始まりはいつも
始まりはいつも雨…と歌いたくなる世代で恥ずかしいですが、この歌詞はとてもイイのです。
どこが好ましいかと言えば。
君の名前は優しさくらい
よくあるけれど
呼べは素敵な とても素敵な
名前と気づいた…
わけもなく君が消えそうな気持ちになる
失くした恋達の 足跡つけて
空を見ていた
始まりはいつも雨
星をよけて ふたり 星をよけて…
結局
優しさってナニ?な話な訳だけど、優しさくらいありふれた名前は、その名前は呼べば呼ぶほど優しさくらい素敵な名前だと気づく、君の優しさは、ありふれているようでとても素敵だと気づく、とても馬鹿なのが優しくて素敵な歌だ。
優しさは、さりげないから素敵だ、優しくありたーいなんてキバルと嘘くさい。
雨よりも静かに乾いた心にゆっくり染みるもの君の名前のようにありふれているけど、呼べば呼ぶほど素敵だと気づくもの…。
令和6年10月20日
心幸
すれ違い
彼はとても優しい目をしていた、けれどとても寂しかった。
一番近くにいても抱き締め合っても凍りついてしまうほど寂しかった。
黙ったまま時間だけ流れて、背中合わせの心感じて気になるけど言葉に出せば消えてしまいそうで黙っている、とりとめもない心をどうすればいいの、水割りをもう一杯「おかわり頂戴」彼女はそう呟いて顔を私に向けた。
彼はとても愛しいと囁いてくれる、けれどとても寂しい帰ってゆくのを知っているから。
今だけ抱き寄せて、だけどとても寂しい
確かめたいけど一人になるのが怖い
心はいつも背中合わせすれ違いね、「やめちまいなよ、そんなの」黙って聞いていた私の背後から声がした、「さっきから、酒が不味くなるんだよ」彼女は振り返って彼を睨んだ。
優しい言葉をくれる人より彼女に必要なのはこういう人なのかも知れない私も振り返って彼を見たけど彼女が彼を見つめる眼差しとは全く違っていた。
同情憐憫の眼差しと被害者意識の眼差しと呆れた男の眼差し、すれ違いの眼差しが交差する午前零時の道頓堀のスナック時は1980年代の終わりここから三人の恋愛劇場第二幕が幕開けするとは、この時は誰も知る由もなかった(笑)
令和6年10月19日
心幸
秋晴れ
天気予報は明日は雨よ、結構降るらしい☔
紅葉の季節だし、お弁当でも持って出かけたいけど、現実は雨よ雨。
「嘘」の世界と「実」の世界上手く使い分けて編み上げて生きなきゃだめよ、でないと息詰まって結局あなたみたいになっちゃうの、人生シビアに真面目に「実」ばっかり追いかけていても「嘘」ばかりでもつまらないけど、「嘘」のない関係も世界もそれはきっと無いのかも(笑)それこそ嘘くさいのかも、絶対は絶対に無いみたいに(笑)
嘘の無い世界
そんなものを、そんな世界でなければならないと頑張るから病むのよ(笑)
嘘八百の中にある、たったひとつの「実」そっちの方が、キラキラしている気がするし、探すのが楽しそうだ、、やっぱり嘘つきはロマンチスト・エゴイストでないと勤まらないのかも知れない。
晴れ渡る秋晴れも、「女心と秋の空」は「男心は秋の空」とも言い、互いに移り変わって行くからこそ儚く色鮮やかで美しい、嘘とも実とも解せぬところに美しさとは存在する気がする。
そういう「嘘」を見破るのではなく、誰かのその嘘に、そっと傘を差し出せる人になりたいと
思ふ。
秋晴れを待ちながら、空を見上げる雨の降る
夕暮れ🌆
令和6年10月18日
心幸
忘れたくても忘れられない
令和6年10月17日午後
俳優西田敏行さんが御逝去されたとスマホニュースで知らされた。ショックだった、芸能人の訃報に接して涙が流れたのは初めてかも知れない、それほど好きな俳優ではなく、それど好きなドラマの主役だったのだ、私にとって忘れたくても忘れられない神ドラマ「池中玄太80キロ」の池中玄太、どれほど月日が流れても西田敏行と言えば私にとっては池中玄太なのである、それは石原裕次郎と言えば七曲署藤堂俊介ボスと同じくらいに。
忘れたくても忘れられない神ドラマ「池中玄太80キロ」父と最後に観たドラマだ。
その頃私は絶賛反抗期中で父とあまり話さなくなっていたが、このドラマだけは一緒に観ていた。第一シリーズが始まったのが1980年その次の年に父は死んでしまうので、父と観た最後のドラマが池中玄太80キロだった、それからこのドラマは人気を博しシリーズ化される、私は何時も父のことを思い出しながらドラマを観ていた。
「池中玄太80キロ」は、私に子供時代の終わりを告げ、後悔と慕情を教えた神ドラマなのだった。私の父は痩せていたので容貌は少し違うが玄太演じる西田敏行さんに父を重ねていたのかも知れない。そんな西田敏行さんが身罷られた。
お父さん昭和は遠くなりにけりです、入口はどんどん遠くなり、その光はもう見えなくなりました、変わりに出口は近づき、彼方に出口から差し込む光らしきものが見えるような気がします。そんな今でも、「池中玄太80キロ」の玄太さんの声を聞くとお父さんのことを思い出します。
劇中で語られる鶴の子別れの話は、まさに当時の私に打って付けでした。鶴の父親はある日突然子供を突っつくようになる、子供は父親が嫌いになって離れやがて遠い空に飛んでゆく、父親はそんな雛が大空高く飛んでゆく姿を見ている、そんな鶴の話が心に残るドラマでした。
今夜は、そんな忘れても忘れられない私の神ドラマ「池中玄太80キロ」を観ながら西田敏行さんを偲びたいと思います。
お疲れ様でした 合掌
令和6年10月17日
心幸
やわらかな光
写真家は負けたと思った、何人もの女をファインダー越しに見つめる、やわらかな光につつまれる彼女たちが無垢なベールから妖艶な肌を輝かせて世に出るそれを導き探り創り出す巨匠老写真家は、その少女のはにかんだ笑顔で真っ直ぐな瞳で、その眼差しを目が合った
恥ずかしさに少し外す一瞬を覗き込んだようにシャッターを切り、少女は驚いたように唇に手を当てて恥じらいで、それでも他の誰にも見せることがないだろう、はじめての秘密のような笑顔を向けているのだ、巨匠老写真はため息を深くつき、自分の長いキャリアを越える若い彼女の為だけの巨匠写真家に負けたと思ったのだ
少女のやわらかな光につつまれ、はにかんだようななんとも例えようのない初々しい青春の一瞬を覗き込むようにとらえた写真家は少女の彼だった、この写真はプロには撮れないと巨匠写真家は呟いた、素人には素人にしか写し得ない一瞬があり切り取れない表現出来ない一コマがあると言うことだ、けれどそれを何時でも満遍なく小出しに尽きぬ泉に湧く湧き水のように出し続ける事が計算で出来るのがプロである、プロを甘く見てはいけないし、素人を侮ってもいけないという事なのだ老人は教えてくれた。
やわらかな光につつまれて
踊るように笑う君の鈴の音のような笑い声
やわらかな光につつまれて
風を纏い走る君はキラキラ輝いて眩し
ファインダーを覗く僕は
君の光につつまれた君を瞬きもせず
シャッターを切り続けた高鳴る鼓動
輝く君は呆れるほどチャーミング
僕はこの情熱を震える指に込めるよ
僕の気持ち受け取って太陽もおそれいる君
出会ったのは互いに14輝きはじめる前の君
僕だけは知っている臆病なはにかみ屋さん
15の夜は二人で弾けた跳ねる盛の君の躍動感
僕の胸に届く熱い鼓動二人で迎えたやわらかな光の朝
花盛りの16、17君に差すやわらかな光
より輝きながら大人への扉をあける艷やかな白き腕 指先
君の気持ち掴もうとくるくる舞う僕の真夏
君といればいつだって熱い夏 雨雲も逃げて
光差す空さ
もしや 弾けて君のやわらかな光を見つけて
追いかけて掴んで掴まれて18エイティーン
輝きます君と
そんなド素人だけど、彼女への愛だけは誰にも負けない彼が向けたファインダーに応える彼女のプロには写し得ないやわらかな光を彼女は信じて微笑むから、今その一瞬、彼は巨匠写真家を凌ぐ写真家になり、彼女はピカピカのモデルになり得るのだ。
令和6年10月16日
心幸