小さな勇気 a little corage.
小さな勇気の積み重ねで、彼女は野次る。
小さな勇気に背を押され、彼女は自律する。
一番か弱き者に寄り添え!
シュプレヒコールの名のもとに、差別だ!フェミニズムだ!「革命だ!」とほくそ笑む。歪んだ社会の歪を背負って、マイノリティのひとりひとり孤独な彼女たちは正義感の暴走をする。彼女たちはヘルメットを被り霞が関に物申す…。「個人的なことは政治的なこと」「何故辞めさせられたのは女性の方なのか?」このスピリッツ何にも新しくないよね。チェンジでも改革でもアップデートでもなくて、若い人は知らないから目新しく感じるだけで、忘れっぽくなった年寄りは忘れてるだけで、それ日本だと昭和40年代(1960年代〜1970年代)の学生運動のスピリッツです。
はい、小さな勇気を持って言います。
孤独な君が、彼女だったのは、想像力でもなんでもなくで引っ掛けのトリックです。「男でも女でもない!」という事を示し引っ掛かる者を嘲笑う為に仕掛けられたものに過ぎません。
はい、私も引っ掛かかりましたが(笑)だから大沢親分あの世から「アッパレ」でもなんでもありません。
はてさて実際問題考えて、うら若き22歳の彼女が背後から男性を一刺しで殺せるものでありましょうか?思い出されたのは、この1月に見聞きしたリアルのニュースでした。某有名大学の構内で起きた事件、22歳の女性がハンマー持って学生に殴りかかった事件でした、殺人ではなく傷害事件でした。虐められた辱められた侮辱されたと考えた、か弱き弱者がハンマー持って来て立ち上がる。けれど、血を流した方が勿論被害者だ!令和日本は江戸時代ではないので私刑は違法であるという正義の元に地球より重い人命を第一と考える国である。
歪んだ社会の歪か!?それを背負い血を流して倒れた苛めっ子は被害者か加害者か?虐められた腹いせに追いかけ回してハンマーで何度も何度も殴りつけたそれは正義感か犯罪行為か?被害者は犯罪者にもなる。
シュプレヒコールも程々に。
小さい勇気って格好良さげだけど。
勇気って諸刃の剣であることを忘れてはいけない。シュプレヒコールも制裁も重なる野次は、多勢に無勢は暴力であり、被害者と加害者は入れ替わり虐めは被害者が加害者に替わるだけで終わらない。死ぬ勇気と生きる勇気、死ねないから生きている…中二の頃に私もよく考えた笑笑 けれど人間って所詮利己的な遺伝子の集合体だから、遺伝子はそれを乗せる体が滅びるまで常に生しか選ばない、それが生の掟で理だ。
今夜の喧嘩腰のチンピラ質疑応答見てたら涙が流れた。ここぞとばかりですねぇ、叩く時は。あんな勢いで年寄りが若僧に言ったら高圧的なパワハラコンプラ違反の会見と騒がれて大問題になるだろうに、弱者の被害者の味方の多数のコンプラ違反は許されるのか?
正義感ってなんでしょうか?
勇気ってなんでしょうか?
自分の律として、正しい正しくないの前に、それは多数の偉い人が裁くから任せて、ちょっと置いておいて味方の少ない人に加勢したいといつも思うのであった。その為に裏切られても構わない。そんな、小さな勇気が沸々と湧くのを感じた。
令和7年1月27日
心幸
わぁ!
わぁ?
わぁ!わぁ!わぁ!
自分の嫌いが重大な彼女は、叫びました。
わぁ!蟹座なの?あの大嫌いな女担任。
そんな、はずないわ! 母性本能が豊かで、人見知りでナイーブな、愛情深いとされる蟹座
。自称繊細の私と同じ星座だなんて信じられない!と彼女はその口煩くて独善主義的で、ああしなければ駄目よ!それは間違っているわ!こうあるべきよ!正しくあるべきよ!間違いは許さないわ!許されないわ!と自分の嫌いに拘りブツブツグチグチ呟く女教師を睨み、あの人は間違っているわ!正さなければ絶対人として駄目よ!許さないわ!と女教師が嫌いなことに拘りブツブツグチグチ呟いているのである。理論付けて話すのが苦手で、感情的。長い文章を読んだり長い話は聞き取る力を持たないし、使うことも出来ない。何故なら、語彙力より感情だからである。だから、好きや嫌いでしか物事を図れない。好きや嫌いでしか表現出来ないから言葉は短い、それが良いことだとも思っているだけなら良いが、他人の表現にも陰湿に口を挟む、挟んでおいて自分が挟まれると血相変えて怒る。自分の、好き嫌いが重要だからである。まあ、可愛いと言えば可愛い。
二人は、一卵性親子のようだ。
そもそも、蟹座って女好きのゼウスの妻のヘラが夫の愛人の子の半神半人のヘラクレスへ送った刺客の蟹ですから、そしてヘラクレスに踏み潰されます。それを、憐れんだ神が天にあげて蟹座になった。だから、黙ってヘラの刺客となってヘラクレスを狙う訳ですから、人見知りで警戒心も強くナイーブです。一方で情が深く、その関係性に深い執着を持つのが特徴。
中森明菜は蟹座女性の典型だと思っている。
わぁ! 大いなる偏見だわぁー。
はい、異論反論一切受け付けません!
何故、星占いとギリシャ神話に詳しいかって?
夜空と神話は暇な田舎の中二には必須アイテムだからよ(爆)
あと、メンヘラ系の純文学と屁理屈のカタマリみたいな心理学もね(笑)
因みに、書き手は蟹座ではない(笑)
令和7年1月26日
心幸
終わらない物語
終わらない歌を歌おう
クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう
全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう
僕や君や彼等のため
終わらない歌を歌おう
明日には笑えるように
世の中に冷たくされて
一人ぼっちで泣いた夜
もう駄目だと思うことは
今まで何度でもあった
ホントの瞬間はいつも
死ぬ程こわいものだから
逃げ出したくなったことは
今まで何度でもあった
終わらない歌を歌おう
クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう
全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう
僕や君や彼等のため
終わらない歌を歌おう
明日には笑えるように
馴れ合いは好きじゃないから
誤解されてもしょうがない
それでも僕は君のことを
何時だって思い出すだろう
終わらない歌を歌おう
終わらない物語のために
終わらない歌を歌おう
全てのクズ共のために
「終わらない歌」 作詞 真島昌利
この詩には、誠(ホント)の優しさが溢れているわ。
あなたが敵だと思ってる世の中の大人だってね、強がって生きているけど、嘗ては15の夜を迎えていたのよ、順番だから、そういうの。だいたい弱くてクズだから心配すんなぁ〜(笑)
それを、認めて生きるのが大人。いい歳しても
それか認められないのは、歳だけ大人の大人子供。
人生の素敵なことは
だいたい、最後の方に起こるから。
公共広告機構 CM 「屋根の上の少女」より。
とても良きCMをお作りになられます。
誰もが去る時に去りもせず、誰もが躊躇する時にも、ただ自分たちの仕事をする。東日本大震災の時にも飽きるほど聞きましたね公共広告機構の名前、シンプルに言って普通にとても良きCMを作られています。これを偽善とか言う方がなんだかなぁ、潔癖過ぎるの?自分じゃ何も決めれず、石を投げる時は元気よく、何の覚悟も実感もなしに石を投げて、しかと決め込む、犯罪意識の低いボッチの闇バイトにあっけらかんと参加する偽善者みたいで心配だわ。
はあ?誰かが自分の敵を倒してくれる?
戦いってね、血が流れて死ぬかも知れないのよ
そんなことを人に頼んで祈ってるそこのか弱きエセ被害者、自分の脚で立ちなさいね(爆)
世の中そんなに甘くないは、あなたのために血を流してくれる人なんて親の他に一人見つかれば奇跡よ(笑)なのに、ほらね自分が悪いとか口先だけ私なんかと言いながら、友が親が教師が学校が会社が上司が世の中がって言ってるじゃない原因そこって自分被害者ですって、言い換えるなら、そうよ、そいつらみんなあなたと同じ弱くて駄目な人間だから、あなたと同じ人間だから、神様でも聖人でもあなたの為のヒーローでもないから、気に入らないことも言うしするのよ、人間だから、あなたの所有物じゃないから、そう考えると案外楽よ(笑)
終わらない物語のために
終わらない歌を歌いたい
僕や君や彼等のため
続いて行くだろう
君のこれからのために
終わらない歌を歌おう
何度でも言う
人生の素敵なことは
だいたい最後の方に起こる
実感を込めて 今、君に。
令和7年1月25日
心幸
やさしい嘘
今日は前説から…。
おしえてあげる、瞳を閉じて「だれも悪くない世界も社会も悪くない、けれど辛いんだ目をあけたくないんだ、顔をあげたくないんだ、全部自分が悪いから、瞳を閉じて理想の世界にいたいのだ…」メンヘラの厨ニか?「だれも悪くない、社会も世の中も親も、全部自分が悪いんだ」と自暴自棄。はい、それは、逆にぃ、「みんなが、社会が世の中が悪くてボクは思い通りのボクになれないんだ」と駄々を捏ねて拗ねてる子供丸出しだよ。それからもうひとつ、こんな場所に書き込みする、あなたも私も相当な過剰承認欲求です、忘れないで(笑)特に他人に過剰承認欲求だぁーなんて指差して裁く承認欲求の過剰さに気づきなさいね(笑)何時も言ってる通り他人に差した人差し指は自分に向けましょう。
さあ、今日のお題 「やさしい嘘」嘘に優しいも冷たいも無いでしょう、嘘は嘘です。けれど嘘も吐き通せば真を妊み、覚悟のある嘘には誠が宿ります。嘘も方便で人生ハッタリが肝心ですは商人の心得ですがね(笑)
SNSは虚構の世界です。どこもかしこも、自分の居場所だけは綺麗だなんて、自分の吐く言葉だけは綺麗だなんて、それこそ思い上がりの虚構です。先ずは、自分はそれほど清い人間でもないと心得、己には甘いが社会や世の中には正しさを求める矛盾したか弱き人間なのだと認めるところからですよ(笑)短所もあるかも知れないなんて生優しいものではなくて。
自分が批判するものを肯定する人からは、どんな批評もただの批判で陰湿なものでしかなく聞こえる利己的な耳と目を持っていますね。
「陰湿な批判」そんな言葉を使えるのは一切批判も批評もしない人だけです。言葉の使い方をもう少し勉強する必要がありますね、だから、この人が彼の元カノなのか何なのかも分からないし、悲しみで艷やかな黒髪が一度のうちに白髪になる意味も分からないし、自分の律も語れない。
はてさて、これはやさしい嘘なのか誠の言葉なのかただの戯言なのか(笑)
それは、人の言葉なんて聴くものの捉え方しだいで、嘘にも真にも変わりますということだ。
「一水四見」
令和7年1月24日
心幸
瞳をとじて
瞳をとじて 君を描くよ それだけでいい
たとえ季節が 僕の心を 置き去りにしても
…
そんなこと、季節に置き去りにされた愛する人の顔を愛する人は望んでいるだろうか?
…。瞳をとじてと言えば、当然この歌だが、切ない歌だが、本当にそれで良いのだろうかと私は何時も想う、本当に愛した人だから、先に逝く人は連れてゆけぬを別れとぞ想うのではないだろうか?
映画「タイタニック」が不屈の傑作ラブ・ストーリーであるのは、史実だからではない。もともとジャックもローズも架空の人物だからね、ジャックは冷たい氷河の海でローズの手を取り口づけて言う「君は、こんなところで死なない、好きなものを自由に見て、結婚もして子供も産み、温かいベットで人生を終えるんだ、約束してくれ」ジャックはローズにそう願いをかけて瞳を閉じた。ローズは捜索ボートが戻って来たことを知ると、眠るジャックの手に口づけて彼の手をそっと離す、ローズは生きる、ジャックとの約束を守るためにジャックの尊い死を忘れないために、ジャックの願いを叶える為に生きる決心をして、力いっぱい助けを求める
「助けてください!」
ローズは生きる、自由の地アメリカで好きなことを自由にし、結婚もし子供にも恵まれた、その人生を愛した、だから、ジャックに胸を張って言える「あなたがくれた人生は最高でした」と、ローズは約束をジャックの願いを叶えたから、「もう、いいでしょ」とジャックの魂を海に返し、自らも瞳を閉じることが出来たのだ。
だからこの映画は美しいラブ・ストーリーなのでしょう。
私はねぇ、瞳を閉じてと言われると、この曲と同時に想い出す曲があります。
淡き光立つ 俄雨
いとし面影の沈丁花
溢るる涙の蕾から
ひとつ ひとつ香りはじめる
それは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る
春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし君の 懐かしき声がする
春よ 遠き春よ 迷い立ち止まるとき
愛をくれし 君の眼差しが肩を抱く
流るる雨のごとく 流るる花のごとく…
誰を想い描くかは人それぞれだが、私は私が今ここにあれる奇跡に、私に命を人生を与えてくれた人たちを想い描きます。写真でしか見たことのない戦死された大叔父様や、嫁いだ家のご先祖様に舅姑様の声や面差しが、肩を抱いて私の背を推してくれています順番は大事です。
悲しいけど、年功序列無視の人は昔々から沢山いて、今にはじまったことじゃないけど、そんな人は必ず失敗すると歴史は証明しています。年功序列無視で日本を統一しようとした武将は部下に寝首を欠かれて、明治維新でもそこから続く戦は終わり戦争100年の時代でも、年功序列無視で暴れた者たちが、累々たる屍を積み上げました。
「いい加減目覚めなさいです」
順番は大事です。
たまには、瞳をとじて、歴史をいやもっと近い自分が今ここに生きる奇跡を命くれた、その命に繋がってくれた人の顔を想うことも善いかななんて思います。
「倶会一処」あの世で皆様に会える日を迎える為に、今この一時を懸命に生きる。
順番通りに歳をとり、順番通りに懸命に生きて
順番通りに老いて 病を得て死ねる幸せは当たり前ではない、奇跡的に幸福なことだ。
「瞳を閉じて」 作詞 平井堅
「春よ来い」 作詞 松任谷由実
令和7年1月23日
心幸