追い風
今日は風が強かったなぁ。
冬枯れの土手に向かい風に向かって髪を靡かせ今にも倒れそうに揺れながら群がるように重なり合っている姿は、弱々しい俗世の群衆のようである、重なり合って群がっていれば安心なのか?か弱き下心の彼女たちは「わたしもぉ、わたしもぉ」と寄り合いながら、強い向かい風をさらに弱いものを盾にしてしのぎ、倒れた上に倒れかかって自分の身を護る。冬枯れのからっ風吹きすさぶ土手に群がる葦は俗世のか弱き人のようである。その群衆の中に一本の葦がいた
白くなった穂をまるで髪のように風に靡かせ折り重なる数多の葦の少し離れた場所で、ただ一本沼地からすっくりと細い茎を伸ばして立っている、あの葦は追い風よりも向かい風の方が気持ち良さそうに、まるで顔をを天に向けてたなびく髪を真後ろに流すように立っている。
「人間は考える葦である」と誰かが言ったそうだ、願わくばあの葦のようでありたいと思った。
追い風よりも、あえて向かい風に髪なびかせて立つ一本のか弱き細い葦のように。
自分の感じ方を正論みたいに吐き捨てそのくせ俗世に流され群れ重なり合う葦のなかに息をひそめる、そんな風にはなれない人間があの一本の葦だろう。
あまたある「朝顔」は、その土が大事、枯れて行く最初に芽吹く双葉が大事家族が大事、それが物語のアイデンティティでオリジナリティ、ただ夏の朝の役割物語ではなく朝顔の成長物語は、土と枯れ行く最初の双葉が家族のように大事、それが分からないと向かい風に倒れて群がって倒れて寝て生きる葦のよう、細くてもただ一本で向かい風に立つ葦は、やがて追い風を上手く利用して穂を飛ばして、種を飛ばして家族を増やして成長する、アイデンティティとオリジナリティが大事なんです物語は、特徴的な個性を見つけましょうね。
追い風に乗って、物語の種が広がるように。
想い出は、話せるようになったら、想い出よ(笑)想い出にかわるまで、人はその中で甘え続け苦しみ続ける。「あんな時代もあったねと
いつか笑って、部屋を出る」その時はじめて想い出は追い風に変わりますよ(笑) 小学生の過去なんて、そりゃあ生きてる年数少ないから安いつまらなく薄い本と同じだよね(笑)てか過去や想い出ないしょ笑笑 小学生にしては頑張った言葉が小学生の子供らしさを表していたね(笑)
令和7年1月7日
心幸
君と一緒に 、「いちご白書をもう一度」
いつか君と行った映画がまた来る
授業を抜け出して二人で出かけた
哀しい場面では涙ぐんでた
素直な横顔が今も恋しい
雨に破れかけた街角のポスターに
過ぎ去った昔が鮮やかによみがえる
君も見るだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリー
何処かでもう一度
ボクは無精髭と髪をのばして
学生集会へも時々出かけた
就職が決まって髪を短く切ってきた時
もう若くないさと
君に言い訳したね
君も見るだろうか「いちご白書」を
二人だけのメモリー
何処かでもう一度
幸子は、自分に宛てられた手紙を燃やして
家を出たいと泣いた。
幸子思い通りに、生きてごらん
そして心が傷ついたなら、泣きながら帰っておいで、ばあちゃんは何時もお前の側にいる。
幸子という名は、皮肉だと泣いた夜さえ、いつの日にか想い出話になるものさ、ばあちゃんはそう歌ってバカ笑いひとつ、幸子の涙で濡れた頬をピシャリとやった。
幸子は、その名の通りに幸せな娘だ。
ばあちゃんは何時だって厳しく、何時だって幸子を愛情深く見つめていた。その頃、幸子が好きだったフォークソングの歌詞になぞらえて、明治生まれのばあちゃんは、よく説教をタレた。そんな、ばあちゃんの洒落さえ今は幸子の、宝ものになっている。
いつも、いつまでも君と一緒に…。
「いちご白書をもう一度」1975年
「SACHIKO」1979年
作詞 ばんばひろふみ
「いちご白書をもう一度」ちょうど、今から50年くらい前の曲を私はそれから十年近く後に
よく聴いていた、「SACHIKO」は1979年ラジオの深夜放送を聴き始めた頃よく流れていて、「SACHIKO」を自分の名前に置き換えて覚えたてのアコースティックギターで弾き語っていた。ラジオの深夜放送とフォークソングが田舎の女子中学生15の夜のマイブームであった。そんな私の思春期を明治生まれのばあちゃんは一生懸命一緒にいてくれた。今思えばとんだ未知との遭遇であったろう、バブルの申し子世代昭和の丙午と明治の丙午のアンサンブルは、バブル夜明け前のことだった。
今回は朝にフォークソングを聴きながら書いてみた。
君と一緒に。
令和7年1月6日
心幸
冬晴れ
冬麗 雲の上雲 澄み渡る
真っ青な空 映るおもかげ
愛しき人よ
冬晴れに思うのは、小春日和に送った
あなたの小さくなった骸、私はもう一度あなたの娘に生まれます。産んでくださいね、お母さん。
そして、今度はもう少し長く母娘をやりたいと思っています。大人になった私、あなたと話してみたい街を歩いてみたい、今、娘とそんなことをしていると、あなたとわたしのもしもの時間を思います。
お母さん、もう私より十歳若いお母さん、それでも構わない今あなたと話してみたい。
冬晴れ渡る空はなんだか少し切ない、別れの朝を思い出すから。
幸せが何かも愛が何かも自由がなにかも教えてくれたあなたでした。
令和7年1月6日
心幸
幸せとは
a little happy ちょっと嬉しいを見つけること
例えば 砲弾が飛び交う中でも
お腹が空いていても
瓦礫の下でも
拘束されていても
ちょっと嬉しいを見つけられる人は幸せな人だ
「ライフ・イズ・ビューティフル」のお父さんのように、少年の父は世界一の幸せを息子に遺して逝きました、、だからきっときっと息子は幸せな少年です、私はそう思っています。
幸せとは、どんな状況下でも置かれた場所でちょっと嬉しいを見つけだすことだ。
人生は四苦八苦とお釈迦様は教えた、ならば、生まれなければ老いなければ病を得なければ死ななければ、愛する人と別れなければ、憎しみ合う者と出会わなければ、求めるもの全て与えられ思うがままに振る舞えれば幸せなのかと言えば、そうでもない。生まれて老いて病気して死ぬ人はその時間を考えることが出来るから愛する人との別れを悲しみ、憎しみ合う苦しみに出会うから許し合うことを覚え、求めるものは全て与えられないと知るから自ら求め働きかける力を得ようとし、思うがままに振る舞うことを慎む謙虚さを覚える。深い苦しみに四苦八苦するから幸せの価値を知ることが出来る。
幸せとは四苦八苦するから得ることが出来るものであろう。
そして
時代は過ぎ去って
街も人も変わってしまった
俺は忙しさにかまけて
大事なものを見失ってしまったよ
お前に熱く語った
夢なんか何処かへ消えちまったよ
現実の壁に阻まれて
ぼんやりと今を生き延びて来た
そうさ気づかぬうちに時間に流され
諦めること覚えた
いつも信じたものに裏切られ
己の愚かさに怒り震えた
思い通りにいかない
人生なんてそんなものだろう
だけどもう一度だけ
信念貫く覚悟で頑張ってみないか
夢を死ぬ気になって追いかけてみないか
そうさ中途半端に逃げてばかりの
己の生き方に終止符打って
いつか時代の波に飲み込まれる前に
立ち止まり足元を見つめ直せ
思い通りにいかない
人生なんてそんなものだろう…
「友よ人生を語る前に」
作詞 ポール・マッカーサー
古希になっても、こんな言葉を掛け合える友が直ぐ側にいることだろうね、SNSのチャットルームブールーライトの向こうの息づかいの聞こえないどこの誰とも分からない体温のない幽霊みたいなお友達100人よりも、息づかいと体温を感じ心が図れるような友をたった1人でもいいから持て、それが幸せだ。
a little happy 「ちょっと嬉しい」何時も読み解けないのは君が馬鹿な訳じゃない、寄り添っていないから、間違いを探しているから、自分が正しいと思い込んでいるから、だから中学生レベルの英語訳も、書き手の気分を読み解けないから分からないのだよww a little happy ちょっと嬉しいが分かったら、幸せだよね(笑)
続き
「幸福論」とは哲学者ならたとえ自称でも作家なら一度は書いてみたいものらしく沢山あり、「前向きの勧め」みたいなものや「楽観主義」なものから、生きる道は自分で切りひらけな「実存主義」寝ている子を起こすな的な「刺激を与えるな」などなどあり、有名なもので「3大幸福論」なんてあるけど、どれも西洋哲学でそもそもエデンの園で神様に与えられ護られ何もせず日がな一日遊んで暮らしていた人たちその子孫が考えた「幸福論」それが西洋哲学の「幸福論」ですから東洋人ましてや島国日本の日本人とは随分違いがあると気づきます。つまり、幸せの定義は人の数ほどあると気づかなければならない、大人なら普通に(笑)それは正義と同じように。まさに、「幸せはいつも自分の心が決めるもの」が真理なのでしょう。まあ、西洋哲学「人間の外側」と東洋哲学「人間の内側」の違いとでも言いましょうかねw
そもそも、お題は「幸せとは」なのに何もしないことはちょっと答えとして(苦笑)何もしない何も悲しみを知らないでは幸せも喜びも知ることはないから「幸せとは」と聞かれても分からない、つまり知識が経験が無いってことが「幸せか?」ってことになります。アダムとイヴだって、蛇に唆されてか何か知らないが、神様との約束を破りエデン園から落とされたから、エデンの園の満ち足りた幸せを知るに至ったのだ。だから西洋人は働くことを美徳とは思わなくて働くのが好きな人を「ワーカーホリック」とか言って毒つけて呼ぶんだよねぇ(笑)
日本人は、働くことは美徳で幸せなことでした
「働き者」は毒つけて呼ばれることではなく褒め言葉でしたからね。
「幸せとは」なかなか興味深いお題でした。
令和7年1月4日
心幸
日の出
2025年三ヶ日終了、3日間実に穏やかな小春日和でありました。
元旦の 昼に起きても 初日の出
自分が2025年の初日の出に手を合わせたのは何時もより3時間遅い午前9時のことでした。
まったりと明けたお正月に夫婦で話したのは、お墓のことでした。生と死はいつもワンセットの糾える縄の如し、そんなことを強く感じながら穏やかな春の日差しを感じたお正月に感謝。
生まれること老いること病気を得て死ぬこと人生の四つの苦しみ。これに愛別離苦(愛するものと別れる苦しみ)、怨憎会苦(怨み憎まねばならないものと出会う苦しみ)、求不得苦(求めて得られない苦しみ)、五蘊盛苦(人間が生き活動することによる苦しみ)を合わせて人生は四苦八苦とお釈迦様は説いた。新興宗教ではなく、日本人なら誰でも一度は触れたことのある仏教の教えです。宗教と言えば新興宗教やカルト集団しか思いつかないアイデンティティを持たぬ人には分かりにくいかも知れませが(笑)そんな生きる摂理を思ってか単に年のせいかい、夫婦二人して元旦の遅い日の出にお墓の話などをしたお正月でした。
そんな折に、こちらで楽しく人様の抱負を拝読し思いました、皆さん立派だなぁと、、けどだから生きづらくなってしまうのではないでしょうか?とねぇ、、思いました。
正しい自分に人に憎まれない自分に人に褒められる自分に拘り過ぎではないでしょうかねぇ、だから、そこを少し脱線すると人の言葉や視線に簡単に傷つき結局人を怨み憎み生きづらくなってしまうのではないでしょうかね、私の知り合いの若い人たちでも自分を過剰評価するあまりこんな症状になり生きづらくなってしまう人と、また逆に自分を過小評価するような振りをして実はプライド高級車並みで傷つけられたと病む人わりと見ます。だいたい、自分を過小評価する人は自分を過大評価する人と同程でプライド高級車です。
どっちにしたって生きづらくなりやすい人ってやたらと自分や周りに期待し過ぎじゃないでしょうかね(笑)
途それなきゃOKだし、それさえそれたって、その先で何か見つけられたらOKだし、人に憎まれたって自分が人を憎まなければOKでしょ、人に褒められなくったって、自分が精一杯ならそれしかないし、どれだけ受け止める力があるかってことなんじゃないかと、思ったりします。
まあ、言うが易し行うが難しで高級な抱負ばかり掲げてみても達成出来なきゃ自称なんとかと同じで現状に不満が積もり傷ついた可哀想な被害者になっちゃうのではあるまいか。抱負はそこそこにして、何が起きても受け止めることが出来るキャパシティの方が大事かなと勉強させて頂きました。
令和6年1月3日
心幸