ふと、疲れてしまう時がある。
たぶんそれは、普段目を逸らしている『疲れ』というものを認識してしまった瞬間なのだと思う。
吐いた息が溜息になってしまうこと。視線が下を向いてしまうこと。朝起きるのが億劫になってしまうこと。食事すらも抜きたくなってしまうこと。
日々を丁寧に一歩づつ歩んではいても、どうしたって、どうしようもなく、蹲って殻にこもってしまいたくなる。そんな瞬間がある。
(呼吸ってどうやってしたっけ)
無意識に前を向いて。無意識に努力して頑張って。無意識に限界を視界外へ追いやる。
その、無意識だって、労力は必要なこと。それは変えられようのない事実で。でも気づいてしまえば動けなくて。そんな瞬間に自分が今何をしたいのかが理解できなくなる。
やらなくちゃいけないこと。するべきこと。片付けるべきもの。したほうがいいこと。etc....... それらはわかる。動け、と 脳は指示を出してくる。
でも、やりたいこと、目標、夢......そんなものを見失って。自分の立ち位置がわからなくなる。
(そもそも、なんで、息、しなきゃいけないの)
Should,
Must,
Need,
主語すらない。理由も知らない。望みもない。なのに何故……
(……わからない、や)
答えは未だ知りもしない。
それでも、盲目の目で眩いばかりの朝日を認識した。今日がまた始まる。
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テーマ; 暗がりの中で
「───」
そう、言えたらどれほど良かっただろう。
たとえ何が変わらなかったとしても、己の中のその想いをあの人へ伝えられていたのなら。そんな今があったのなら、それは、もっとずっと……
そんな意味のない空想を今だ捨て切れず、過去を振り返っては変わらない後悔を慈しむ。言わばこれはただの自己憐憫。たられば、なんて今からでもなにかを行う勇気もない癖に。
「同窓会……」
参加する気はなかった。それでも、もう少し考えよう、とそんな珍しい気紛れによって、もう7日ほど机の上に放置されたその葉書。
隣合うひとつの二重線とひとつの丸でなにかが変わるというのなら。そんな風に勇気を振り絞って、卒業以来初めての顔合わせに一歩踏み出す。
(グループで、来るって言ってた)
就職に進学とバラバラの進路を志した割に、何故か細々と残り続ける文明の利器の中の微かな繋がり。ときたま意味もないやりとりが唐突に行われては沈黙を繰り返すあの頃のままの時間。それが後押しをしてくれるから。
「今回は、言おう」
『行かないで』
なぜだか、どこか、おそろしい。
吸い込まれるような透き通る青が頭上を覆っていると、得体の知れない恐怖に似た、筆舌に尽くし難い寒さを感じることがある。突然自分ひとり見知らぬ空間に放り出されたような、そんな理解できない畏怖の念を抱く。
(混じり気がなさすぎて、嫌いだ)
意図せず視界に入ってしまった淡色のグラデーションの下で、誰にも気づかれないよう 独り言ちる。
それは、鏡をずっと眺めている時にも似た嫌悪感。纏い慣れた仮面の下を、笑顔の裏を覗かれて、澱んだ本性を暴かれ突き付けられているかのような、そんな嬉しくもない幻想が色鮮やかに脳裏で流れてゆく。
(嫌い、大嫌い)
─── 空も、星も、海も、鏡も、宝石も、真っ直ぐな視線も すべて。
必死に繕った人当たりのいい装飾を剥いでしまうから。いつの間に染められ慣れ親しんだ生存戦略が、お綺麗なものではない打算まみれのその場凌ぎだと指摘されているようで。
「綺麗だよね。なんか、落ち着く」
「……綺麗、だね。本当に」
嫌いだ。綺麗なものは、なにもかも。
傷も汚れも光を当ててしまう癖に、醜いものは視界にも入れてはくれないのだから。いつだって届きもしない場所で輝いて、こちら側にはけっして足を踏み入れてもくれやしないのだから。
「残酷なくらい」
いつも、そこにあるのに、すり抜けるばかり。
きっと一生、分かり合えないのだと理解した。
優しくしたい、笑顔を見たい、楽しんで欲しい、ただ傍に居たい。すべて本心からの言葉で決して嘘ではない。心底大切に慈しみたいと思っているのに。
(それじゃ、たりない)
泪を、悲鳴に似た嬌声を、プライドに揺らぐ瞳を、ぐちゃぐちゃにみっともなく曝け出される誰も知らない裏側を暴きたくなる。
繕えないくらい限界まで。本人よりも尚、正確に。なにもかもを掌握していたいと願ってしまう。大切が故に、羽根を切って籠の中に閉じ込めてしまいたい。
『あいしてる』
触れたら崩れてしまいそうな精巧なビスクドールには、専用の部屋が必要であるように。危険や汚れ誘惑からその穢れぬ身を守る為には無菌の箱庭が不可欠であると。
寄り添うように佇む儚げなそのお人形を慈しみながらその人は歪な愛を囁いた。
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「全ての危険から遠ざけることは依存の助長に過ぎない」
「だが、懸命な君はもう既にその言葉すら遅いことを理解しているのだろう? 賽は投げられた。だから敢えて君にこの子の存在を明かしたのだから」
初めから嫌な予感はしていた。近頃やけに気分良さげな浮かれている様子、ペットを飼い始めたのだと、さして重要とも思えない説明を長々と語られた日。
感情の起伏の希薄なその人間がやけに上機嫌に、饒舌に、そしてどこか自慢げに表情を柔げていたから。悪い変化ではないと、だから見過ごしていた。
その違和感をもっと突き詰めていれば。もっと彼と交流していれば、彼のことを理解していれば。今更悔やんでも遅いのだけれども。
「……風切り羽根を奪い、花を手折る人間に協力する気は毛頭ない」
「それは残念だ。けれど君はこの子を見捨てられないし、私の邪魔をすることを良しとする筈がないだろ」
慈愛に満ちた、狂信者の微笑み。それをマヤカシだと言い切れたのなら、人形の様なその子供を救う手立てもあったのかもしれないけれど。
それでも非道を許容してさえも、その人の存在はこの身にとって欠かせないものであったから。
「所詮、私も同じ鳥籠の中ですから」
またひとつ。愛と引換に空を飛ぶ理由を自ら手放した。