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1/19/2025, 11:25:12 AM

ただひとりの君へ

みんなただひとりですよ。

ひとりの母親から生まれた一卵性の双子だって
ひとりひとりの自我を持てばただひとりの唯一無二の君です。誰かにとって、ただひとりの君もただひとりの己という自我をもって生きるただひとりの人です、だからとても尊い。ひとりで育てた気になってるひとり親なんかはとかく、ただひとりの君である子のだだひとつの自我を自分のものみたいに思ってしまって、「優しい子だから」とか「いい子いい子だから」とか「うちの子にかぎって」とか「うちの子一番」「ギフテッドだ天才だ」なんて自分の気持ちの札を子に貼りがちで、そのうち子供に鬱陶しがられるわけだけど、鬱陶しいとも言えない自我のない子は、自分の親捕まえて「毒親」とか平気で言うけど、鬼の子は鬼子ですけどね、ひとりで育てた気でなんかいると、ただひとりの君へ大層な独り善がりの気持ちの札を貼り、何時までも高い高いしがちで結局自分の親を捕まえて「毒親」なんて言う鬼子が育つわけです、鬼の子は鬼子ですから。

みんなただひとりで、若い頃は自己の確立に悩み、自分を探しますよね。ひとはひとりただひとりの君です。だから唯一無二で尊く、寂しがりやで弱い、だから、だれかと共に生きる喜びを知ることが出来る。

みんなただひとりの君だから、自分のことくらい自分で出来る、出来なきゃいけない、だから自分の生きたいように生きる、自立ってそういうこと。 そしてねぇ、いつの日にか自分の手のひらの宇宙を見つめて鏡に映る人生を想うのだろうけど、最近の廃人みたいな若者は若い頃から手のひらのブルーライトの宇宙眺めて世の中が経験なしに分かた気になっているけど、順番はとても大事ですよ(笑)

君のかわりをする人はいくらでもいるけど、君という人間はひとりしかいないということを忘れるな(笑)

ただひとりの君へ


令和7年1月19日

心幸

1/18/2025, 12:28:28 PM

手のひらの宇宙

ある日、美しい白い肌に長い睫毛に黒曜石のような瞳をもつ若き純粋な僧侶が、「天竺に仏教の奥義が記された有難た〜い経典があるから取りに行け」というお告げを聴く「は、はい、この命にかえましても!」と即決断。純粋で聡明なキラキラキラ光る瞳を長い睫毛でふせて、皇帝陛下の前にまかり出た僧侶は、皇帝陛下から「三蔵法師」というありがたい名前を頂戴し旅は始まります。

三蔵法師は、はじまった旅の最初の五行山で山につぶされて動けない猿を見つけます。

「助けてくれぇ」息き切れ切れの猿は三蔵法師に助けを求めます。

三蔵法師が「助けて、やる代わりに、わたしのお供になり天竺までわたしを助けるか?」と聞くと。
猿は、「なんでもします、お供します」と答えた…気高く純粋無垢な僧侶三蔵法師のいきなりの交換条件にビックリ仰天!している間もなく三蔵法師は五行山に貼り付けてあった猿を封印するお釈迦様のお書きになられた札をベリっと剥がしたのでした。たちまち山をぶん投げて、今さっきまで、赤面で泣いていた猿は孫悟空に戻り自由の身になり三蔵法師のお供になったのでした。

同じようにして、怠惰な生活で肥えまくっていた豚の妖怪、猪八戒、川の下で寄生虫みたいな生活をしていた河童みたいな妖怪、沙悟浄もお供にして天竺を目指す旅が始まるのでした。

そして、ご紹介遅れましたが、私が一番好きだったキャラクター、時々人間になったりする、お馬ちゃん、三蔵法師を乗せる白馬白竜馬またの名を玉龍、日本の私たちがよく知るドラマ「西遊記」では藤村俊二さんが演じており飄々としたキャラクターであり愛敬のあるお馬ちゃんでしたが、原作はさほど好き役でもなさそうです。と言うようにこの天竺に経典取りに行く話めちゃくちゃ長いのです。行く先々で魑魅魍魎な怨みの変化化身のような、人の姿も心も無き妖怪どもと戦い旅を続けて行くのです。

とても長い長いを繰り返すお話をまとめた日本のドラマはとても面白かったですよね。何が、面白いかと言えばキャラクターたちにつきました。個人的には原作無視のお馬ちゃん時々人間に変わってる白馬の惚けたキャラが大好きでした。どこまでも、清く正しく美しいでも人間だから弱い三蔵法師を護る短気で最強の猿、孫悟空とのちょっと疑似恋愛ぽくなって来るあたりも、ドラマならではの見どころ。食いしん坊で怠惰な性格はもろ体形に出て分かり易い猪八戒、真面目だけど融通がきかず寄生して生きて来たから決断力が無くて暗いネガティブマインドをリアリストと勘違いしている沙悟浄。

まさに、個性バラバラの一行に次々に襲いかかるトラブル続きの旅。

岩から生まれた天涯孤独、短気で喧嘩早い悟空は大活躍で一行は長い長い旅と戦いの末に天竺に辿り着く訳ですが、その天竺ですがなんと、お釈迦様の手のひらを手首のところから中指の先まで歩いただけというものでした。

お釈迦様の高峰三枝子さんは最後有難たーい、微笑みを三蔵法師と一行に向けてご自分の手のひらの宇宙を覗き込まれるのですが、「そんなら、見てないで助けてやってよ!みんな何度も死ぬ目にあってんだよ!」と思ったもんだ(笑)

神も仏も見てるのが好きで、試すのはもっと好きつうお話。


手のひらの宇宙

死が近づくと人はじっと手のひらを見つめるそうだ、「手鏡現象」と言うらしい、自分の還るべき手のひらの宇宙にお釈迦様の顔を映しているのだろうか…。


令和7年1月18日

               心幸

1/17/2025, 1:21:52 PM

風のいたずら

見え透いた両手の嘘、私は知っている
キミがつく淋しい嘘を。
意味のないガラクタのようなひとり芝居の
言葉のカケラが風に舞っているよ。
キミは気づいているの?誰かに差した人差し指を自分に向けてごらん、大人になるにはそこから、ただ生きた年数じゃなくて、考えて生きた年数が問われる。だから経験は重要で「苦労は買ってでもしろ」と昔の人は言った。苦労を知らないまま70まで生きたって、どうしょうもない人の見てくれ一言呟くだけの老害になる。せめて、もう少し愛情込めて人の見てくれどうこう言う時は言いましょう、ならば自然と言葉は長くなる、吐き捨てるような冷たさキツさが和らぐ。70年も生きてたら身につけたいわね。

移りゆく街並みに寂しさを覚える。
「大事なのは変わってくこと、変わらずにいること」矛盾のお守りを子供は理解出来ない。
移りゆく時間の中で、変わりゆくものの中で変わらずにいることはとても難しい、けれどその一炊の夢を諸行無常の中に人は見るから美しいのだ。

たとえば、初恋の人は30年40年時を経て見てくれは変わってしまっても、想い出は変わらない色褪せても変わらずにそこにあるから尊く誰かの心を励ますことが出来る。

たとえば、初恋のアイドルは、スターとは、ファンの夢を壊さない、初恋のアイドルであり続けることを移りゆく時間の中で己の使命とするから見るものを力づける、公園にいるくたびれた無職のオッサンでは駄目なのである。「私が、私であるために」努力が必要なんだよ。

こんなもんだと誤魔化してはいけない、誤魔化しは姿勢に出る。


言ってごらんよ、今幸せはありますか?
丑三つ時にSNSのブルーライトに向かうキミ
素直に生きたいと、誰もが願うのに昼の太陽の下は歩けない、何故なら朝日が昇る頃までSNSのブルーライトを見つめているから。
伝えたいのは言葉なんかじゃないだろ
その頬を伝う涙。

これで全てうまく行くと信じていたのに裏切られた、それはね、キミが信じたその人の一面がキミの想いと違っていただけ、信じたキミにも責任はある、傷は授業料。

何度目かのため息、空っぽな優しさに、世界は灰色で可哀想な自分に浸っていたい?周りに気遣わせるだけ気遣わせているのに気づけないの何故ならキミだけだから自分の心だけ見てるから、自分が嫌いなら鬼って人差し指を差して自分の物差しで他人を図るから。

そんな人に限って、今流行りの「よりそう」やら「多様性」やら「変わらなきゃ」「優しくありたい」「正しくありたい」だのそれこそ多様する、足りないから多様し必要だと叫ぶ。寄り添っていないから
画一的だから独善的だから優しくないから正しくもないからそう有りたいと足掻き他人に期待し求め結局思う通りに得られないと自分の物差しを振りかざし裁く。

でもね、痛いのよ生きるってことは、精一杯生きるって事は死ぬことよりも痛いこと、その痛みを感じることが出来るのが生きているってこと、その痛みを分け合ってもいいんだと気づけることを仕合せと呼ぶんだ。

今夜も浮かぶ月の真下に居るのか?
独りは寒くない?部屋に二人で居て寒いよりはマシなのか?それは冬のせいなのか?

違うよ、キミのせいだ。

伝えたいのは不満なんかじゃなく
一人寝の、淋しさだろ
変わらなきゃならないのはキミの方だ。

変わってしまったから
変わらなきゃならないんだよ
あの頃みたいに。


風の声に耳をすませてごらん。
春の足音が聞こえる、春は必ず来る。
同じように花が咲きコートを脱ぎたくなる
虫やカエルが歌い出す春だ、もしも変わって行って沈黙の春が訪れたならどうだか想像してごらん、変わって行くものの中に変わらないものがある尊さそれが矛盾のお守り。


今 荒城の夜半の月
変わらぬ光 誰がためぞ
垣に残るは ただかつら
松にうたうは ただ嵐

天上 影は 変わらねど
栄枯は移る 世のすがた
写さんとてか 今もなお
ああ荒城の 夜半の月

変わらないものに護られて
変わってゆく弱さ儚さを
素直に感じとらえたらと


風は告げました
春夏秋冬日本人には
四季を愛でる心があります。

移りゆく季節
順番通り変わらずに
おとずれる季節

矛盾の中に私たちは生きているんだよ。

風のいたずら…。


令和7年1月17日

              心幸

1/16/2025, 4:28:14 PM

透明な涙

普通に涙というものは透明でキラキラキラしていて、悲しいときでも嬉しいときでも悔しい時でも、うんと涙をこぼせばキラキラキラ光る透明な心の汗が色々洗い流してくれて案外スッキリするものなのだと思っていたが。

今からちょうど30年前1995年(平成7年)1月17日(火曜日)午前5時46分に起きた地震で今まで見たことのないものを私たちは見せつけられたのである。

その頃の朝は早くもうその日も起き上がり、1日は始まっていた、弁当づくりに朝の準備その頃はまだ子供も一人だったから弁当もひとつをやたら丁寧に作っていた…その時ゴォォォという音と共にバンと何かが弾けるように上下し揺れが始まった、今まで感じたことのない揺れに一瞬何が起こっているのか分からず台所でガスを止めるのがやっとだった。その後2階で寝ていた夫が子供を抱えて飛んできた食器棚からクローゼットから物が飛び出し本棚は倒れ家も斜めになったかと思われたが、なんとか全員無事で、慌ててその頃は離れにあった義両親の家と店に安否の確認に向かった幸い無事、ようやく神戸の方で大きな地震があったことを知る、大阪は震度6とされ、神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市は震度7と知るところとなる、学生時代を神戸市で過ごした、今も友人知人が多く住む街、宝塚市には従姉妹が住んでいた。電話は繋がらなくなっていた。夫の身内も芦屋市西宮市に住んでいたため、夜が明けるのを待って夫は徒歩で神戸に向かった。

残された家族はとりあえず、店の片付けと従業員の安否確認に随分とかかった。朝になりようやく神戸の街の姿を目にした背筋が寒くなった。子供は不安からか手を離したがらず結局おんぶ紐でおんぶして数日を過ごした。まるで悪い夢でも見ているような数日が過ぎ、夫が悪い夢の続きの知らせを持って来た。

従姉妹が死んだ…。

姉弟のいない私にとって姉のような存在の人だった、明るくて綺麗なその人に私は随分憧れた。直ぐに私も行こうとしたが、「見ない方がいい」と夫に言われた。夫は他の身内も回って安否を確認し、私の従姉妹の葬儀も手伝ってとりあえず帰って来た。

従姉妹には母(叔母)も夫も子供もいたが、私は聞けずにいた。叔母は私たちの故郷から宝塚に行けず荼毘に付されてから娘との再会となってしまった…。

あれから30年、叔母も娘の元に逝き、代は彼女の娘叔母の孫の代になりました。

最近になって、ようやく、あの時一度だけ夫から聞いた、彼女の最後の顔の話を想い出せるようになりました。夫はひとこと「赤い涙を見た」とだけ私に教えてくれました。

それから、この日が来る度に、彼女の綺麗な横顔に伝う赤い涙が想い起こされます。

赤い涙もやっぱり透明で、あったはずだと思いたい。

彼女彼たちのもっと生きたかったという想いを胸に生きたいと思います。


赤くて透明な彼女の涙に 

              「黙祷」


令和7年1月17日 

               心幸  






1/15/2025, 5:21:58 PM

あなたのもとへ

遠く遠く離れていても
僕のことがわかるように
力いっぱい輝ける日を
この街で迎えたい

外苑の桜は咲き乱れ
その頃になるといつでも
新幹線のホームに舞った
見えない花吹雪を思い出す
まるで七五三のような
ぎこちないスーツ姿も
今ではわりと似合うんだ
ネクタイも上手く選べる

同窓会の案内状
欠席に丸をつけた
「元気かどうか心配です」と
手紙をくれるみんなに

遠く遠く離れていても
僕のことが分かるように
力いっぱい輝ける日を
この街で見つけたい

大事なのは
変わってくこと
変わらずにいること

どんなに高いタワーからも
見えない僕のふるさと
失くしちゃ駄目なこと
胸に抱きしめていて

遠く遠く離れていても
僕のことが分かるように
力いっぱい輝ける日を
その街で見つけなさい

あなたのもとへ…

「遠く遠く」      作詞 槇原敬之


この曲を聴くと今母さんは君たちのことを思うよ。と、母は独り言を呟く。

もう、何年も前は、この曲を聴くと義妹の話が思い出されていた。

「お母さんたら、兄ちゃんがお父さんと喧嘩して家出した時、兄ちゃんに電話でご飯の炊き方を聞かれて受話器を置いて泣き出しちゃって大変だった」って話だ、その時は、ちょっとジンとしたけど笑い話になってたけど、今ならはっきり言って滂沱の涙だ。ましてやこの曲とセットだと涙止まらなくなる。

母は、独り言のように、「元気かどうか心配です」と「上手くやれているのか心配です」と「いつでも帰ってくればいい」と真夜中の電話に口走りそうになり、ぐっと堪えて「しっかりしなさい」と発破をかけ、送金しそうになるのを鬼の気持ちで留まって、米や食べ物をせめて段ボールに詰めて送る、あなたのもとへ。もしかしたら迷惑かも知れんねぇ(笑)だって自分も何十年も前にそうされて「一人で食べきらん程送らないで」とか電話した記憶が蘇る(笑)そういう時は何時も「誰かにあげなさい」って言われたけれど、田舎の婆ちゃんがつけた漬物やら煮付けた佃煮やら自家製の野菜「誰にあげろって言うのよ」って言いそうになってやめたことを思い出す。今ならハッキリと分かるねぇ、送る方の気持ち送らずにいられない気持ち。そして、一人暮らしを始めた息子に「飯の炊き方教えてくれ」と電話で言われて泣き出した義母の気持ち…親孝行したい時分には親はなし。

この気持ちを届けたい
あなたのもとへ


令和7年1月15日 

             心幸 

今夜は遅くなりました、おやすみなさい🌠

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