そっと
そっと受話器をおく片想いの相手にか、相手を気遣ってますのアピールに営業のやること。
そっとおやすみは、相手はいないひとりぼっちのさびしんぼうのひとり芝居独り言ぬいぐるみに「そっとおやすみ」
そっと寄り添うは、寄り添ってますと伝えたい相手にみんなにそんなあざとさアリアリの時に使う言葉、そっと優しくありたいなんかと同じ
本当に、そっと寄り添う人は黙って寄り添い寄り添ったことを相手にみんなに気づかせない、優しい人も同じで「…ありたい」なんて偽善な自己アピールの言葉は使わない。
そっとは、そっと部屋を出る、そっと消える、そっと別れる、そっと嘘をつく、そっと裏切る、、そんな風に使う言葉だ。
さよならはそっと。
令和7年1月14日
心幸
まだ見ぬ景色
人生に何度か全身麻酔をしたことがある。
出産、病気、事故、いつもストンと真っ暗な闇に落ちる気がするそして、どこか遠くで人の話す声と物音がする、微かな声と音がする方に意識が向き、やがてそちらの方に白い影が動いているのが見える、声がより一層ハッキリと聞こえて、執刀医と看護師の会話が分かる。そして目覚める。朧気な臨死体験のようなもので、あの落ちた暗闇の向こうにまだ見ぬその景色があるように思えてならない。事故の時はよりそれが強かった、落ちた闇の中で何度もジャンプしているような気がして黒い闇の奥の方に向かって心地よい風が吹いているようだったのだけど、なぜだかその風に向かって泳いでいるように進み、何度も時計の音のような信号の音のようなものが聞こえたり、白い光の向こうに人影が動いて、重なり合う声がひとつひとつにハッキリと聞こえたり、またグレーの影がかかるように届かなくなったりを繰り返しながら、やかて目覚める。きっとあっち側から帰って来たのだろうと思う、暗闇の向こうは何か気持ちが良く無重力のように体がポンポンボーンと浮くような気がするが、声のする光に吸い込まれると、とたんに体は重くなり、聞こえていた時計音のような信号機の音のようなものが自分の体に着けられた機械の音だと気づく、体がやたら重くて、そして痛いそして自分は事故に遭い運ばれたのだと気づく・・・これが生きているってことか?手術室からの執刀医の声も麻酔が効き過ぎて覚めるのに時間がかかり医者看護師達がバタついていたことも覚えている、その会話の内容もだ、それを真っ暗な心地よい無重力の中で浮かびながら聞いていた、あの闇の向こうに広がる銀河のような黄泉の世界があるのだろうか?なんて考えながらリアルな痛みを実感していた、痛みそれこそが生きる生きているということだと実感した日の話。戻って来たのだから逝く時は、きっとその逆なのだろう、闇の中に吸い込まれるように落ちて行くと痛みは薄れやがて感じなくなる体は軽くなり深い深い闇の中にフワフワと吸い込まれて行く、微かに動く人影も見えなくなるが、声は何時までもやまびこのように響く、その声に揺り起こされ痛みに目覚めるか、声に包まれて闇の深みに吸い込まれて行くのか?その闇の向こうにまだ見ぬ景色を何時の日にか見るのか…小さな臨死体験。
臨死の床、声だけは最後まで届き、また揺り戻されるのも声であることを忘れてはいけないと思った経験。
自分を棚にあげて裁く人ってのは幽霊よりも厄介でヤバイ人である、自分もしっかりSNSサイトでそのサイトの規約破りの無関係な投稿、迷惑投稿かましておいて人を指差してこんな場所で投稿する奴はと投稿する、分かってますか?あなたの死の淵の闇に、この声届いてますか?あなたのやってることもあなたが馬鹿にしている行為ですよ。あなたも、こんな場所で投稿する稀な人ですお気の毒(笑)気づけないのもっとお気の毒、多分気分は無重力な暗闇の私たちがまだ見ぬの景色の世界にイッチャッテルのね、それでも現世で彷徨ってらっしゃるってことは地縛霊みたいなものなのかしら、お可哀想に。
ご愁傷さま。 「まだ見ぬ景色」
本日は、地震で眠れぬ夜をお過ごしの皆様、南海トラフ御懸念の皆様、お気をつけてお休みください。
昨日と同じ静かな朝が訪れます様に。
令和7年1月13日
心幸
あの夢の続きを
● 親子関係が人間関係の原点である。
● 幼年時代の楽しみと悲しみ満足感失望感、安心感と憎しみ、親から受けた愛が人間関係の原点になる。
それらは、共にあった長さではなく深さに比例する。
● 親から愛されなかったと思っている人は、愛に餓え、他人から愛を求める。
● 幼年時代の憎しみは生涯の負債である。
「子育て四訓」
・乳児はしっかり肌を離すな。
・幼児は肌を離せ、手を離すな。
・少年は手を離せ、目を離すな。
・青年は目を離せ、心を離すな。
「アメリカインディアンの教え」
今から、30云年前ステップファミリーになり3歳の子の母になった私は意気込んでいた、その頃の私のバイブルが、この「アメリカインディアンの教え」であった。随分あちこちに頭やら体ごとやらぶち当たり、それが自ら選んだ命題、あるいは夢として、少女時代の青臭い夢は玉手箱に仕舞って心の何処か片隅に置いて来た、あれから幾年、青年も過ぎたあの頃3歳でどこか淋しげな男の子も良き伴侶に恵まれ人の親となり、家業も継いで1人前にやってくれている、任務完了です、あなた、現世では写真でしかお会いしたことがありませんが、私はあなたに胸を張って会う日を心に誓って我武者羅に走りました。ついでに我が腹も痛め家族は増えそして1人づつ巣立ち、親も逝きました、本当に本当に任務完了ですね、いつも私の励みになっていただいて有り難う御座います。もう、そちらに呼ばれて、あなたに会い積もる話をしても良き頃なのですが、出来ればもう少しあの夢の続きを見ていたいものです。今度は少し歩調を緩めて背中合わせだった相棒とも向かい合わせて、同じ歩調で同じ方向向いて道に咲く野花なんか眺めながら、やっと二人で二人きりで歩きたいですね、いいかな?叶えてくださいますか?あなたに会うまでのこの時間が、あの夢の続き。
朝の空を見上げて
今日という1日が
笑顔でいられるように
そっとお願いした
時には雨も降って
涙も溢れるけど
思い通りにならない日は
明日 頑張ろう
ずっと見てる夢は
私がもう一人いて
やりたいこと 好きなように
自由にできる夢
人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の中を力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだのか どこを飛んだのか
それが一番 大切なんだ
さあ 心のままに
365日… あの夢の続きを
「365日 紙飛行機」
歌詞 秋元康
この詩を、あの秋元康が書いているなんて、商売上手の秋元康のもうひとつの顔。60過ぎてこんな昭和の女子高生が大学ノートに走り書きするような詩を書けるなんて、才能だよね(笑)残念ながら素人の詩を読んで笑うことはあっても、打ちひしがれたことは未だ嘗て一度もない、それがプロと素人の違いだ。
あの日、玉手箱に入れて仕舞い込んだ、もうひとつの夢は、仕舞って良かったのかなとこの秋元康の詩なんて読むと、打ちひしがれながら思うわけだけど・・・もしも願いが叶うなら心の隅に置き忘れた玉手箱あけて、白髪のババアになっても、あの夢の続きを、紙飛行機を追ってみたいな、なんてことも思ったりする今日この頃では、あります。
すべては、あの日見た夢の続きを叶えさせてくれた、私に出会ってくれた大切な人たちのおかげです。
有り難う、そして、またあの夢の続きを見れる年頃になりました、それも有り難う。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな
なにわのことも 夢のまた夢
さる
「あの夢の続きを」
令和7年1月12日
心幸
あたたかいね
特別なスープをあなたにあげる
あったかいんだからぁ♪
瞳の奥にあるわたしの大きな野望
ワクワクのリズムをあなたにあげる
あったかいんだからぁ♪
いつまでもこのワクワクさせていたいね
寒い日が、あたたかいねの意味を教えてくれる
寒い夜は、あたたかいねの意味を知るように
あたたかい大地に深く深く根を伸ばせ
先輩上司社長に頭撫でられた
あったかいんだからぁ♪
お返しはキラキラキラハピネスぎゃんがわスマイルで、これでもかって凹むくらいこてんぱんにやられる時があるから、キラキラキラハピネスぎゃんがわスマイルで泣ける。
また会おうねって繋いだ手と手が
あったかいんだからぁ♪
いつまでもこのまま楽しませて
お風呂上がりのアイス最初の一口…
あたたかい部屋で食べる冬のアイスはたまらなく美味しい。
「あったかいんだからぁ」
作詞 クマムシ
何年か前こんな歌はやったね…(笑)
それにちょっとつけたしてみた、合いの手の心。これはねぇ、もう心がなければ掴み取れない訳さ、例えば昨日の未来の鍵を今日という昨日の未来で考えてみても、それを物事目に見えることだけで図ってたら見えない訳よ、「大切なものは目に見えない」んだろぉ?(笑)「あたたかいね」も同じだろうね、単に「あたたかいね」だったらまだ早いし春は、今夜は最高に寒いし、コタツに二人でいることなんて「あたたかいね」の平凡な発想だけど、冬の木立冬の街角、冬の寒さをしっかり知っていると「あたたかいね」の意味は深くなるねぇ、言葉って面白い、出来れば後の言葉を使える人になっておくれ、表面だけの見てくれだけの物質だけに恵まれることよりも、心の豊かさを。
自分のことを「冷たい人間だ」なんて言う人は案外あたたかいね、人をがっかりさせたくなくて、傷つけたくなくて自分が悪者役を被るタイプ。「俺を信じるな」「あたしを信じない方がいいわ」なんて言う人には嘘がなくて、「俺を信じろ」「あたしを信じて」なんて言う人は嘘をついても、決まりを破っても自分の事は棚にあげて平然と人に人差し指を差して裁く時は大声になる、多数でなきゃ声もだせない「優しくありたい」とか「あたたかくありたい」なんて容易く言う人も実際人の見た目ばっかりを気にする、損得勘定の冷めた、あざとい人間だってのは、長年人相手の仕事をしていて身についた、人の本質を見抜く技。
小さな小さな紅葉色の手を両掌で包んで「あたたかいね」と言ってくれた人を忘れないでいてね。
寒い夜だから「あたたかいね」が染みるねぇ。
どうぞ染みていておくれ。この染みるが分かればさもしい寂しい心にあかりが灯るよ。
「あたたかいね」
令和7年1月11日
心幸
未来への鍵
未来への鍵は過去。
過去から学べない者は哀れだ。
大人になれない子供のままだ。
若い頃は粋がって、自分が時代の最先端であって、年寄りの言ってることは時代遅れだと肩で風切る、実際老兵は消え去るのみで、老人は若者に、その席を譲る訳だが、譲る老人もまた何十年も前、「今までのやり方では、この国は滅びるとか、窮地に陥る、破綻する」とか年寄りを批判し「政治腐敗だ、改革だ、禊だ…」とシュプレヒコールを上げていた者なのである。ずっと昔からそれを繰り返し、竹中をやり込めたメガネ丸四角くんも、いつかの子供にやり込められて静かに去るのである。その時になって、愚かにも人は時代は巡ると気づくのである。若い頃にこれを気づけたらねぇ、過去に学び過去をリスペクト出来れば、未来への鍵は掴めるのかも知れないが、気づく時には老人なんだよね人は(笑)皮肉だね。
どんな時も、個人の背中を押すものも、世の中の背中を押すものも、積み重なった過去である。それに、気づけない若気の至りと無知と傲慢さが、数々の歴史の悲劇を生むのであろう。
そして、「未来への鍵なんて…」と嘯く若気の至りは永遠にその部屋から抜け出せず気づけば時代遅れと言われる年になりはじめて、未来への鍵に気づくのである、、気づけなきゃ何時までも可哀想な子供で、その時代の若者に老害と呼ばれる。
だいたいなぁ、今現在、若いのに他人の意見や人の目ばかり気になって、自分と違う意見に朝っぱらからから噛み付いて、阿呆過ぎるだろ、気づけ。それさえ気付けなきゃ赤ん坊のままよ。
朝の8時や9時になにやってんだよ、それこそ無職の暇人、社会のお荷物か?(笑)深夜の丑三つ時まで起きていて、寝落ちして起きたところか?そんなのには未来の鍵など見つからないよ。
走り続ける者たちだって、未来の鍵を見つけるのは、その場を去る時だろう。だから、未来の鍵はいつも後から見つかるから、人は馬鹿な過ち(戦争)を性懲りもなく繰り返し、政治家は汚職の海で泳ぎ、公務員は場当たりで、群衆は若者が過去に学べないから何時も、振り出しに戻る、、巡る巡るよ時代は巡る…。未来への鍵も無限ループの中で巡り続ける宿命。
令和7年1月10日
心幸