?そうか面白いわね(笑)


令和7年1月30日

心幸















1/29/2025, 10:49:17 AM

日陰

これまた、ネガティブマインドの人が好きそうな言い訳にピッタリなフレーズです。そのくせそんな人は自分の書く文章を素敵な文章と思う自画自賛の承認欲求だけ爆高かったりで人とは面白いものです。そもそも、知っていますか?
文庫本1ページってどれくらいの字数か、文庫本1ページで800字程度で400字詰め原稿用紙2枚ほどです。そして通常の文庫本小説1冊で、12万字程度です(笑) 私たちが毎日書いてるここの日記に毛が生えたような文章せいぜい長文でも1000字くらいではないかしらねぇ、それで長々とって思うなら、ちょっと文章力も読書力も無いよね。だって、たかだか文庫本1ページ2ページくらいの文章だもの(笑)小説ならショート・ショートに分類される短編でも400字詰め原稿用紙5枚くらいは必要ですから参考までに。韻もふめない散文はせいぜい3行の影踏み遊び、影踏み遊びは日陰じゃ出来ないから、やっぱり陰には日が必要か(笑)

🌑🌒🌓🌔🌕🌖🌗🌘🌑🌒🌔🌔🌕🌖🌗🌘

冬の蓮の池をご存知だろうか?
沼地に咲く白い灯りのような花。蓮の花の花言葉は、「休養」「神聖」「清らかな心」「離れゆく愛」で少しネガティブ、極楽浄土に逝く池に咲いてる花だかららしい花言葉ですよね。夜毎姿を変える月の灯りは薄ぼんやりとしていて穏やかそうに、その人の罪や影や嘘を隠しますね…。日陰に咲く花こそ待ち望む月の灯りの地獄道です。


「宵待草」      竹久夢二

待てど暮らせど 来ぬ人を
宵待草の 遣る瀬なさ
今夜は月も 出ぬそうな…

日陰 

いいじゃない、日陰には日陰の美しさも良さもあるわ。夕暮れ時に咲く夕顔も月下美人も月のない夜に輝く蓮の花も怖いくらいに綺麗だわ(笑)、日陰がつくる美しさもある。夏場は、日陰が涼しいから日陰探して歩くしねぇ(笑)

日陰の身の上があればこそ、「宵待草」の詩も美しい。

なにムキになってんの、日が昇るから陰が出来て日陰が生まれる。これ順番で逆はない陰から日差しは生まれない。日が昇るから日のあたらない場所に陰が出来て日陰が生まれる。どちらが上でも下でもなく、これが森羅万象の順番なのよ。屁理屈は、もう少しお勉強が必要です(笑)

今日は早上りで暇だから早く来たから付け足し。


令和7年1月29日


心幸  







1/28/2025, 10:24:18 AM

帽子かぶって

帽子を目深にかぶるっていうのが苦手。
そもそも「帽子かぶって!」てのも苦手。
「被るか被らないかは、自分で決めるから!」
分かるでしょそんなこと。ギラギラした太陽に麦わら脱ぎ捨てて額の汗拭うのが好き、つんとする朝の風に真っ赤な耳を掴みながら走るのが好き。別にエスキモーでも赤道直下にも暮らしてないから、ここ30年くらいは「移動は!」(これつけてないと読書力ない人に誤解を受けるw)車生活だしねぇ、子供の幼稚園や塾の送り迎えだって車だったし、子供が小さかった頃、制服の帽子を五月蝿そうに脱ぎ捨てる姿が可愛かったわ(笑)

そんな、皇族様みたいな頭にくっついてるだけの飾りの私は恭しきものですみたいなのも、時代劇の虚無僧がかぶる天蓋も苦手。

だって、鬱陶しいじゃない、視界が狭くなって。前髪だって顔にかかるの苦手だもの。

許されるために謝るのも、許すために無理に責め立て謝らさせるのも苦手だわ、そんなことして謝らせて、なに?私たちは正義って優越感に浸りたいのかしら?戦隊ものとかの見過ぎじゃない
子供じゃあるまいし。

それと、自分の理屈を常識として他人の理窟を否定するのって最低だから、そりゃあ許されないわ(笑)「お帽子かふってね!〇〇ちゃん、可愛いあたしの息子ちゃん」って何時までもいい歳した息子の姿スマホの待ち受けにしているイタイママやってんじゃないかしらね、そんな人って。


謝罪って心だから、行間や態度で読み取るものではないかしらねぇ、それが出来なくなると、自分の差し出す「帽子かふって!」って押し付けあいの視野が狭くなっちゃう帽子の取り合い始まっちゃって、結局さいご相手死ななきゃ殺し合ってより沢山殺した方が勝ちなんてなるのよねぇ。

お貴族様は、お帽子がお好き。

「帽子かふって!」


令和7年1月28日

              心幸 






1/27/2025, 12:19:11 PM

小さな勇気 a little corage.

小さな勇気の積み重ねで、彼女は野次る。
小さな勇気に背を押され、彼女は自律する。

一番か弱き者に寄り添え!
シュプレヒコールの名のもとに、差別だ!フェミニズムだ!「革命だ!」とほくそ笑む。歪んだ社会の歪を背負って、マイノリティのひとりひとり孤独な彼女たちは正義感の暴走をする。彼女たちはヘルメットを被り霞が関に物申す…。「個人的なことは政治的なこと」「何故辞めさせられたのは女性の方なのか?」このスピリッツ何にも新しくないよね。チェンジでも改革でもアップデートでもなくて、若い人は知らないから目新しく感じるだけで、忘れっぽくなった年寄りは忘れてるだけで、それ日本だと昭和40年代(1960年代〜1970年代)の学生運動のスピリッツです。

はい、小さな勇気を持って言います。

孤独な君が、彼女だったのは、想像力でもなんでもなくで引っ掛けのトリックです。「男でも女でもない!」という事を示し引っ掛かる者を嘲笑う為に仕掛けられたものに過ぎません。
はい、私も引っ掛かかりましたが(笑)だから大沢親分あの世から「アッパレ」でもなんでもありません。

はてさて実際問題考えて、うら若き22歳の彼女が背後から男性を一刺しで殺せるものでありましょうか?思い出されたのは、この1月に見聞きしたリアルのニュースでした。某有名大学の構内で起きた事件、22歳の女性がハンマー持って学生に殴りかかった事件でした、殺人ではなく傷害事件でした。虐められた辱められた侮辱されたと考えた、か弱き弱者がハンマー持って来て立ち上がる。けれど、血を流した方が勿論被害者だ!令和日本は江戸時代ではないので私刑は違法であるという正義の元に地球より重い人命を第一と考える国である。

歪んだ社会の歪か!?それを背負い血を流して倒れた苛めっ子は被害者か加害者か?虐められた腹いせに追いかけ回してハンマーで何度も何度も殴りつけたそれは正義感か犯罪行為か?被害者は犯罪者にもなる。

シュプレヒコールも程々に。

小さい勇気って格好良さげだけど。

勇気って諸刃の剣であることを忘れてはいけない。シュプレヒコールも制裁も重なる野次は、多勢に無勢は暴力であり、被害者と加害者は入れ替わり虐めは被害者が加害者に替わるだけで終わらない。死ぬ勇気と生きる勇気、死ねないから生きている…中二の頃に私もよく考えた笑笑 けれど人間って所詮利己的な遺伝子の集合体だから、遺伝子はそれを乗せる体が滅びるまで常に生しか選ばない、それが生の掟で理だ。

今夜の喧嘩腰のチンピラ質疑応答見てたら涙が流れた。ここぞとばかりですねぇ、叩く時は。あんな勢いで年寄りが若僧に言ったら高圧的なパワハラコンプラ違反の会見と騒がれて大問題になるだろうに、弱者の被害者の味方の多数のコンプラ違反は許されるのか?

正義感ってなんでしょうか?
勇気ってなんでしょうか?

自分の律として、正しい正しくないの前に、それは多数の偉い人が裁くから任せて、ちょっと置いておいて味方の少ない人に加勢したいといつも思うのであった。その為に裏切られても構わない。そんな、小さな勇気が沸々と湧くのを感じた。

令和7年1月27日 

               心幸

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