旅の途中
俺たちの旅
夢の坂道は木の葉色の石畳
眩く白い長い壁
足跡も影も残さないで
たどりつけない山の中へ
続いているものなのです
夢の夕陽はコバルト色の空と海
交わってただ遠い果て
輝いたという記憶だけで
ほんの小さな一番星に
追われて消えるものなのです
背中の夢に浮かぶ小舟に
あなたが今でも手をふるようだ
背中の夢に浮かぶ小舟に
あなたが今でも手をふるようだ
夢の語らいは小麦色した帰り道
畑の中の戻り道
ウォーターメロンの花の中に
数えきれない長い年月
うたたねをするものなのです
背中の夢に浮かぶ小舟に
あなたが今でも手をふるようだ…
「俺たちの旅」 作詞 小椋佳
この詞には、春夏秋冬が詩われていることが分かると思うが、俺たちの旅は旅の途中でまだ終わらず季節は秋から冬そして春から夏へと繰り返し巡って行く背中に夢を背負った俺たちを乗せた小舟にあなたが今でも手を振っているようだ。俺たちは、まだ旅の途中と詩っている。
好きな詞は数々あれど、よく自分の気持ちに置き換えて替え歌を作って歌うのが趣味だけど、ワンフレーズも、ひと言も替えずに自分の気持ちにピッタリだと思ったのは、深夜のラジオから流るこの曲を聞いた、1970年代の終わりの頃だろうか。多分、谷村新司さんの「セイヤング」かなと思うが、「天才・秀才・バカ」が異常に好きだった。勿論、三段受けなのでオチは最後のバカになっちゃうから面白。つう、救いのある昭和の優しく温かいノリの深夜放送だった。そこで聞いたこの曲は、10代終わりの思春期にド・ストライクで刺さったのだった。
小舟で何時までも手を振っているのは紛れもなく私にとっては父と母だった。親を亡くしたというのと失くした不遇の関係というのは真逆だ、よく覚えておけ!(笑)ばあちゃんは、よくそう言って泣き虫だった私に発破をかけた。これでも泣き虫だった、か弱き(か弱いのか?w)な思春期。
何にしろ思春期には、とにかく刺さって小遣いはたいてレコードを買った。小遣いはたかなきゃいけなかったねぇ~。シングル1枚 ¥700 LPで ¥2800 だったかな?買って来て歌詞カード広げて作詞 小椋佳凄いなぁと思った。当時、阿久悠と小椋佳と伊勢正三は神だった。フォークソングマイブームの時代とRadio。思春期に大人に変わる道を探すのは少年も少女も変わらなかった。
旅は、はじまったばかりだった。
デッカ夢を背中に背負って小舟を漕ぎ出す。何時までも心配そうに、あなたが今でも手をふる姿が目に浮かぶようだ…。今、聴くとね最後のこのワンフレーズが何時までも心に木霊するように残る。あれから随分と漕ぎ、時には漕ぐのを止めてしまいそうになりながら、ほんの小さな一番星に追われて、また朝日を迎え漕ぐ…それでもまだ旅の途中だから。
この詞、本当に素敵です。
令和7年1月31日 心幸
1月終わるねぇ〜。
色々あっても早い1月の締め。
締めのひと言はやっぱこのひと言だ、私の作品www 凄いねぇ(笑)頑張って。フィクションでも上手く描かないと不思議な世界になっちゃいますよwww シュールです子供の喧嘩で隣の家まで飛ぶ喧嘩漫画の世界www リアリティなくって好きだった(笑)
無口なのが良いのなら喋りなさんな、雉も鳴かずば撃たれまい、手堅い生き方かも知れません。
1/31/2025, 11:01:34 AM